08話:そして俺と五祝成子の家に、東雲明香里がやって来た。
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そして部活が終わった。
俺はなんだか気もそぞろになっていたので、
ぐずぐずしていたらしく着替え終わったときには一人になってしまっていた。
「お疲れ様ですっ」
部室を出ると東雲がいた。もちろん制服姿だった。
こうしてみるとただの女子中学生にしか見えない。
とてもじゃないが剣道を始めて一週間であの腕前を持つなんて今更ながらすごさを実感させられる。
「あ、東雲、待ってたのか?」
俺はなにも考えずにそう言った。すると東雲は少し不満な顔を見せた。
「はいっ。……明香里ちゃん、って呼んで欲しいですっ。……でも副将は苗字でも特別に良しとしますっ」
「そ、そうか?」
俺はなにが判断基準だかわからないが、東雲に許可をもらったようだ。
「実はですねっ。いっしょに帰ろうと思って」
そう言って東雲は歩き出した。
「お前のウチ、どっちなんだ?」
「副将と同じ方角ですよ」
俺は不思議に思う。俺は東雲に自宅の住所を教えたつもりはないからだ。
「な、なんで俺ン家の方角知ってんだ?」
俺はつい立ち止まって東雲に尋ねてしまう。
だって訳がわからないだろう。俺と東雲は今日、初めて知り合ったのだ。
だから小学校から、……いや幼稚園から含めても互いに接点はないはずだ。
「実は主将に聞いたんですっ」
なるほどな、と思った。なら知ってて当たり前だ。ヤツなら俺の家になんども来たことがある。
と、同時に、あの野郎とも思う。余計なことを教えるな、ってんだ。
俺はなんて言ったらいいのかわからずに適当に返事をしてしまう。
そしてそんなこんなしてるうちに、俺と東雲は駅に到着してしまったのだ。
辺りには夕方らしく通勤や通学帰りの人が多かった。
まだ乗車用交通カードに定期券をチャージしていない様子の東雲を置いてさっさと改札を抜けようとした。
俺からすれば駅まで女と二人で歩いてきただけでも奇跡なのだ。
ここまで付き合ったんだから後は勝手に帰ってもいいだろうと思い、
切符販売機に向かう東雲を置いて改札を抜けてしまおうと思ったのだ。
だが、そのときだった。人混みの中で誰かが俺の肩をむんずと掴んだのだ。
「な、なにをするっ!」
俺は肩にしょっていた竹刀袋に手をやる。
言いがかりや因縁を付けてきたのなら、
身にかかる火の粉を振り払うくらいの覚悟はいつでも出来ているつもりだからだ。
「よお、剣崎」
「な、なにしてんだっ? こんなところでっ!」
相手は剣道部主将の権藤太一だったのだ。
「こんなところはないだろう? お前がここに来るのは知っていたんだからな」
確かにそうだ。
俺は毎日ここを通過する。権藤がそれを見抜いていてもなんの不思議もない。
だが俺が言いたいのはそこじゃない。わざわざこの時この場所に、なぜお前がいるのかを訊きたいのだ。
権藤は通学に電車を使わない。学校から歩いて通える場所に住んでいるからだ。
「あー、権藤主将っ。探しちゃいましたよっ」
突然の声に俺が振り返ると、そこに東雲がいた。
「明香里ちゃんがお前の家を知りたいって言うから、部活の後に行こうって話になったんだ。
いちおう今日の宿題も持ってきたから、表向きは勉強会ってことになる」
「ちょ、ちょっっっと待てっーーー!」
俺は叫んだ。辺りの人が訝しげに俺たちを見るが、そんなことに構ってはいられない。
「じゃあ、なんなんだ? 俺と東雲が駅に着くのを見越して、お前は待っていたって言うのか?」
「まあ、簡単に言えばそうだ」
権藤はさらっと言う。なにが、簡単に言えばそうだ、だ。
どう複雑に言ったって東雲が気になって仕方ないから俺を出汁にして、誘ったこと丸見えじゃないか。
俺は頭がクラクラしてきた。
「そ、そりゃ無理だ!」
俺は考えを巡らせる。
今夜は五祝成子が話がしたいと言っていた。つまり先約があるのだ。
それにだ。誰とも接点を持ちたがらない五祝成子がいきなり訪れた東雲明香里を快く受け入れるとは思えない。 即ケンカになるとは思わないが気まずい雰囲気になりそうな気がするんだよな。
……なんとかうまくキャンセルさせる方法はないか?
