第3話 カクテルバー “ブルーム”
大学の最寄り駅から電車で10分くらいの、大きくないけど結構な人で賑わう、バイト先の最寄り駅。
そこからしばらく歩くと、路地裏のような薄暗い通りに続く細い道がある。見るからに治安が良くなさそうなそこに入ると、それまで少なくなかった人通りが一気になくなった。
車の走行音も聞こえなくなるほど進んでいくと、無機質なコンクリートの建物に挟まれるような形で建っている店に辿り着く。
“ブルーム”という看板がかかった、小ぢんまりとしたカクテルバー。ここが、あたしたちのバイト先だ。
CLOSEDの札が下がった木製の扉を紗蘭さんが引いて開けると、ドアベルが軽やかな音で歓迎してくれる。中から漂ってくるお酒とタバコの刺激臭も、ここに通い続けた今は慣れたものだ。
「蔵市郎さーん、来ましたよー」
「あ? あァー……やっと来やがったか、ヒヨコ共」
紗蘭さんがドアの向こう側にいるであろう店主さんの名前を呼ぶと、やや暗い店内と同調したような、テンションもトーンも低い男性の声が返ってきた。
レジで作業しながら視線を向けてくるのは、タバコを咥えている中年の男性。細く立ち昇る煙の奥では、気怠そうな口調とは裏腹に暗褐色の三白眼が、研いだ刃物みたいに鋭く光っている。
白髪混じりの短髪をオールバックにしているその人はシャツの袖を肘下でまくっていて、そこから覗く筋肉質な両腕は古傷にまみれて痛々しい。
それに埋もれるように、彼の左腕には火の玉のような形の黒い刻印……霊憑の憑印が刻まれている。紗蘭さんも、左脚の太ももに同じ憑印を持っている。
彼は、嶋崎 蔵市郎さん。ブルームの店主で、紗蘭さんのお父さんだ。
「あ、またタバコ吸いながらお金いじって! 汚れるからやめてくださいって、何度言ったら分かるんですか!」
「おーおー、来て早々ピヨピヨうるせぇヒヨコだなァ。それが父親に対する態度か? 育ての、とはいえよ」
「それは娘に注意されないようにしてから言ってください。50代後半にもなってそんなにルーズだと、私は心配で夜も眠れません。大体、あなたはそうやって私たちをヒヨコ呼ばわりするくせに、いつもいつも──」
「わァった、わァったよ。俺が悪うござんした。あと俺ァそこまで歳食っちゃいねェよ、今年で53だ」
「別に変わらないでしょう、たった数年」
「そのたった数年がでかいんだよ。ケツの青いヒヨコにゃ分かんねェだろうがな」
むぅ、と頬を膨らませる紗蘭さんを尻目に、店主さんは自分が身に着けているウエストポーチから携帯灰皿を取り出して、その中に吸いかけのタバコをねじ込んだ。
一見仲が悪そうに見えるけど、これは2人にとっては挨拶みたいなもの。仮にこの親子が本気で喧嘩したら、店ごと壊す勢いで椅子にグラスにあらゆる物が飛び交う大惨事になる。
そんな2人には、店主さんが「育ての」と言ったように血の繋がりはない。紗蘭さんから聞いたけど、事情があって紗蘭さんの両親が子育てできない状況になってしまったところ、色々あった末に紗蘭さんの実父の友人である店主さんに引き取られたらしい。
「……相変わらずだね、2人共」
「よォ、エル」
「こんばんは、店主さん。掃除、終わってますか? まだなら着替えてすぐやります」
「おー悪ィな、頼むわ。おら、紗蘭もとっとと着替えて、作業代われ。俺ァ仕込みやっからよ」
「はーい」
店主さんに促されて向かったカウンター奥の扉の先には、いくつかのスペースがある。
短い廊下の先には書類仕事とかをする事務所みたいな部屋があって、その奥に続く階段で上に行くと、店主さんの居住スペースになっている。紗蘭さんは今でこそ一人暮らしだけど、高校卒業まではそこで店主さんと暮らしていた。
