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7/21

07話:そして俺と東雲は戦った。

【毎日昼の12時と夕方の18時の2回更新します】




 

 もしかして……あれは東雲なのか?

 正解だった。

 

 

 

 なんといっても小柄な身体。

 そして白い胴着に白い袴は女子剣士が良く着る道着姿だ。

 さらに言えば面も白、防具も白と白ずくめで竹刀を構えているのだ。

 

 

 

「おい、なにやってんだ?」




 俺は部員たちの所まで来ると目の前にいた二年生に話しかけたのだった。

 

 

 

「あ、副将。……東雲先輩、すごいッス」




 まあ、確かにこいつから見れば先輩だよな。……いきなり初日でも三年生だからな。

 その二年生は興奮気味の俺に伝える。

 聞くといきなり試合を申し込んで二年生以下はまるで歯が立たなくて、オール二本負けを喫したらしいのだ。

 

 

 

「……嘘だろ?」




 俺は唸る。

 言っちゃなんだが俺たちの剣道部は、伝統も実績もあって都大会入賞も数多い。

 だからレギュラーの三年生じゃなくてもそれなりの腕前を持っているはずなのだ。

 

 

 

 つまり、よその中学校じゃ間違いなくレギュラー。

 そんな男子相手に東雲は圧倒的な勝利をもぎ取ったらしいのだ。

 

 

 

 ……マジかよ。

 

 

 

 俺は油断でもしたんじゃないかと思った。

 東雲は小柄な女子なのだ。いくらスポーツ万能と言っても素人同然のやつが連戦連勝と言うのは信じがたい。

 

 

 

「始めっ!」




 審判役のヤツが試合開始の号令をかける。互いに竹刀の切っ先が触れ合う距離で二名は立ち上がる。

 同輩の三年生のやつはそれなりの長身なので東雲とは頭一つ違う。

 東雲はまるで小学生のようだ。

 

 

 

 この場合だが、圧倒的に有利なのはもちろん同輩のやつだ。

 それは男子だからとか、剣道のキャリアが上だとかだけじゃなくて、

 背丈の差はそのままリーチの差になるからだ。

 

 

 

 他の格闘技もそうだろうが、剣道も身体がデカイ方が有利だ。

 それは馬力の差もあるが、それよりもやっぱりリーチが物を言うからである。

 

 

 

 それはつまり、間合いの差だ。

 

 

 

 デカイやつはより遠くから攻撃できる。

 つまり小柄なやつのアウトレンジからの打撃が可能だからだ。

 

 

 

「ヤツは面を狙ってるな」




 いつの間にか俺の横に来ていた権藤が言った。

 それはもちろんそうだろう。

 

 

 

 手を伸ばせば届く距離で、しかも真上から目標が見下ろせるのだ。

 これを逃す手はないだろう。ヤツには目を出した状態でスイカ割りでもするような気分だろうな。

 

 

 

「でいやああああー」




 裂帛の気合いで同輩のやつが床を蹴った。

 竹刀がシュンと伸び東雲の面を捕らえる。と、思ったときだった。

 

 

 

小手(こて)っーーー!」




 度肝を抜かれた。

 東雲の小さな白い身体が一瞬沈んだかと思うと、猫科の動物のようなしなやかさで身体を飛ばし、

 切っ先が同輩の右小手を捕らえたのだ。

パシーン、と小気味良い音がした。




「小手ありっ」




 主審と二名の副審の計三名がさっと白旗を揚げる。つまり全員一致の一本である。

 

 

 

「むう」




 俺は唸る。

 腕組みしていた十本の指が自然と力んでいるのがわかった。お見事だった。

 

 

 

「東雲のやつは、実はあれでも入部前に一週間ほど町の道場に通ったと言っていた。

 もちろん段位はおろか三級の資格も持ってないんだがな」

 

 

 

「……一週間。それで、あれか?」




「ああ」




 同輩と東雲は距離を取り、再びそんきょの構えを取っていた。

 

 

 

「とにかく素早い。そして竹刀さばきが正確無比だ。あれは本物だ」




 権藤が手放しで褒めている。

 それが意外でもあり、また正しいような複雑な気分にさせられる。

 

