第79話 答えは分からない
ジェラルドは傷を負ったまま、小屋に放り込まれた。木で作られたその小屋は中に何もなく、光もない。ジェラルドはこれからどうするべきか思案する。
「痛みますか?」
ふいに聞こえたその声に、ジェラルドは驚き目を見開く。ドアの側に、サラが立っている。
「まぁね。でも思ったより傷は深くないよ。俺は少しなら回復魔法も使えるから、安心して」
サラは何も言わず、ドアの側に立ったままだ。ジェラルドはそんな彼女に、にこりと笑いかける。
「驚いたよ。ここに来ていいのかい?オルフに怒られるんじゃないかな」
「大丈夫です。オルフは今それどころじゃないから」
「へぇ?」
「人間が、この森に押しかけてくるんです」
サラは淡々とそう告げる。ジェラルドはサガスタの王たちの姿を思い出す。全くせっかちだ。
「ジェラルド様」
「ん?」
「その瓶は、なんですか?」
サラの言葉に、ジェラルドはにっこり微笑んだ。
「何も持ってないけど」
「隠してもだめです。それ臭いますもん」
「え、うそ」
「人間にはわからないと思います」
その言葉にジェラルドは苦笑し、瓶を取り出した。中には、赤く透き通った液体が入っている。
「これは、君に飲んでもらいたくて持ってきたんだ」
「毒ですか?」
「近いけど違うかな。これはね、人間になるための薬だ」
その言葉に、サラは目を丸くした。そうしてまじまじと瓶を見つめる。
「うそ」
「嘘じゃないよ。覚えてるかい?セナのことを」
「……覚えてます。とても、素敵な人でした」
セナとは、ジェラルドの従者であり、獣の耳をもつ女性だ。彼女は人と違う姿をしていながら、その中で生きようとしていた。
「じゃあこれも覚えてるだろ?彼女が何故あの姿になったのか」
「……獣の血を、飲んだから」
そこまで言って、サラは瓶の中に入っているものが何か確信した。
「じゃあそれは……」
「ああ。人間の血と少し薬を混ぜているものだ。抵抗はあるだろうが、これを飲めば君は…」
「変なこと言わないでください。セナさんは言ってました。一緒にいた獣は、人間の血を飲んで死んだって」
そう、この世界で他者の血を飲むことは禁忌だ。身を滅ぼしかねない、毒薬である。
「サラさん。君は、何故自分が触れたら人間が死ぬか考えた事があるかい?」
「?私の体に毒があるから…」
「そう、君は人間から身を守るため毒を持っている、外側にね。でも、内側は弱い。体内に人間の成分が入れば、その毒は効力を失う」
ジェラルドの言葉に、サラは瓶を見つめる。
「もちろん、悪い事もある。君はきっと、魔力を失ってしまうだろう。生まれ変わる事もできないかもしれない」
ジェラルドは、床に瓶を置く。サラはそれから、視線を離せない。
「君の一番の願いは、なんだい?」
まるで悪魔が優しく囁くように、ジェラルドはサラに尋ねる。サラは瓶を見つめながら、小さく呟いた。
「私の、願いは」
「王よ、早まるな」
その声に振り向くと、オルフがドアを開け立っていた。後ろには、ルカの姿が見える。
「そいつは嘘をついて、お前を殺そうとしている」
オルフの言葉に、サラは呆然と瓶を見下ろす。オルフはその瓶をつまみあげ、そうして床に投げ落とした。ガラスが割れ、中の液体は床に流れていく。
「ひどいなぁ」
ジェラルドの言葉に、オルフは彼を睨みつけた後、サラの方を向いた。
「王。魔法使いや衛兵が、大勢こっちに来ている。……覚悟は、決めたな」
サラはオルフを、じっと見つめた。そうして静かに頷く。
「……ジェラルド様。有難うございました」
サラはそう言うとお辞儀をし、その場を離れた。
「何をする気だ?まさか、皆殺しにする気か?」
「お前たち人間と一緒にするな」
「でも、今のサラさんの表情……」
ジェラルドの言葉に、オルフは答えない。簡単な事だ。一番犠牲が少なく済み、簡単に国を取る方法。
サラはそれをずっと、やりたがらなかった。でももう、人間たちの答えは分かった。
「ジェラルド。お前らしくないな。もう少しまともな方法をとると思っていた」
流れていく液体を見ながら、オルフはつぶやく。この毒薬をうまく使えば、サラを殺せたのに。
「…そうだな、俺らしくない」
「お前も結局は甘いな。そこで見てるといい。国が壊れるさまを」
ジェラルドはその言葉に、オルフの言葉の意味が分かった。衛兵や魔法使いは、この森に向かっている。
「まさか……」
オルフはジェラルドに、優しく微笑む。
「お前は人質だ。…そして、おとりでもある」
「城が手薄のうちに、王を殺す気か。それをサラさんに……王は、リュオンの親だ」
「あいつが決めた事だ。サラにとってはさっき死ねた方が楽だったかもしれないな」
「……お前は、狂ってるよ。こんな事して、何になるんだ」
ジェラルドの怒りを含んだ声に、オルフは冷たい声音で答える。
「全ての元凶はこの国から始まっている。それを壊さないと、何も進まない」
その言葉に、ジェラルドはもう何も言えなかった。壊して壊して、そうして一体、何が残るのか。
*****
「リュオン様!」
ディアンは、咄嗟に主の腕を強く掴んだ。リュオンはそれに、走っていた足を止める。
「……ああ、すまない。ディアン、無意識に走ってしまってた」
リュオンはそう言って乾いた笑いを浮かべるが、ディアンの表情は心配そうに彼を見たままだ。
「大丈夫だ、うん。仕方ない。俺はこんなだし、父上を不安にさせるような事ばかりしていた。ここまで育ててくれたんだ。感謝しないといけない」
そう自分に言い聞かせる。そうしないと、もう立っていられそうもない。
「リュオン様……」
「なぁ」
その声が聞こえたと思うと、ディアンのローブの裾に隠れていた小さな魔物、通称まんまるが顔を出した。
「どうした?」
「近いんだ、気配がする」
その表情はいきいきとしていて、リュオンは察した。
「ああ……サラの事か。森にいるからな、急がないと……」
「違う。近づいてきてるんだ」
「近づいて……?」
*****
「皆行っちまったな。ザプトのやつ、大丈夫かな」
サガスタ城の門番のヘリーは、もう一人の門番ヨハンに話しかけた。森に向かった仲間が心配で、思わず彼に同意を求めた。
「私語はやめろ。勤務中だぞ」
しかし、生真面目な相棒はいつもこう答える。この状況で喋らない方が無理がある。ヘリーはため息をつき、姿勢を正し前を向いた。すると、門に近づいてくる影が見えた。若い女のようだが、ローブのフードを深く被っていて、顔がよく見えない。
女は彼らの前で足を止めると、静かに告げた。
「死にたくなかったら、門を開けてください」
いきなり出た物騒なセリフに、ヘリーはビクっと体を震わせる。対して心強い相棒ヨハンは淡々と返す。
「用件は」
「言えないです」
「紹介状か、何か身分を証明するものは」
「ないです」
「ならば、お通しする事は出来ません。お帰りください」
「……分かりました」
そう言うと少女は、静かにフードに手をかけた。
瞬間、門番二人は息をのんだ。
銀髪の髪と、ガラスのような赤い瞳。獣のような耳を持つその姿。
それは、聞いていたグルソムの王の姿そのものだった。彼女は2人を見て、真っ直ぐに問う。
「王に会いたいんです。通してくださいませんか?」




