第71話 道しるべ
リュオンは、アイルや衛兵たちの目の前で、魔物が繋がれていた縄を切った。そうしてその手で、魔物を受け止める。
「何をして……!」
衛兵が剣の柄に手を掛けながらそう叫び飛び出そうとするのを、アイルが右手をあげ制した。
「間違っている……か。なるほど、やはり君は……魔族の仲間なんだな」
どこか憐れむように呟かれたその言葉に、リュオンは眉間に皺を刻む。アイルはゆっくりリュオンの側に近寄ると、淡々と告げた。
「グルソムは、北大陸を人間から奪うつもりだ」
「?奪う……?」
「ああ。魔法使いオルフがグルソム側の立場で北の王たちに告げた。死にたくなければ一ヶ月以内に北大陸から出て行けとな」
アイルの言葉が飲み込めない。
オルフとは……旅のはじめに出会った魔法使い。彼は、サラの呪いを解くためのヒントを教えてくれた。
その人が、なぜここで出てくる?
それにあの人は……
「何かの間違いだ。だってあの人は、魔族を倒した魔法使いの弟子だって」
「彼の真意なんて分からないが、師の教えに弟子が背くなんて良くある事だ。しかし、人間全体を敵にまわすとはな」
「そんな……」
「北大陸は、血の海になるだろうな」
アイルの瞳は揺るがなく、リュオンを見ている。その事からも、彼女が言っている事は嘘でないと分かる。
リュオンは魔族を手に抱えたまま、来た出口に向かい走り出す。
「どうする気だ?」
「決まってる。やめさせます、そんな事」
「今から北大陸に向かう気か?悪いがそれは無理だ」
アイルの冷静な声に、リュオンは段々焦りが募る。
「今この地に魔法使いはいないのは事実だ。唯一魔法が使えたジェラルド王ももうこの地を出た。船に運良く乗れたとしても、間に合うはずがない」
「なんでですか、一ヶ月あればもしかしたら……」
「ジェラルド王が行っている。彼はグルソムは既に北大陸にいるはずだと言っていた。見つけ出すのも、時間の問題だ」
リュオンは、アイルの言葉に昨夜のジェラルドの姿を思い出す。彼は、何をするつもりなのか。
気づいたらリュオンは駆け出していた。
「リュオン様!!」
「いい、追うな」
アイルが、追って来ようとした衛兵たちを制止し、冷ややかな声で告げる。
「どうせ、彼は何も出来ない」
遠くからその言葉が聞こえ、リュオンの中にはやるせない思いが沸き起こる。前を見ずに、ただ道を走り続ける。城は広い。誰もいない暗い道が、延々と続く。
「おい」
なんで、ジェラルド様は教えてくれなかったのか。分かってる。
俺が、中途半端だからだ。
姿とか、血とかそれだけじゃない。
俺は、覚悟も自分の気持ちも、何も分かっていない。だから
「おいガキ!聞いてんのか!!」
その言葉に、思考が現実に戻る。見ると、知らないうちに握りしめていた丸い生物が、バタバタ動いていた。
「何勝手に抱えてんだよ!」
「ご、ごめん。だって君あのままじゃ、死んでたよ」
「うるさい。それより離せ。さっきから矢が刺さってるところが痒いんだ」
リュオンが慌てて離すと、その丸い生き物は自分に刺さった矢を躊躇う事なく引き抜く。その際飛び出た血にリュオンは悲鳴をあげそうになるが、その傷口があっという間に塞がっていくのを見て呆然とする。
「分かったか?俺はこれくらいじゃ死なねぇ」
リュオンはその言葉に何も返せず、ただ呆然とその魔物を見つめる。すると魔物は居たたまれなくなったのか、お腹の辺りを両端二つの触角でおさえながら、もぞもぞ言った。
「……まぁ、あのまま火に落ちてたらさすがに死んでた。だから、癪だが礼は言う。ありがとな」
そう言ってぽよんぽよん跳ねて去って行こうとする魔物の触角を、リュオンは慌てて掴む。
「待って!」
「ぐぇっ!!」
「教えてほしい。君は、サラについて何か知ってるのか?」
「だから知らねーよ!知ってても、誰がお前みたいな半人前に教えるかよ」
その言葉に、リュオンは寂しそうに顔を歪める。
「そうか……君から見て、やっぱり僕は半人前なんだ」
「まぁな。オマケに、嫌いな奴にすごい似てる。お前、あのろくでもない奴の子孫だろ。なのに何でそんな色してんだよ」
魔物は遠慮なしに、ズバズバと告げてくる。リュオンはそれに、首を振った。
「分からないんだ、俺は何にも知らない」
「分からないだぁ?お前、自分の事も分からないのかよ。本当に半人前だな」
「だから、教えてほしい。魔族のこと、北大陸のこと。サラに……何があったか」
リュオンはそう言って、頭を下げた。魔物はぽりぽりと毛をかく。
「俺は、あの頃はまだ生まれたばかりだった。だから、何も詳しい事は覚えちゃいない」
「……そうか……」
リュオンはそう言って、魔物の触角から手を離した。
「ごめんね、引き止めて。じゃあ」
戸惑う魔物に微笑みかけると、リュオンはその横を通り過ぎ歩き出した。
暗い道には、何もない。このままこの階をさまよい続けても、何もない。
かと言って、部屋に戻る気も起きない。
これから、どうしたら良いのか。
「俺も、驚いてるんだ。グルソムが北大陸に攻め入るって聞いて」
その声に振り向くと、小さな丸い魔物がリュオンの足元についてきていた。
「サラ様は、お優しい方だ。こんな事、本当に望んでるなんて思えない。それに、俺自身も、争うのなんて嫌だ。この前みたいに、仲間がいなくなるのは辛い」
この前というのが、ゴーテラでの惨事だとすぐ気付く。あの地では、魔物たちがひっそりと暮らしていた事を思い出す。
「俺は、サラ様を励ました。でも俺じゃ、駄目だった。俺は、魔物だから」
なぁ、と魔物は問いかける。
「お前なら。あいつに似てるお前なら……サラ様を、救えるのか?」
リュオンは言葉に詰まった。魔物の目は、真っ直ぐだ。
「分からない」
リュオンの言葉に、魔物は目をぱちくりさせる。そうして、ふっと笑った。
「お前は分からないばっかだな。でも、まぁ……なぁお前。北大陸に行きたいんだろ?」
今度はリュオンが目をぱちくりさせる。魔物は丸いそのお腹を前に出し、ニヤリと笑った。
「俺が、連れて行ってやるよ」