あたしたちが入ったのは事務所でも居住スペースでもなく、階段の横にある更衣室として使っている小部屋。
半分物置みたいなそこにロッカーが2つ置いてあって、あたしと紗蘭さんで1つずつ使っている。中に入っているのは、店の制服といくつかの私物だけだ。
制服といっても店主さんと似たようなバーテンダー風の衣装で、違いは店主さんが普通の黒い男性用ベストなのに対し、あたしたちは黒とグレーのカマーベストな点。あと赤いリボンタイと黒いロングスカートを着用することくらいで、あとはほとんど一緒だ。
ちょうど着替え終わったところで、ふと紗蘭さんが自分のカバンから取り出した物が目に入った。……というより、入ってしまった。
「……ねぇ、紗蘭さん……何それ?」
「え? 何って、メリケンサックですよ?」
「うん、それは分かるの。……何でそれを制服のポケットに入れようとしてるの?」
どこで入手したのか分からない、というかあまり知りたくないメリケンサックを、当然のようにポケットに入れる紗蘭さんの手を掴んで止める。……けど、紗蘭さんの力には及ばず、メリケンサックはポケットにしまわれてしまった。
いやまぁ、紗蘭さんがメリケンサックを忍ばせていたのは、前回もだったけど。
「ほら、私は蔵市郎さんと違って腕力までは強くないじゃないですか。なので、お守り代わりに持っておきます。いざという時にエル先輩を守って差し上げられますし!」
「ありがとう。その気持ちだけ貰っておくから、ポケットじゃなくてカバンにしまって。今からでも遅くないから」
「大丈夫です、お行儀の悪いお客さんにしか使いませんから!」
「まず人に使っちゃダメなんだってば。それなら、この前のスタンガンの方がまだマシだよ。……ちょっと、そのままホール出ないでって」
「だってそろそろ行かないと、怒られちゃいますよー?」
「メリケンサックしまえばいいだけの話でしょ……って、待ってってば! 紗蘭さん!」
靴も店用のに履き替えた紗蘭さんは、メリケンサックを忍ばせたまま清々しい笑顔で出ていく。そんな彼女を、あたしも急いで靴を履き替えて追いかけた。
ホールに出ると、新しいタバコを咥えた店主さんがすでにお酒の仕込み作業に入っていた。日に数箱は余裕で吸い尽くすヘビースモーカーなだけあって、タバコを咥えてないと落ち着かない性分らしい。
タバコを吸っているならレジ作業が終わったのかと思いきや、完全に紗蘭さんに任せる気でいたのか、やりっぱなし状態。
お店の経営者としてどうなのって感じだけど、店主さんはいつもこう。決して不真面目なわけじゃないけど、お金に関してはあまり頓着しない人だ。
「もー、せめてお金しまってから仕込み始めてくれません? あなたのルーズさにはヒヤリとしますよ」
「あ? いいだろ、どうせお前らしかいねェんだから。お前がもーちょい早くこっち来てくれりゃァ、助かるんだがなァ」
「女性は準備に時間がかかるものなんです」
「かーっ……よく言うわ、ヒヨコがよォ。あ、それ終わったらジュース絞ってくれや」
「はーい」
「それより、店主さん。紗蘭さんがメリケンサック持ってきてます」
「あ? ……一応聞いとくが、使い道は?」
「迷惑客が来店された時、速やかにご退店いただくよう説得するためです!」
「普通に説得する気ないでしょ。肉体言語で説得するつもりでしょ、ねぇ。そんな爽やかな笑顔しても誤魔化されないからね? 何年あなたの先輩やってると思ってるの」
「まぁ落ち着けや、エル。俺がちゃんと止めといてやるから」
「店主さん……」
「紗蘭、スタンガンの時も言ったが、間違っても普通の客には使うんじゃねェぞ」
