穏やか生活 第一歩
ゆるゆるラブコメです。短めのお話の予定です。
その時、私は一人ではなかった。隣には友達がいた。友達が楽しそうにゲームの話をしているのを聞いているのが好きだった。冒険と恋の物語。本ではなく、綺麗な画像と音も出る、ゲームという新しい媒体。ラブストーリーは古今東西、数多くある。私も好きだと有名なタイトルを一つ挙げれば友達が笑う。それもおばあちゃんが言ってたやつでしょ、おばあちゃん子ね、と。
私にはおばあちゃんしかいなかった。偶々、居るけれど、居ないのだと聞いていた。そのおばあちゃんが儚くなり、私は一人になった。けれど、寂しくない。おばあちゃんは言っていたもの。友達は一生の宝だと。そして、ーーは生まれに左右されないのだと。見つけることが出来るのだと。だから、人は誰かを愛するのよ、と。
私には一生の宝があり、そしていつか。私もいつか見つけたい。私のーーを。
信号待ちをしている交差点。待っているのは私達だけではなかった。知らない制服の女の子が一人。そして、私の隣を男の人が追い越す。まだ信号は赤い。その男の人の手が女の子の背に伸びた時、私の脚は動いていた。無意識に身体が動く時は、それは私がしなければならないことをしている時なのだ。
暗転。
空に落ちていく。星々が輝く中で落ちていく最中、声が聞こえた。
◆
それはさながら幽霊。自分なのに自分ではない。自分ではない自分の口が、手足が勝手に動く。この長い食卓のテーブルの上に乗った豪勢な料理も蝋燭もカトラリーも自分の手の動きに合わせて全てがひっくり返る。身近に聞こえる陶器の割れる音も蝋燭の火が消える様も、全て自分の手によって引き起こされたこと。
そんなこと、望んでいないのに。
目の前に立つ細身の青年と並び立つは自分の腹心だった。ああ、これから自分は討たれるのだ、と動きもしない思考が悟り、勝手に動く口は高らかに口上を述べる。
「俺様に刃向かったことを冥界で悔いるがいい!」
ーーーとはいえ、いつも悔いるのは俺様の方なのだが。
目を開くと、目の前には片膝をつく臣下達。赤い絨毯が長く長く伸び、その臣下達が黙して首を垂れる。魔王陛下の御前では当然であった。
また始まるのだ。魔界と人間界の終わりなき戦いが。それとも、とっくに敗北した自分へ掛けられた罰なのか。考えたところで抜け出す術はない。俺様の身体でありながら、俺様の思うようにこの身体が動くことはなく、自動で物語は進んでいくのだから。
そう、俺様は魔王である。人間界を滅ぼす為に魔界の魔族を率い、最後には聖女に斃される。そうして、またこの挙兵をする日へと戻される。これは夢だ。魔王である俺様と、覚醒した聖女が顔を合わせ、俺様は人間界を滅ぼす決意を固める。聖女は魔王を倒し人間界を守る覚悟を決める。俺様は、最後には斃されるこの物語をずっと繰り返している。傍若無人な魔王は自分の姿をしていて、流れる臣下の血を浴びて平気な顔をしている。
こんな戦いに何の意味があるのか。魔族も人間も血を流す、こんな戦いに何が。不毛だ。無意味だ。古より続く宿命、星に定められた戦いだと。なんてくだらない。過去の慣習をなぞるだけの行為になど何の意味もない。
この赤い絨毯の先から一歩一歩近付いてくる聖女のその姿にも飽き飽きしているのだが、いつもそうやって始まるのだから仕方がない。俺様は立ち上がり、聖女を出迎える。
はずだった。
俺様が立ち上がることはなく、玉座に片肘をついたまま興味がなさそうに聖女を眺めている。どこか疲れているようにも思えるポーズだが、これは「俺様」の行動だ。俺様は出来れば立ちたくもないし興味もなかった。またお前か、と思っているくらいだ。
聖女が俺様の前に立つ。立ち上がる様子のない俺様に、聖女が小首を傾げる。聖女は年若い娘だ。白い髪に金色の瞳。人間界では色の薄い髪や瞳ほど聖力が強いと言われている。対する魔族は基本的に暗色ほど魔力が強いと言われ、魔王である俺様は黒い髪に暗い紅の眼を持つ。聖女は玉座に掛けたままの俺様に近付くと、頬に手を伸ばす。白い指が俺様の浅黒い肌に触れた。
「哀しい目」
ぽつりと呟く聖女の声は少し高めだ。眼差しに憂いの色がある。
「貴方のことが知りたい」
「…………何故?」
不思議と脳裏に浮かんだ言葉がそのまま口をつく。疑問に思う間もなく、聖女は淡く微笑んだ。
「初めて会ったのに、変ですよね。私は貴方と居たいのです」
聖女の慈しむような微笑み。知っている。何度もこの聖女と相対して来たからこそよく知っていた。奇妙だった。今、俺様は、俺様の思うように口が動かせる気がした。頭に浮かんだ言葉がそのまま口を動かし、手を動かせる気がした。俺様は聖女に手を伸ばす。
「貴様いくらなんでも六股はないだろ」
ノーを述べるべく、手のひらを聖女に突きつけて。
聖女の表情が笑みのまま凍り付く。そして、俺様は自分の思う通りの言葉が口から出たことに、思うように身体が動くことに気付いた。
「おお……おお! 動く! 動くぞ!」
「…………え? 何? どういうこと?」
くるりと振り向く。引き攣った笑みを浮かべる聖女に辟易とした目を向ける。口角も吊り上がる。表情筋が動く。何ということだ、俺様は動くぞ!
深く息を吸い、俺様は人差し指を聖女に向ける。
「貴様に記憶があるかは知らんが先に言っておく。貴様は自分のパーティの四人の男のみならず我が臣下にも手を出したな? 前から一度言っておきたかったんだが、手近な男を軒並み誑し込むのはどうかと思うぞ。俺様の城の中で貴様を巡って争っていたこともあったが、よく考えろ。他人の家だぞ、他人の家。気まずいことこの上ないわ。大体俺様の臣下にまで、いつ接点を持ったんだ全然気付かなかったぞ。おかげで腹心の部下への信用度がマイナスになってるんだどうしてくれる。しかも貴様俺様にまで色目を使うとは一体貴様の貞操観念はどうなっているのだ」
一息に言い切る間、聖女は硬直していた。前から一度伝えたかったことが伝えられて俺様は大変すっきりしている。
「俺様は静かに暮らしたい。人間界に手を出すつもりもない、帰ってくれ」
「ま……待って! それじゃあ話が進まないじゃない!」
「俺様が知るか。俺様はもう自分の家で他人の修羅場を見るのも巻き込まれるのもこりごりなんだ。それに俺様、浮気するのもされるのも嫌だし。もうちょっとスキンシップで照れるくらいの子の方がいいです」
「こんなのシナリオにない……! どういうこと!? 全然違うじゃない!」
そんなこと俺様が知ったことではないーーーそう思っていた矢先のことだった。しゃらん、と鈴のような音と共に真っ白な犬が現れた。よく見ると、ほのかに白い光を湛えており、ただの犬にしては気配が異なる。何故こんなところに、と考える間もなく、細身の青年が犬らしき獣を抱え上げる。黒い短髪に黒い瞳だが、魔族の気配は感じない。人間界にも暗色の者がいるのか。その青年は真っ青な顔で犬を抱えて引き攣った笑みを浮かべ後退りする。目を見開いたのは聖女だった。
「あんたなんでここにいるの!?」
「これは! 覗き見しようとしてた訳じゃなくて気付いたらここに居て、なんか出づらいな〜と思って! 大事な話してるんだな〜とは思ったんだけど!!」
上背と細身の体型で分かりにくかったが、青年と思しき彼は女性のようだ。声でようやく分かる程度だ。
しかし、こんな女は今まで聖女の周りには居なかった。
「あんたちょっと来なさいよ!」
「ホント誰にも言わないから! 何も聞いてないから!」
「聞いてるじゃないの!!」
