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暗澹たる泥中から  作者: 金萌 朔也
第3章 卒爾たる変転
23/32

第10話 紛れる影−後編−


 園の奥まった位置にある巨大なレールを目指した先に、ジェットコースターの乗り場へ続く階段と、そこに並ぶ一際長い行列が見えてきた。

 レールは山になったり谷になったり、1回転したりツイストしたり、高低差が大きいところはほぼ垂直に乱高下したり……。

 園内の半分程度に渡って縦横無尽に張り巡らされた、そんなレールを凄まじい速度で走るコースターからは歓楽と悲鳴が混ざった声が聞こえてきて、地上との高低差や距離を物ともしないほど周囲に響き渡っている。


「ここから見ても速そう……」

「そりゃあジェットコースターだかんなぁ〜。速度も国内最高峰とかパンフに書いてたけど、乗れそ?」

「……うん、多分」


 乗ったことないから確かなことは言えないけど、きっと大丈夫だと思う。……思っていたよりも速そうだったから、尻込みしそうになったけど。


「エルさーん! ちょっと見てちょうだいよ、あれ!」

「っ!?」

「ジェットコースター、身長制限あるんですって! 140センチ以下の子はダメって、それじゃ私乗れないわよー!」


 半泣きの真璃愛(まりあ)さんが指差した先には、乗り場へのゲート横に置いてある、手を挙げたマスコットが描かれた古めかしいパネル。

 その手の先にはラインが引かれていて、マスコットの横の吹き出しには「ここより小さい子は乗れないよ! ゴメンネ!」と書いてあった。


「あと5センチ足りなくて乗れないなんて、そんなの酷いわ! ……あっでも私、胴体と足が離れてるから……ほら、背伸びし放題よ! これなら乗れるわね!」


 ひとしきり騒いだ真璃愛さんはパネルまで飛んで行って、地面に両足をつけてからほんの少し浮いて、嬉しそうに自己解決している。

 それは背伸びって言わないし、そもそも魂だけの存在なんだから身長制限は関係ないんじゃ……と思ったけど、真璃愛さんが楽しそうだからいいか。

 みんなで並び始めたジェットコースターの列は長くて、1時間近く並んだ末にようやく順番が回ってきた。

 荷物を備え付けのロッカーに預けて、コースターに乗り込む。一番後ろにあたしと鱓野(うつぼの)さんが乗っていて、紗蘭(さら)さんと海老原(えびはら)さんはその前だ。真璃愛さんはルンルンしながら、海老原さんの膝の上に座った。

 膝上に下ろされた安全バーを、スタッフさんが確認して回っている。


「……何か、急に緊張してきたな……」

「っあー、分っかる〜! 乗る前は普通に楽しみなのに、いざこーして発車直前になると、ちょっと変な汗出てくるよなぁ〜。いよいよ逃げらんね〜みたいな? 自分が好きで乗ったんだけど!」


 隣ではキャップを脱いだ鱓野さんがそう言ながらケラケラ笑っているけど、困ったような下がり方の眉が本当に緊張しているんだと示している。

 それに触発でもされたように、あたしの背中にも変な汗ってレベルじゃない量の冷や汗が伝ってきた。


(おばけ屋敷でもほぼ怖がらなかった鱓野さんが緊張してくるって……あれ……? これもしかして、思ってたより怖いやつ……?)


 軽い気持ちで乗ったの、間違いだったんじゃ……なんて思っている間に鳴ったブザー音の喧しさに身体がビクリと跳ねた。

 ガクンと動き出したコースターに連動して軽くつんのめる、そんな些細な動きにすら悲鳴を漏らしてしまう。思わず片手で安全バーを、もう片手で鱓野さんの腕を握りしめる。

 鱓野さんの声が聞こえるけど、巨大な山型のレーンをゆっくり登るコースターのカタカタという音が怖すぎて耳に入ってこない。

 このあと猛スピードで空中を駆け回らされると思うと、バクバク打っている心臓と一緒に、胃の中身まで口から飛び出そう。


(もういっそ早く落ちてよ、落ちるなら……!)