俺はあれこれ考えてみる。
俺が急に熱を出したってのはどうだ? いやいや、どう見たって今の俺は健康体そのものだろう。
……うーん。
だがそんな俺の思惑なぞ、権藤にはまったく通用しないようだった。
「いいじゃないか。どうせお前ん家に行っても誰もいないんだろう?」
なんて簡単に言うのだった。
「……ちょ、ちょっと待て。家政婦さんがいるぞ」
「家政婦さんなら、なおさら問題ないと思うぞ。雇い主の友人たちが家に来るのは普通だからな」
「だ、だから、ちょっと待て」
俺は権藤と東雲を残すと駅の太いコンクリの柱の向こうへと姿を消した。
そしてスマホを取りだした。
「……確かメモリーに入ってたんだよな」
俺は素早く操作して五祝成子の電話番号を見つけた。そしてかける。
――プププププ。
呼び出し音はなっているが、まったくつながる気配がない。
……なにやってんだ?
俺は悪くもないはずの五祝成子にいらだちを覚える。
そのときだった。
ふと思い出した。確かシゲさんのスマホも登録していることに気がついたのだ。
……ってことは、あいつは二つのスマホを持っていることになるんだな。
そんなことを思いながら、俺はシゲさんの番号をコールする。
「はい」
すぐにつながった。
「あ、俺だけど。……えーと、五祝さんでいいんだよな?」
つい小声になって尋ねてしまう。
やっぱり顔が見えず声だけだと五祝成子とシゲさんが同一人物だと言うのが、
未だ信じられない気持ちなのだ。
「今は岩井シゲですが」
俺はほっとする。やっぱりシゲさんと五祝成子は同じ人物なのに間違いない。
「あ、えーと、今、駅で権藤と会った」
「はい。主将の権藤くんですね?」
「そうなんですけど、これから俺の家に行くことになった。
……そして、実は権藤以外にもう一人いるんだ――」
「――はい、わかりました。夕食の準備はもう二人分作ります」
そこまで言うとシゲさんは電話を切ってしまったのだ。
「……あ、どうすんだよ」
俺はもう一度電話をかけようとした。だが権藤と東雲がこっちに来るのが見えたので、電話をしまう。
「もういいか? そろそろ電車が来るぞ」
「あ、ああ。わかった」
「……誰と電話してたんだ?」
権藤が俺を見つめる。
ここはプライベートな問題だと突っぱねても良かったんだが、
そうすると後であれこれ面倒なことになりそうなので、俺は正直にシゲさんに電話したと告げた。
もちろんシゲさんと五祝成子が同一人物なのは話すつもりはない。
「おお、そうか。夕食の心配をしてくれるなんて嬉しいな。うっかりミスだった」
……なにがうっかりミスだ。
お前はこういうときは、うっかり図々しい性格なんだよ。と、俺は権藤を見て思う。
「主将、副将、そろそろ行きましょう」
俺と権藤は東雲に促されて改札を通過したのであった。
車中での俺は曖昧な返事しかできなかった。
しきり権藤や東雲が話しかけて来るのだが、
俺の頭ン中はこれから起こるであろう五祝成子と東雲明香里の接近遭遇の無難なやり過ごし方を、
あれこれ思い浮かべていたのだ。
……どこまで話せば良いんだろう?