ひい、と喉を引き攣らせる娘。聖女が近付くと、抱えていた犬がしゃらんと音を立てて娘の前に立ちはだかる。犬が光り輝き、視界が白く潰される。目の前も見えない程の白い光に目を閉じるーーー。
そうして、目を開くと再び玉座であった。長く伸びる赤い絨毯、その両脇に侍る臣下達。その絨毯のど真ん中を植木鉢が浮いたまま寄ってくる。
「陛下ァ〜! 人間界にて聖女が覚醒したと報告が!」
植木鉢の中にいる金色の毛並みの羊……執事服を着た羊の魔族パロメッツは甲高い声でそう告げた。
「パロメッツ……」
「は! どう致しましょうか陛下!」
「俺様は……穏やかに暮らしたい」
「はい、流石陛下! 穏やかに…………はい?」
俺様は拳を握り締める。自らの意思で身体が動く。言葉を話せる。その喜びを噛み締める。ざわつく臣下達に高らかに宣言する。
「俺様は! 穏やかに暮らしたい!」
「疲れてるんですか!?」
自らの意思で行動出来るようになった俺様の願いは一つ。そうだ。
俺様は穏やかに暮らしたい。
臣下達がどよめく中、俺様は理由を述べることにした。おさこれもまた穏やかに暮らす為の第一歩である。
魔界と人間界の争いは遥か昔魔暦520年頃から始まる。人間と魔族は元々は同じ種族であった。精霊達の加護を持った人型の種族が、その精霊の属性により二つに分たれた。太陽の精霊と月の精霊だ。
太陽の精霊達は聖なる力を分け与え、月の精霊達は魔の力を与えた。月の精霊は人型の種族のみならず動物達にも力を与え、知能を持つ動物達も現れた。月の人型種族は彼等を同志として迎え入れたが、太陽の人型種族は彼等を魔族と呼び対立するようになった。そうして、領地争いの後に人間界と魔界に別れ、二つの種族は互いに憎み合うようになったーーー。
というのが、現在の魔界と人間界の成り立ちであり、特別太陽の精霊に愛された「聖女」、同じく月の精霊に愛された「魔王」が生まれ、その度に二つの種族は争いを繰り返し、現在の魔暦1800年に至る訳だが。
「そもそもの話、何故我等がこの地を、人間達がかの地を治めていると思う?」
「それは、この魔界は常に月の昇る夜の地だからです!」
「正解だパロメッツ。そして、人間界は太陽の昇る光の地である訳だ。皆、よく考えろ。俺様達が奴等と戦い、彼の地を治めたとして、どうなる?」
植木鉢の中の羊が愛らしく首を傾げる。他の臣下達も顔を見合わせている。人間界は太陽の昇る地で、常に明るい。朝は淡く、昼は青く眩く、夜は白夜となる。太陽の精霊に愛された聖力のある者ほど、眩い昼の時刻に力を増す。魔界は月の昇る地であり、常に暗い夜のまま。朝は月が白く淡くなり、昼に青い月に、夜は赤い月となる。月の精霊に愛された魔力の高い者ほど、夜の赤い月の光を浴びれば力を増す。
最も手前に侍っていた長い黒髪の男が切長の黒曜の瞳で、真っ直ぐ俺様を見据えた。腹心の部下の一人、ブラックだ。
「我等には不要の地であるということですか」
「その通りだ。俺様達は月の加護を受けているこの地が最も暮らしやすい。人間共もそうだ。一つの種族だった頃はどちらにも適応していたんだろうが、今や俺様達は住まう地に適応した。体質に合わない地をわざわざ手中に収める必要はない。慣例のように魔王や聖女が生まれれば戦ってきたが、そんなものは先祖の代理戦争だ。戦いともなれば犠牲が出る。そんなことより、今ここにいる魔族が犠牲なく生きていく方が余程建設的だ」
「我等が誇り高き魔族の先人達の意志を捨て置くと?」
ブラックの言葉に目を細める。既に俺様は知っている。彼は、聖女と関係を持ち、こんな戦争はくだらないと俺様を討つのだ。
「誇り高き先人達が後胤である俺様達の死を望む薄情者共だと思うのか?」
「…………陛下の意のままに」
ブラックが首を垂れると、他の臣下達もどこかほっとした様子で首を垂れる。目の前の植木鉢だけがきらきらと目を輝かせている。
「へ、陛下がそんなに私どものことを考えてくだすっていたなんて、このパロメッツ、一生陛下についていきます!」
如何にも軽々しいが、実は聖女に与せず最後まで魔王である自分の側に残ったのはこのパロメッツだけであった。魔族は元来穏やかな気性の者が多い。パロメッツなど筆頭だろう。だからこそ、皆、ブラックが反旗を翻すとそちらに着いて行ったのだ。パロメッツが何故こんなにも自分を慕っているのかは知らないが、実際信用出来るのはこの羊だけだ。
俺様はもう聖女との戦争など興味がない。飯もひっくり返したくないし、城内で起こる聖女を巡る修羅場にも居合わせたくない。実際、皆で穏やかに暮らせる環境があり、戦う理由などないのだから。今世で何故行動が出来る様になったのか知らないが、ならば今度は好きに生きてやる。
俺様は、穏やかに生きたいのだ。
さて、穏やかに生きると言っても何もせずには居られない。こちらにその気がなくとも人間界側に戦う意思があればそうもいかないのだから。いっそ魔王の座などブラックにくれてやろうか、と反旗を翻し恐らく自らの後釜に収まったのであろう部下を見もしたが、自分の去った後の魔王城内が一人の女を巡って四六時中修羅場に置かれる様はあまりにも忍びない。先の魔王は傍若無人で次の魔王は女性トラブルを抱えているというのは、残る臣下達があまりにも不憫だ。つぶらな瞳で浮いているパロメッツなどを見ているとその念も強くなる。今まで苦労をかけた分、皆の生活は俺様が守らねば無責任というものだ。
となると、まずはこの戦争が起きないようにしなければならない。確か、発端は人間界の村に魔獣が現れたことによる。魔獣とは魔界に住まう魔族でない獣だ。月の精霊の加護を受けている訳ではなく、動物達がこの地に適応し成長した。魔界では野生動物として駆除、食肉にしたり毛皮を加工する等しているのだが、人間界では魔獣は魔族が使役していると思っている。魔王城での戦いになると魔獣は現れず魔族との戦闘になるのだが、彼等がそれに気付いている様子はない。
魔獣の襲撃を魔族からの宣戦布告と見做し、聖女達は旅に出る。ならば、この魔獣の襲撃が起こらなければ? そもそも、何故魔獣が魔界から人間界に現れたのか?
まず、この人間界の村を調べよう。全ては穏やかな生活の為である。パロメッツに留守を任せ、共も付けずに俺様はテレポートした。
人間界の外れの村に魔獣が現れる。そもそも、魔獣とて魔界の方が居心地が良いのだから人間界側に出向く理由がないのだが。その境となる森に俺様は立っていた。眼前の光景を睨み付けながら。
魔獣の巣が燃やされている。恐らく、子育ての時期であったのだろう。子に与えようとしていたのだろう実や餌が散乱している。子育て中の魔獣は非常に攻撃性が高い。誰がこんなことを。そして、この巣の魔獣は何処に行った?
辺りの気配を探る。蠢く足音。蹄の音、魔獣の走る音だ。目を見開き、テレポートをしながら近付いていく。魔獣、そして、誰かがいる。魔獣とは異なる気配の何者かが。
嘶きが耳に入る。馬の胴に鳥の頭、魔獣グリホースの後ろ姿を視界に収めた。怒りに我を失い、偶々人間界の村へ出てしまったのか。それとも。何はともあれ止めねばならない。俺様は魔獣の前に降り立ち、手を翳す。鎮静の魔術により魔獣の勢いが削がれ、脚が止まった。怒りと哀しみの鳴き声に目を細める。
「俺様が仇を討つと約束しよう」
怒りを収めて貰うからには、その怒りは俺様が引き受けよう。賢い魔獣だ。理解をしたのか、大人しくなっていく。その首を撫でながら微笑む。
「いい子だ」
……ウワーーーッ!
