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「おはぎちゃーん」
翌日、目が覚めたら一緒にいたはずの兎がおらず、清仁が家の中をうろうろ彷徨う。そこへ国守がやってきた。
「なんだそのけったいな名は」
「知らないんですか? おはぎ」
──もしかして、おはぎがまだ無い時代か!
米はあっても、あんこという食べ物は無いのかもしれない。何も考えずに付けてしまった。しかし、名前なのだからこの時代に無い言葉でもいいだろう。
「知らん」
「おはぎっていうのは、もち米を丸めたものに砂糖……砂糖は知ってます?」
「馬鹿にするな」
「あ、あるんだ。で、砂糖と小豆を煮詰めたものを包んだお菓子がおはぎです」
国守が首を傾げる。想像出来ないらしい。
「小豆を煮詰める? 団喜とは違うのか?」
「いや、あんこって名前です」
「甘い小豆とはいかがなものか」
なるほど、長岡京にはあんこも無いらしい。小豆を煮詰める料理はあるらしいので、甘くないあんこが団喜ということか。
「まあ、とりあえず、そういうお菓子が現代にあるんです」
「どうでもいい」
文化が違うため興味を無くされてしまった。そもそも、国守は何でも食いつく清麻呂と違い、文化というより現代の機器の方に興味がある。普段の食事も毎日同じようなものばかりなので、衣食住にこだわりが無いタイプなのかもしれない。
「そうだ。おはぎちゃん!」
話が大分脱線してしまった。今はおはぎがどこに行ったのか探す方が重要だ。
「おはぎとやらなら、お前のナカにいるのでは?」
「ナカ……? 食べてないですけど……?」
若干不安になりつつ国守に問うが、侮蔑の表情を向けられるだけだった。
「ナカとはお前の内なる場所だ。主人が眠ったから、式神もお前のナカで眠ったそれだけだろう。出てこいと願ってみろ」
「分かりました。ええと……おはぎちゃん、出てきて!」
シュルンッ。
目の前に小さな風が舞ったかと思うと、おはぎが姿を現した。あまりの光景に清仁が目を丸くする。
「えぇ~~~~うそぉ~~~! 可愛すぎる! 妖精さんかな? おはぎちゃん、よく出てきてくれました!」
おはぎが上目遣いで主人を見るので、思わずぎゅうぎゅうに抱きしめる。こんな可愛らしい生き物が自分の式神だなんて、タイムスリップもしてみるものだ。
『ぷ』
「うわぁ、返事した! 天才だ!」
喉を鳴らしただけでこの騒ぎよう。ため息を吐いた国守が清仁を蹴飛ばした。
「うわッ危ない。おはぎちゃんが潰れたらどうするんですか」
「私の家の中で五月蠅くするな。外でしろ」
「いってきまぁす!」
居候の身としては何も言い返せない。清仁は潔く外へと走り出した。
「下に下ろしても逃げないかな」
野生動物だったらすぐに逃げてしまうだろうが、使役をしたので大丈夫だと思いたい。そっと下ろしてみると、おはぎはお行儀よくその場に立っていた。
「おりこうさん!」
可愛い。実に可愛い。可愛いが溢れている。なんということだ。楽園はここにあった。
「おっと」
通行人が道の向こうから歩いてきたことに気が付き、ゆっくり立ち上がる。清仁とすれ違った通行人は、おはぎに目もくれずに歩いていった。
「こんな可愛い兎がいたら見るだろうから、やっぱり見えてないのか。いや、ここじゃ野生動物なんて当たり前だから、兎がいても普通? どうなんだ」
おはぎの傍にいるのが自分と国守という、あやかしが視える人間だけなので、いまいちおはぎがあやかしという実感が湧かない。
「行こうか」
『ぷ』
朝の風が気持ちいい。今日は何月なのだろう。そういえば、今がどの季節なのか聞いていなかった。冬ではないことは分かる。
「畑……おお、田んぼ! まだ収穫されてないってことは八月、温度的に九月か? 令和より涼しいだろうから、八月の線も考えられるか」
とりあえず、真冬にタイムスリップしなくてよかった。初日に凍死フラグ回収である。
「ん?」
数人の庶民が清仁を追い越していった。並んで談笑しながらどこへ行くのだろう。なんとなく気になりこっそり後を付けると、ある寺が見えてきた。乙訓寺ではない。
「あの、どちらへ行かれるのですか?」
寺に入られると、その中で何が行われているのか分からないままになる。思い切って庶民の一人に尋ねると、見ず知らず相手にも丁寧に教えてくれた。
「ああ、湯屋ですよ」
「湯屋ですか。有難う御座います」
お辞儀をして彼らと別れる。清仁は寺を見上げた。
──湯屋か。なるほど分からん。




