第67話 間を生きる者
痛い。
やめて。
そう叫んでも、男はぶつのをやめなかった。それどころか、力はどんどん増してくる。
「一体何が問題なんだ?お前の傷は、すぐ治る。その力は、何のためにあると思う?」
男の声は優しく尋ねる。
何て言いたいかは分かってる。でも、それに答えたくはなかった。
「分からないのか。本当にバカだな、お前は」
答えないとまた来る。そう思っても、答えたくない。
認めたくなかった。自分だけは。認めたく、ない。
こんな人間のために、自分は生きてるなんて。
男の腕が、高く振り上げられる。
その光景をただ、呆然と見つめた。
*****
ディアンは水汲み場で、バケツにたまっていく水を見ながら、気付けばため息をついていた。
これから、一体どうなっていくのか。
主であるリュオンの顔は、ずっとさえない。こういう時に、なんて声をかければ良いのか。
昔から、ずっとそうだ。
彼に助けられた分だけ自分も返したいのに、声をうまくかけることも出来ない。
「よっ!」
後ろからすごい力で肩を叩かれ、ディアンは何事かと後ろを振り向き、目をみはった。
「……貴方は……」
「久しぶり」
そう言って、大柄の男は人懐こい表情で笑った。彼は、以前島で迷っている時に助けてくれたり、リュオンの治療もしてくれた人物。確か名前は……
「ザン様……?」
「わっすげぇ、覚えてくれてたんだ!でもザンでいいよ、鳥肌たつから」
そうしてまたニコニコ笑う。ディアンは、彼の後ろに立つ影に目を向けた。
「その方は」
「ああ、ノア様だよ。ノア様、こいつがディアンです」
そうザンが言うと、彼女はディアンに向かって優雅にお辞儀をした。薄茶の髪が、さらりと揺れる。
「はじめまして、ディアンさん。ザンたちから話は聞いてるよ」
たち?ディアンは、ノアの言葉に疑問を抱く。目の前の女性は、にこりと微笑んだ。
「私の名前はノア。ザンと同じ、ローレアのシーザ族の出身だ」
「ノア様は、族長なんだ!」
「元な、元」
どこか誇らしげに言うザンの言葉を、ノアは淡々と訂正する。
「何故、貴方方がここに……?」
「ああ、仲間にならないかと誘いに来たんだ」
「仲間?」
「そうだ。……ここは危険だな。少し、向こうの方へ行かないか?」
ノアはそう言って、皆がいる家とは逆方向の裏路地の方を指差す。ディアンはそれに、訝しながらもついていく。
ようやく水汲み場が遠く見えない位置まで来た後、ノアは再びディアンの方を振り向き答えた。
「私たちは、グルソム側の人間なんだ」
グルソム側……?予想していなかった言葉に、ディアンは目を丸くする。
「だから、良ければディアン、君もこっちに来ないかと思って」
「待ってください、どうして私を」
「君は、私と同じだろう?」
ノアは、そう言ってディアンをじっと見つめる。
「一緒……?」
「ああ、私はずっと、自分と同じ存在はいないと思っていたんだ。だから、会えてとても嬉しい」
「何が言いたいか分かりません」
「お前は、私と同じでただの人間ではない」
「……何を言ってるのか」
そう言って、ため息をつく。
「申し訳ないが、お断り致します。帰ってください」
そう言って、戻ろうと歩き出すと、後ろから声がかけられた。
「貴方の事は、少し調べさせてもらった。過去に何があったかも、知っている」
ノアの言葉に、ディアンは足を止める。
「知ってるか知らないが、貴方が受けたような事を、魔族たちもずっと受けてきた。力が衰えて、魔法や権力で良いように扱われてきたんだ」
その言葉に、ディアンは振り向かない。
「……失礼します」
そう言って歩き出すと、もう後ろから声は聞こえなかった。
"貴方からね、魔族の匂いがするの"
あれは、リセプトに辿りついた日の夜。リセプト城にある庭が見えるバルコニーで、セナはグラスとお酒を出しながら告げた。
「貴方も私と同じで、魔族の血を飲んだの?」
セナはそう、世間話でもするかのように尋ねてきた。それに首を横に振って答える。
「じゃあ、貴方は……」
「……混血です」
その言葉にセナは、「なんだ、そっちね」と残念そうに言った。どうやら血を飲んだ方を期待していたらしい。
「でも、混血も珍しいわよね。生まれても死産が多いし。そもそも魔族と人間が愛し合って子を宿す、そんな話聞いたことないもの」