「…………何だ?」
魔獣にも聞こえたのか、きょろきょろと辺りに視線を配っている。もっと村寄りの方角から悲鳴が聞こえた。足音もなくそちらに近付くと、尻餅を付いている者がいた。囲まれているのは黒髪の何者かーーーだが、魔族ではない。
「待っ、話し合いましょう! 話せば分かる!」
尻餅をついている者の頬の真横を穂先が掠める。赤い血が一筋頬を伝い、当人と、槍を持った男を抑えている者が息を飲む。
「魔族と話すことなどない! この聖騎士リゲルが斬り捨ててくれる!」
「待ってリゲル様! 何も聞かずにいけません!」
「何を言う! スピカの予知夢に間違いなどない、大体この髪に目を見ろ! 魔族だとしか思えん!」
不運にも魔族と同じ色を持って生まれた人間なのだろう。その人間に槍を向けている赤い短髪の男は聖騎士リゲル……聖女の仲間の一人だ。聖女に心酔している熱血騎士で、やたら声が大きい。聖騎士を宥めようとしている白髪の線の細い娘こそ、聖女スピカだ。先日も夢で会ったばかりだ。またも顔を合わせるとは。出来ればこの女にはあまり関わりたくない。それを見守っている青い長髪の男は聖術師アルデバラン。この男もまた暗色の髪の人間なのだが、聖術師としての能力を遺憾なく発揮し中傷をものともせず宮廷聖術師となった経歴を持つ。そして、金色の髪の一際目立つ美形の男……人間界第一王子であるアンタレス。聖女を見出し、聖女の予知夢を信じ、宮廷聖術師アルデバラン、聖騎士リゲルを伴い魔族討伐パーティを組織した張本人である。実は彼等は後に盗賊のこれまた美形の男も仲間に入れるのだが、彼と出会うのはもう少し後のようだ。スピカが陥落する男はこのパーティの四名に加え、俺様の臣下であるブラックの五人。そして、先日の夢の様子では何故か俺様も目を付けられている。頬に触れられた記憶が甦り、ぞわりと背筋に悪寒が走る。
さて、髪色だけならばアルデバランも言いたいことがあろうに口を閉ざすということは、あの黒髪の人間を予知夢で見たという言葉に重きを置いているからだろう。つい先日、俺様も黒髪の人間を見たばかりだ。
ーーーやはり。あれは、先日の聖女との夢に現れた犬を抱えた女だ。黒い短髪に黒い瞳と、見目は魔族の特徴と一致するものの、魔力はない。上背もあり格好も如何にも冒険家の青年といった風情なので、声を聞かねば青年と見紛う姿をしている。成る程、と得心がいった。
あの女は聖女が六股を試みていることを知っている。そして、恐らく既に三股は実践している状況であろう。口封じという訳か。……あまりにも不憫では?
致し方あるまい。俺様は魔獣を伴い、奴等の前に姿を現した。最初に気付いたのは聖術師アルデバランだ。俺様の魔力に反応したのだろう。敵ながら流石である。彼が反応したことで、他の面々も俺様に気付く。明らかな魔族が現れたことで聖騎士リゲルは娘が魔族だと勝手に確信したらしい。
「貴様の仲間か! やはり魔族だったのだな!」
「リゲル、待つんだ。この魔力の高さは……」
「貴方は、夢で会った……………魔王?」
聖女の言葉に三人が息を呑む。聖女が目を潤ませる。焦がれるような、縋るような、暫く会うことの叶わなかった恋人にでも会ったような眼差しに鳥肌が立つ。この女とは今朝会ったばかりであり会話の内容もそれはもう酷いものだったのだが覚えてないのか?
そして、女。信じられないものを見る目で聖女を見るな。「えっ、そんな雰囲気じゃなかったよね?」みたいな顔は止めるんだ。そして俺様に同意を求める目をするな。気持ちは分かるが抑えろ。
「貴方が魔獣を……? お願い、やめてください。私は貴方と戦いたくない……!」
「……………」
茶番が過ぎる。背後の魔獣すら「何言ってんだこいつ」という目をしている気がする。女に至っては隠しもしていない。顔に出過ぎだ。抑えろ抑えろ。
「スピカ、話の通じる相手じゃない! おのれ魔王、魔獣を使い人間界に攻め込むつもりか!」
リゲルの肩をアルデバランが抑える。今の自分達ではまだ俺様に敵わないことを彼は察している。実際、この時点の彼等ならば容易に倒せるだろう。アルデバランの態度によりそれを理解したらしいアンタレスが聖女を庇うように一歩前に踏み出す。
「お初にお目にかかる。私はソレイル王国第一王子、アンタレス。月の加護を受けし国の王、貴方が人間界に攻め込むつもりならば我々は貴方方と戦わねばならない。私達はそれを望まない」
「……如何にも、我こそは月夜の魔国を統べし王である。王の名は伴侶以外明かせぬ掟故、名乗らぬ無礼を許せ」
彼等の顔も見慣れたものだ。俺様にとっては苦い記憶である。聖女の言葉に彼女を守るように構えた者達。この時点の彼等はまだ知らない。後に他人の家にて彼等同士でその女を巡り争うことを。あの後、ギスギスとした空気の彼等と相対することとなり、正直気まずかった。自分の家なのに何でこんな思いをしなければならないのかと何度思ったことか。そんな複雑な思いを噛み潰し、俺様は片手を上げる。挨拶するように。
「魔獣の暴走は止めた。魔獣については今後生態の調査を行い、魔界にて管理体制を整えると約束しよう。つまり我々魔族に争う意思はない」
「……………んっ?」
アンタレスが息を呑む。三人とも俺様に注視していて気付いていないが、聖女の表情が不味い。「何言ってんだお前」と顔に出ている。その顔を見てしまった女が怯えている。
「……つまり、魔獣の件は、魔族と関係のない暴走だと?」
「信じることは難しかろうが、現在調査中と言う他ない。俺様達は魔界と人間界の不可侵を望んでいる。その証拠にこの魔獣は俺様が預かろう」
「な……!? そんな話信じられるか! 油断させて村を襲わせるつもりだろう、その魔獣もこの魔族も貴様が差し向けたに決まっている!」
「先も言ったが、信じろとは言わん。だが、こちらが戦いを望んでいないことは伝えておく。人間界はかつてより進んで戦いは求めず、魔界側の宣戦布告がなければ平和を望んでいたはずだ。我等は人間の高潔さを信じよう」
「…………」
アンタレスが黙したままこちらを窺っている。ここまで言えば、人間界から宣戦布告をすれば彼等の歴史を覆すこととなる。
「ちなみに、其奴は魔族ではない。貴様等も分かっていると思ったが……」
夢のことを覚えている娘から彼等に暴露されることを恐れての行動だろうが、そもそも不可抗力で知られたとはいえ六股しようとしている自分が悪いのだ。いくらなんでも口封じはやりすぎである。
ちらと聖術師を見やる。この男ならば、この娘に魔力が皆無であることに、そして髪色が絶対ではないことに気付いているだろう。聖女の予知夢の話があり疑心を持ったにしても、己が能力には自信があるはず。
「……確かに、彼女からは魔力を感じない」
「アルデバラン!?」
「何かの加護を受けているようだけど、太陽の精霊でも月の精霊でもないようだ。だから分からなかった」
「疑うのならば、俺様が預かってもいい。どの道、その色を持ったまま人間界では生きにくかろう」
娘が渡に船といった面持ちでこちらを見る。魔界は来る者拒まず。人間界は敵国とはいえ、そこまで交戦的でもない。いかにも魔族らしい見目の娘なら尚のこと拒む事もなかろう。一方、アルデバランは複雑な面持ちだ。彼はその暗色の髪色で随分苦労したと聞く。同じ境遇の娘には思うところがあるのやもしれない。しかし、俺様の申し出に対し、各々が全く異なることを言い始めた。
「話が違う!」「月の王よ、彼女が人間である以上は王国が預かりましょう」「偽りを述べて魔族を庇おうとしているのだろう!」
一人ずつ喋ってくれ。そして聖女はまだ諦めてないのか、そこの三人と後に加わる一人で我慢しろ。
しかし、聖女と聖騎士の発言はともかく、王子の言葉は何だ。語調が強い。娘の身柄を手元に置かねばならないような……魔族に人間を連れ去られては王国として体裁が悪いからだろうか。娘は焦ったようにこちらを見ている。
「貴方も彼女が魔族ではないと仰った。彼女が人間であるならば、人間界で暮らすのが道理と言うものです」
「では、本人に決めさせよう。小娘、貴様はどうする? 王国に行くか、俺様と共に魔界へ行くか」
「レディ、怯えさせてしまい失礼しました。王国は貴女のことを歓迎します」
聖女が王子の言葉に目を瞠る。やはり、王子の態度が変わっている。何故だ。どのタイミングから……聖術師の言葉を聞いてから?