 頂上まであと少し、というところで急激にスピードが上がっていって、鱓野さんの腕を握る手に自然と力が篭る。

 そして頂上に辿り着いた瞬間、ガクンッと首から下が千切られるかと思うほど下へ引っ張られて──。

 ……その先の記憶はない。気づいたらあたしは鱓野さんに姫抱きにされていて、鱓野さんは乗り場から地上への階段を降りていた。

 ジェットコースターの近くのベンチが空いていたから、今はそこで休憩している。


「エル先輩、ご気分どうですか?」

「うぅ……頭、まだ、揺れてる……」

「驚いたよ。コースターから降りて振り返ったら、鱓野先輩が気絶してる君を抱えていたものだから」

「いやぁ……動き出した辺りから様子変だな〜って思ってたけど、気ぃ失っちまうとはなぁ……。ごめんなぁ、すぐ気づけなくって」

「私も、ジェットコースターに夢中になっちゃったわ……ごめんなさい……」

「だ、大丈夫……。乗るって、決めたの……あたしだから……」


 背もたれに全体重を預けながら、まだ若干回る目を抑えるあたし。前にはあたしと鱓野さんの荷物を持っている海老原さんと、しゃがんであたしの顔を覗き込んでいる鱓野さん。両隣には紗蘭さんと真璃愛さんが、あたしを挟んで座っている。

 自分が乗りたいと言ったからか、真璃愛さんの表情は罪悪感が色濃い。


(そんな顔しなくても大丈夫だよ……あなたのせいなんて思ってないから)

 

 とはいえ、今もまだちょっと体調悪いから、みんなには悪いけどもう少し休んでいたい。


「ごめん……次のアトラクションさ、みんなで行ってきて。ちょっと休んでるから、あたし……」

「だったら僕も一緒にいるよ。ただでさえ具合悪そうなのに、1人でいるのは──」

「大丈夫だよ、ここから動いたりしないし……すぐ元通りになると思う。だから気にしないで、ね?」

「しかし……」


 あたしに気遣わず遊んでほしいけど、何故か今日は輪をかけて心配性な海老原さんが口ごもる。

 その横で鱓野さんと紗蘭さんは顔を見合わせて、紗蘭さんが軽く頷いてから立ち上がった。

 

「では、エル先輩のお言葉に甘えまして、私たちは一度アトラクションに行ってきますね。次は私の番ですし。でも先輩、私たちがいない間に知らない人に声かけられても、ついて行ったらダメですからね?」

「行くわけないでしょ」

「まっ、大丈夫だろーけどなぁ〜。エルちゃんほどの人見知りちゃんならっ。つーことで、海老君(えびくん)も行こーぜ?」


 紗蘭さんも鱓野さんも、あたしのことを気にせず楽しんでほしい、という気持ちを汲み取ってくれたことは嬉しい。

 けど、本当にあたしを何だと思っているんだろう。特に紗蘭さん。

 

「…………分かりました。はい、リュック。なるべく早く戻ってくるから、絶対に動かないでおくれよ。絶対だからね?」

「大丈夫だよ。行ってらっしゃい」

「ほんで、次は紗蘭だろ? どーすんの?」

「そうですねー、じゃあ……」


 パンフレットを開く鱓野さんに軽く引っ張られながら離れて行く海老原さんと、その隣の紗蘭さんに手を振って、渡されたミニリュックを膝の上に乗せながら見送った……ところで気づいた。海老原さんの傍に、真璃愛さんがいない。

 振り返ると、真璃愛さんはあたしの隣に座ったままだった。瑠璃色の丸い目を瞬かせながら、小首を傾げている。


「真璃愛さんは行かないの?」

「うん、ここにいるわ。私のわがままでエルさんが体調崩しちゃったのに、それを尻目に遊ぶのはちょっと気が引けるし……。それに不審者が寄ってきたら、私がエルさんを守るから! 任せてちょうだい!」