「もちろんです!」
「よし」
「よしじゃない、何も止めてない……もうやだ、この親子……」
……そんなやり取りがありつつ、あたしたちもそれぞれの仕事に取りかかる。紗蘭さんは結局メリケンサックをしまってないけど、もう諦めた。使いさえしなければいい。
いつもやっている開店作業は決して少なくないけど、黙々とこなしていればあっという間に開店時間の19時を迎える。本格的な仕事はここからだ。
ブルームは入り組んだ路地裏の真っ只中にある上、表通りに看板を出しているわけでもないから、新規のお客さんはほとんど来ない。でも常連さんは結構いるから、開店すれば次第に席は埋まっていく。
お店自体が小さめなこともあって、開店から1時間くらいになると、今みたいにほぼ満席なんて日も珍しくない。店内で賑やかにお酒を楽しむ顔ぶれは、みんなよく見知った顔だ。
そんな店の中へ、カランカランと軽快なドアベルの音と共に、また1人誘われてくる。
「マスター、今日も繁盛してるね〜!」
「よォ、また来やがったか。毎週毎週こんな場末の店で寂しく一人酒かっくらって、飽きねェのかァ?」
「人聞き悪いなぁ、マスターの店だから1人でも来るんじゃないの。お、今日はお嬢と先輩もいるじゃん」
「いらっしゃいませ」
「こんばんは、今日もご来店ありがとうございます! いつものカクテルでいいですか?」
「うん、頼んだよ〜お嬢!」
この人も常連さんで、この人に限らず常連さんはみんな店主さんや紗蘭さんと仲がいい。中には友達みたいな付き合いをしている人もいる。
店の場所が場所なだけに若干アウトローというか、強面だったり刺青が入っていたりと少し怖い見た目をしているけど、みんな気のいい人たちだ。
あたしは店主さんほど仲良くなることはあまりないけど、みんなあたしが成人済みだってことは知ってくれている。この前の警察官みたいに、中学生と間違えたりはしない。
そして、これもこの人に限らずだけど、常連さんはあたしのことを先輩、紗蘭さんのことをお嬢と呼ぶ人がほとんどだ。
先輩っていうのは、紗蘭さんがあたしをそう呼ぶからみんなも冗談半分で呼び始めたからだけど、紗蘭さんがお嬢って呼ばれている理由はよく分からない。店主さんの養女だからそう呼ばれているんだろうなと、勝手にそう解釈している。
「あら……このリキュール、残り少ないですね」
「あ、じゃあ取ってくるよ。店主さんは接客で手が離せなさそうだし」
「いいですか? では、お願いします」
カクテル作りは紗蘭さんに任せて、新しいリキュールを持ってこようとカウンター奥のドアを開けようとした、その時だった。
「すんませぇーん、そこのポニーテールのおねーさぁーん」
カウンターの向こうから聞こえてきた、どことなくねっとりしたような男性の声に引き止められる。
声の方に顔を向けると、2人組の若い男性客がテーブル席からこっちを見ている。どちらも顔に赤みがかってて、すっかり出来上がっているようだ。
でも、単に何か用事があって呼んだにしては、妙にニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべていて。まるで品定めでもするみたいな、やたらじっとりとした視線が身体にまとわりついて気持ち悪い。
見慣れない顔だし、あたしの呼び方からしても間違いなく常連さんじゃない。でも……。
(あの人たちの顔……どこかで見たような……)
記憶を手繰り寄せてもはっきり思い出せないのに、どうしても既視感が拭えない。
常連でもなければ、当然大学の知り合いでもないし……どこで見たんだっけ……?