娘の答えは決まっていたのだろう。すぐに俺様の手をぐっと握った。
「よろしくお願いします!」
正直が過ぎる。聖女達が怖いと顔に出ている。そして、娘が俺様に着いた途端、王子の目の色が変わった。氷のような冷徹な目をしている。聖女は単に頬を膨らませているだけだが、これが知らぬ女ならまだ可愛げを感じたのかもしれないが、既にこの娘が修羅場を起こす天才だと知っているので全く感じない。そもそも俺様は修羅場に巻き込まれたくないので、なるべく聖女達と関わりたくない。穏やかに生きさせてほしい。
王子は一転し、蜜のように甘い微笑みを浮かべ……作り上げ、娘を見る。
「致し方ありません。月の王、今は月の王国に預けましょう。ですが、彼女が望んだその時には我々が預かります。レディ、私はいつまでもお待ちしています」
「いえ! お世話になりました! これから魔界で頑張ります!」
「……………」
もう関わりたくないですと顔に出過ぎである。気持ちはよく分かる。俺様も関わりたくない。
◆
魔王が魔獣と黒髪の女を連れて森を去った後のこと。私は困惑していた。こんな筈じゃないのに、どうしてこんなことに。こんなの、シナリオになかった。
聖女スピカ。私には前世の記憶がある。前世、私は日本という国の女子高生だった。私は前世で……不運にも死を迎えた。事故だった。交差点で信号待ちをしていたところに突き飛ばされた。気付いた数人が私の手を掴もうとしていたが、あれでは誰も助からなかっただろう。突き飛ばした相手は私の交際相手の一人だった。その頃、私は三人の男と付き合っていて、それがその内の一人に知られてしまい、問い詰められた後だった。面倒になってその一人とは別れたのだが、まさかあんなことをするなんて。恋愛を楽しんでいたのはお互い様だったのに。ゲームでだってハーレムエンドなんてよくあるじゃない。そう思っていた時、暗闇の中で「間違っちゃった、おまけしてあげるから頑張って」そう聞こえた。間違い? 何の話よ、と思いながら意識は遠のいていく。
そうして目を覚ますと、私はこの世界にいた。白い髪に金色の瞳、太陽の精霊に愛された力ーーー間違いない、これは乙女ゲームの「夜明けのスピカ」だ。私はヒロインのスピカに転生したのだ! もしかして、あの声は神様の声で、私の死が間違いで、その代わりこの世界にヒロインとして転生させてくれたのかも。
幼くしてヒロインに生まれたことに気付いた私は、孤児として辛い生活を強いられた。孤児院の中で慎ましく粗末なパンと具のないスープを食べて過ごした。けれど、いつか王子が私を見つけ、聖女として救い出してくれると分かっていたので、何も怖くなかった。
だけど、いくつかゲームでは知らない話もあった。ゲームの中では孤児院での生活の様子は描かれてなかったし、孤児院の子供達のグラフィックは皆モブだったので。孤児院の中には、黒い髪の子が一人混ざっていた。この世界では、人間の髪は明るければ明るいほど太陽の精霊に愛されていると言われている。黒髪なんて、魔族の色ーーーこんな目立つ奴が孤児院に混ざってるなんて。そう思ったけど、女だったし、シナリオには関係ない子だと思っていた。
孤児院では子供達はみんな名前がない。名前をつけられて捨てられた子供もいるけど、名も付けられずに捨てられる子供も貧しい村では少なくない。その黒髪の子もそうだった。名前もなく、恐らくその色を疎まれて捨てられたのだろう。そんな子供達は、五歳になる時に自分で自分の名前を決める。私は当然、スピカと名前を付けた。これは、プロローグでも語られている。この世界では人間界は常に昼で、魔界は常に夜。どちらの世界でも星は常に見えている。スピカは星の名前で、この世界では正義の乙女を表す星なのだ。元の世界ではスピカはそういう星じゃないとか、意味を間違って覚えるとか批判もあったようだけど、ゲームなんだから私は別に良いと思っている。
過去のことを思い出しながら困惑する私に、王子アンタレスが振り返る。晴れやかな笑顔にほっとしたのも束の間。
「スピカ、予知夢に彼女が現れた時、どんな様子だった?」
怒っている。アンタレスが心の底から微笑む時は、くしゃりとはにかむのだ。こうして晴れやかな、美しい笑みを見せる時、彼は怒っている。どうして怒ってるの? 私、何かした?
「え……?」
「何かしていたの? 魔王と話していた?」
「そうですわね、魔王と私が話しているところに現れて……魔王と何を話していたかまでは分かりませんが」
というか、あの女は魔王とは会話していないけれど。私に詰め寄られていただけだけど。
スピカが十六歳になると、王子アンタレスが孤児院まで迎えに来てくれた。本当にシナリオ通りになったと喜び、アンタレスに連れられて辿り着いた王都は華やかで、王城は豪勢で輝いていた。そして、王城にて聖術師アルデバランに聖力の制御の訓練を受け、聖騎士リゲルをサポートをする訓練を始めた。まだシナリオは始まっていないけど良いだろうと思い、彼等との親密度も高めた。ゲームと違ってバロメーターは見れないけど、既に彼等は私の恋人である。アンタレスだけは中々会う機会がなかったけれど、それも本編のストーリーが始まればその通りに親密度を上げていけばいい。
そう思っていたのに、プロローグでの夢の中の会話は全く、シナリオ通りじゃなかった。
夜明けのスピカは、聖女として覚醒したスピカが夢の中で魔王と出会うところから始まる。ここでの選択肢によって、ルートが限られるのだが、どうせ狙うならトゥルー……全員攻略、ハーレムエンドに決まっている。ハーレムエンドは、冒頭の魔王との選択肢で「哀しい目」「寂しい目」で「哀しい目」を選ぶとか、こんな似たような選択肢によって魔王との恋の道が絶たれる上、この後も魔王と予知夢や現実で会う度に全ての選択肢で正しいものを選ばなければならない、初見ではまずクリアが難しいルートなのだ。そして、唯一の魔王と恋愛が出来、隠しキャラも現れ、一歩間違えばキャラクターがヤンデレ化し多岐に渡るバッドエンドを迎えるルートでもある。勿論バッドエンドなんて御免なので、ちゃんと正しい選択肢の台詞を口にした。
その筈が、魔王は「六股はどうかと思う」と冷めた目を自分に向けてくるわ、同じ孤児院の黒髪の女も夢に出てくるわ、一体何が起こっているのか訳が分からない。六股て。私はまだ二人としか付き合ってない。別ルートの話をしているのは分かるけど、何故魔王がそれを知っているのか。そういえば、魔王のヤンデレバッドエンドでは「数多の道から俺様を選ばなかったお前など」と発言するのだが、この台詞が他ルートを示唆している説があったが、本当にそういう設定なのかもしれない。とはいえ、ハーレムエンドは王子アンタレス、聖術師アルデバラン、聖騎士リゲル、盗賊オリオン、黒騎士ブラック、魔王とあともう一人の隠れボスを加えた七人の男がスピカを愛するルートなので、魔王がシナリオを全て知っている訳ではないようだ。
そんなことより、一番イレギュラーなのはあの黒髪の女だ。彼女はきっと、スピカと同じ転生者だ。彼女は自分の名前に、日本語の言葉をつけた。転生者が自分以外にもいることには驚いたけれど、こんな見た目の女なんてゲームにいなかったし、モブの一人だと思って気にしなかった。まさか、予知夢に現れるなんて。転生者なら、もしかしたらこのゲームのユーザーかもしれない。そんな女にハーレムエンドを狙っていると知られてしまった。この話のバッドエンドは、何れもキャラクターがヤンデレ化する。権力あるヤンデレ共に監禁されでもしたら、と思うと血の気が引く。この女は遠ざけなければ、と思った時に閃いた。物語のプロローグの魔王との予知夢はおかしなものになってしまったが、シナリオ通りなら冒頭のチュートリアル戦闘はスピカの生まれの孤児院の魔獣イベントだ。あの女は魔族らしい黒髪であることから貰い手もなく、孤児院の手伝いとして残っていた。そのまま魔族として排除してしまえばいい。森に追い詰め、適当なところで「私達は同じ孤児院で育った幼馴染ではありませんか。これでどこか遠くへ逃げて下さい」と金を渡す。でなければ攻略対象が貴女を狙うぞ、と。そうして恩を売りつつ彼女を口止めしようと思った。
その計画の為、私は「予知夢で魔獣が孤児院を襲うのを見たんです。黒髪の女の子が……孤児院にいた子が魔王といて……」と驚いたように皆に告げた。内容もまあ嘘ではないし。そうしたところ、思ったよりリゲルが激しく怒ってしまい、命を取らんばかりの勢いだった。いくらなんでもそんなに殺意剥き出しで槍を振り回すとは思わなかった。彼女も夢で私と会ったことを覚えているのか「黙ってるから許して」みたいな顔をしている。それで殺そうとする程の女だと思われている。流石にそこまでしない。こちらも予想外だ。
リゲルは怒りまくってるし、かと思ったらここで出てくるはずのない魔王が出てきて「魔獣は止めた」とか「戦う気はない」みたいなことを言い出すし。そんなこと言ったらゲームが始まらないじゃない。果ては魔王とアンタレスがあの女を巡って言い争うような会話まで始めるし。ヒロインは私のはずなのに何が起こってるの?