剣道部で初日から試合があって俺と東雲が戦ったのは構わない。
これは事実だし後ろめたいことはないからだ。
だが、東雲が勝ったらデートしようって言ったのは流石にまずいだろう。
よくはわからないのだが、俺が女とデートするなんて五祝成子に言えない気がしていたからだ。
……ま、これは俺が試合で負けなきゃ良い話だしな。
なんてことをいろいろ考えていたので、駅に到着したときには権藤と東雲に肩を叩かれる始末だったのだ。
それから徒歩で自宅へ向かう。
俺は気のせいかも知れないが足取りが一歩一歩重くなっているような気がする。
そしてそれは本当らしく、気がつくと先を行く二人が俺を振り返り待っていると言った具合なのだ。
「剣崎、体調でも悪いのか?」
「そうですよっ。副将、さっきからなにかヘンですよ?」
そう言われる始末だ。
「あ、なんともない。ちょっと部活で疲れたんだ」
俺は適当なことを言ってごまかすが、我が家への道はどんどん終わりに近づいている。
そのときだった。
「あ、そうだ。ケーキでも買って行こう」
俺を待っている権藤と東雲にそう提案した。
「ケーキか? いいアイディアだな」
権藤は、ふむと頷いた。
「えっ! ひょっとしてごちそうしてくれるんですかっ?」
東雲なんぞは目をきらきらさせている。やはり年頃の女の子は甘い物に弱いというのは本当らしい。
そして俺たちはちょっとばかし寄り道してケーキ屋に入った。
俺は甘い物なんか普段食べないので、なにが旨いのかさっぱりわからない。
だが権藤と東雲は異常な程に熱心に品定めしていて、
結局、チョコレートケーキとチーズケーキ、ショートケーキとモンブランと言った内容になった。
「俺はモンブランがいいな」
権藤が嬉しそうに言う。
「私はショートケーキ。イチゴ、大好きなんですっ」
「……俺はなんでもいいや」
これは本音だった。どれもこれも別に食べたくはない。ただ五祝成子のご機嫌さえ取れれば良いのだ。
そしてとうとう我が家に到着してしまった。
「へえ。素敵な作りですね。副将の雰囲気からもっと和風かと思ってました」
我が家を見て東雲がそう言った。
別に俺が建てた家じゃないし、俺の好みが入る余地なんかない。
これはお袋が知り合いの建築デザイナーの人にお願いして設計してもらったプチ洋風な家なのだ。
ちなみに俺はこの家のデザインは好きではない。やっぱり選べるんなら和風にしていただろう。
「入れよ」
俺は玄関を開けて、東雲を案内した。もちろん権藤はずかずかと遠慮なしで入ってくる。
「シゲさん、ただいま」
俺は声を張り上げた。すると奥から返事があった。
良い匂いがしていたので今日も夕食を作ってくれている様子だった。
「ただいま、帰りました」
俺は靴を脱ぎながらも、やはり奥へと視線を動かしてしまう。
すると台所からシゲさんが姿を現した。
「シゲさん。……この人は同じ剣道部の権藤と東雲さん」
俺は芝居じみていると思いながらも、やっぱりこういう風にしか紹介できなかった。
「初めまして。俺、権藤です。で、こっちが東雲明香里ちゃん。
俺たち、剣崎くんとは同じ剣道部で同じクラスなんです。
今日は俺が無理言って、俺と明香里ちゃんが押しかけちゃったって訳です。
あ、今日はいちおう宿題をするってことなので、剣崎くんの部屋にお邪魔します」
ナイスタイミングで権藤が助け船を出してくれた。
いや、本人はその気はないんだろうけど、少なくとも俺が言うよりも説得力があるはずだ。
そしてそれが通じたようでシゲさんはペコリを頭を下げた。
「岩井シゲです。この家で家政婦をしています。どうぞよろしく」
「はいっ! 東雲明香里と言います。実は今日転校してきたばかりなんですっ。
副将とは同じ剣道部なんですが、今日はこてんぱんにやられちゃいましたっ!」
東雲は元気いっぱいでそう答えた。
「こてんぱんですか?」
シゲさんが尋ねた。すると東雲は目をまん丸にして答える。
「はいっ。ちなみに私のことは明香里ちゃんと呼んでくださいっ」
なんて言う始末だった。
……俺はホッとした。
間抜けなところがある権藤はまだしも、
東雲にシゲさんの変装が見破られるんじゃないかとひやひやしていたからだ。
……ま、もっとも五祝成子のことはまだ顔も名前も憶えていないだろうけどな。
そして権藤も東雲も靴を脱いだ。そしてリビングへと向かっているときだった。
「痛っ」
俺はいきなり声を出してしまった。誰かに尻をつねられたのだ。
見回す。するとシゲさんが心なしかそっぽを向いている気がした。
「……なにすんだよ」
俺は権藤や東雲には聞こえない声でシゲさんの耳元に話しかける。
「さあ、なんのことでしょう?」
とぼけやがった。
俺はこの野郎と思うが、ここで事を荒立てる訳にはいかない。
仕方なく俺はうらみの代わりにケーキの箱をシゲさんに手渡した。
「これ、なんです?」
「ケーキです。ちゃんとシゲさんの分もあります」
「本当ですか? じゃあ、食事の後で食べましょう」
気のせいかシゲさんの顔が明るく感じられた。
俺は妙に複雑な気分にさせられる。やはり五祝成子も甘い物に弱いんだろうか……?
