第52話 求める場所へ
痛い。
歩き続けた足の裏が、刺すように痛い。豆がつぶれて、血が出ているかもしれない。足だけでなく、体全体が重たく感じる。夜中に村を抜け出し、もうどれくらいになるのか。ふと見ると、空は夜の暗闇から明けようとしている。
その優しい光を、まるで絵でも見ているように見つめる。これが全部夢かのような、不思議な気持ちだ。
ふいに、泣きたくなる。あの人がいないこの世界が、憎くて仕方ない。そんな世界で、生きてる自分も。全部全部、なくなってしまえばいいのに。
でもまだだ。まだ、死ぬ訳にはいかない。
あの人を殺した化け物を、殺すまでは。
*****
ジェラルドとの話が終わった後、リュオンはララマが待っている部屋に戻り、ジェラルドと話した事を彼に告げた。
「つまり……魔法陣を使えば、最短で行けるという訳だな?」
「はい」
「確かにそうだが……一体何を考えてるんだ、リセプト王は」
ララマも気づいてはいたのだろう、しかしそれを言わなかったのは、西大陸に行く事が良いとは思っていなかったからだ。彼はまだ、目の前のこの少年を西大陸に行かせていいか分からない。
「……どうしても、行くんだな?」
「はい」
リュオンの声に、迷いはなかった。ララマはため息をついた後、薄く微笑む。
「分かった。この城に仕える魔法使いの元へ行こう。前は2人いたんだが、最近いなくなってな、今は1人しかいないんだ」
いなくなったのは、バフォメットの事か。確かに彼の姿を事件後見ていない。
「こいつがな、その、うん、まぁ……まぁ、会えば分かる」
説明するのを諦めたララマはそう言った後、椅子から立ち上がる。
「今は、あいつに託そう。俺が直接案内する。ついて来い」
「あっはい!」
ララマが進むのに合わせ衛兵がドアを開けたその向こうには、腕を組み睨みをきかせたローザを中心に、ディアン、エマとトラスがいた。リュオンはその光景に驚き声をあげる。
「み、皆なんで!部屋に帰ったんじゃ……」
「あんなにコソコソ動かれて、呑気に寝ていられる程阿呆に見えます?」
ローザの声はドスがきいている。
「いやあの」
たじろぐリュオンに顔を近づけ、ローザは怖い笑みを浮かべる。
「まさか、今更1人で行くなんて言うんじゃないでしょうね?」
「え、あ、いや……」
答えに窮しているリュオンに、ローザの隣にいるディアンが告げる。
「リュオン様、どうか我々も一緒に行かせてください。足手まといにはならないよう努めます。ですから」
ディアンのその言葉に、リュオンは首を横に振る。
「違うんだ、そうじゃない……!足手まといなんて、思ってない。むしろ、皆と旅をするのは心強い。ただ、俺と一緒にいたりしたら、皆どんな目にあうか、もし何かあったら……」
「そんなの、今更ですわ」
ローザはそう言い、リュオンを真っ直ぐに見る。
「何が起こってるかは後で聞くけど、必ず一緒に行きます」
ローザはそれ以上言葉を言わず、しかし毅然としリュオンを見ている。リュオンはそれを、呆然と見つめた。
ララマはその姿に、穏やかに微笑む。
「では皆も来るといい。魔法使いの所に案内しよう」
*****
「あ、あれ?コバルトさんたちは」
ララマの後に従い長い廊下を歩きながら、リュオンは姿が見えないシアンとコバルトについて尋ねた。リュオンのその言葉に、エマの表情が曇る。言葉を発しないエマに代わり、トラスが答える。
「姿が見えないんです、どこにも」
「え」
「……きっと、もうこの国にはいません」
エマの表情は、とても辛そうだ。リュオンは、微妙にそれが気になった。彼らはこの旅で偶然出会い、たまたま方向が一緒で同行していたと聞いたが、何か他にあるのか。
「ついたぞ」
ララマの言葉によって、リュオンの思考はそこで途切れた。そうして目の前には、とても大きな扉があった。ララマは上着の内ポケットから鍵を取り出し、ドアを開ける。そうして開かれた部屋を見て、リュオンたちは驚きの表情を浮かべた。
その部屋はとても大きいはずなのに、床に大量に平積みにされた本の山で溢れ返っている。匂いは薬品のような鼻をつく匂いがし、思わず鼻をつまむ。
「おい、俺だ!どこにいる!?」
ララマはそう叫んだが、山の向こう側からは返事がない。彼は舌打ちすると本の山をどかし、それ以外にも散乱している無数の謎の瓶や箱を避けながら、部屋の奥に足を踏み入れていく。リュオンたちは足で物を踏まないように気をつけながら、その後ろに従い歩いていく。
やがて本の山ではなく、机に座る人の姿が見えた。その者はこちらに気づく事もなく、一心不乱に何かを書いている。
「セス、私だララマだ!!」
ララマは彼の元に向かいながらそう叫んだ。だが彼は気づくことなく、黙々とペンを走らせる。
ララマは彼の元まで近寄ると彼が書いている紙をもぎ取る。そうされて初めて彼はララマの存在に気づき、目を見開いた。
「へ!?へへへ陛下!?いつからそこに」
「つい今しがたな」
「ししし失礼致しました!」