「そう……じゃあ、それは今日のことを示す予知夢だったのかもしれないね」
「どういうことですか?」
「彼女は星の精霊の加護を受けている異邦人だろう」
星の加護? そんな設定あったっけ。ぽかんとしていると、アルデバランが「まさか」と口にする。
「異世界から精霊の悪戯で呼び出された魂には星の加護が宿る、なんて。迷信の類だろう」
「でも、お前も彼女には太陽でも月でもない加護があると言ったじゃないか」
そうだ。アンタレスが急にあの女を王国に連れて行こうと言い出したのは、アルデバランが「何かの加護を受けている」と言ってからだ。それが、星の加護? 異邦人って、転生者のこと? なら、私も異邦人じゃないの?
「実は、星の加護を受けた異邦人は実在する。星の加護は個々によって違うようだが、太陽の……聖力を授かる加護とは違う能力があることが多いんだ。スピカは太陽の精霊に愛されているけれど、予知夢の力があるだろう? スピカは太陽と星の両方の加護があるんだろうね」
「えっ、私が異邦人……?」
この予知夢にそんな設定があったとは。とぼけた振りをしながら納得していると、アンタレスが顎に手を当てる。
「星の加護がどんな能力を持っているかは定かじゃない。スピカは先見の能力を持っていて異邦の話はしないけれど、他の異邦人には太陽の加護はないが、先見に加えて異邦の知識をそのまま持っていたケースもある」
「えっ!?」
「私の手元に置きたかったんだけど、レグルスに先を越されてしまってね」
レグルスとは第二王女のことだ。第一王子であるアンタレスはエンディングでも次の王になることが決まっている。アンタレスは正妃の子で、レグルス王女の母親は側妃だ。ゲームでもレグルス王女は己の方が王に相応しいと思っているらしく、アンタレスを妨害し、ヒロインにも「わたくしに着きなさい。さもなくば貴女は一生癒えない傷を負うことになりますわ」と脅迫し、それにもヒロインが毅然として断ると、暴漢に襲わせる。服を脱がされ危機一髪のところをアンタレスが救い出し、王女は修道院に追放される。アンタレス関連のイベントの重要人物だ。
しかし、実際のところレグルス王女は穏やかな気性で、聖女の私と出会っても「精が出ますわね」と微笑んでいるくらいだった。これから悪役になるのかな、くらいで気にしていなかったが、最近病弱が祟り王都の外れに療養の為に篭っていると聞いて、益々「王女、あのイベント起こせる?」と思っていたところだった。あのイベントは普段穏やかなアンタレスがヒロインの為に心底怒りを見せるのでファンからの人気の声も高く、私も楽しみにしていたのに。
そのレグルス王女の侍女も異邦人……転生者だと言うのか。転生者多くない? まあ、ヒロインは私だから他はモブなんだけど。
「魔王が彼女を異邦人だと知っているのなら厄介だ。彼女の能力次第では脅威になり得る。彼女は王国で保護しなければね」
アンタレスは薄ら笑いを浮かべている。アンタレスは穏やかで優しいが、時に腹黒な一面もあるSっ気が魅力のキャラクターだ。イケメン最高。見てるだけで目の保養になる。
「ややこしい女だな、そうならそうと最初から言えば良いものを!」
「リゲルが話も聞かずに槍を突き付けてたから言えなかったんじゃないの?」
「うっ、貴様も貴様だアルデバラン! 人間だと分かっていたなら最初から言え!」
「人間なのは分かってたけど、星の加護なんて見るの初めてだったし」
「そうだね。それに、魔王と話してたなんて聞けば魔族だと思っても仕方ないしね」
ちらと流し目で見られて肝が冷える。アンタレスが怒っているのは、異邦人が魔族に渡ったから。それが私の所為だと思っているからだ。私の所為じゃない、異邦人なんて設定ゲームになかったし! それに、あの女が居たらいつハーレム狙いだってバラされるか気が気でない。バラされればヤンデレバッドエンド待ったなしだ。ヤンデレアンタレスは鎖に繋いで籠の鳥、アルデバランは聖術で生きたまま人形に、リゲルは自分だけのものにすると槍で刺してくるので命まで失う。オリオン、黒騎士ブラックと魔王はまだルートに入ってないとはいえ……あの魔王が様子がおかしいとはいえ、オリオンのヤンデレルートは薬で自我崩壊、ブラックは人間界も魔界も皆殺しにして二人きりの王国を作るという作中ナンバーワンと言われる規模デカすぎバッドエンドだし、魔王に至っては何をしているかは分からないが拉致監禁エンドだ。ちなみに拉致監禁されている他、何をしているかは描写抜きなので本当に分からない。ただ寝室から啜り泣きが聞こえるだけで。ファンブックでは「いやあ何してるか分かりませんから! トランプかもしれないじゃないですか!」等と書かれていたがそんな訳ないでしょユーザー舐めてんのかスタッフ。全年齢向けゲームでギリギリを攻めたバッドエンドを入れ込むな。絶倫魔王エンドも絶対嫌だ。というか、他のヤンデレエンドも「手を出していないとは言ってない」だけなので怖すぎる。身体は大事にしたい。
あいつに恨みはないけど、絶対こっちのパーティには入れたくない……!
「でも、あの子は自分から魔王に着いて行ってしまったし……保護しようにも本人が望んでいないなら難しいのでないでしょうか?」
「そう、彼女は魔王に拐かされた可哀想な異邦人だ。だから、私達が助けないと。ね?」
アンタレスが密のように蕩ける笑顔を浮かべる。ぞくりと悪寒がした。こんなの、シナリオになかった!
◆
魔獣と娘を連れ帰るのにテレポートを繰り返せば酔ってしまうだろうと思い、両脇に抱えて城まで走って戻ることにした為、到着した時には月が赤くなってしまっていた。事情を伝え、魔獣を獣舎の番の者に任せた後に城内に娘を小脇に抱えて帰ると、臣下達がざわついた。パロメッツには話を通しておくかと思ったが、早寝の彼は既に眠ってしまったようだ。下級魔族はともかく、魔力の強い者なら娘が人間であるとすぐ気付いただろう。何故人間を、という部分は説明が必要だが、移動に疲れて説明が面倒だったのと、まずはこの娘に夢の件で聞きたいこともあったので「俺様は部屋に戻る。諸々明日伝える」とだけ言い残し、部屋に連れ帰った。この部屋に……寝室に連れ帰ったことで臣下達が益々ざわついたことなど、知る由もない。
殆ど自室には寝に戻るくらいなので、ベッドしかない。サイドテーブルくらいはあるが、座る場所もここしかないのでとりあえずベッドに座らせた。頬の傷は浅いが、仮にも若い娘の顔なのだから傷などない方が良いだろう。クローゼットから軟膏を取り出し、ベッドにいる娘に放る。
「傷に塗っておけ。痕が残るのは良くない」
「あ、ありがとうございます」
娘はベッドの上でやけに神妙な顔をしている。考えてみれば、突然聖女達に襲われ、かと思えば魔王に魔界が連れて来られたのだ。環境の状況の変化が大きすぎる。それは怖いだろう。傷に軟膏を塗り、借りて来た猫のように大人しくなっている娘に下手に「魔界は怖くない」等と言っても益々緊張させそうだ。ううむ、と悩んだ末。
「よし、トランプするか」
「えっ?」
靴を脱いでベッドの上で胡座をかき、とりあえず懐から取り出したトランプを切り始めた。トランプは俺様の趣味である。攻撃魔法をトランプに因むくらいには好きだ。魔王ともなると中々付き合ってくれる者もおらず、聖女との遭遇後に至っては自分の身動きもままならずずっと出来ていなかったので久しぶりだ。昔は夜通し……いや、昔もパロメッツくらいしか付き合ってくれていなかったかもしれない。その上、パロメッツは早寝で、トランプ中にこっくりこっくり船を漕いでいるので可哀想になって部屋に帰していた気がする。もしかして、俺様、友達いない? それとも、皆そんなにトランプが好きではない……?