 えっへん、と得意気な顔で胸を張る真璃愛さんは、魂だけの存在だから他人に触れられないし、基本は目に映りすらしない。それでも傍にいてくれて、守ると言ってくれるその優しさが温かい。本音はきっと、あたしを放って遊べない方だと思うけど。

 ……あ、そうだ。丁度いいから、今日の海老原さんのこと真璃愛さんに聞いてみようかな。ゆっくり気兼ねなくお話できるのなんて、みんながいない間しかないし。


「あのさ、ちょっと海老原さんのことで気になることあるんだけど……」

「え、お兄ちゃん? どうかしたの?」

「今日の海老原さん、いつもより心配性だなって思って。鱓野さんや紗蘭さんにはいつも通りなのに……」

「えー……いつも大体あんな感じじゃないかしら? 家にいる時とか、よくエルさんのこと心配して独り言言ってるわよ? ちゃんとご飯食べたかとか、本に夢中になって夜更かししてないかとか。まぁエルさんに限らず、(じん)さんや紗蘭さんのこともぼやいてるけど」

「そ、そうなんだ……?」


 海老原さん、意外と独り言の多いタイプだったりするのかな……一緒にいる時はそんなことないんだけど。あとで手帳に書いておこう。


「まぁでも、確かに今日はやたらエルさんに目をかけてる気はするわね。紗蘭さんが1人で猫耳カチューシャ買いに行った時とか、何も言わなかったし……」

「……そういえば、ブルームで遊園地に行くって決めたあと、真璃愛さんは主様(あるじさま)のところに行ってたじゃない? あの時ね、海老原さんがちょっと苦い顔してたの。何か余計なこと思い出しちゃった、みたいな」

「余計なこと……?」

「うん。だから、遊園地に嫌な思い出があるのかなって思ったけど……。海老原さんって、今日が遊園地初めてなんだよね?」

「そうね、家族で行ったことも──あ!」

「どうかしたの?」

「あーいや、お兄ちゃんじゃないんだけど……ママが遊園地嫌いだったなって思い出してね」

「お母さん? 真璃愛さんと、海老原さんの?」

「そう。それこそ遊園地に嫌な思い出あったんじゃないかってくらいで、だから遊園地行ったことないの、私たち。パパも、ママほどじゃないけどあんまり……って感じだったし」

「……そうなんだ」


 海老原さんのご両親……そういえば海老原さんの口からは聞いたことないな。

 あたしと同じ一人暮らしなことは知っているけど、家族や故郷の話とか全然しないから。帰省しているような話も様子も、これまでなかったし……。

 海老原さんも無憑(むつき)だから、あたしの実家みたいな差別思想の家庭だったら……と思って踏み入ったことないけど、そうではないのかな。真璃愛さんの様子を見るに。

 

「余計なこと思い出した顔は、もしかしたらママの遊園地嫌いのことかもしれないわね。エルさんをやたら心配してる理由は分からないけど……まぁ、深く考えなくていいと思うわ。お兄ちゃんのことだから、どうせ大したことじゃ──」

 

 そう言いながらふと視線を遠くに投げた真璃愛さんは、その瞬間に瑠璃色の目と表情を強張らせて、口にしていた言葉を言い切る前に凍りついた。

 釣られるようにその目線の先を探ってみると、何かのアトラクションに並んでいる海老原さんたちがいた。列は長くないみたいだけど、みんなの前にも後ろにも何人かのお客さんが並んでいる。


「……真璃愛さん、何見てるの?」

「え、いや、何でもない──」

「そんなわけないって、顔見れば分かるよ」

「うっ……」


 ギクッと顔を(しか)める前から寄っていた眉間。今は細まっているけど、さっきは眼球が零れそうなほど大きく見開いていた目。いくら何でもないと繕っても、実際に見せた戦慄の表情が説得力を奪っている。