 

 

「始めっ」




 やがて二本目の試合が始まった。

 今度は同輩のやつも慎重だった。東雲が前に詰めればその分後ろに下がっている。

 だがそれも限界がある。どこかで仕掛けなければならないからだ。

 

 

 

「手詰まりっぽいな」




 権藤がそう告げた。そして俺の肩をぽんと叩くと後方へと下がって行った。

 なにをするんだろうと、ちょっと疑問に思ったが俺は東雲の試合から目が離せない。

 

 

 

「でいやああああー」




 追い詰められた感がある同輩がついに動いた。

 大きく振りかぶると渾身の気合いで東雲の面を狙いに行く。が、そこでまた東雲の白い姿が躍動した。

 

 

 

(どう)っー!」




 流れるように身体を横に滑らし大きく開いた同輩の胴へと竹刀がたたき込まれる。すれ違い様の抜き胴だ。

 俺にはそれは弁慶に向かう牛若丸、いや、鬼の懐に飛び込んだ一寸法師のように思えた。

 

 

 

「胴ありっ!」




 やはり今回も審判役の三人の旗が立った。俺は身体が震えるのを感じた。

 確かに東雲は本物だ。

 

 

 

「おおっ!」




 どよめきが起こった。見回すと剣道部たちだけじゃなくて、隣の柔道部の連中も注目していたようだった。

 一斉に拍手喝采が巻き起こる。

 

 

 

「それまでっ!」




 同輩と東雲は中央でそんきょして互いに礼をする。そして東雲が戻ってきた。

 

 

 

「あれ? 副将、来てたんですね」




 面を外しながら東雲がくるくる目でそう告げた。

 見ると汗びっしょりなのだが、その汗も心地良いらしく頭に巻いた手ぬぐいを外して拭っている。

 

 

 

「まあな。……お前は天才だな」




「そ、そんなことないですっ。稽古をつけてもらっているだけですっ」




 その言葉に過度の謙遜も、奢りや自慢も感じられない。

 あくまで感謝、感謝の気持ちでいっぱいなのがわかった。

 

 

 

 俺は背後を振り返る。するとひとりの男が面をつけているのが見えた。

 

 

 

「少し休んだ方がいい。まだやる気なんだろう?」




「はいっ! 剣道って楽しいですっ」




 あくまで天真爛漫な態度で東雲は俺を見上げて言う。

 そして東雲は面を床に置き、小手と竹刀をそろえて正座のままスポーツドリンクを飲んでいた。

 

 

 

 そしてその後は試合形式の稽古は続き、今度は一年生が中心になって上級生に挑む形で行われた。

 俺はそれをしばらくながめていたが、やがて背後に正座する面をつけた男の横にあぐらをかいた。

 

 

 

「お前が戦ってどうするつもりだ?」




「俺が行かなきゃ面子が立たないだろう?」




 権藤だった。

 やつはさっきの東雲の試合を見て自分が竹刀を取らなければならないと思ったようだ。

 

 

 

「ダメだ。お前にはやらせない」




 俺がきっぱりと言う。すると面の中で権藤の目が驚きの形になった。

 

 

 

「お前がするのか? 東雲と?」




「ああ」




 即答した。俺は下級生を呼び寄せて自分の面と小手を持ってくるように告げた。

 

 

 

「主将が出る間でもない。俺が止める」




 俺がそう言うと権藤は苦笑いをした。そして面を外す。

 

 

 

「わかった。お前が止めろよ。じゃないと剣道部の主将を東雲に譲らなきゃならなくなる」




 もちろんこれは冗談だ。主将は一番強い者が務めるわけじゃない。

 だが権藤の心中はそのぐらいの覚悟だったのだろう。

 

 

 

 俺が防具をすべて着けて道場中央に進み出ると、東雲も準備を終えてやって来た。

 最初、東雲は俺が誰だかわからなかったようだが、

 互いに中央線でそんきょの構えをしたときに面の中の顔がわかったようで、一瞬にこりと笑顔を見せた。

 

 

 

「副将。お願いします」




 カナリアのさえずりのような声で東雲がそう告げた。

 