「貴様……トランプは好きか?」
「えっ。好きですよ。前はおばあちゃんとよくやってました」
「そ、そうか! 七並べとババ抜きどちらか選ばせてやろう!」
「じゃ、じゃあ七並べで」
「良かろう!」
俺様が7のカードを除いてカードを配り始めると、娘がおずおずと口を開く。
「あの、魔王様。助けてくれてありがとうございます」
「ん? 構わん。あの魔獣を止めるついでだ。貴様には聞きたいこともあったのでな。ほら、お前の分だ。先行は譲ってやる」
「どうも……?」
娘がクラブの6を置く。俺様も手札からカードを置いていく。娘の緊張は大分解けて来たようだ。やはりトランプはすごい。
「貴様、名は何という? 元々あの村に暮らしていたのか?」
「名前はすばるです。この世界に生まれてからはそうです」
ああ、と得心が行く。聖騎士の、太陽でも月でもない加護という言葉にも。
「貴様は異邦人なんだろう。星の精霊の悪戯で異世界から呼び寄せられた魂は、太陽と月とも異なる加護を持ち、世界を変えると言われている」
「こことは別の世界の……前世の記憶があるんです。記憶だけじゃない、顔も前と同じです。孤児院の先生が言ってたんですけど、そういう人を異邦人って言うんですよね」
「博識な師がいたのだな。それにしても、星の精霊の悪戯に巻き込まれるとは、貴様も難儀な星の下に生まれているな」
「悪戯……多分、間違いだったんじゃないかな」
「間違い?」
「前世で死ぬ時、聞こえたんで……間違っちゃった、おまけしてあげるから頑張って、って。多分、それで前世の記憶もそのまま、見た目も一緒にしてくれたんだろうなって。だからって全然活かせてないんですけどね!」
「……勝手だな」
何が間違いだ。その死か、それとも生か。何にしろ、一つの生きていた命の終わりや始まりを「間違った」など。前世の記憶など、ある方が余程辛い。突然に周囲から死によって切り離され、異国へ生まれ落とされて。
嫌悪感を滲ませて呟いてしまった言葉を拾っていたらしいすばるはその言葉に目を細めていた。
「魔王って、もっと怖いんだと思ってました。魔王様は全然違いますね。優しい」
「気色悪いことを言うな」
「だって、助けてくれたし、本気で怒ってくれてるから。トランプも、私の気を紛らわそうとしてくれたんですよね」
「それもあるが、俺様は元々トランプが好きだ」
「そっか。でも、ありがとうございます」
「貴様こそ、星の精霊に怒りはないのか。貴様にはその権利がある」
「そりゃあ、死んじゃったのは怖かったし、……友達にもう会えないのは、辛かったし、今も思い出すけど。孤児院の皆も先生も優しかったし、周りの人に助けられてきたから、今を頑張って生きようって思ってます」
「聖女に狙われた割に前向きだな……」
「あれは怖かった! でも、スピカが本当に私の命を狙ってたとは思ってないです。そんなに話しちゃいないけど、そこまで酷い子じゃないっていうか、普通の子ですよ。口止めしようとして大きく騒ぎすぎちゃったんじゃないかな」
「貴様は馬鹿なのか? そもそも聖女が六股かけるのが悪いんだぞ?」
「魔王様、聖女のこと嫌いすぎじゃない!?」
「俺様の家で男共があいつを巡って争うのを見てきたからな…………城の中も平気で壊すし物も盗むし…………奴等他人の家を何だと思っているんだ……」
「た、大変だったんですね……。でも、イメージと違って良かった。魔王様もっと怖いキャラって聞いてたから」
「ん?」
すばるは不味いという顔をしてから、言葉を悩みながら続けた。
「前世でこの世界の話を見る機会があったんですよね」
「貴様の前世は異世界だろう。俺様達の世界を観測していたのか?」
「いや観測っていうか……なんて言うのかな。創作? この世界のことを描いてる創作があった、みたいな」
「成る程。逆の経験をした者がいるのかもしれんな」
すばるが異世界からこの世界に転生したように、この世界からすばるの前世の世界に転生した者がいて、創作物としてこの世界を描いた。前世を懐かしむ何者かがいたのかもしれない。それを聞いて、すばるは複雑そうな顔をしていたが。
……もしや。
「その創作物での俺様は、傍若無人ではなかったか?」
「私、実はそこまでちゃんと見てないんですよね。友達がやってたのを見たり聞いてただけで。でも、友達もそんな風に言ってた気がします」
「ふむ……」
「だから、魔王様が聞いてたのと全然違う人で良かったって思いました」
「……暢気な奴め」
すばるの前世で見たと言う創作で描かれたこの世界、それがもし、今まで俺様が見てきた「数多の世界線」だとしたら。
……考えても詮ないことだ。すばるの言う通り、今を生きる他ないのだから。
「そういえば、貴様どうしてあの夢に現れた? あの犬はどうした?」
「私も良く分かんないんですよね。夢にあのわんちゃんが出てきて、ついていったら魔王様とスピカが居て……盗み聞きするつもりはなかったんですけど、出るタイミング逃しちゃいました」
「それは聖女が悪い」
「それはもう分かりましたから。魔王様、スペードの6止めてますよね。久しぶりにやりましたけど、二人で七並べって難しいですよね」
「貴様こそハートの10止めてるだろう。パス」
「パスありだったんですか!? 最初に言ってくださいよ!」
「パスは普通三回までありだろうが。七並べを指定したのは貴様だぞ」
その後、他愛のない話を続けながら意外にも七並べは白熱し、億劫になってきてすばるから敬語を取り払い、彼女が「もう寝ない?」と根を上げる頃には月が白くなる時間になっていた。そういえば、すばるを魔界でどうするか考えていなかったが、まあどうにでもなるだろう。何なら魔王城で掃除係でも厨房手伝いでも、魔力がなくとも出来る仕事場に回してやればいい。そんなことを考えながら、力尽きたように眠りについた。
そういえば、忘れていたが最初の魔獣の襲撃後には宣戦布告をする夢ーーー聖女と遭遇する夢があるのだった。魔獣の襲撃は実際には起こらなかったのだが、この夢自体はなくならないらしい。つまり。
「また貴様か!!」
「魔王……貴方はどうしてそんなに寂しそうな目をしているのですか……?」
「これが寂しそうな目に見えるなら医者に行け! 視力に問題があるぞ!」
聖女は茶番を続けるつもりのようだがこちらはそんなつもりは毛頭ない。寧ろあんなことがあってよく続けようと思ったな。神経が強すぎる。
そして、もう一つ。
「はいっ、はーい! 居ます! 居ます!!」
すばるが大声で挙手をしている。前回の経験を踏まえて出辛くなる前に居る事を示そうとしたのだろうが、方向性が斜め上だ。結果幼児のようになっている。俺様にとってはトランプ仲間が現れてくれて少しばかり心強い。一晩トランプをした相手はもう友人と呼んで差し支えないのではないだろうか。トランプ友達。良い響きだ。
「なんっであんたもまた居るのよ!?」
「分かんない、私も居たくなかったよ!」
「俺様も!」
「意気投合してんじゃないわよ、どうなってんのよ!」
聖女も化けの皮が剥がれつつある。聖女がぐっと飲み込み、まずすばるの肩を掴む。聖女とすばるが座り込み話し始める。肩を組んで座り込んでいる様は柄の悪い不良に絡まれている一般人に似ていた。
「ねえ、あんた異邦人っていうか日本人よね?」
「え? スピカも?」
「そうよ。もー、何で黙ってたのよ」
「前世の記憶のこと相談した時、異邦人であることは秘密にしておきなさいって先生に言われてたから」
「あんたよく相談したわね……まあいいわ。ね、私今トゥルーエンド狙ってるから。リゲル達があんたのこと狙わないように何とかしてあげるから、あんたも邪魔しないでよね」
「あのさ、私あんまりこのゲームのこと詳しく知らないんだけど、トゥルーって魔王様のルート?」
「全員」
「六股は可哀想だよ」
「真面目な顔で正論言うんじゃないわよ。あと六人じゃないから、七人だから」
「えっまだいるの」