 ……やっぱり、何かあるんだ。あたしが見つけられていない、もしくは神使(しんし)にしか見えない何かが。

 それが真璃愛さんを不安に陥れて、ずっと来たかった遊園地で遊んでいる楽しみに水を差している。


「おばけ屋敷のあとも、レストラン出た時も、何か見てたよね? そんなに気になるものがあるの?」

「あ、えっと……」

「神使にしか見えないなら仕方ないけど、そうじゃないなら、何が気になってるのか教えて? 心配なことがあるなら、何とかできるよう頑張るから。せっかくずっと行きたかったところに来てるんだもん、心配事はなくした方がいいでしょ」

「……………………」


 数秒、真璃愛さんの視線が忙しなく泳いだ。あたしの顔だったり、海老原さんたちの方だったり……どことなく何かを躊躇(ためら)うような彷徨(さまよ)い方。

 けど、それは本当に数秒だった。視線が海老原さんたちの方に定まったかと思えば、ベンチに座る姿勢だった身体を少し浮遊させて、あたしとの距離を詰めた。

 あたしの顔のすぐ真横にきた真璃愛さんの顔は、不安の色でくしゃりと歪んでいる。


「あのさ……あそこにいる2人組、分かる? お兄ちゃんたちの後ろに並んでる、男の人たちなんだけど」

「2人組?」


 白蓮のブレスレットをつけた右手が浮遊しながら指差す先は、海老原さんたち……の、後ろのようだ。

 確かに、そこに並んでいる人たちがいる。そう遠くはないから、目を凝らせばそれぞれの特徴が何とか見分けられた。

 1人は帽子を深く被って、もう1人はだぼっとしたシルエットのパーカーを着ていて、腹部についている大きなポケットに右手を突っ込んでいる。どちらもラフで、あまり明るくない色の服装だ。

 真璃愛さんが言う2人組は、多分あの人たちのことだろうな。


「うん、分かるけど……それがどうかしたの?」

「私の見間違いじゃなければ、あの人たち……ずっとエルさんたちのあとをつけ回してるわ」

「……え……」

「遊園地に来られたの本当に嬉しくてさ、思い出にってあちこち見てたんだけど……そしたら、おばけ屋敷出た辺りで気づいたの。やたら目に留まる人たちがいるなって」

「……目立つとか、そういうことじゃなくて……?」


 言ったあとでハッとしたけど、むしろあの人たちは自然と人混みに紛れられるような、ごく普通の格好をしている。髪の色だって、明るかったり目を引くような色はしてない。

 この大勢の人波の中で、そんな人たちだけが目立つわけがない。


「うん、見かけるのよ。一定の距離保ちながら、つかず離れずって感じで、ずっと……。そんな風にエルさんたちの周りにいるから……エルさんたちに絶対バレないように尾行してるみたいだなって……」

「っ……!」

「一度目についたら、ずっと気になっちゃって……。気のせいかもしれないし、害がないなら言わないでおこうと思ったんだけど……急にお兄ちゃんたちのすぐ後ろまで距離詰めてきたから──あれっ? ちょっ、エルさん!?」


 ずっと何を見ていたのか、何で見ていたのか。それを不安の抜けない顔と声で話してくれている真璃愛さんを、その話が終わらない内に置き去りにして、あたしは全力で走り出した。

 後ろからは、何て言っているか分からないけど真璃愛さんの声が聞こえてくる。それを無視してミニリュックを胸に抱えながらダッシュで目指す先は、2人組とその前にいる紗蘭さんの間。

 人1人分空いているかどうかのそのスペースに、疾走の勢いをほぼ殺さないまま、2人組を押しのける形で自分の身体をねじ込んだ。


「きゃっ……え、エル先輩!? どうしたんですか……というか、もう体調は大丈夫なんですか?」

「……っあ、えっ、と…………」


 急に飛び込んだせいで紗蘭さんはもちろん、その前にいる海老原さんと鱓野さんまで驚かせてしまった。追いかけてきた真璃愛さんも勢い余って、紗蘭さんの身体に半分貫通しちゃっている。

