9. 調理開始!
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その後、食べ物を持っていない彼らに、麻袋の中に入っている砂糖を水に溶かして飲ませてもらうように頼み、間違えて塩水を飲まされて激しくむせるなどしながらも、私はなんとか気絶を免れることができた。
ウーリという大柄なスキンヘッドの男の背に背負われながら、私はヘルマー領を目指している。彼らは森の地理に明るいのか、特に迷いもせずに慣れた様子でグイグイと森の中を進んでいく。そして、数十分後には特にモンスターにも遭遇することなく森を抜けたのだった。
「でな、新しい街道ができてからこのヘルマー領はとんと貧乏になっちまってよ。多くの若者が王都や他の領地に行っちまった。でも若くして伯爵家を継がれたユリウス様は優しいから、そういう者達を引き留めることはしなかったのさ。──いつか戻ってくると信じてな」
「なるほど……つまり今領地にはほとんど女子供と老人しかいないということですか」
「いんや。女子供も出稼ぎに行った若者が連れていったり、生活に苦しんだ家族に売られたりしてロクに残ってねぇや。オマケに領主様が男色家だから、オレも女の子と話したのは久しぶりかもしんねぇな」
その久しぶりの女の子にテンションが上がっているのか、ウーリは私にいろいろなことを話してくれた。
ユリウスは貧しくなった庶民に対して、惜しげもなく城の金庫から支援のための金を出したこと。そのおかげで庶民からは慕われているが、金庫はすっからかんでユリウス自身ですらあまり裕福な暮らしはできていないこと。寂しさを紛らわすために毎日森に入ってモンスターを狩っていること……。
「でも、ユリウス様はオレたち親衛隊のことは何よりも大事にしてくれて、どんなに財政が苦しくても手放そうとしないんだ」
(そりゃあそうでしょ。どう考えてもユリウス様はこの筋肉マッチョたちのことが気に入ってるよね……)
ウーリの背中で私はうんうんと頷いた。そして辺りを見渡す。草が生え放題、荒れ放題で、ただの草原かと思っていただだっ広い土地の数々は、過疎化によって耕作放棄された田んぼや畑だった。
しかも、そんな耕作放棄地にポツンポツンと点在しているあばら家のごとき空き家の数々が一段とノスタルジック──を通り越して寂しさを感じさせる。
「最近だと、資金援助をしてくれている隣の領地のアルベルツ侯爵がしきりに兵を要請してきたり、北部の森に住んでいた原住民が南下してきて小競り合いが起こったり、原住民に追い立てられたイノブタや他のモンスターたちが畑や田んぼを荒らしたり、ゲーレ共和国の動きも不穏になってきたりして、ほんとに絶体絶命なんだよ」
「こらウーリ、よく分からんメスガキにあまりウチの内情を話すな。こいつがどこかから送られてきたスパイだったらどうする?」
「うーん、オレにはそうは見えませんがね」
相変わらず私に対しての態度が厳しいユリウスに、ウーリは呑気に答える。すると、ウーリが私を庇うことが面白くなかったらしく、ユリウスはまた不機嫌になってしまった。
「メスガキ、城に着いたらさっそく飯を作れ。俺たち六人分だ」
「私はメスガキではないので作りません!」
いい加減メスガキ呼ばわりにイラッとした私が言い返すと、ユリウスは肩を竦めた。
「じゃあメスだ。おいメス! ちゃんと美味いものを作れよ。助けてやったんだからそれくらいしろ」
「ティナです! 覚えてください!」
「メス。スタミナのつく飯がいい。腹減ってるから早めに作れ」
「むぅ……」
私が膨れていると、ウーリが小声で申し訳なさそうに謝ってきた。
「すまん。ユリウス様は女の子に対しては必要以上に冷たくてな。多分照れているだけか、どう接していいのかわからないだけだと思うが……」
「でも……」
内心は不安でいっぱいだった。せっかく夢の冒険者になれたのに、このままやっていけるのかと目の前に暗雲が立ちこめてくる。ユリウスの態度もそうだが、領地の状況も思ったより悪い。実際、もうかなりの距離を進んでいるはずなのに、いまだに人っ子一人見かけなかった。いるのは鳥と虫と小動物ばかりだ。
「見えたぞ。あれが城だ」
ウーリの声に前方に視線を向けてみると、目の前の山にもたれかかるようにして大きな建造物が建っていた。古びた外観だがしっかりした石造りで、石垣や矢倉などで防御を固めたその造りはまさに『山城』だった。城の麓には街がある。だが、相変わらず人気は少なく静まり返っていた。
私たちは街の中を突っ切りながら城を目指すが、その間も街中は老人が数人歩いている程度で、飲食店らしきものも、宿屋らしきものも、閉店しているのか人の気配がない。
「昼間は皆畑仕事とか酪農とかをしているのさ」
「それにしてもこれは寂しすぎます……」
「ティナは王都から来たんだっけか。確かに王都に比べるとだいぶ寂しいかもな。──でもこれがヘルマー領の首都なんだよ」
(こんなの……死にかけじゃない! どうやって立て直せっていうの……)
私は絶句した。これでは貧しかった王都のスラム街のほうがまだ100倍活気があっただろう。いったいどこからどのようにして税収を得ているのかすらも定かではない。恐らく領地の財政は赤字続きだろう。それで周囲の領地に兵を提供して資金援助をしてもらっているのか……。
街を抜けると、城の全貌が明らかになった。
白と黒のモノトーンのその巨大建造物は、よくみると塀が所々崩れ、年季が入っているのが分かる。建物の入り口まで塀や石垣、小さな堀などで区切られ、遠回りしないとたどり着けないのは、敵の侵入を遅らせるため、戦に特化した機能を持つ城だ。もっとも、塀や石垣が崩れていてはその役目がどの程度果たせるのか疑問ではあるが。
城にしては狭い入り口、これも山城ゆえだろうか。とにかく、狭い入り口から薄暗い場内に入り、木の匂いが漂う廊下を進む。内装はどことなく東邦帝国の風情が感じられる。いわゆる『和風』というやつだ。天井は低めで、筋肉マッチョ達は少し身をかがめないと通れない場所もある。
「厨房は地下だ」
城の内装をしげしげと眺める私を連れて、ユリウス率いる男たちは急な階段を下り、地下の厨房へとやってきた。
そこは地獄絵図だった。
暗い室内。乱雑に放置された調理道具……。
(調理道具をこんなに乱暴に扱って……!)
調理道具は料理人の魂だ。そんな調理道具を大切に扱わないなんて……。なんとも言えない気分になる。かくいう私も、思いっきり調理道具でモンスターを殴ったりしてるから全く人のことを言えないのだが、やはりモヤモヤしてしまう。
「ユリウス様、この厨房は──使われているんですか?」
「ん? あぁ、見てのとおりこの城は経費節減のために使用人の数を最低限にしてるからな。料理人はもちろんメイドや執事もいない。飯は自炊する」
(だから散らかるんだよ!)
頭の中で大声で叫んだが、もちろん口には出さなかった。
「さてと、お手並み拝見といこうか」
案内するだけして満足したのか、ユリウスは腕を組んで完全に観戦モードだ。その態度に私の闘争心にも火がついた。
(──やってやろうじゃない!)
「──調理開始!」