娘二人がこそこそと話している様子を玉座から眺めている。もう俺様ここに居なくても良いんじゃないだろうか。貴重なトランプ友達が聖女の悪影響を受けるのは嫌なのであまり親しくなって欲しくないのだが。城内恋愛は自由だが修羅場は禁止にしたい。話が終わったのか、二人は立ち上がるとこちらに振り向いた。
「とりあえず、イベント中は壁と同化してもらうことにしたわ」
「壁やりまーす」
「壁!?」
すばるが壁際に立ち、そのまま無言になる。聖女が何事もなかったように赤い絨毯の中央で俺様を見据える。
「魔王、貴方のことを教えて欲しい」
「無理があるぞ」
壁際に立っている人物が気になりすぎる。溶け込もうと静かにされても逆に不自然すぎて気になる。聖女とすばるが「もうちょっと気配消せる?」「精一杯!」などとやり取りをしている。
「貴様もそんなアホな頼みを聞くな! いいか聖女、俺様のことは諦めろ、貴様は俺様の好みではない。俺様は清純派だ。何より俺様は穏やかに暮らしたいんだ!」
「私も皆さんと穏やかに暮らしたいと思っていますわ」
「修羅場の原因が涼しい顔を……。おい小娘、貴様も何故協力姿勢なんだ」
「七……六股はどうかなと思うし、私は浮気とか嫌なんだけど。愛の形は人それぞれって聞いて、確かにそうだなって」
「奇遇だな、俺様も浮気は嫌だ。よってこの女はない。……おい近寄るな!」
「私は貴方のことを知りたいのです」
「おい小娘! 壁になるなら俺様の壁になれ!」
聖女がさりげなく距離を詰めてくるので、壁際のすばるを引っ張り寄せて盾にしている。すばるを挟み俺様と聖女が会話をしている不可思議な状況だが、俺様はなるべく聖女と距離を取りたいのだ。聖女、小さく舌打ちしたの聞こえてるからな。
「魔王とはいえ王様。王には世継ぎが要る。立場上、結婚必須ですわね」
「だとしても貴様はお断りだ、結婚相手は自分で選ぶから俺様のことは諦めろ」
「魔王、貴方は孤高なる王だったと思いましたが?」
「おかげで臣下は貴様に籠絡されたがな。生憎だが俺様とて魔王、俺様についてきている臣下とて……」
…………そう言えば、魔王城は実力主義で来るもの拒まずなのだが、俺様が怖いと言う理由で女性が少ない。同性の臣下達も俺様へは畏敬の念を示していることが多く距離を置かれており、最も身近にいる臣下はパロメッツとブラックである。確かに過去の俺様は自分の意思でないとは言え食卓をひっくり返すような男であったのだが。そもそも、異性同性共にブラックのファンが多い。一部「パロメッツちゃんめっかわ」一派もいる。
おや……? 俺様の人望…………?
俺様がその思考に至ったことを悟ったらしい聖女がにっこりと微笑んでいる。分かっているとでも言いたげな顔だが勘弁して欲しい。俺様は浮気容認派ではない。いやそんなはずは。例え俺様がモテなくとも知人友人の一人くらい。
聖女と俺様の中間に立たされているすばると目が合う。知人友人。灯台下暗し、まさかこんなにすぐ傍にいたとは。
「よし、結婚しよう」
「えっ!?」
トランプ友達にして浮気容認派でないことも判明している。貞操観念は近いと見た。聖女もすばるも呆然としていたが、先に立ち返ったのは聖女だった。神経が太い。
「いくらなんでも手近で済ませすぎでは? 魔王、彼女のどこが好きか言えますか?」
「そ……そうだよ! 結婚なんて大事なことはちゃんと考えないと駄目だよ!」
「こういうところ。俺様もそう思う」
「今ちゃんと考えなって言われたの聞こえてます? 大体あなた方、昨日会ったばかりでしょうが」
「それは貴様も同じだがな。一晩過ごせば十分だ」
聖女が初めて表情を凍らせた。すばるが遠い目をする。
「あれは長かった……」
「久しぶりだからか熱が入ってしまった。俺様としたことが」
「途中記憶ないもんね、眠くて」
「ああ、無理をさせてしまったな」
「いやいや! 手早くない? あんたも何ケロっとしてんの? あんなに五月蝿い割に貞操観念言える立場か?」
聖女が言葉に首を傾げるが、ぽかんとしていたすばるが顔を真っ赤に染めて聖女に掴みかかる。
「違うから! そういうんじゃないから!」
「悪かったわね……まさか連れて行かれてその日なんて思わないじゃない……魔王はほら、アレだって言うし……あんたぼーっとしてそうだし、無理しないでちゃんと嫌な時は嫌って言いなさいよ」
「違うんだってば!! トランプ、トランプしてたの朝まで! ほんとだよ!」
「ああ……トランプね分かった分かった、あんたファンブック読んでんじゃん」
「違うんだよ〜!」
聖女に何かしらを弁解し続けているすばるがあんまり必死なので肩を叩いたが、すばるは眉をハの字に下げるだけだった。聖女は溜息を一つ吐く。猫を被るのはやめたらしい。普段の淑女然としたものとは違う、若くませた娘のような態度を隠さずに俺様の前に立つ。しばしば態度に出ていたが、こちらが素なのだろう。
「しょうがない。魔王ルートは一番微妙だったし、素直に魔王以外全員目指して頑張るわ」
「清々しい程に失礼だな貴様」
「まあ隠しが攻略出来ないのは残念だけど……でも魔王がこんなにバグってるなら隠しもバグって出てくるかもしれないじゃない?」
「誰がバグだ」
「スピカ、その隠しって、さっき言ってた七人目の人のこと?」
すばるの問いに目を瞠る。七人目だと。
「貴様七股しようとしていたのか? 正気か?」
「一々五月蝿いわね。隠しは裏ボスの………」
聖女の声が遠のく。聞こえない、と問うより早く、眼前が眩い光に包まれた。
目を覚ますと、トランプが散乱しているベッドの上だった。昨日のまま、すばるもベッドの上で長い身体を丸くして眠っている。とりあえずカードを纏めて懐に戻す。
さて、まずは食事と思ったが着の身着のまま眠ってしまった。娘は身支度を気にすると言うし、湯浴みが先か。パロメッツやブラック達にもすばるがここに滞在することを説明せねばならないが、湯浴みと食事の後でも良いだろう。室内にある伝声管は城内の連絡手段として設置している。一つを取り、パロメッツを呼ぶ。
「陛下! む、娘御を連れ帰って来たというのは本当で!?」
「ああ、後で説明する。とりあえず湯浴みの準備と食事を娘の分も頼む。初めてで勝手が分からんだろうから、侍女をつけてやれるか」
伝声管の向こうが凄まじい騒ぎになっている。耳が痛い。
「どうした、何か問題でもあったか」
「メメメメェっそうもございません! すぐご準備致します!」
「頼んだ」
伝声管のやり取りで目を覚ましたらしいすばるが目を擦っている。眠そうな顔をしているが無理もない。朝まで起こしていたのだから。ベッドに腰掛け、座り込んだまま眠たげな目で瞬きをしている娘に話し掛ける。
「もう少し寝るか?」
「起きる…………」
「そうか。今、湯浴みの準備をしている。その後、食事にしよう」
「うん……」
扉をノックする音が響き、俺様が入室の許可を出すと、黒い侍女服を着た魔女達が二人入室した。眠そうな娘を見て、やたら微笑ましそうな顔で「さあ行きましょう」「お勤めを立派に果たされましたね」等と声を掛けている。まだ働かせてはいないが、まあいいだろう。人間を連れ帰った事情をまだ説明していなかったことを思い出したが、種族は違えど慣れぬ地に連れて来られた年若い娘を気遣える臣下達を持ったことが誇らしい。すばるが侍女達に連れて行かれた後、パロメッツが転がるように部屋に飛び込んで来た。
「パロメッツ。俺様も湯浴みをしてくるから、上がる頃に食事を」
「陛下! おメェェェでとうございます!」
「ん?」
パロメッツはハンカチを目に当てておいおいと泣いている。
「陛下にはそのような感情がない等と失礼極まりないことを宣う不届き者共の言葉を聞く度にこのパロメッツ胸を痛めておりましたが、ようやく、ようやく! 陛下が心通わせる娘御を見つけてくだすった! 人間とはいえあの黒髪、月の加護を受けるべく生を受けた娘御に違いありません、感情がないとか石仮面だとかもう! もう二度と! 言わせませんぞ!!!」
「そんなこと言われてたのか俺様」
俺様、心証すごく悪いな。何故臣下達は俺様に付き従ってくれているのだろう。いや、だからブラックが反旗を翻すと皆が付いていくのか?