 ……飛び込んだあとの言い訳なんて考えてなくって、困惑するみんなの前で口ごもる。怪しい人たちがみんなに近づいているって分かって、そしたら脚が勝手に動いただけだから。

 あたし1人で壁になれるかは分からないけど、とにかく2人組と紗蘭さんを少しでも引き離したくて、2人組を見ないように背にして立った。

 知らない人は怖いし、あたしたちをずっと尾行していたかもしれない人たちなんてもっと怖い。現に背後から聞こえた隠す気のない舌打ちが耳に刺さって、脚が竦んじゃっている。

 ミニリュックを抱える手が、カーディガンの袖を巻き込んで、自分の身体を守るようにかき抱く。


(それでも、放っておいて万一みんなの身に何かあったら……それが一番怖いよ……)


 本当に尾行しているんだとしたら、何をしてくるか分からない。ブルームにドスを持ち込んだあの迷惑客みたいに、何か隠し持っている可能性もある。

 特に鱓野さんと紗蘭さんは、タイムリープ前に死んじゃって……しかも鱓野さんは殺されすらしていた。その2人に怪しい人が近づいているなんて、知っていて放っておけるわけがなかった。

 

「……もしかして、エルも乗りたくなったかい?」

「え、あっ……う、うん、そう」

「ふふ、そっか……なら、一緒に乗ろうか。やっぱり全員一緒の方がいいからね」

「今並んでんの絶叫系じゃねぇから、さっきみてぇに気絶したりしねぇだろーし、乗りたいんなら止めねぇけど……ホントにだいじょーぶ? まだちょいと顔色悪ぃよ?」

「だ、大丈夫……本当に……」


 もう体調はよくなったけど、我ながら顔色悪い自覚はある。今は背後の気配に気が気じゃないから。

 怖くて振り向けないけど、ずっと視線が背中に刺さって、バクバクいっている心臓まで貫かれているような気さえする。

 ふとみんなから視線をずらせば、心配そうな眼差しであたしを見つめてくる真璃愛さんと目が合った。


「エルさん、気持ちは分かるけど無茶なことしないで! これであの2人組が逆上して、エルさんに何かしてきたらどうするの? 今のところこっちの様子窺ってるだけで、そんな気配はないけど……」


 真璃愛さんは、そう言う合間にあたしの背後に視線を向ける。あたしが無闇に2人組の様子を見たら刺激しちゃうかもしれないけど、人の目に映らない真璃愛さんならその危険はない。

 何かしてくる気配はない、か……。だったら大丈夫、かな。少なくとも、あたしが壁になっている間は。


「んじゃ、もしまた具合悪くなっちまったら、すぐ俺らに言うよーに。はい、指切りげんまーん!」

「うん……ありがとう」


 差し出された鱓野さんの右手の小指に、自分の右手の小指を絡ませると、応えるように鱓野さんも絡ませてくれる。


(不思議だけど、本当に落ち着くなぁ……鱓野さんに触れてもらうと……)

 

 鱓野さんは身体が大きければ手も大きくて、当然小指だけでもあたしのそれとは比にならないサイズをしている。

 自分よりも細くて小さいあたしの小指を、壊れ物を扱うようにやんわり包んでくれる。そんな彼の優しい指切りに、じんわりと胸が温かくなって、次第に怖気も鼓動も落ち着いてきた。

 ……そんな時だった。


「ダメそうだな。仕切り直すぞ」

「またプラン変更か……いつまであのガキ共つけ回せばいいんだ」


 そんな会話が、すぐ真後ろから聞こえてきたのは。


「……えっ……?」


 思わず振り返ったその先に、さっきの2人組はいなかった。

 こっちには目もくれず、まっすぐあたしたちから離れていく2人組はいつの間にか少し遠くにいて、その足取りはそそくさと退散しているように見える。

 いや、そんなことより……。


(何、今の会話……。見てなかったけど、あの2人組がしてたんだよね……?)


