キャラクター・メイキングが終わらないっ!
夜。雨粒がルーフを容赦なく叩いている。暗い運転席で溜息をついた俺はカバンを抱えて息を止め、車から玄関までの距離を猛烈な土砂降りに打たれながら走った。ただでさえ疲れているのに、雨というやつはそれだけで気力も体力もごっそり削ってくる。ああ、熱い風呂に入りたい。せめて汗でベタベタになったシャツと靴下を脱ぎ捨てたい。そう思いながら、鍵を開けてドアの中へ踏み込んだときだった。
床も壁も天井も真っ白な光景に目が眩んでいるうちに、俺の背後で扉の閉じる音がした。どうみても家ではない。そして眼前のデスクに、翼のある女が座っている。
「おめでとう勇者さん。あなたは異世界への転生者として選ばれました」
「あ?」
夢でも見ているのかと思った。振り返ると、入ってきた白い扉はまだそこにある。
「帰るの?そこを開けたら一瞬で致死量を上回る放射線に曝されて、あなたの肉体は数時間ともちませんよ?落ち着いて、これをご覧なさい」
女の指先に長方形のニュース映像が現れた。それは日本の番組ではなく、どこかのバカが世界じゅうの主要都市に核ミサイルを撃ち込んだという大事件を伝える外国語のニュースだった。事件をきっかけに世界地図の大半を占める国々で「おまえのせいだ」「いいや、おまえだ」と絶滅戦争が始まり、巻き込まれた日本はもうない。
「まあ、落ち着けというほうが無理ね」女が言った。「あなたは死んではいないのだけれど、状況としては死んだも同然、ということになります。そして、これから勇者を必要とする世界へ送り込むにあたり……」
「待て。あんたは何だ」
「女神?天使?とにかくそういった役どころです。手続きさえ済めばお別れですから気にしないでいいわ」
「寝るところだったんだ。明日も仕事だから。ここがどこだか知らないが帰らせてくれ」
「お宅も職場もすでに存在しません」
まさか、と取り出した端末には電波が届いていない。周囲を見回し、隠しカメラを探した。輝く部屋は四角かったが、扉のほかに継ぎ目はなく、靴底の感触もプラスチックのようにつるっとしてどこか現実離れしたものだった。まず、照明もないのに全体が白く光っているのがおかしい。俺はストレスでついに気が狂ったんだと思うことにした。正気を失ったという現実に恐怖やショックはなく、“面倒なことになったな”と、うんざりした。
「聞いて?あなたには帰るところも行くところもないの。転生先があるだけ。ここまではお分かり?」
「ああ」
「本当に大丈夫ね?」
「くどい。転生?もうそれでいいよ」
「では手続きを進めます」
空中に出現した姿見の左右に、虹色の球体と煤煙を封じ込めたような球体とが浮いている。カバンを足元に置き、女の指示でそれぞれの球体に右手と左手を突っ込むと、くたびれた男の鏡像がサイケデリックに変化した。
「従来の異世界転生に際しては、重力、大気組成、地表付近での気圧、平均気温、地磁気のあるなし等々、派遣先の生存条件に適した姿へ問答無用で転生させてしまうのが普通でしたが、転生者からのクレームが多く、本人の意思を尊重する新しいシステムが試験的に導入されました。あなたゲームはお好き?」
俺はうなずいた。
「なら、キャラクターメイキングと思ってもらえれば理解が早いわ」
虹色の球体は色相を三次元的に配置してあるカラーパレットだった。もうひとつは白から黒までの明度調節用。髪や服や目や肌など、変化させたい箇所をイメージしながら球体の中で手を動かすと、人差し指で指定したとおりの色になる。髪型や服装そのものを変更したい場合は、シャボン玉から腕を引っこ抜き、端末の画面でよくやるように鏡面を横へフリックする。デフォルト種族や基本クラスといったパターンが用意されているわけではないため、カラーリングよりもスタイルのほうがイメージがむずかしく、上着ひとつ思い通りに取り替えるのにも苦労したが、ひとたびコツを掴んでしまえばなかなか楽しかった。なにしろ女の言うことが本当なら、これからの新たな一生を過ごす姿である。どんなにこだわってもこだわりすぎるということはない。
説明では性別も変えられるとのことで、分厚いファイルの書類から申し込み用紙みたいなものへ何かを転記する女の様子を気にしつつ、オンラインゲームでよく見かけるタイプの美少女になってみた。趣味丸出しの容姿でいろいろセクシーポーズをとる。うーん、数日で男に戻れるのならともかく、しわしわになって死ぬまで女というのは精神的にきつい。……それからじっくり長い長い時間をかけて、妖精、筋肉質のモンスター、猫、カブトムシ、イカ、炊飯器、サボテンなどを発想のかぎり試したすえ、けっきょく俺は俺になった。元の俺がどんな姿だったかよく覚えていないから、贅肉や生え際に対する無意識の願望が少なからず反映されていることと思うが、俺なりに偽らざる俺でいるのがやっぱり落ち着く。
「お決まりですか?」
「これにする」
「……あなた、勇者ですよ!?もうちょっと欲張っては?まるで『◯◯村へようこそ』係の村人Aじゃないの」
「地味で悪かったな!!いいからさっさと転生させろ!中世ヨーロッパもどきだろうが銀河連邦の惑星αだろうが巨大学園だろうが伝奇だろうがどこへでも行ってやる!!」
「失礼。納得ずくならそれもいいでしょう。次のステップに進みます」
「次?まだ何かあるのか」
姿見が消え、シャボン玉カラーパレットの後ろに十体ぐらいのマネキンがずらりと並んだ。
「あなたに付き従う頼もしい仲間達です。転生者から『あらかじめ選ばせろ』といった声がたいへん多く寄せられまして……。種族・性別・年齢はもちろん、性格も関係性も出会いの順序も、すべてご自由に決められますよ」
俺は途方に暮れた。自分自身のデザインだけでもあんなに迷ったのに、いちいちサブキャラの設定までさせられるとは。そりゃあ、キャラクリとは名ばかりでロクに選択の幅がないクソゲーに憤慨した覚えはあるよ?だから自由度が高ければ高いほどうれしいのは確かだが、これほど自由すぎるのもかえって困る。こんな調子では、いつ転生できるやら。
おわり