「人間ならばこの月夜の魔国の知も少ないでしょう、不肖パロメッツ、妃殿下を全身全霊お支えする所存!」
何か勘違いしている。すばるは聖女達に追い詰められて不憫だったので連れ帰って来ただけで……。いや、そういえば、昨日結婚を申し込んだのだった。勘違いでもないのか。聖女達のことまで説明するより、パロメッツの様子を見るに嫁の候補として連れ帰ったと言う方が話が早そうだ。
「まだ結婚していないが、その時は宜しく頼む」
「っ陛下ァ〜! パロメッツ、一生陛下について行きますぞ!」
「そ、そうか。無理はするなよ」
パロメッツがあんまり泣き過ぎると干上がるのではないかと心配になる。今度水やり用の霧吹きを用意しておこうと心に留め置いた。
厨房が随分張り切っているようで、食事の準備が遅れているという。致し方ない。先にすばるの紹介をすることとし、皆をホールに集めた。湯浴みを終えて連れて来られたすばるは魔族を前に呆然としていた。いや、魔族を前にした緊張かと思っていたのだが、どうも単に呆然としている。
「似合ってるぞ」
「あ!? ありがとう! 魔王様もすっごくかっこいいよ!」
首元や袖は黒のシースルー生地のハイネック、黒いマーメイドラインのワンピースが背丈の高い娘に似合っていた。短めの髪も白い肌もしっかり磨かれている。随分侍女達に可愛がられたようだ。俺様もパロメッツがやたら気合いを入れて用意した正装を纏っている。裏地に赤、表地が黒いマントに黒を基調としつつ赤が差し入れられ、金色の飾り紐のついた軍服だ。まだどこかふわふわと惚けていたすばるだが、俺様と目が合うと思い出したように口を開く。
「魔王様! 結婚はよく考えた方がいいよ!」
「その通りだ」
「うん!?」
「うむ。そういうところを含め、俺様は存外貴様が気に入った。後は貴様が決めて良い」
予期せぬこととはいえ、いずれ婚姻はせねばならない身の上、それが今であっても俺様には何の問題もない。寧ろ遅いくらいだ。聖女も何故だか諦めてくれたようだし、急ぐこともなくなった。相手の意思がなくては成り立たないのだから、後は彼女の判断に委ねるだけだ。
一度すばるの肩を叩き、臣下達を見据える。ばさりとマントを翻すと、皆が静まり返り、頭を垂れた。
「皆も気付いているだろうが、ここにいるすばるは人間だ。しかし、太陽の加護はなく、古より伝わりし星の加護を受けた異邦人にして我が伴侶の候補である。初めて人間を見る者も居るだろう、理解の出来ぬ者も居よう。それで良い。不理解があることを理解し、理解なくとも星がここに在ることを認識せよ。誇り高き月の族の皆を信じている」
幸い、臣下達からの抵抗はない様子だ。パロメッツは大歓迎、侍女達も満足そうにすばるを見ており好感触。他の臣下達も取り分け人間がこの場にいて不快さを滲ませる様子もない。魔族は感情により魔力の揺れがあり、魔王である俺様ともなればそれを読み取るのは容易いことだが、全体的に喜色が多かった。
例外は、今俺様の斜め後ろに控えている騎士くらいなもので。
「ブラック。何か思うところがあるならば述べよ。許す」
「……は」
ブラックは、すばるを通し、臣下達を見据える。
「人身御供として捧げられた人間なぞで陛下にご満足頂けるものなのか、と」
揺れの種類が変わる。戸惑い、恐れ、怒り。手近な者が最も感知がしやすい。今で言えば、すばるの背後にいる侍女達。そっと恐れの表面を読み取る。
ーーー折角、恐ろしい魔王陛下に嫁ぐ者を選ばなくて良くなったのに余計なことを。
ーーーあと一年で城内から決めると聞いてから皆辞めていってしまうし、これで辞めなくて済むのに。
「……………」
いや……俺様の人望!!
毎回毎回食卓をひっくり返す主人なんて嫌だろう。それはそうだろう。今が安定しているのに聖女が現れたら戦争するなんてことも嫌だろう。それは俺様が悪い。俺様が悪いが、そんなに俺様は恐ろしいだろうか。恐ろしかったのだな。態度なのか顔なのか。まさか勤めている者達がこうも怯えているとは思わなかった。
すばるを歓迎していたのも、自分達が嫁がなくて済むから。自分達の娘を差し出さなくて良くなったから。同じ魔族なら同情もしようが、人間なら尚更。
これでは、あまりにもすばるが哀れだ。
「ちょっといいですか」
揺れの中にあった僅かな怒り、それはすばるから発せられていた。すばるの怒りは臣下達でもなければ俺様でもないーーーブラックに向けられている。
「今の言い方、やめて下さい」
「……?」
「魔王様と結婚する私が生贄のように聞こえます。魔王様は優しいです。魔獣も私も助けてくれました。今も、私の意思を無視して話を進めずに待ってくれています」
「…………」
「私、魔王様と結婚しても後悔しません。断言できます。だから、その言い方、やめて下さい」
「…………すばる」
ブラックがじっとすばるを見つめ、すばるは臆せずにその視線に返した。そうして、先に目を伏せたのはブラックの方だった。
「失礼致しました。陛下並びに妃殿下へのご無礼、お許し下さい」
「構わん、許す。……皆も聞け。先日も言ったが、俺様は穏やかに暮らしたい。それはここにいる皆、魔界の皆を含めてだ。今までも皆には苦労を掛けたが、その分、貴様等に安寧を齎すと赤き月に誓おう。不肖だが、これからも宜しく頼む」
そこまで言い切ったところで、揺れの色が変わった。安堵、喜び、そして期待。揺れが変わったことに合わせて歓声が沸き起こる。それに応えねばならない重みを噛み締めた。そうして、ふと真横の娘を見る。娘も視線に気付き、顔を見合わせる。
ふと、植木鉢が突進する勢いで飛んで来た。
「陛下ァそして妃殿下!! このパロメッツ、このパロメッツメェは、陛下の執事としてこんなに嬉しい日を迎えたことはなく、お二人のご立派な御姿を拝見出来たこの喜び筆舌に尽くしがたく」
「パロメッツ、落ち着け。まだ結婚してない」
しかし、ホールの歓声は魔王陛下万歳だけでなく妃殿下万歳の声が入り混じっている。
「うん! 待て、皆の者。まだ結婚してない。まだ結婚してない!」
「ああ〜……」
すばるが真っ赤になった顔を抑える。確かに思った。先のブラックへの言葉は、正直ときめいた。ときめき等というものがこの世にあるのだな、と思った。思ったけれども!
「おい、皆。待て、落ち着け」
「いやはや迂闊でしたこのパロメッツとしたことが! 式のお日取りを決めねば! 陛下と妃殿下の御召し物の手配も必要でございますな! これから忙しくなりますぞ〜!」
謎の疲労感に苛まれ、つい真横の娘の肩に手を置いた。びくりと震えた肩に怯えさせたかと思ったが、どうも違うようだ。真っ赤になったまま視線を外している。目を合わせるのを躊躇っているらしい。先の自らの発言もあり恥ずかしがっているようだ。…………ちょっとスキンシップで照れるくらいの子…………!
「……………魔王様、結婚する?」
「………よ、よく考えたか。俺様はいくらでも待てるぞ」
「後悔しないって思えたから、……だいじょうぶ」
「…………するか!」
何とも、気の抜けたプロポーズになってしまった。勢いと、よく考えた末での、何とも相反する結婚をした夫婦がここに誕生した。