第54話 ユーラン
「サラ様、俺やっぱりあいつ嫌いです」
サラは、そう言った目の前の魔物を見る。追手から逃走している時に出会い、人々が恐れているというこの森に連れられてきてくれた恩人だ。
初めて見た時は恐ろしく感じたが、今ではそのもこもこした丸いフォルムで動く仕草が可愛く感じる。生まれた時からの名はないらしく、彼自身で「クライス」と名乗っているらしいので、そう呼んでいる。
彼に連れられ、今は彼女がいる場所から離れた洞窟の入り口まで来ている。何事かと思えば、クライスは拗ねた口調で先ほどの言葉を告げた。
そうして、触覚の二つを人間の指のようにもじもじ合わせながら、不満を口にする。
「あの女、俺がいくら渡しても食べ物食べようとしないし、礼一つも言いやしないんです」
「ごめんね、きっとまだ慣れないだけだよ。彼女は自分で食べようと思っても利き手は怪我をしているし、魔物の毒のせいでまだ上手く動けない。クライス、貴方が頼りなんだから」
「分かってますけど……」
クライスにも、酷な事をしている。彼は、人間が嫌いだと言っていた。それを、サラの頼みで我慢してやってもらってるのだ。
本当なら、私が出来ればいいんだけど……
サラは、そう言いたくなるのを飲み込んだ。言っても仕方が無いことだ。もし彼女に近づき過ぎて万一のことがあればと思うと、怖くて近寄れない。
今でも、ふとした瞬間に思い出す、自分に触れたせいで肌が赤く変色した男性の姿を。
彼女まであんな風にしてしまうなんて、嫌だ。
「そろそろ、戻ろう?あまり1人にすると不安だから」
「ふぁーい……」
クライスは嫌そうに、ゆっくりと後ろをついてくる。
戻ると、眠っていたはずの彼女は目を開いていた。
「あ、ごめんなさい。目が覚めてたんだね。心細かった?」
「いいや」
女性は、そう言ってサラがいる方とは逆に顔を向けた。
「お前なぁ!!いい加減にー…!」
「クライス」
サラにたしなめられ、クライスは黙る。
彼女の名前は、分からない。聞いても、教えてもらえなかった。赤毛に榛色の瞳を持ち明るげな印象を持つ女性だが、目覚めてからずっと笑顔を見ていない。
無理もない。目が覚めて周りにいるのが知り合いでもなく、まして人間でもなければ怯えても仕方が無い。
クライスは、ぶつくさ言いながら串刺しにした魚を焚き火で焼いている。
その姿に微笑むと、ふと旅してきた事を思い出した。皆、どうしているだろうか。突然消えてしまったから、心配させているだろうか。
……それとも、もうばれているだろうか。
「ねぇ」
ふいに、声が聞こえた。彼女から声をかけてもらえたのは初めてで、喜び急いで返事する。
「はっ、はい!なんですか!?」
「私。このまま死ぬの?」
その言葉に、サラは目を見開く。そんな事を考えていたのか。
「大丈夫、死んだりしない。貴方が寝ている間に、毒消しの薬草をあの子が飲ませてくれたの」
「あの、化け物が……」
その言葉に、クライスは彼女をギロリと睨む。サラは慌てて付け加える。
「ごめんなさい、自己紹介まだだったよね。あのね、この子はクライスっていうの」
「絶対呼ぶなよ、馬鹿人間」
「く、クライス!!」
「貴方は」
彼女の質問に、サラは慌てて答える。
「わ、私ですか?私は、サラって言います。あの、是非気軽に呼んで」
「貴方は、私に近づかないの」
サラは、その問いに目を見開く。射るような視線が、胸に刺さった。サラは迷いながらも、答えを口にする。
「はい。私は毒を持ってるんです。触ると、貴方を傷つけてしまうんで」
「……そう」
「サラ様、焼けましたーー!」
クライスは軽快に跳ねながら、サラに触覚二本で串を丁寧に差し出す。ほんのり綺麗なこげ色だ。
「わぁ、有難う、クライス」
「とんでもありません!人間はもう少し待ってろ、焦げてから渡すから」
「いいわよ、食べないから」
嫌味を嫌味で返され、クライスは彼女を睨みつける。サラはおろおろして、慌てて尋ねる。
「お腹すきませんか?」
「……そんな化け物が作った料理、恐ろしくて食べれない」
「クライスの料理はとてもおいしいですよ、それにほら、これは魚です!たぶん市場で見かけた事もあるので、人様も食べれるはずです」
サラは、必死に訴える。彼女は、表情を変えずに聞いている。
「それに、薬だけでは体は良くなりません。どうか、食べてください」
そうして返答を待ったが、返事がない。するとクライスが、とことことやってきて、彼女に魚を差し出した。サラに渡したのと変わりない、綺麗なこげ色をしている。
「人間は嫌いだが、サラ様を困らせる事はしたくない。分かったら、早く食え」
女は暫く黙って動かなかった後、魚を口にした。そうして、もぐもぐと口を動かす。クライスはそれを見て、安堵のため息をつく。
サラもそれを見て、ほっと胸をなでおろした。
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「ここは……!?」
魔法で飛ばされてから次に気づいた時、リュオンたちは一つの屋敷に飛ばされていた。
そこは先ほどいた魔法使いの部屋と同じように、不思議な薬品や本で埋めつくされている。リュオンがいた位置は比較的物が少ないところで、すぐに抜け出して真ん中の何もない空間に出た。
「ローザ様、痛いです。早くどいてください」
「分かってるわよ!ちょっと待ってよ、ここ足場悪くて……きゃあごめん、トラス!痛くなかった!?」
「だ、大丈夫れす……」
リュオンは三人の姿を確認すると、姿が見えないエマを探し、辺りを見渡す。やがて、窓際にエマの姿を発見した。彼女は窓の外をじっと見ている。
「エマさん、良かった皆無事ですね」
「リュオン様」
エマはリュオンの方を振り向くと、下を指差す。その差された場所の光景を見て、リュオンは目を見開く。どうやらここは大きな建物のようで、門の向こうにはたくさんの人が集まって何かを叫んでいる。
「な、何だこれは……!?何の集まりだ?」
リュオンは、恐る恐る窓を開ける。
「国兵は一体何をやってるんだ!」
「早く化け物を捕らえてよ!!」
聞こえてきたのは、怒りの他に焦りも混じる、悲痛な声だった。
「……まさか……この人たち全員が……」
瞬間、大きな音が響く。どうやらローザたちが本で雪崩を起こしたようだ。
「大丈夫か!?」
「痛い、もう!何なのよここはー!!」
慌てて駆け寄ったところで、ドアが開け放たれた。一同は、ドアの方を見つめる。黒い瞳と同色の短い髪の女性がそこにいた。服は群青色に黒いスボンを身に着けていて、腰には剣を携えている。
「リセプト王から聞いてたが、まさかここに飛ぶとは。貴方たちは、運がいい」
そうして、その女性は不敵に微笑んだ。
「ユーランにようこそ。私が、国王のアイルだ」