 

 

「ああ」




 俺も返答する。そして互いに立ち上がる。

 

 

 

「始めっ!」




 審判役の同輩が声を張り上げる。

 

 

 

「でいやああああーっ!」




 俺は裂帛の気合いを出した。

 すると俺が身にまとう空気がぴりりと引き締まる感じがする。俺はこの瞬間が好きだった。

 

 

 

 だが東雲は、そんな俺の気迫なぞまるで眼中にないようでユラリユラリと身を揺らし、

 竹刀の切っ先を小刻みに上下させた。

 

 

 

 ……間合いを計ってるな。

 

 

 

 俺はそう実感した。

 先ほどの試合でもそうだったが、やはり俺の方が頭一つ身長が高いので、

 リーチの差を小柄な身を活かした瞬発力で補おうとするのがわかったのだ。

 

 

 

 俺は身動きひとつせずに眼下の相手を見下ろす。確かに面を狙いたいと思わせるほど、

 すぐそこに目標が見える。

 

 

 

 ……ひとつ誘ってみるか。

 

 

 

 俺は少しだけ後ろに下がる。

 するとやつはその分だけ俺との間合いを詰めてきた。やはり()(せん)を狙っている。

 俺が面狙いで竹刀を動かしたときに出小手(でごて)を取る算段だろう。

 

 

 

「でいやああああーっ!」




 俺は床を蹴った。そして切っ先を目の前に見える東雲の面に軸線を会わせた。

 

 

 

「面っ!」

「小手っ!」




 俺の竹刀が面を取る寸毫の差で右手に衝撃が来た。

 互いに打ち抜きすれ違い様だ。俺にも手応えがあったのだが、これはやられたと言う実感があった。

 

 

 

「小手ありっ!」




 三人の審判のうち二人が白旗を揚げた。

 ……やはり一本取られたか。俺は素直に舌を巻く。

 

 

 

「おおっ……!」




 途端に周りからため息が漏れた。

 俺は個人で都大会三位の実績を持つ。その俺から一本取ったことで改めて群衆は東雲の実力を認めたらしい。

 

 

 

 だが俺は焦らなかった。

 剣道は三本勝負なのである。最初の一本は手探りにすぎないからだ。

 

 

 

 俺と東雲は互いに中央でまた対峙した。

 

 

 

「始めっ!」




 再び試合開始の声が響く。俺は面の中の東雲の表情を読み取ろうとする。

 

 

 

 ……やはりな。

 

 

 

 東雲に奢りが全然感じられない。得意げな表情も浮かれた顔もまったくしていないのがわかる。

 やつも最初の一本は小手先調べだと理解しているのだ。

 

 

 

 ……本物だな。

 

 

 

 俺は東雲の実力を認めた。

 ならばこちらも全力で対応しなければ失礼だろう。俺はそう思った。

 

 

 

「……っ」




 ――竹刀をすっと頭の上まで振り上げた。すると東雲が息を飲むのがわかった。

 

 

 

 俺は上段に構えていた。

 上段は諸刃の剣だ。

 この構えは相手からは間合いが計れないのが利点だが、胴ががら空きになってしまう欠点を併せ持つ。

 

 

 

 さらに言えば中学生で()()()使()()()()()()()()()()()()と言っていい。

 高校生でもまずいない。大学生や社会人でやっとちらほら見かける程度だからだ。

 だから東雲に取って初見であるのは絶対に間違いないはずだ。

 

 

 

 ……さあどう出る? 東雲さん。

 

 

 

「でいやああああああああーっ!」




 俺は正真正銘の気合いを入れた。

 俺は無我の境地にいたのかもしれない。

 気合いを出した瞬間から周りの景色や音が一切消えて、ただ目の前の東雲明香里だけが見えていた。

 

 

 

 東雲は中段の構えのまま身を少し引く。

 間合いが計れないのなら、まずは安全圏に自分の身体を置こうという考えだ。それは決して間違っていない。

 俺の無防備の胴に工夫もなく飛び込めば頭上から強烈な面を食らうことになるからだ。

 

 

 

