春野
海に波浪の荒るるごと、人に苦難の打ち寄せる
山に野分けの跡残り、村じゃ子が泣く親が泣く
京の都じゃ人がみな、鬼畜となりて争いぬ
源平、合戦に明け暮れて、ついに平家は敗走す
落人筵をかぶりつつ、虫けら同然逃げまどう
あるいは海に身を投げし、姫を見とどけ自刃せり
ここは日向の山深く、青龍白虎の棲むといふ
清盛の末裔なるは十六の、鶴富姫といいにけり
稗を作りてひっそりと、村を離れて住みにけり
楠の若葉の賑わいが、極楽のごと降り注ぎ
庭に山椒の実が香り、雲雀は高く舞ひにけり
そこに那須の大八郎、通りすがりに声を掛く
大八郎は源氏の者なれど、平家追討に疲れ果て
鶴富姫の御姿に、はっしと己を取り戻す
さればいままで幾人の、命を切って捨てにけり
涙流して座り込み、土をつかみて悔しがる
姫はそれではいまからは、人としての往き道を
手に手をとって進まんと、やさしく声を掛けにけり
姫の姿は阿弥陀様、大八郎はその元で
真に人と生まれたり、真に仏に出会いたり
山が深紅に染まるころ、京から帰国の便りあり
別れは人の常なれど、かくも哀しき別れなし
ああ我人となりにけり、ああ我仏となりにけり
大八郎はしっかりと、姫を抱きしめ目を閉じぬ
あれは春野の花畑、きっとふたりでいつの日か
風に吹かれてたたずまん、仏となりてたたずまん
那須大八郎
ぬばたまの君が黒髪香りつつ発つ身に森の鳥ぞな鳴きそ
鶴富姫
添い寝する間もなく朝になりぬるを夫の背に降る花こそ憎し