真っ青になりながら、青年はペコペコと頭を下げ続ける。何回か机にぶつかり、痛そうな音が響いた。
「それより、あの方たちがお前に話がある」
ララマの言葉に、彼は始めて視線をリュオンたちに向けた。彼は大きな眼鏡をかけ紺色のローブを身に着けていて、髪と瞳は黒く、髪の毛は癖がありウェーブがかっている。彼はリュオンたちを1人1人見渡すと、首をかしげた。
「皆さん人間ですか?」
「何を馬鹿な事を聞いている。見れば分かるだろうが」
セスの言葉に、ララマは直ぐつっこみを入れる。リュオンは悪気がなく尋ねられたその質問にどうしていいか分からず笑みを浮かべる。
「すまない、変人なんだ。こいつはセス。こんなナリだが、我が国が誇る魔法使いだ」
「はじめまして、セスと申します」
まだ動揺しているセスに、リュオンも戸惑いながら礼をする。
「はじめまして、サガスタ国から来ました、リュオンと申します」
「サガスタ……北大陸から」
「セス。この者たちの知り合いが、突如姿を消したんだ。原因が分かるか?」
「姿をーー……?はて、それは具体的には……」
そこから、それまでの経緯、探してるのがグルソムの王である事を告げた。ローザやエマたちは知らなかった事実を聞き、言葉を失くしている。セスもそれを聞き、顔をうつむけた。
「すみません、こんな事を頼んでしまい、だけど……」
「すごい」
「え?」
リュオンは小さく呟かれたその言葉を聞き返す。すると突然セスは顔をあげた。
「すごいです!!まさか幻の魔族、グルソムの王が生きていたなんて!!」
セスの表情はとてもイキイキしている。
「どんな姿なんですか!?やはりすごい強そうなんですか!?」
「い、いや、まだ本来の姿は見てなくて」
「ではその前の姿はどんなお姿だったんですか!?かなりの魔力があるはずなのに、一体どのような術式でっ!?」
ララマは興奮するセスの背中をどつく。
「落ち着け。だから、それが移動に使ったはずの魔法を教えろ」
「あっはい!それなら、恐らくー……」
セスはそう言いながら斜め方向の本が積まれた山に走っていき探り出した。散らかっているように見えるが、どうやら彼の中では置き場所が決まっているらしい。セスは目的の物を見つけると戻ってきて、本を広げる。そこには複雑な文様で描かれた魔法陣が描かれていた。
「これは推測ですが、もしかしたらロキ様の考案された魔法陣かもしれません。この魔法陣は、かつてロキ様が旅をされてきた国々の何処かに描かれていると言われます。西大陸では確か、中心地、小さな部族の村、山小屋などに描かれていたかと」
突然現れた名前に、リュオンは首を傾げる。
「ロキ様?」
「ご存知ありませんか。かつて、グルソムの王を滅ぼしこの世界を救ったと言われた伝説の魔法使いです」
ロキ。その人が、かつてサラを封印した人。
「何でその魔法陣だと思う」
ララマの質問に、セスはハキハキと楽しそうに答える。
「グルソムは他の魔物とは違い、正式な名を知らなければ魔法が有効に使えないんです。確かロキ様が王の名を手に入れた事により王は魔法により滅ぼされたと聞きました。そしていくら魔力を封じられているとは言え、グルソムの王を魔法で操ることが出来る魔法使いは、いまだ彼以外現れていないはずです」
「彼らを同じように飛ばせるか?」
ララマの問いに、セスは眉間に皺を寄せる。
「魔法陣で同じ魔法陣がある場所に飛ばす事は可能です。……ですが、場所を特定するのは難しいですね。各地点へ行く術式は、とても複雑です。私の能力では、方向を特定するので精一杯です」
「構いません。どうか、お願いします」
リュオンはそう言い深々と頭を下げる。セスがララマを見ると、ララマはそれに頷いて答えた。
「分かりました。やってみます」
セスはそう言うと、本をどかし何も置かれていない床の面積を広げた。その真ん中にリュオンたちを招くと、杖をとり文様を描き始める。文様を描きながら呟かれる言葉は早く、何と言っているか聞き取れない。
やがて、数字や記号が綿密に組み込まれた文様は出来上がる。すると青白い光が浮かび上がった。
「貴方たちの旅路に、幸があるよう」
セスのその言葉を最後に、リュオンたちの姿はすり切れ、やがて見えなくなる。
「行ったか」
「はい……ですが、強い力を感じました。もしかしたら、思うところに飛ばなかったかもしれません」
「え!?」
セスは、ララマの方を向く。
「彼らは、本当に普通の人間ですか?」
「……リュオンは、グルソムの血を飲んだ可能性があるとは聞いたが……」
ララマは言いにくそうに告げる。
「……そうか、それでですかね」
ララマは、残された魔法陣を静かに見る。自分には魔法も、強い力もない。これ以上、彼らの力になれない事がもどかしい。
サラがグルソムだと聞いても、ララマはまだぴんと来なかった。自分が信じられないのだから、より側にいた彼らの心情は今、複雑に違いない。
「……どうか、無事で」
ララマは何も力にならないと思いながら、小さな願いを込めて言葉を紡いだ。