 プランって何……? ガキ共って、あたしたちのことだよね……。

 じゃあ真璃愛さんが思った通り、あたしたちをずっと尾行していたってこと?

 こんなところで、白昼堂々と……?


「おーい、エルちゃーん? いきなり振り返って、どーかしたぁ?」

「え……」


 普段通りの声であたしを呼ぶ鱓野さんに向き直れば、何であたしが振り向いたのか欠片も分かっていないかのような……いや、本当に分かっていないんだと見て取れる、キョトンとした顔の鱓野さんと目が合った。海老原さんと紗蘭さんも同じ顔をしている。

 そんなみんなの様子と相反するように、落ち着きかけていた鼓動がまた速くなる。半分はさっきの会話のせい、もう半分は……。


「……ねぇ、さっきの……聞こえなかった……?」

「さっき? ……お前ら、何か聞こえた?」

「いえ、私は特に……」

「僕も何も……エル、何か聞こえたのかい?」


 ……やっぱり、みんなにはあの会話が聞こえなかったんだ。あたしを挟んでいたとはいえ、すぐ後ろという近距離で、声を潜めていたわけでもなかったのに。

 考えてみれば最初から変だった。2人組を押しのけた直後の舌打ちだって、少なくとも前にいた紗蘭さんの耳には届いてないとおかしいくらい、思いっきりしていた。

 あの会話だって、普通の声量で話していて……みんなにも聞こえていないと説明つかないくらいの……。


(何でみんなには聞こえなかったの? そういう能力の異憑(いつき)? それとも、真璃愛さんみたいに人が知覚できない存在とか……)


 いや、それはない。列に飛び込んだあの時、あたしは確かにあの2人組を押しのけた。触れられたんだ、真璃愛さんと違って。間違いなく、あの人たちは普通の人間だ。

 なら、考えられるのは異憑の能力……何の異憑かは分からないけど……。でもそんなの使ってみんなに近づいて、それ以前に尾行して……みんなに何するつもりだったの……?


「……帰ろ、エルちゃん」

「え……」

「さっきより悪ぃよ、顔色。ちょいと早ぇけど切り上げようぜ。無理して遊んで、もっと体調悪くすることねぇし、な?」

「……そうですね。私としては十分遊べましたし、暗くなる前に帰った方が安全でしょうし」

「みんなが帰るなら、僕も一緒に帰ろうかな。遊園地はエルが元気になってから、またみんなで来ればいいさ」

「けど──」

「エルさん、帰りましょう。さっきの会話……エルさんも聞こえたんでしょ? 上手く言えないけど、何か……嫌な予感がするのよ、すごく……」


 みんな明らかにあたしを気遣ってくる中、真璃愛さんも帰宅を促してきた。

 瑠璃色の瞳に劣らないくらい青ざめた顔をぐしゃぐしゃに歪めて、心なしか震えている身体を浮遊する両手で抱きしめながら。


「…………ごめん、みんな」

「謝んなくていーの! んじゃ、みんなで仲良く帰ろー!」


 鱓野さんの号令で、全員列を外れて園のゲートへ歩き出す。乗ったアトラクションの思い出を、みんなが努めて明るい声で語りながら。

 その傍らで、真璃愛さんは浮遊しながら絶えず園内を見回していた。周囲を警戒してくれているのか……それとも、帰るには名残惜しいのか。


(本当にごめん、真璃愛さん……あなたが一番、遊園地楽しみにしてたのに。こんな風に終わるつもりで、誘ったんじゃないのに……)


 時折あたしの顔色を心配してくれるみんなへの受け答えも、真璃愛さんと目を合わせることも、マトモにできず……。

 きっとこの場の誰よりも重い足を引きずるように、明るく賑わう遊園地を後にした。

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― 新着の感想 ―
不穏さが漂ってきて怖いですが、個人的に真璃愛さんが癒しです。 周りには見えてないからこそ秘密の相談もしやすそうだし、これからもどんどん出てきてほしいです。
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