第78話 壊れた幻
サガスタの現国王、ゼネスは部屋の窓から外を眺めていた。そこには、重そうな鎧を身に着けた衛兵たちが連なって城を出て行く姿が見える。
王としてしっかりとしなければいけないこの状況の中、ゼネスの心は宙に浮いていた。ずっと、優しい笑顔が頭をかすめる。
もう、おぼろげにしか思い出せないのに、その笑顔はゼネスにとって今も一番大切だ。
「リア……」
もういないその者の名を、ポツリと零す。
彼女を殺したのは、何だったのか。父を信頼していた自分か。それとも。
「陛下!」
扉の向こうから、衛兵が呼ぶ。答えたくはないが、彼の声からは焦りがみえる。
「なんだ」
「リュオン様が……お戻りになりました!」
その言葉に、宙に浮いていた心が途端に重くなった。
「父上!」
その者はそう叫び、部屋に入ってきた。側には、ディアンがいる。
「すみません、戻るのが遅くなってしまい……」
本当に申し訳なさそうにそう言う姿を、ゼネスは呆然と見る。その姿は、相変わらず美しい。衣服はボロボロなのに、その姿はどこか神秘的だ。その綺麗な銀髪も、澄んだ水色の瞳も、何もかもが自分にも大切な人にも似ていない。
ああ、だから手放したくなかったんだ。もう愛し方が分からない。目の前の少年を見て、何も愛情がわいてこない。彼の話す言葉も、すべて耳を通り抜ける。
一度失われた感情は、戻すことは難しい。
気づかないで、いたかったのに。
「衛兵たちが、サラたちがいる森に向かっていると聞きました。止めて頂けませんか」
その言葉に、ゼネスの思考は現実に戻される。
「止める……?」
「今彼らを刺激するのは危険です。俺が話に行きます。だから待って」
「馬鹿めっ!!」
自分でも気づかぬうちに、大声をあげていた。リュオンもびっくりしている。やめなければいけないのに、言葉が波のように溢れ出す。
「あいつらがしている事を分かってて言ってるのか!?人を殺し、国を壊そうとしてるんだぞ!それなのにお前は、どうしてそんな呑気な事が言えるんだ?まだあの獣が好きだなんて、馬鹿な事を言うのか!?」
「それは……」
リュオンは困惑している。無理もない。自分の顔は今、きっとひどく歪んでいる。ゼネスはたまらず、視線を床に向けた。リュオンが迷いながらも、近づく気配がする。
「父上、俺は」
「近づかないでくれ!!」
その言葉に、リュオンの歩みは止まる。
もうだめだ。言葉が、どうしようもなく溢れ出す。
ゼネスは目の前で呆然としている少年を見つめ、静かに呟いた。
「……お前はやっぱり、化け物なのか……」
*****
父であったその人は、自分を見て呟いた。
やっぱり、ばけものなのか。
彼が次の言葉を紡ぐ前に、リュオンは急いでその場を飛び出した。廊下を走る自分を、城仕えの人々が遠巻きに見てヒソヒソ話しているのが分かる。ここに来るまでの道のりも、ずっと似た視線をあびてきた。誰も自分に危害を加えないのは、恐怖の為だ。
その視線も、辛くなかったといえば嘘になる。でもそんな視線より、さっき見た父の顔が頭から離れない。
いや、父なのだろうか?
ジェラルド様は言ってくれた、俺は間違いなく2人の子供だと。だがそこには明らかに、外部の血が流れている。
本当は、分かっていた。
この事実を、一番嫌うのは誰なのかも。その事をその人が、気づかないようにしていたのも。
ずっと、ずっと。
俺を一番怯えた目で見ていたのは、父だった。




