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午後の研究 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 おお、つぶらやくん、今日はいやに疲れているじゃないか。服装の乱れが、そのまま君のくたびれ具合を表しているかのようだよ。いつお客さんが来てもいいように、もうひとふんばりしようじゃないか。

 身だしなみはおしゃれとは違う。身だしなみは相手を不快にさせないために行うが、おしゃれは自分が快くなるために行う。これから対する相手のことを思っているかどうか、間接的に判断する材料のひとつといえるだろう。

 君にも覚えがあるんじゃないか? 学校で持ち物などと同じく、服装の検査をされたことがさ。好きなことをやりたい盛りにとって、この手の規制は窮屈で堅っ苦しいだけだよねえ。

 だが、それにはもっと隠された意味があるのかもしれない。そう感じた思い出が私にはあるんだ。

 お、興味がありそうだね。それじゃ仕事終わりにでも、少し時間を取ろうか。


 学生だった頃。私のクラスを対象に研究授業が行われることが、前もって知らされていた。それも同じ学校内の先生のみが集まる校内研ではなく、全国の先生が集まる全国発表とのことだった。

 実施は5コマ目。他のクラスはその間、自習だというのだから、不公平さがむんむん漂う。貧乏くじを引かされた気分さ。

 そのせいか、今朝から先生方が服装のチェックをしてきたんだ。それも昼休みと合わせて、二回もだよ? これまでになかったことで、私は不満たらたら。いかにも外見を取り繕おうとする態度に、無性に腹が立ったんだ。


 個人的には、他にも原因がある。昨夜、私は寝不足だったんだ。

 ちょうど漫画集めにはまり始めた私は、ここ数日ぶっ通しで、積んでいた漫画の山を切り崩していたんだ。

 おかげで昼休みの服装検査の時に大あくびをかまして、先生にも注意をされたよ。「今日は大勢の方が来るんだから、しゃんとしなさい!」とね。

 ほぼ夜を徹する場合は、午前中はいやに目が冴えて、午後に入ると急な眠気に襲われるもんだ。先生のいう「しゃんと」していても、まぶたが勝手に闇の帳をおろしそうになったりさ。これ、ほとんど抗えた記憶がないんだよねえ。

 そのうち、外来の名札をつけたスーツ姿の、見慣れない先生方が、校舎内へちょくちょく姿を見せるようになる。全国の教員の皆さんだろう。


 授業参観もかくや、という大盛況だった。

 教室の後ろ、ロッカーの前へぎゅうぎゅうに詰めた先生が並ぶばかりでなく、廊下にはみ出た人も、教室の中をのぞき込んでくる。

 特別教室ではない、いつものクラスで授業が始まったが、背中から熱い視線というか温度を感じたよ。

 先生の担当授業は数学。いつものチョークに加えて指示棒も用意し、ことあるごとにカツカツ、ペシンペシンと、黒板にお仕置きするような音を立てながら、図形を書いていく。たいした気合いの入りようだ。

 だが、すでに眠気がピークを迎えようとしている私にとっては、先生の声は子守歌。チョークと指示棒の音は、歌声に彩りを加える、バックミュージックのカスタネット程度の意味合いでしかない。

 まぶたと一緒にあごが落ちかけ、それでもどうにか、それでもどうにか先生の話を聞く姿勢を保とうと、粘ってみる。

 この辛い時間帯を越えると、不思議と目が冴える時が再びやってくるのは経験済み。それまで耐えろと思うが、ややもすれば視界がブラックアウトしかけてしまう。

 そして、ひときわ強い誘惑に、つい肩まで落ちかけた時。とうとうその瞬間が来てしまった。


 私の机の下の右足が無意識に跳ね上がり、物入れの裏側を強打。一気に目が覚めるほどの大きな音が教室中に響き渡った。

 先生が、こちらを見ている。研究授業故か、怒鳴ったりせずに引き続き解説へ移ったが、さすがの私もワイシャツの中で、背中を汗が伝うのを感じたよ。緊張は感じなくても、羞恥心は別腹だ。

 顔が真っ赤に、代わりに体中がぞわぞわと総毛立つ気がした。そのせいか、当初から教室を包んでいた熱気は、もう感じない。

 そして、あの物入れの裏側にぶつけた右足の太もも部分は、痛みが一向に引かなかったんだ。


 授業が終わると、見学していた先生方は散っていく。授業後、すぐに帰りのホームルームが始まり、慌ただしく下校の支度を整えた。どうやら6コマ目は先生方がひとつの場所に集まって、先ほど見た授業の研究を行うのだとか。

 私もそそくさと教室を後にしかけたのだけど、廊下で一度、先生に呼び止められたんだ。


 ――やっべ、授業で舟を漕いでいたことのお説教か?