「オオッ。これはなんですか?」
食卓を見て権藤が歓声を上げた。
「今日はおからの卯の花と、ひじきの炒め物です」
シゲさんが並んだ料理を紹介した。
「おから? なんですか、それ?」
意外なことに権藤はおからを知らないようだ。
俺が豆腐の絞りかすだと説明すると不思議そうな顔になる。
「せっかくですから食べましょう」
みんな椅子にも着かずただ立っていたので、俺が気を利かせてみんなを席に座らせた。
「私は後で食べますから、先にどうぞ」
シゲさんがそう言った。そして俺たち三人は箸を取る。
……なんで五祝成子はいっしょに食べないんだろう? 俺はシゲさんを見てふと思ったのだった。
……そこで俺はふと気がついた。
シゲさんはいつも分厚い眼鏡とマスクをしている。
始めは花粉症かと思ったのだが、よくよく考えてみればあれは変装なのだとわかったのだ。
……つまりマスクを人前ではずせないってことか?
俺はシゲさんが今いっしょに食事をしない原因がそこら辺りにあるんじゃないかと当たりをつけた。
たぶん間違っていないだろう。
「いただきます」
自然に三人の声が食卓に響いた。いちばん声が大きいのはもちろん権藤だ。
「オオッ。これはグッドだ」
権藤がおからの卯の花を白米の上にのせて食べた後、そう言った。
「豆腐とはまた違ううまさだな」
どうやら満足したようで、さっそくおかわりをしている。
「このひじき、とってもおいしいです」
東雲はおからよりもひじきの方が好みのようだ。やはりご飯の上にのせてしきりに食べていた。
確かに今日の夕食もうまい。
肉も魚もないんだけど、食べる程に満足がいく。
やはりシゲさん。……つまり五祝成子は、
どんな食材でも上手に作る料理の天才かも知れないと俺は思った。
「ふう、満腹だ」
三十分も経過すると俺たち三人はすっかり食事を終えていた。
「お茶が入りました。ケーキを召し上がるでしょうから」
シゲさんが紅茶を三人分用意してくれた。そしてモンブランとショートケーキを皿に載せる。
「剣崎くんはどれがいいんですか?」
「あ、俺、どれでもいいです。シゲさんが先に選んでください」
俺は正直に言う。ケーキなんてどれもみんな同じだ。甘くてあんまり食べたいとは思わないのだ。
「では私はチョコレートケーキを頂きます」
そう言ってシゲさんは残ったチーズケーキを俺に前に置いた。
……やっぱりいっしょには食べないんだな。
俺は生まれて初めて食べるチーズケーキなる食物を口にしながらそう思っていた。
そして宿題の時間が始まった。
場所はなりゆきで俺の部屋ではなくて、このダイニングだった。
理由は三人では狭いからである。
「では始めるぞ」
権藤の号令で俺たちは宿題に取り組んだ。
そしてシゲさんだが、ちょっと用事があると言って俺たちが宿題にかかる早々、二階に上がってしまったのだ。
「なんだろう?」
疑問に思ったが気にしないことにした。
そしてそれから俺は教科書とノートを交互に見て、英語の文法を暗記していた。
「シゲさん、遅いな」
小一時間も経った頃だろう。俺はそうつぶやいた。
「見てくるか」
そう言って俺は階段を登ったのである。そしてシゲさんの部屋をノックしたのだ。
「シゲさん、いますか?」
何度目かのノックの後、俺はそう言った。決して大声ではないがドア越しでも十分届く声量で言ったのだ。
「……入って」
すると返事があったのだ。俺はなんだろうと首を傾げた。
いつぞや絶対に入ってはならないと念を押されたのを思い出したのだ。
「……いいんですか?」
「入って」
俺が質問すると間髪を入れずに返答があった。俺は仕方なくドアノブを掴んだのであった。
ドアを開けた。すると中にはシゲさんはいなかった。いるのは五祝成子だ。