 俺はつつつと足を進める。するとやつはその分下がる。俺にはそれでも飛距離は十分だった。

 上段の構えというのは、最後は左手一本で竹刀を振り抜く。だからその分リーチは伸びる訳だ。

 

 

 

 だが片手で振り抜くにはその分、左腕にそれなりの腕力が必要となる。

 素早い振り下ろしがなによりも要求される構えなのだ。

 

 

 

 だが、俺は十分に特訓してきたのでその辺は自信がある。

 俺はゆっくりと東雲を追い詰めた。

 するとやつも覚悟を決めたようで、スッと竹刀の切っ先がわずかに揺れた。

 

 

 

 ……来るな。

 そう思ったときだった。

 

 

 

 カッと床を蹴った東雲がすっと身を沈めた。

 そして次の瞬間には白い光跡となって俺の懐に飛び込んできたのだ。

 すれ違いざまの抜き胴狙いに違いない。

 

 

 

 ……速いっ! 予想以上だ。

 

 

 

 だが俺も躊躇しなかった。左足を一気に踏み出すとそのまま真一文字に竹刀を振り下ろした。

 

 

 

「面っ!」

「胴っ!」




 やはり今度も交差した。

 だが俺の竹刀が小柄な東雲の面を捕らえるのが一瞬速かった。

 

 

 

「面ありっ!」




 審判役の赤旗が三本立った。

 

 

 

「おおっ!」

 これでイーブンだ。しかし俺には動揺があった。

 間違いなく東雲は上段相手に初めて試合を挑んだはずだ。

 だが、ヤツはそれを恐れず真っ向から飛び込んできたのだ。

 

 

 

 ……恐れがないのか?

 

 

 

 俺は東雲を警戒し始めている自分を感じた。言い方を変えるとそれは()()()()だ。

 間違いなくヤツのスポーツセンスはずば抜けている。




 テニスや陸上などで入賞を重ねてきたと言うことは、まぎれもなく身体能力が抜きん出ている証だし、

 それよりなにより真剣勝負の場数の多さを経験していることも、

 実力としてしっかりと身についているに違いないのだ。

 

 

 

 ……二度目はないな。

 

 

 

 そう思った俺は試合が再開されたとき構えを中段に戻した。

 東雲は一度上段を経験した。

 

 

 

 だから上段の一番の武器である間合いの難しさと、

 唯一の攻撃方法である振り下ろしの素早さにすでに気づいたと思ったからである。

 

 

 

 つまり今度も上段で俺が面狙いをすれば、ヤツは再び()(せん)出小手(でごて)で俺の左手を捕らえるに違いないからだ。

 

 

 

 俺は深く息を吸うと息を止めた。

 ヤツほどの実力ならば呼吸の瞬間を察知して瞬時に狙ってくるだろうと思われたからだ。

 

 

 

 ……一か八かだな。

 

 

 

 俺は狙いを変えた。

 無防備に見える面を目標から切り替えたのだ。狙うはこちらからの後の先……。

 

 

 

「でいやああああーっ!」




 俺は素早く振りかぶり床を蹴った。

 すると東雲の方がわずかばかり先に踏み込んできた。

 

 

 

「小手っ!」

「小手っ!」




 狙いは同じだった。だが今度はリーチの差が物を言った。

 俺の切っ先の方が寸毫の差で東雲の右手を捕らえていたのだ。

 

 

 

「小手ありっ!」




 俺は素早く左右を見渡す。

 すると副審のひとりが白一本、そして主審ともう一人の副審が赤を二本上げていた。 

 つまり俺の勝利である。

 

 

 

「おおっ!」




 剣道部からも柔道部からも感嘆の声が漏れるのが聞こえた。

 

 

 

「……ふう」




 俺は急に虚脱感に襲われた。

 たった数度打ち合いしただけでこれだけ神経を消耗する試合は久しぶりだった。

 

 

 

「勝負ありっ!」




 主審の号令で俺と東雲は互いにそんきょし後ろに下がり礼をする。

 

 

 

「お疲れ」




 権藤が俺に話かけてきた。

 

 

 

