第64話 愚か
--サラの髪は、とても綺麗だね
--え、そうかなぁ?
--うん、皆の髪も同じ色だけど。サラのは真っ直ぐで、すごい綺麗
彼は、そんな風に色々褒めてくれた。その度私は嬉しくて、馬鹿みたいに真に受けてた。
でも、今なら分かる。
彼の言葉に、本当の気持ちなんて一つもなかった。
*****
「うーん、難しいなぁ……」
サラはそう呟きながら、紙に書いた自分の文字を見つめる。あれからロキに教わり、簡単な会話は出来るようになってきたが、書くというまではなかなか難しい。
横に置いている、ロキからもらった本に手を伸ばす。それは、簡単な文と綺麗な絵が描かれている本で、王子様とお姫様が結ばれるお話だ。最後の挿絵は真ん中に王子様とお姫様が手を取り合って微笑んでいて、仲間たちがそれを囲んで祝福している。
「素敵だなぁ……」
「ね、これ素敵な話だよね」
「ぎゃあああ!」
後ろから聞こえた声に、サラは悲鳴を上げ、部屋の隅っこまで逃げる。ロキはそれを、笑顔で見ている。
「ははは。いい反応」
「い、いつのまに部屋に!?」
「ついさっきだけど、サラすごい熱心に勉強してたからね」
「声かけてよ……」
ロキはまだ、笑っている。そうして、サラが先程までペンを走らせていた紙を見つめる。
「サラは本当に、真っ直ぐだよね」
ロキの言葉が、よくわからない。目をぱちくりさせていると、彼は続けた。
「僕の話を信じてくれて、こんな風に熱心に勉強して」
「だって……ロキが言ったんだよ?寂しいって」
ロキがその言葉に、ノートに落としていた目をこちらに向ける。サラはそれがどこか落ち着かず目を逸らしながら続けた。
「私もそう思ったから。だから、頑張って覚えるよ」
そう言い切ると、ロキは微笑んでくれた。サラもそれに、笑い返す。
「サラ、これあげるよ」
そう言って、ロキは何かを差し出した。銀色の、細い輪っか状の物だ。
「なに?これ……」
「首につけるネックレスという物で、人が大切な人に贈る物の一つだよ」
そう言って、ロキはサラに「手を出して」と言った。サラは言われるまま手を差し出すと、さらりとした感触が手に落ちた。よく見ると、チェーンには赤い石が一つついていた。
「綺麗……」
「だろう?ねぇ、つけてみて。きっと、似合うから」
ロキはそう言って、付け方をジェスチャーで伝える。サラはそれにオロオロしながら、懸命に試みる。
そうして、サラの首元には赤い石があしらわれたネックレスがつけられた。サラはそれを見て嬉しさに顔を紅潮させる。
「わぁ……有難う、ロキ!!」
そう言って笑顔を向ける。ロキも、笑ってると思ってた。穏やかに、いつものように優しい目で。
でも、違った。
その瞳は、冷たかった。
「……ロキ……?」
「本当に、君は愚かだ。サラ」
その後、ロキは何かを呟いた。瞬間、遠くで光が弾かれ、サラは眩しさに思わず目を閉じる。一体、何が起こったのか。
「ねぇサラ。魔物たちが俺に、本当に心を許してると思ったの?」
「え……」
ロキは一体、何を言ってるんだろう。分からないが、とりあえず答える。
「だって、仲よさそうに……」
「あれはね、彼らの意志ではないんだよ」
「ロキ。どうしたの?さっきから意味が分からない」
「彼らはね、操られてたんだ。僕の力によって」
操られ……
「簡単だったよ。僕はね、対象の姿と名前さえ分かれば術がかけられるんだ。相手にも気付かれないように、ゆっくりね。……サラ、君にもかかってるんだよ?」
ロキのその言葉に、サラは一瞬ぽかんとした後、笑っていた。
「私は、何にもかかってないわ」
「残念だけどね。事実なんだ」
どうしたのだろう。ロキは一体、何を言ってるんだろう。
「僕はね、魔法使いっていうんだ」
誇らしげに、ロキはそう呟いた。
「僕は人間だけど、魔力がある。そうして僕たちは研究してきた。この力を、有効にする術をね。それが、魔法なんだ。君たちは、魔法は使えない。何も術を唱えずとも、巨大な魔力の源が永遠に魔力をくれる。だから、それに甘えて何もしてこなかった」
ドクン、と心臓が跳ねた気がした。血の匂いがする。サラはそれに、慌てて動こうとしたが、途端に体に強い負荷がかかる。
「無理しない方がいい。君は動くだけで魔力を使う。その石はね、君の魔力を封じるんだ」
「……!?」
こんな、小さな石が?気づけばサラは、声すら出せなくなっていた。必死に、先程自分でつけたネックレスを外そうとする。
「止めた方がいい。君にはそれは外せない」
ロキが言う通り、いくら力を入れてもはずれない。気づけば、目に涙がたまっていく。遠くには、皆の悲鳴が聞こえる。助けなきゃ、私が助けなきゃいけないのに。
今外はどうなってる?皆は無事なのか?
これは、夢じゃないのか?だって信じられない。ついさっきまで、ロキは笑ってくれて……
ロキの方を見ると、微笑んでいた。でもそれは、今まで見てきた笑顔と違う。
綺麗な顔に歪んだその微笑み。
「ばいばい、サラ」
そうして彼は、何か呪文を唱えた。
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「サラ様、大丈夫かな」
ルカはそう言って、サラがいる部屋の方を心配そうに見る。オルフはそれに答えず、コーヒーを口にする。
あの後サラは、小さく「ごめん」と呟いた。唸るような、悲鳴のような声だった。皆はサラのせいではないと言ったが、サラのせいだとオルフ自身も思う。
たとえ他の魔族やサラ自身がロキの魔法に操られたとしても、サラが己の二つ名を教えたりしなければ、ロキからの贈り物を迷わず受け取らなければ、こんな風にはなっていない。
魔族は、ほとんど滅びた。サラからの魔力の供給がなくなるとすぐ、力がないものたちは滅んで行った。元が多少力があり生き残ったものたちは、人間に捕らえられた。
北大陸はかつての姿から変わり、人間たちの住む大陸の一部になった。
オルフは、サラの少し一人になりたいと言う願いを聞き入れた。そうして彼女は今、二階の小さな部屋に一人でいる。
彼女にも、考える時間は必要だ。
しかし、彼女に選択の余地はない。もうずっと、グルソムの皆、魔物たちは彼女の復活を待っていた。
人間に、復讐するその時を。
*****
鏡を見つめる。そこには、見慣れた自分の姿が映っていた。黒い耳に、赤い瞳。尖った刃。そして……銀色の髪。
サラはその一房を左手で無気力にすくい、右手に持っていたナイフに、力を込める。
「……貴方の言った通り。私は、ばかだね……」
銀の束が、はらはらと床に舞い落ちた。
その束を見ながら、思い出す。
この髪と同じ髪色の、少年の笑顔を。