 私は足を止めて、恐る恐る先生の方を向く。てっきり雷を落とされるものかと思ったけれど、先生の口調は穏やかだった。


「今夜は早く眠りなさい。体に良くない」


 それだけ告げて、きびすを返した。普段は烈火のごとき表情を見せて、怒鳴りつけてくるのが先生の常だったんだ。それがこうもあっさりしているなど……。

 私はわずかによぎった疑惑の念を振り払う。怒られずに済むなら、相手の気が変わらないうちに退散だ。

 いつもの調子で校舎の階段を二段飛ばしで降りようとしたが、右足で着地して、すぐさま後悔。そしてもれなく、太ももを中心に鈍い痛みが。あの机にぶつけたところだ。

 ズボンの裾をまくってみる。ピンポン球サイズの濃い青あざになっていたよ。

 

 いったん意識してしまうと、ちょっとしたことでも敏感に反応してしまう。

 いつも家では短パンの私だったが、今日は長ズボン。アザを隠すためだ。下手にうつぶせになると、変なところに体重がかかった時、跳び上がりそうになるくらい痛む。姿勢にも気を配らざるを得なかったんだが、それ以上に困ったことがある。

 あれほど部屋の隅に積んであった漫画が、きれいに片されていたんだ。家を出る前にはあったから、親の手が入ったのだろう。夕飯でそれを追及すると、親はあっさりと白状した。


「あんた、ここのところ夜中にまで電気をつけて、漫画を読みふけっていたでしょう。まだ育ち盛りなんだから、しっかり寝ないと駄目よ。ひとまず一週間、日付が変わる前には寝なさい。守れたら返してあげる」


「うぜえ」と思ったが、タイミングが良すぎる。先生の差し金かもしれない。私に背を向けた後、家に連絡して親と示し合わせたのだろう。

 いいなりになるのはシャクだったが、明日も同じことをしたら、外部の目がない時のこと。またいつもの、耳を塞ぎたくなる説教が轟くのは間違いない。

 午後10時過ぎ。窓のカーテンを引いた私は、三日ぶりに日付を越すことなく、布団の中で眠る支度に取りかかったんだ。


 しばらくして。私は自分の右足の太ももに違和感を覚えて、目を覚ました。

 一言で表すなら、逆流だ。心臓から末端へと伝わっていくはずの血液。その右足にあるものが、釣り糸で引っ張り挙げられるかのように胸へ集まってくるかのよう。ずきりと胸が痛み、思わず手で押さえてしまう。

 だが、それだけじゃない。

 カッカッ……キュッキューッ……ピシ、ピシ……。

 窓の外から、昼間の授業で聞いたのとよく似た音がする。チョークと指示棒が、黒板を叩く音だ。

 窓の先はベランダだ。当然、黒板など用意してはいない。音はところどころで拍子を変え、そのたび、私の血管は内側から針で刺されたかのように、ちくちくと痛む。

 立てない。右足の指先に力を入れただけで、イガだらけの栗が肉を突き破りながらさかのぼってくるような、不快な痛みが走ってしまう。

 這うのがせいぜい。それもやはり、右足に体重がかからないよう、仰向けになったままぞもぞと、芋虫以上に無様な格好で畳の上を進む。

 カーテンの真下まで来た。チョーク達の音は止まないが、そのすきまからのぞくものを見て、私は息を呑む。

 黒、茶色、黄土色……ベランダには何足もの革靴が、ずらりと並んでいたんだ。足もしっかり入っていた。何人も、ベランダに立っている。


 ――気づいちゃ駄目だ。そもそも起きていることを悟られちゃいけない。


 チョークの拍子がまた変わる。心臓に向かっていたはずのものが、今度は喉の奥へせり上がってきた。あの栗のイガもまた、私の狭い喉をちくちく痛めながら、口を目がけて上ってくる。

 ここで動きを止めたら、ばれる。私は口を押さえながら、音を出さないよう。でもできる限りの力を振り絞り、布団の中へ這い戻る。どうにか掛け布団を掛けた時には、もう閉じた唇の裏から、針が突き出るのではないかと感じるほど。


 ――駄目だ。塞いだままだと、飛び出そうとする圧力に耐えられない。唇ごと持って行かれる……!


 私は手をどけ、思い切り口を開く。あまりにも長く、あまりにも大きいゲップが部屋に響き渡ったような、そんな記憶を最後に、私の意識はぼやけていく。


 翌朝。私が目覚めてみると、昨日、さんざん私を悩ませた、右足に端を発する痛みはない。青アザすら消えていた。あの、糸でつり上げるような胸への痛みも、突き破りそうな口内の圧迫感も皆無。

 だが、私の部屋は変わっていた。掛け布団、カーペット、カーテンに至るまで、すべては昨日まで使っていたのとは別物になっていたんだ。

 カーテンの下をのぞくが、もう革靴たちは見えない。ベランダにも確かにいなかった。

 ただ、窓の鍵近くのガラスに、やはりこれも昨日はなかった、小さな目張りがされている。そっと剥がしてみると、ピンポン球くらいの大きさの穴が開いていたんだ。

 その日も学校がある。狐につままれたような気持ちで登校し、朝のホームルームを迎える私。入ってきた担任の先生は、出席を取り始めたが、その履いている革靴。昨夜、ベランダで見た靴の一足と、まったく同じデザインをしていたように、私には思えたよ。

 どこか気味が悪くて声を掛けられなかったけど、その日の帰り際。私が教室を出ようとすると、その出口の影に先生が立っていたんだ。


「今日はすこぶる調子が良さそうだったね。しっかり寝といて、正解だったろ? 眠いといっても、空気を乱しちゃいかんよ」


 まるで会心の仕事を終えたような、屈託のない笑顔だったよ。

 

 

 


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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ!                                                                                                  近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[一言] せ……先生っーーー!(((;゜Д゜)))  「先ほど見た授業の研究」というのは、もしかして……。 お説教も慣れてしまえば右から左に……ですもんね。時には、きついお灸をすえたくなる場合もあるか…
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