「約束は守ったぞ。……だが余裕はなかった」




「ああ」




 権藤が俺の肩をぽんと叩く。俺はそのまま正座し小手と面を外した。

 

 

 

 そのときだった。

 試合場の向こうで俺と同じく防具を外した東雲がいた。

 ヤツは面を外した後、頭に巻いた手ぬぐいで顔を拭っていたかと思うと急に肩をふるわせたのだ。

 

 

 

「……?」




 一瞬、俺と目を合わせた東雲明香里だが、ヤツは次の瞬間に顔を手ぬぐいで覆った。

 

 

 

「うわあああああああんっ……」




 俺は戸肝を抜かれた。

 東雲が辺り構わず大声で泣き始めたのだ。

 

 

 

 それは激しい嗚咽を伴った号泣で、

 そばにいた下級生たちもしばし呆然としてしまうくらい激しい泣き方だったのだ。

 

 

 

「えぐっ、えぐっ……」




 肩を振るわせしきりに手ぬぐいで涙を拭っている。

 俺は気がついたら立ち上がっていた。そして東雲のところにまで足早に向かっていたのであった。

 

 

 

「……どうした? 小手、痛かったのか?」




 俺はかなり渾身の力をこめて東雲の右手を打撃したのだ。

 防具の上からといってもそれなりに痛みはある。

 

 

 

 だから今になって少し後悔し始めていた。やはり東雲は女子なのだ。

 男子の力で打たれたら相当痛いに違いない。

 

 

 

 だが東雲は首を左右に振る。

 

 

 

「ち、違うもん。全然違うもん。……悔しいんですっ。でも半分は嬉しいんですっ」




「はあ?」




 俺はなにがなんだかわからなくて立ちすくんでいた。

 

 

 

「私、テニスでも陸上でも水泳でも始めてすぐにいきなり一番だったんです。男子相手でもそうなんです。

 ……でも、今日、初めて負けました。だから悔しくて嬉しいんです」

 

 

 

 ところどころ嗚咽で中断されながらも東雲はそう話してくれた。

 

 

 

「上には上がいるって言葉じゃわかっていたつもりだけど、やっぱり上はいたんです。

 それが嬉しいんです」




 そして泣きはらした真っ赤な目をくりくりさせて俺を見た。

 

 

 

「副将。稽古、ありがとうございましたっ!」




 そう言うと東雲はさっさと立ち上がり、呆然としている俺を残して部室に向かってしまったのだ。

 

 

 

「……」




「行ってやれよ」




 権藤が俺の肩をぽんと叩いた。俺は仕方なく部室に向かうのであった。

 

 

 

「……東雲、いるか?」




 俺はなぜだか小声でしかも忍び足で部室へと入った。

 そして辺りを見回すと部室のロッカーの陰で膝を抱えている白い道着姿の東雲がいた。

 

 

 

「……あ、あのさ」




 俺はなんて言ったらいいのか全然わからない。だがなにか話しかけなくちゃならないと思った。

 

 

 

「……明香里ちゃんって呼んでください」




 そうだった。俺は教室でそう言われていたのを思い出す。

 

 

 

「あのさ、明香里ちゃん」




「……はい」




 東雲は顔を上げた。

 大きな目にはまだ涙はいっぱい溜まっているが、とりあえず泣き止んだ様子だった。

 

 

 

「手加減なしだったんだぜ」




「わかってます。副将の小手、とっても痛かったもん」




「悪かった」




「全然、全然ですっ。真剣な勝負なんですから当たり前ですっ」




 そう答えた東雲だったが、また顔を伏せて泣き出してしまった。

 

 

 

 俺はお手上げだった。ただでさえ女は苦手なのだ。

 しかも泣いている女なんてどう扱っていいのかまったくわからないのだ。

 

 

 

 俺は仕方なく東雲の横に座った。そして同じように膝を抱く。

 

 

 

「そんなに悔しいのか?」




「はい。でもさっき言ったように半分は嬉しいんですっ」




 それが俺にはわからなかった。

 確か東雲は男子相手でもいつも勝っていたのに初めて負けたと言っていた。

 だとしてもそれがそんなにショックなのが俺にはまったくわからないのだ。

 

 

 

