第69話 小さな少年
城の人通りが少ない廊下の柱の陰に、ローザとディアン、2人の姿がある。ローザは辺りに人がいないのを確認すると、本をディアンに差し出した。
ディアンはその本を受け取り、ローザが頁を言うのに従いぱらぱらめくる。そこには、ディアンの主リュオンに似てる、しかし違う姿がそこにいた。ディアンはそれを、無表情で見つめる。
「驚かないのね」
ローザに言われて、顔をあげると不機嫌そうな顔が見えた。彼女は腕を組んで、臨戦態勢だ。
「貴方やっぱり、知ってたんでしょ?」
「何をですか」
「グルソムとか、それにまつわる話のことよ」
黙って答えないでいると、ローザの表情はより剣呑さを増していく。ディアンはため息をつくと、答えを返した。
「……かつて魔族がいた事や、それを倒した英雄がいた事は知っていました。リュオン様に仕える前は、色んな地を旅して来ましたから」
「剣の事も、知ってたじゃない」
まだ覚えていたか。
ディアンは、心の中でため息をつく。
かつてオディアスの翼というグルソムしか操れない剣をローザが手にした時、ディアンは咄嗟にかばってしまった事があった。ごまかしたつもりだったが、駄目だったか。
諦めて、正直に告げる。
「知りませんでした。ただ、あの剣はすごい魔力を持っていました。だから、やめろと言ったんです」
「魔力……?貴方、そういうのも分かるの?」
ローザが目を丸くする。ディアンはすぐに、正直に話した事を後悔する。
「前から思ってたんだけど……」
ローザはそう言って距離を縮ませると、ディアンをひたすら凝視する。その視線に、ディアンは嫌な汗を感じた。
ローザはそんな彼の様子に気づく事なく、真顔で問う。
「貴方、魔法使い?」
「……は」
想像しなかった単語が出てきて、ディアンはぽかんと口を開けた。対してローザは、嬉しそうに喋り出す。
「やっぱりそうね!?前から怪しいと思ってたのよ。傷は治癒魔法で治してたのね!」
そんな自信満々に言われても。
ディアンはどこか、拍子抜けした。
「リュオン様は、知ってるの?」
「……直接、聞いた事はありませんが、恐らく何か察しているとは思います」
初めて会った時から、リュオンは聡い所があった。恐らくもう、彼自身の出自についても、ディアンについても何か気づいているのだろう。
「……これから、どうなるの」
ローザのその問いは、ディアンに告げられたというより、独り言に近かった。
ディアンは先程出会ったノアの言葉を思い出す。何故彼女は、自分を仲間に誘ったのか。
*****
「小さい……?」
エマは、トラスと共に戻ってきた衛兵たちへの食事の給仕を手伝っていた。そこで衛兵たちの言葉に、思わず食器を片付ける手を止める。
衛兵の1人が、水を飲みながらエマの呟きに答える。
「ああ。彼らの話では、たった1匹の小さなグルソムが皆を次々に切り裂いたらしい」
「おっかねぇな。手下が潜んでたとは、やる事が下衆い」
「あの、その子は……!その子の姿は……!?」
「あ?だからさっき言った通りだ。学者が言う通り、水色の瞳に銀髪。黒い獣の耳だよ」
小さくて、水色の瞳。
エマは食事を終え去りゆく衛兵たちに、何も言えずその場に立ち尽くした。
食器を持って厨房に戻ると、トラスが洗い場に立っていた。
「エマ」
彼はそう言って、自分の名を心配そうに呼ぶ。彼の耳にも、先ほどの話は伝わっているのだろう。エマは何も言わず、彼の隣に立ち食器を洗い始める。
「……今日はもう休んだら?もともと自分たちが勝手に手伝ってるんだ。具合が悪いなら……」
「シアンは、魔族だったのね」
エマが発した言葉に、トラスは言葉を返さず、気まずそうに頷いた。
シアンとは、エマたちがローザを追う道中で遭遇した白装束の兄弟の弟。シアンというのはエマがつけた呼び名で、本当の名は分からない。
「エマ。君の初恋の、人って……」
トラスは、気まずそうに尋ねる。彼には、何度も話した事があった。
もうずっと小さな頃。旅先で孤立していた私を、助けてくれた。小さな少年。その瞳の色は、とても綺麗な水色だった。
気のせいだと思ってた。だって、もうあれから何年もたってるから。きっともう初恋の人は、立派な青年になっていると思った。だから、彼らと出身が同じ人じゃないかと思った。
時々感じる不思議な感覚も、気のせいだって。
他人の空似だって。
それなのに。
ねぇシアン。
貴方は、私を助けてくれた。
それなのにどうして。
どうして、人を傷つけたの?