セナの言う通り、魔族と人間の子供が産まれる確率は、極めて低い。今まで自分以外で会った事はないくらいだ。
「貴方の両親てどんな人なの?」
「わかりません。俺は、気づいたら1人でしたから」
小さい頃は確かに母に抱かれた記憶がある。しかし、気づけば売られ、そうしてあの男の元へいった。
「そう、そこは私と一緒ね」
セナはそう言って酒を飲む。彼女は、魔獣に育てられたと聞いた。
「この事、皆知ってるの?」
「いえ。誰にも、話していません」
「そう……」
いつかは言わないといけない。それは分かっている。
だが、本当の事をディアン自身が何も知らない。
分かってるのは、母が人間で、父が魔物ということだけ。
そうして自分は、人より身体能力が少しあり、治癒能力が高いだけだ。
それしか分からないのに、わざわざ人に自分の事を語りたくはないし、調べたくもない。
戻ると、ディアンが水をためてたバケツの他にもう一個水がたまっていた。しかし、人の気配はない。
ディアンはそれを不思議に思いながらもバケツを抱え、リュオンたちがいる家に戻った。
しかし、リュオンがいたはずの場所に彼の姿は見えず、ジェラルドがいた。
「あー、お疲れ。有難う」
ジェラルドはそう言って、バケツを受け取りタオルを洗う。
「あの、リュオン様は」
「会ってないのか?水汲み場に行ったはずだが」
あれは、リュオン様だったのか。
ディアンは来た道を思い出す。どこにも、リュオンの姿はなかったはずだ。もしかして、俺の姿がなかったから探してくれてるのだろうか。
「ジェラルド様!戻りました!!」
ディアンの思考は、衛兵の声で断ち切られた。ゴーデラで捜索を続けていた衛兵たちだ。1人の背中には、女性が背負われていた。
「有難う。彼女が?」
「はい。洞窟で見つかりました」
彼女は衛兵の背に担がれているが、意識はあるようでジェラルドの方を見た。
「とりあえず、急いでこっちへ」
バタバタと動く中、一人の衛兵が振り返る。
「あの、ジェラルド様。サガスタの王子とすれ違ったのですが……」
「え」
その言葉に、ディアンも驚いた。
ゴーデラに?何故?
「見てきます」
ディアンは早口でそう言って、ゴーデラの方へ向かう。
一体、何があったんだ。
変な胸騒ぎを抱えたまま山を駆けていくと、見慣れた銀髪の少年が見えた。
「リュオン様!!」
リュオンは、ディアンの方をどこか虚ろな表情で見る。
「ディアン……」
「何故こんな所にお一人で!急いでおりて……」
「サラに、会った」
ディアンは、リュオンを見る。その瞳に光はない。
「サラ様に?」
「ああ……はじめて見たけど、サラだった」
リュオンはそう言った後、顔を歪ませる。
「俺、手を出せなかったんだ」
ディアンは、リュオンを見た。彼はそれ以上、何も言わない。ただ、手を強く握りつぶしている。
「リュオン様……」
何があったか、ディアンには正確な事は分からない。分かるのは、リュオンは、自分がサラを拒絶した事を後悔している事だ。でもそれは仕方ない。誰だって、触れれば死ぬと分かってるものが突如自分に当たりそうになれば、避けるに決まってる。
あの人だって、それは分かってるはずだ。ディアンはそう思い、ここにはいないサラを思い出す。
サラをはじめて見た時、ディアンは体の調子が悪くなった。あの時から、彼女の正体は何となく普通の人間ではない気がしていた。それでも、魔族の王とは思わなかったけれど。
ずっと、願っていた。サラが元の姿に戻り、リュオンと結ばれるのを。
それは主人の幸せを願うためじゃない。きっと、自分のためだ。
ディアンは、親の顔も、自分が産まれた経緯も知らない。売られたくらいだから、望まれて産まれてきたわけではないかもしれない。
だから、信じられなかった。
魔族と人が、寄り添う未来など。
でも、2人を見てたら、そんな未来もある気がしていた。人と人でないものが、共に生きる未来を。
……やはり、無理なのだろうか。
山風が巻き起こる。
ディアンは舞い散る葉を、静かに見つめた。
*****
「……どういう事だ?」
サガスタ城の一室。王は、目の前の水晶を見て固まる。その水晶には、1人の小さな魔法使いーオルフがうつっている。
オルフは彼の言葉に、肘をつき微笑みながら答えた。
「言った通りだ。北大陸から、出て行ってほしい」