「おーい? おねーさん、聞こえないのぉー?」
「す……すみません。ただいま、伺います」
お客さんに呼ばれたからには無視するわけにはいかない。紗蘭さんも店主さんも手が空かないみたいだし、あたしが行かなきゃ。
……接客、あんまり得意じゃないけど。
「お待たせしました……」
「さっき追加で酒頼んだんだけど、まだ来ないんだよねー。もう15分かなー、そんくらい待ってるんですけどぉー」
「あっ……も、申し訳、ありません」
妙な見方してきたから変なお客さんかと思ったけど、普通に注文の催促だけ……なのかな。まだジロジロ見られて目線が合わない……というか、2人揃ってあたしの身体をやたら見てくる気がするけど……。
ともかく、紗蘭さんにお酒用意してもらって、あたしはその間にリキュールを取りに行こう。提供も紗蘭さんにお願いした方がいいかな……。このお客さんたち、酔ってるにしても何かちょっと怖い……。
「では、ただいま用意を──」
「それよりも、酒来るまで俺らの話し相手なってくれよ」
「えっ?」
カウンターに戻ろうと振り返った瞬間、今まで黙っていたもう1人のお客さんが放った一言に気を取られて、足を止めてしまった。その隙に左手首を掴まれて、カウンター内に戻るどころか身動きもロクに取れなくなった。
さり気なく解こうと試みるけど、しっかり握られてて抜け出せそうにない。
「え、あの……お客様……?」
「酒用意すんのなんか、あそこのおっさんにでもやらせとけよ」
「そうそう。俺ら、あんなおっさんより、おねーさんに接客してほしいなぁ? 俺、おねーさんみたいに可愛くて小柄な女の子って好みなんだよねー。胸大きいのもポイント高いよ?」
ヘラヘラ笑うお客さんの口から出てくる、到底褒めているとは思えない下卑た言葉。それだけに飽き足らず、あたしの腰に躊躇なく手を回して撫で始めた。
……ブルームでバイトを始めてもう数年になるし、この手の酔っ払い客に絡まれるのは初めてじゃない。常連さんはこんなことしないけど、そうじゃない人は酔った弾みに行き過ぎたことをしたりもする。
だからって慣れているわけもなく、服の上から腰のラインを厭になぞられる度、大量の虫が素肌を這い回るような感覚が全身を襲ってくる。
神経がゾワゾワと粟立って、気色悪くてたまらない。
「……こ、困ります。ここはそんなお店じゃないんです……!」
「そんなつれないこと言うなって」
「ちょーっとくらいサービスしてくれてもいいじゃーん?」
強めに手を除けようとしても、左腕を掴む手はびくともせず、腰を撫でる手に至っては止まるどころかじわじわ下がってくる。
気色悪いを通り越して怖い。脚が震えてきて、油断したら力が抜けそう。
今のところ誰も気づいてないけど、気づかれて騒ぎになっちゃう前に、どうにかしないと……。
「っ……お願いです、放して!」
「おい、暴れるな…………ん?」
「……あれ? おねーさん、その憑印……」
「え? ……あっ……!」
とにかく身動き取れない状況だけでもどうにかしたくて、手を振り解こうと必死になるあまり、あたしはすぐに気づけなかった。お客さんの手と一緒にシャツの袖がずり落ちて、手首の憑印が露わになっていたことに。
腰の手をどかそうとしていた右手で袖を戻そうとするけど、お客さんの手に阻まれてそれすら叶わない。むしろ、憑印が見つかってから腰を這い回る手に一層遠慮がなくなった気さえする。
「マジ? おねーさん、無憑なの? マジかよ、生の無憑とか久しぶりに見た!」
「やだっ、見ないで……お願いですから……!」
「えー、何で? 希少価値だよ? 羨ましいなぁ〜!」
「無憑なら尚更黙って言うこと聞けよ、昔は家畜以下の奴隷だったんだからよ!」
「っ……‼」
何でそんなこと笑いながら言えるの。何がそんなにおかしいの。希少価値とか、ふざけないで。そんな価値とやらのせいで、あたしがどんな思いしてきたかも知らないで。
あなたたちのこの行いがマシに思えるような、家畜以下の奴隷より酷い目にすら遭ったんだ。察してなんて贅沢言わないけど、せめて思い出させないでよ。
そんなこと願っても、お客さんたちは嗤い続ける。下品な嘲りを恥ずかしげもなく晒して、きっとあたしを侮辱している自覚なんかなく。