今更ながらだが、俺はシゲさんと五祝成子が同一人物だと言うことを自覚したのであった。
部屋の中は妹の古都葉がいたときとはずいぶん変わっていた。
古都葉はまだ少女趣味が多く残っているので部屋中にぬいぐるみが散乱していたのだが、
五祝成子の部屋はこざっぱりとしていた。
ベッドカバーやシーツ、カーテンの柄などでかろうじて少女の部屋だとわかるくらいだった。
でもまだすべてが片付いていないようで部屋の隅には段ボール箱が五個ほど置かれていた。
「あんまりきょろきょろしないで。恥ずかしいんだから」
そう言った五祝成子は勉強机から立ち上がると後ろ手でドアを閉めた。
「座って」
立ちっぱなしの俺に五祝成子はクッションをすすめてきたので、俺はそれに座ることにした。
あぐらをかいてクッションに腰を下ろす。
「昼間の話をここでするのか?」
俺は昼休みに五祝成子が言ったことを思いだしてそう言った。すると五祝成子は首を振った。
「下では勉強中なんでしょ? それに邪魔が入ったし」
「東雲のことか? あれは不可抗力だぞ」
「そうね。それは認めるけど。……今はいいわ」
また先延ばしにするのか? と俺は思った。
確かに権藤や東雲がいるんじゃ話なんかできないだろうけど、
俺にはなぜ五祝成子がシゲさんとして俺の家に来たかがやっぱり気になっている。
「それよりも。……ケーキありがと。これは剣崎くんの発案でしょ?」
「あ、まあ、そうだが」
見ると勉強机の上に皿があって、そこに半分ほど食べたチョコレートケーキが見えた。
「あの子と試合したってのは本当なの?」
「ああ」
俺は今日の部活のことを話した。すると五祝成子は真剣に聞いていて、しきりに頷いていた。
「なるほどね。スポーツの天才少女でも流石に一朝一夕では剣崎くんには勝てないってことね」
「でも薄氷の勝利だったんだぜ」
そう言って俺は苦笑いした。
……不思議だった。
考えてみれば中身はともかく見た目はかなりの美人なのが五祝成子だ。
その五祝成子と俺は同じ屋根の下で暮らしている。
他人、……例えば権藤だが、そういうやつから見ればかなりうらやましいに違いないだろうが、
俺にはその良さがさっぱりわからない。
いや、五祝成子が嫌だと言うのじゃない。
中身がシゲさんだとわかったことで下手な緊張が取れたのかも知れないのだが、
普通にしゃべっているのに自分でも驚いている。つまり全然緊張していないのである。
「でも明香里ちゃんには気をつけてね」
「なにがだ?」
「あの子、君に気がありそうだから」
俺は思わずむせそうになった。
俺は今度の試合如何ではデートをしなきゃならないことなんて一言も言ってないからだ。
「……そんなことないだろう?」
俺はそう答えた。
俺は夕方の東雲の発言はその場の勢いって言うか、雰囲気っていうか、
そんなところじゃないかと思っている。
自分でも俺は女嫌いの朴念仁だとわかっているので、
女子が俺に気を持つなんてことはちっとも考えられないからだ。
「そろそろ下に行くわ。変装するから外で待ってて」
五祝成子は俺にそう告げた。俺は仕方なく廊下に出て待っていた。
するとものの五分もしないうちにドアを開けてシゲさんが姿を現したのだ。
「なにかあったんですかっ?」
俺とシゲさんが階下に到着したときに東雲がそう言った。
だが別に怒っている様子じゃなくて、なにかあったのか心配しているみたいに見えた。
「ごめんなさい。ちょっと手が離せない用事があって」
シゲさんがそう釈明する。
そして俺たちはリビングの椅子に納まった。俺はすっかり冷めてしまった紅茶をすする。
「副将。そう言えばなんですけど、ご家族はずっと行きっぱなしなんですか?」
