第70話 間違ってる
西大陸にあるユーラン国、その国王であるアイルは、部下を連れて歩き、やがて一つの部屋に辿り着く。
「中には、私1人で入る」
そう部下に告げると、アイルはドアを開け、中に入った。
「アイル様……!?」
部屋にいた彼女ーーイリスは、アイルの姿を見ると驚き起き上がろうとした。しかし、傷が疼いたのか苦しそうに顔を歪める。
「いい、寝ていろ。どうだ?調子は」
「有難うございます。あの……本当に、申し訳ありませんでした」
彼女の目には、涙が溜まっていく。その涙が流れるのを拒むように、堪えて震える声が続く。
「皆に、心配かけて……その上、こんな事に……」
アイルは、震えている彼女の肩に優しく触れる。そうして、何も言わなくていいと告げたくて首を横に振る。
「すまなかった。お前の夫も、仲間にも」
イリスの目から、涙が零れ落ちた。夫と、呼ぶべきではなかったか。彼女は、亡くなったイーザの許婚だ。
アイルは、国内を巡回する中で、彼らの部族とも交流があった。イーザと彼女は、これから部族の中心となるはずだった。
それを、グルソムの王はたやすく奪った。どれ程の悲しみがあっただろう。彼女は、その小さな体で大切な人の仇をとろうとした。
しかしその思いは破れ、そうして自分のせいで仲間を傷つけた。
何故、こうなった?
彼らに罪など、なかったはずだ。
グルソムという奴らは、彼らの運命を狂わせた。幸せに、過ごしていた人々を。
その上今度は、北大陸を奪うという。泣きじゃくる娘の頭を撫でながら、アイルの心には言葉にならない黒い思いが渦巻いた。
*****
「え、帰った……?」
リュオンは、目の前にいるアイルの言葉に、思わず聞き返す。ユーラン城の一室。リュオンたち5人は国王アイルに呼び出されていた。彼女は頷き答える。
「ああ。ジェラルド王は、リセプトに戻られたよ。何やら急いでたから、挨拶は出来なかったが、皆によろしくと言っていた」
急ぎ……リセプトで、何かあったのだろうか。
「どうしますか?リュオン様」
隣にいるディアンの問いに、リュオンはつまる。ここに来たのは、サラがいると聞いたからだ。今はもう、この国にいるか分からない。
ここにいても、迷惑になるだけだ。
「帰るしかないな。北大陸に向かおう」
「残念だが、それは無理だな」
「え」
アイルの言葉に、リュオンは思わずそう呟く。
「北大陸に向かう道は、今国民がストライキを起こして通れない。それにお前たちの姿は目立つ。今出たら、グルソムと勘違いして襲われるかもしれない」
「魔法は?ここに来た時みたいにパパッと!」
ローザのその言葉にも、アイルは首を横に振る。
「悪いが、今この国には移動魔法を使えるような魔法使いはいない」
「そんな、じゃあどうしたら……」
ローザがそう言うと、アイルは穏やかに告げた。
「気にするな。暫くここに居るといい」
「でも……」
リュオンは、昨日自分の姿を見て怯えていた人の顔を思い出す。城の中にだって、自分の事をよく思わない人はいるはずだ。
「案ずるな。お前たちが悪い奴でない事は、見てたら分かる」
その言葉に、リュオンは困惑する。有難いが、良いのだろうか。このまま、ここにいて。
「北大陸への道が開けたら、すぐに連絡する。それまでは、ゆっくりしてろ」
アイルはそう告げると、部屋から出て行った。残された5人は、呆然と立ち尽くす。
「動けないんじゃ仕方ないですよ。ここは待ちましょう」
「そんな!こうしてる間にもサラはどっか遠くに行っちゃうかも……!」
エマとローザのやり取りを、リュオンは黙って聞く。
言うべきか。昨日、サラに会った事を。迷っていると、ディアンが口を開いた。
「今は、動かない方が得策です。アイル王にも、いらぬ迷惑がかかるかもしれません」
「うー。分かったわよ」
「と言うよりローザ様は、オーセルに行く心の準備をしていた方がいいかと。王様怒ってますよ」
トラスの言葉に、ローザは真っ青になる。そう言えば、彼女は黙ってこの旅について来たんだった。
リュオンは、今は側にいない黒い獣を思い出す。
旅に出た時、こんな未来が来るなんて、夢にも思わなかった。
*****
夜、眠れずに目を覚ます。
何だろう。血が騒ぐ。気分が悪い。昨日ジェラルド様と飲んだ酒が、今になって効いてきたのか。
リュオンはトイレに行こうと、横に置いていた短剣を上着に忍ばせ立ち上がる。
部屋から出ると、廊下は燭台が灯ってはいたが暗く、冷たかった。リュオンはトイレに向かおうとしたが、ふと城下の方に何か悪寒を感じた。
知らず、静かに暗闇の中の階段を下りる。
そうして、暗い石造りの廊下に辿り着いた。どこからが、音が聴こえる。その音に向かっていこうと、歩き出した時、後ろから声を掛けられた。
「どうしました?リュオン様」
振り返ると、衛兵が1人そこに立っていた。
「あ、すみません。ちょっとトイレに行こうとして……」
「そうですか、ここにトイレはありませんよ?」
「え、いや……」
「迷われたのでしょうか。一緒に戻りましょう」
その時、何かが叫んでる声が聞こえた。
「今、何か声が……」
「気のせいです。さぁ、リュオン様」
リュオンは衛兵が掴もうとした手をかわし、廊下の奥へ向かう。そこには、一つの重い鉄で出来たドアがあった。
押すと、リュオンの目には、一匹の小さな生き物がうつった。その生き物は丸く、全身を毛で覆っている。
そうしてその生き物の向かいには、衛兵たちが数人と、アイルの姿があった。
「リュオン」
「な、何ですか、これは……」
「ああ、魔族だよ。気にする事じゃない。部屋に戻りなさい」
そんなの、無理に決まってる。
その生物は、縄できつく縛られた姿で吊るされ、宙に浮いている。体には、無数の矢が刺さっていて、下には赤く揺らめく火が見える。さっき自分が聞いたのは、恐らくこの生き物の悲鳴だ。
「そうじゃない。何でこんな、ひどい事……」
「こいつは、グルソムの居場所を知っている。だから、言わせようとしているだけだ」
グルソムの居場所……?
「俺は、何も知らねー……知ってても、誰が人間になんか教えるもんか」
生き物は、辛そうな声ではあったが、そう強い意志で告げた。生きていた事に、リュオンは驚き目を見開く。
その様子に、アイルは微笑む。
「ほら見ろ。こいつらはこんな事で死にはしない。だから、人間を簡単に傷つけられるんだ」
その言葉に、頭を殴られたような衝撃を感じた。アイルは、優しい王だ。それは今まで見てきて、嘘でない事が分かる。
彼女は、怒ってるんだ。
無理もない。
だけど。
リュオンは、短剣で生き物を縛っている縄を切り裂き、生き物を抱えた。
「!?何をする!」
アイルはそう叫んだが、振り向いた少年の瞳に、言葉を失くす。彼は水色の冷たい瞳で、真っ直ぐにアイルを見て告げた。
「こんなの、間違ってる」




