第88話 記憶
リュオンがジェラルドと話す機会を得たのは、暫く経ってからだった。
現在サガスタ城の一室に、彼は身を置いている。リュオンが部屋に入ると、ジェラルドはベッドに横になっていた。傷は大分回復しているらしく、「お互い普通じゃないな」と彼は小さく笑った。
穏やかな光が窓から降り注いでいる。小鳥の鳴き声も聴こえて、何だかとても平和な世界みたいだ。
「これからどうする気だ?」
ジェラルドの問いに、リュオンはにこりと微笑んだ。
「何も考えてません」
その言葉に、ジェラルドは目を丸くした。リュオンはそれにクスリと笑う。
「冗談です。言える程用意できてないのは事実ですけど……でも、何とかします」
「彼らはどうしたんだ?」
その言葉にリュオンが首を傾げると、ジェラルドは言葉をつけたした。
「本当は、オルフたちは生きてるんだろ?」
リュオンは一瞬の間のあと、罰が悪そうに笑った。
「……ばれましたか」
「まぁな。血まみれで倒れてたって聞いたけど」
「あ、それ俺の血です」
ジェラルドは予想してただろうにリュオンの答えに冷たい視線を向ける。怪我がすぐ治るようになったから名案だったと思ったのだが、ディアンにも怒られた。血に見える他の物質について語ったところから、彼も少しずれている気はするが。
何にせよ、大方の人物は騙せた。リュオンは先程のジェラルドの質問に考えながら答える。
「彼らは、そうですね。一応裏で動いてもらうのを条件にしてますが、自由に逃げ出せるようにもしてます。オルフは少女と抜け出しましたよ」
少女の名は、ルカだ。オルフの身を案じていた姿を思いだす。他の仲間も彼らを応援していたんだろう。
リュオンの言葉に、ジェラルドは今度は呆れたというような顔をした。
「おいおい。そんなんでいいのか?いつか足元をすくわれるぞ」
「うーん、まぁそれは確かに。でもジェラルド様も、殺せなかったんですよね」
リュオンの言葉に、ジェラルドは気まずそうに目をそらす。
「良かったです。もしそうなってたら、俺は貴方を許せなかったから」
「……恨まれる覚悟だったよ」
リュオンはその言葉ににこりと笑う。だがジェラルドの表情は険しい。そうして、彼は迷いの末言葉を発した。
「……あの時、俺が迷わなかったら、王は死なないで済んだのかもしれない」
「父を殺したのは、俺ですよ」
リュオンのそれまでとは違う鋭い声に、ジェラルドの視線が彼に向く。
「サラを殺したのも、俺です。貴方に渡す気はありません」
「……そうか」
ジェラルドの言葉に、リュオンは笑顔で返す。彼はそれに、眉をしかめて尋ねた。
「ちゃんと、泣いたのか」
その問いが思いがけなさすぎて、リュオンは目をぱちくりさせる。ああ、そうか。
「……いえ。おかしいですかね」
「そんな事はないが。あれだったら胸貸そうか」
「え。ジェラルド様実はそういう」
「何馬鹿言ってるんだ」
真顔でのツッコミに、リュオンは吹き出す。ジェラルドはそれに、小さく息をついた。
「大丈夫です、泣きたくなったら泣きます。正直、まだ実感ないんです」
実際、まだどこか夢のような気がしている。
この世界にいつか、慣れるんだろうか。
*****
「じゃあ、行くわね」
城門近くに停めている馬車の前。
ローザはそう言って、リュオンとディアンの方を振り向く。後ろにはトラスが待っている。
リュオンはきょろきょろと辺りを見渡しながら尋ねた。
「エマさんは?」
「暇を出したわ。彼女も行きたい所がありそうだったから。トラスもオーセルに着いたら暫く休んでもらうの」
ローザの言葉に、トラスはぺこっと頭を下げる。彼には待っている家族がいたはずだ。
「そうか、それがいいかもな」
「うん。……元気でね」
「ローザ様も」
ローザはリュオンの返事に、にこりと微笑む。そうして、ディアンの方にも目を向けた。
「貴方も、ちゃんとしなさいよ」
ローザのその言葉に、ディアンは彼女の方を見る。何も言わないので、ローザはにやりと笑って尋ねた。
「寂しい?」
「そうですね」
「失礼ねー……へ!?」
予想外の反応に、ローザは面食らう。ディアンはそれに、小さく笑った。
「お元気で」
ディアンのその言葉に、ローザは眼を見張った後、少し寂しそうに微笑んだ。
「……貴方も」
*****
オーセルへと向かう馬車の中、トラスは目の前に座る主を見つめる。ローザはその視線に気付いてる様子もなく、移りゆく景色を見ている。
「有難うございます」
「ん?」
トラスのいきなりのお礼の言葉に、ローザは視線を彼に向ける。
「エマのことです。背中を押してくださり、有難うございました」
「……お礼言われる事なんてしてないわよ。2人には、迷惑かけっぱなしだったもの」
ローザはそう言って、恥ずかしそうに目をそらす。しばらく経って、小さく呟いた。
「でも少しの間だけよ。暫くしたらまた振り回してあげるから、せいぜい楽しみなさい」
「はい」
トラスは顔をほころばせながら答える。そうして少し迷った後、恐る恐る尋ねた。
「……良かったんですか?」
「?なにが?」
「ディアン様です」
トラスの質問に、ローザは嫌そうな顔をした。そうして気まずそうに言う。
「……良かったもなにも……今彼の頭の中はリュオン様とサガスタの事でいっぱいよ。それでいいと思うし、今はそうしていてほしいわ」
ローザのその言葉に、トラスは静かに頷く。残りたい気持ちもあったが、今自分は非力でしかない。だから。
「トラス、私もっと頑張るわ。政治とか外交とか全部ちゃんと勉強する」
今までよく分からなくて、ずっとただ、愛想振りまいてただけだった。でも、きっとそれじゃ駄目だから。
「頑張る」
ローザの宣言に、トラスは父のように優しく微笑んだ。
「大人になりましたね、ローザ様」
「……馬鹿にしてるでしょ」
トラスはそれにクスクス笑う。
「……一生、忘れないんでしょうね」
ローザはぼそっとつぶやく。
何に対しての言葉か、自分でも分からない。それでもきっと、忘れないんだろう。
馬車の景色に、ふと旅に出たばかりの頃の景色を思い出す。あの時は、逆方向に進んで行った。
「……そうか。オーセルには、来てないのよね」
そのつぶやきは、トラスの耳にも届かないほど、小さなものだった。