東雲がそう尋ねてきた。どうやら権藤から聞いたようで俺の家の事情は知っているみたいだ。
「ああ。まあ、まだ行ったばっかしだから、当分は帰らないだろうな」
「えへへ、いいな。そしたら私がもしものときは、泊めてくれますかっ?」
俺は口に含んだ紅茶をぶはーっと吐きそうになるのをこらえた。
だがその代わりにかなり激しくむせてしまう。
「げほげほ。……な、なんだって?」
「私の家、実は両親が不仲なんですっ。いつもケンカばっかりなんですよっ」
東雲がふと暗い顔を見せた。初めて見る表情だった。
「……お父さんは商社で働いているんです。
だから取引先の人とお酒飲んだり、休みの日もゴルフに行ってばかりなんですっ。
で、お母さんはカルチャースクールの人と会合に行ったり、旅行に行ったりで、
ほとんど家にはいないんですっ。
お互いがそれに不満だらけなんですっ」
東雲はそれからも自分の話を続けた。
東雲は小学校のときからいわゆる鍵っ子で、
いつも一人で食事を作ったり、それをひとりで食べる毎日だったと言うのだ。
「だから今日は久しぶりに大勢とおいしい料理が食べられて幸せでしたっ」
東雲はそのことを全然大げさでも誇張でもない様子で言った。
今日の食事と勉強会が楽しかったと言うのだ。
俺は少し考えてしまった。
東雲はスポーツを総なめした天才少女で、
そういう実績からも一般家庭以上に恵まれた家庭があるのだと自然に俺は思っていた。
父親も母親も娘の活躍を全力で応援する環境があるんだと勝手に思っていたのだ。
だが、現実は違うようだ。
きっとたぶん。いや、絶対に間違いなく、ひとりの孤独をまぎらせるために、
両親以外の人でもいいから応援してもらえるためにスポーツに打ち込んでいたのかもしれない。
「あ、……ごめんなさいっ。湿っぽい話しちゃいましたっ」
途端に東雲は花のような笑顔を見えた。だが俺にはそれが予防策なんじゃないかと思った。
東雲の笑顔の裏にはさみしさを感じたくない思いがあって、
それを克服しようと自分なりに生み出していった作られたポジティブがその笑顔だと思ったのだ。
「また来たいですっ。副将、ダメですかっ?」
東雲が上目遣いで俺を見た。
俺はなんだかむげには断れない気持ちがしてしまったので、つい頷いてしまう。
「ホントですかっ! 約束ですよっ」
夕方の部活でも同じセリフを聞いたな。
なんて思いながらも俺は今の行為が良かったのか悪かったのか判断がつかず、
ついシゲさんを見てしまった。
「……夕食はいつも多めに作っていますから、剣崎くんさえ良ければ私は構いません」
俺は驚いた。
シゲさん、……いや、五祝成子がそんな答えを言うとは思わなかったからだ。
「宿題も食事も大勢の方が楽しいからな」
訊いてもないのに権藤も賛成していたのだった。
それからしばらくして勉強会は終わった。
「私、帰ります。初日から遅くまでお邪魔しましたっ」
東雲はそう言って立ち上がった。
「今日も鍵っ子なのか?」
俺がふと尋ねた。すると東雲はこくんと頷く。
「大変だな」
俺は時計を見る。すでに午後の十時を過ぎていた。
それを見て俺は立ち上がる。
女といっしょに夜歩きするのはどうも苦手だが、
こんな時間にひとりで帰れと言うのはもっとまずい気がしたのだ。
「大丈夫だ。今日は俺が送って行く」
すると権藤が提案してくれた。東雲もそれには不満がない様子だった。
「じゃあ、副将。明日学校で。……それとシゲさん、ごちそうさまでしたっ」
東雲はペコリと頭を下げた。そして権藤に付き添われて玄関を後にしたのであった。
よろしければなのですが、評価などしてくださると嬉しいです。
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