「天才には天才なりの苦しみがあるんだな。

 俺なんか剣道だけだからな。他のスポーツじゃ負けてばかりだ」




「そうなんですか?」




 東雲が俺を見上げたので、俺は頷いた。

 

 

 

「スポーツ自体は嫌いじゃない。身体を動かすのは得意だからな。

 でもだいたいのスポーツはそれなりにしかできない。特に球技は下手だ。

  

 ボールを使うのがどうにも……上手くいかない。

 野球とかサッカーとか、バスケ、バレーボール、テニス……なんかはボールに振り回されてしまって、

 どうにも体がついて行かないんだぜ」

 

 

 

「それ、意外です。でも……副将が言うんだから信じられます」




 東雲はそう言うと俺をじっと見つめていた。



 

「部活、戻れるか?」




 すると東雲はこくんと頷く。

 

 

 

「大丈夫ですっ。ご迷惑おかけしましたっ」




 そう宣言すると東雲はすっと立ち上がった。

 まだ目は真っ赤だが輝きは戻っている。そして東雲を先頭にして俺たちは道場へと続く階段を降りた。

 

 

 

 そのときだった。

 

 

 

「副将っ! お願いがありますっ」




 急に振り向いた東雲が目をきらきらさせて俺に言ったのだ。

 

 

 

「はいっ?」




「今、思いついたんですっ。すごいアイディアですっ。我ながらほれぼれしちゃうくらいですっ」




「な、なにを思いついたんだ?」




 すると東雲は満面の笑みでこう言ったのだ。

 

 

 

「今度、副将と試合して私が勝ったらデートしてくださいっ!」




「はいっ?」




 俺は東雲がなにを言ったのかを瞬時に理解できなかった。

 

 

 

「……な、なんだって?」




 思わず聞き返す。

 

 

 

「だ、か、ら、剣道で私が勝ったらデートですっ」




「なんだって!」




 仰天した。

 よりによって女とデート? 

 いやいや、男同士ではデートとは言わない気もするから、それはふつうと言えるのか?

 いや、しかし……。

 

 

 

「な、なんだって俺となんだ?」




「私が副将に憧れたからですっ。それだけじゃダメですかっ?」




「俺とデートしたっておもしろくないぞ」




「そんなのわかんないじゃないですかっ」




 俺は道場の方が気になった。

 俺と東雲は今、階段の途中にいるのだ。なにをしているのかと訝しんでいる目が気になる。

 

 

 

「私とじゃ嫌ですかっ?」




「べ、別に嫌と言う訳じゃ……」




 すると東雲は目をまん丸にしてカナリア声で告げた。

 

 

 

「なら、いいじゃないですかっ。

 副将は私とデートしないためには勝ち続けなきゃならないし、

 私はデートして欲しいから、もっともっと剣道をがんばりますっ! ウインウインの関係ですよっ」

 

 

 

 俺は押し切られる形で、つい頷いてしまった。

 

 

 

「ホントですかっ。約束ですからねっ」




 すると東雲は俺を置いてさっさと部活に戻ってしまった。一人残された俺はとぼとぼと道場へと向かう。

 

 

 

「なに話してたんだ?」




 権藤が俺に尋ねてきた。

 

 

 

「うまく言えない。なんかとんでもないことになって来たような気がしている」




 俺はそれだけを告げた。

 

 

 

「そうか。まあ、なんにせよ東雲が元気になったんだから良しとしよう」




 それから俺たちは部活に戻った。

 今日はイレギュラーな展開でのっけから試合形式の稽古をしてしまったので、

 今度は面打ちなどの基本の技を中心に稽古したのであった。





よろしければなのですが、評価などしてくださると嬉しいです。

 


私の別作品



「墓場でdabada」連載中 


「甚だ遺憾ながら、ぼくたちは彼の地へ飛ばされることに相成りました」完結済み

「使命ある異形たちには深い森が相応しい」完結済み

「空から来たりて杖を振る」完結済み

「その身にまとうは鬼子姫神」完結済み

「こころのこりエンドレス」完結済み

「沈黙のシスターとその戒律」完結済み


 もよろしくお願いいたします。


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