第80話 自由
「なんかすごいガタンガタンいうけど、この船最高ね」
ローザは姫という面影はどこへやら、水浸しのドレスを絞りながらつぶやいた。それに大柄の男は嬉しそうに笑う。
「そうだろ!このザン様お手製だ!本当はノア様と俺専用なんだからな!感謝しろよ!」
「ザン、ちゃんと前見ろ」
「あ、はい、すみません」
完全に尻に敷かれている。ローザはまだ出会って少ししか経ってないのにこっそり確信した。
でも名前は聞き覚えがある気がする。聞いても、はぐらかされてしまったけど。
「それにしても、お前たちは運がいい。私たちが通りかからなかったら海のもくずになってたな」
そう言って、ノアという女性は微笑んだ。もくずって。ローザは心でツッコミながらも否定できず、これまでを思い出す。
港で偶然乗る船が見つかるまでは良かった。声をかけてくれた時は中年のおじさんたちが天使に見えた。しかし実際は悪徳な人たちで、どこかに売られそうになった。
全く美人はこれだから辛い。
「本当に、感謝しております」
エマは深々とお辞儀した。あの時結局大乱闘になった末、私たちは海に突き落とされた。この人たちが助けてくれなかったら、確実に死んでいた。
ノアがエマの肩にぽんと手を置き告げる。
「君たちが傷つかずに済んでよかった」
その言葉に、エマはほんのり顔を赤らめる。隣にいたトラスは冷めた表情をしながら耳打ちした。
「女性ですよ?」
「なっ!?分かってるわよ!」
そのやりとりにローザは呆れたが、ノアは楽しそうに声を出して笑った。
「それにしても、君たちは本当に変わっているな。今北大陸に行きたがるなんて」
「貴方たちもでしょ?」
「まぁ、そうだが」
「会いたい人がいるの」
ローザは、遠く離れた人たちの事を思い出す。父も大嫌いな姉たちも、無事でいてほしい。
そして、あの3人に会わないと。
「早く、会いたいな」
ローザは誰に言うでもなくそう呟いた。
船が出す大きな音が響き、その声は海風に流れた。
*****
誰もいなくなった部屋で、サガスタの現国王ゼネスは、窓の方を向き椅子に深く腰掛けていた。王の威厳も何もない、だらけた姿でうずくまる。張りのあるその椅子は、しずむ事もうまくできない。
天井を見つめ、さっき出て行ったその姿を思い出す。
どうしてだ。
ずっと、言わないでいたのに。
もう終わりだ。
後悔が頭をうずまき、どうしようもない。ふと、知らぬ気配が空気を震わす。振り返らずとも、誰か分かった。
「期限はどうした?」
背後の気配は、声をかけるとぴたりと止まった。
「……先に破ったのは、そちらです」
その声を聞いたのは、久しぶりだ。前は少しくぐもって聞こえたが、今ははっきりと聞こえる。
「よくここまで辿り着けたな」
「門は、開けてもらいました。後は、昔リュオンが楽しそうに話してた秘密のルートを使いました」
その言葉に、ゼネスは笑みをこぼす。門番は、裏切った。まぁ仕方ない事だ、誰だって命は惜しい。
そうしてリュオンも馬鹿だ。幼い時から獣に恋し、こんな危ない事まで教えるとは。
「降伏、してくださりませんか?」
化け物は、一歩ずつ、近づいてくる。だが、まだ後ろを振り返りたくはない。化け物は構わず話し続ける。
「兵が森に向かってるのはご存知ですよね?このままでは、無駄に死人を増やします。貴方が今ここで降伏をすれば、終わる戦いなんです」
何を言ってるんだろう、降伏しても、所詮は地獄だ。こんな化け物と共存する世界なんて、誰が望むのだろう。
「王様だって、死にたくはないはずです。今決めてくれたら、殺しはしません」
「……ははっ」
思わず声が出た。おかしい。何を言ってるんだろう。一体私の何を知って、そう言うのだろう。
振り返ると、化け物は驚いた表情をしていた。その時、自分が化け物すら驚く程奇妙な行いをしてる事に気づく。
でも、仕方ない。
「私が死にたくない?笑わせないでくれ。一体誰がそんな事言った?」
どす黒い感情が、止まらない。一度たかが外れると、もう戻せない。
「私は、リアのいない世界なんて何も未練がなかった!実際に死のうとした事だってある!でも皆が、死なせてくれなかったんだ!!」
王だからと、たくさんの思いに応えて生きてきた。懸命に、生きてきた。でも時々考える。それは一体、何のためなのか。手に顔をうずめつぶやく。
「これでまだ息子が可愛ければ、生きる気力がわいたのに……」
「……リュオンが聞いたら、悲しみます」
その言葉に、化け物の方を向く。化け物は本当に辛いとでも言いたそうな顔をしていた。
「リュオンは、お父さんが大好きだから」
「……はははっ馬鹿を言え。選ばれた方の優越感か?」
「え……」
「あいつは、お前を選んだんだ。苦労して育てた俺より、化け物のお前をな!」
そうだ。私は悪くない。全部全部。
「そんな事ない。リュオンが旅に出たのだって本当は……!」
目の前の化け物の言葉が止まった。この行動は予想外だったんだろう。驚いているその表情に、満足して笑みがこぼれる。
身を護る為にと、幼い頃に渡された物だった。でもそれは生きるにつれどんどん重荷になっていた。だから今、満足している。
やっと、自由になれた気がした。
*****
その瞬間、サラの顔にぬるい液体がかかった。ゼネスの、血だった。
彼は自分の腹にナイフを刺し、引き抜いていた。
「!何をして……!!」
床に倒れこんだゼネスを咄嗟に抱えようとして、慌てて手を引っ込める。そうしてるうちに、ふかふかの絨毯の上に、赤黒い血が流れていく。
「そんな、どうして……!!」
どうしても何もない。私が来たからだ。彼を非難する資格は、私にはない。
でも、だって誤解してる。
森にいた頃、リュオンは色んな話をたくさんしてくれた。中には嘘も混じってたけど、父親への尊敬の念は本物だった。
それなのに。
流れ行く血を見ながら、王の顔を見る。
あんなひどい死に方をしたのに、表情は穏やかだ。ずっと、苦しんできたんだろう。最後まで、苦しめてしまった。
私は、最低だ。
ふと、気配がした。ドアの方を振り返り、心臓が凍りつく。
そこには、リュオンがいた。