もういっそ恐怖より怒りが勝ちそうになったところで、あたしはやっと気づいた。
どこかで見た顔だと思ったら、前回にもいたお客さんだ。はっきり思い出せないけど、多分前回の今日に来店して、今みたいに度を超えた絡み方してきたんだと思う。
(それで……確か、このあと……)
「おい、無憑! 俺はゴリラの霊憑なんだ。その気になれば、お前の腕捻んのなんか簡単なんだぞ? こんな風にな!」
「いだっ……!」
「怪我させられたくなきゃ、大人しく──ごぶッ⁉」
潰されるかと怖くなるほどの力で手首を握られた瞬間、ゴッ、と鈍くて大きな音がしたかと思ったら、手首から痛みどころか握られる感触もなくなった。数秒遅れて、何かが倒れた音と衝突音が店に響く。
倒れた椅子のそばには、さっきまであたしの手首を握っていたお客さんが倒れていた。よく見ると指先だけピクピクと痙攣させているお客さんの頬は、歯か骨でも砕けたんじゃないかと思うほど陥没している。
「いっででででで‼ ちょっ、何だよ‼ 放せ‼」
何が起こったのか確かめる間もなく、今度は腰を触ってきてたお客さんが悲鳴を上げた。さっきまでヘラヘラと余裕そうだったのが嘘みたい。
「……あら、おかしなことを仰いますね? さっきまであなたがこのゴミより汚い手で、ベタベタと先輩に触れていた時、先輩は放してとは言わなかったんですか?」
この人が騒ぎ出した原因は、確かめるまでもなかった。いつの間にかあたしの隣にいた紗蘭さんが、あたしの腰の手を捻り上げていた。
うっかり見た瞬間に「ひっ」て口から出ちゃったくらいの般若の形相で、肩ごと持っていく気なんじゃないかって角度で。
こんな近くにいるのに、全く気づかなかった。能力で忍び寄ってきたのかな。
「この店に来るくらいですし、身なりからして、どうせどちらもカタギじゃないでしょう? ここはそういう方も多いので、多少の無作法は目を瞑りますが……限度ってものがあるんですよ、何事も。……先輩に不埒なマネをして怖がらせるなんて、限度云々以前に論外です‼ この外道ッ‼」
「へぶぅッ‼」
「…………あぁ……」
紗蘭さんの容赦も手心もないハイキックが顔面にめり込み、椅子から数メートル離れた壁際まで一直線にふっ飛ばされたお客さん。あの華奢な脚からは想像もつかない威力は相変わらずだ。
突風みたいな速度で叩きつけられたし、ピクリとも動かない辺り、今度は気絶しているだろうな。さっき倒れたお客さんも、多分あんな感じで蹴り飛ばしたんだろう。
……この一連の流れにも、かなりデジャヴを覚えた。前回も、こんな感じで紗蘭さんが助けてくれたからだ。
そうでなくとも、質の悪いお客さんに絡まれると真っ先に助けてくれるのは毎回紗蘭さんだし、怒るとすぐ脚が出る人だから、このいっそ気持ちいいくらいのハイキックも見慣れたものだ。一緒に毎回見ることになる般若の形相だけは、そうもいかないけど。
こうなったら紗蘭さんはそう簡単には止まらない。少なくとも、怒りの矛先をコテンパンにするまでは。
「クッソが……無憑の肩入れしやがって! 調子乗んじゃねぇぞ、女ァ‼」
最初に蹴り飛ばされたお客さんが顔を真っ赤にしながら起き上がり、上着の内側から棒のような物を取り出して、そこから鈍色をした棒を抜いて見せた。
……いや、棒じゃない、あれ。先に取り出したあれは、鞘だ。店の照明が反射してギラリと光るそれは……紛れもなく刃物。しかも、包丁なんて目じゃないくらい長い、刀を短くしたような形の。
何でそんな物持ってるの、なんて問い質す暇もなかった。それを振りかざしながら、躊躇なくテーブルに足をかけて紗蘭さんに斬りかかろうとする。
「紗蘭さん、危ない──」
避けて、と続けようとした、その瞬間。
お客さんとあたしたちの間に、何かが轟音を立てて割り込んできた。
微かに漏れたあたしの細い悲鳴をかき消すレベルのそれは……お客さんが足をかけていたテーブルが真っ二つに破壊された音だった。
そして割り込んでテーブルを壊した犯人であろう、テーブルの残骸とバランスを崩して転倒したお客さんのすぐそばにいたのは……。
「……店主、さん……?」
タバコの煙を吐き出しながら、妙に据わった鋭い目でお客さんを見下ろす店主さんだった。




