第41話 サラとローザ
「さぁ、どうする?君にとって、これは必要な物だろう?」
ディアンは、不敵に笑うバフォメットを、ただ静かに見つめた。そうして、冷たい笑みを浮かべる。
「まあ、そうですね」
そうしてディアンは、衣に手をかける。バフォメットがそれを冷ややかに見つめた時、ディアンはその衣を捨て彼に斬りかかった。
斬られても、バフォメットの体が血を流す事はなかった。
「馬鹿だな、俺は悪魔だ。そんな剣で刺されても死なねぇよ」
その言葉に、ディアンは小さく顔を歪める。その顔を見て、バフォメットは小さく肩を揺らした。
「まぁ安心しろ、どうやら記憶が戻っちまったみたいだ」
「何……?何故だ?」
「俺みたいなザコの力より、遥かにあっちの方が高いからな。まぁいい、当初の予定は果たせたしな」
そう言うとバフォメットは現れた時と同じように消えようとした。
「待て!お前は一体、何を目的で動いている?」
その声に、バフォメットは気だるげそうにディアンを見て、小さく呟いた。
「お前は……どちらを選ぶんだろうなぁ」
そうして、静かに消えていった。
ディアンは、バフォメットが消えた道を、ただ呆然と見つめていた。
*****
目の前の少女が自分の名を呼んでくれた事にサラは喜び、尻尾をパタパタ振りながら駆け寄った。逃げていた人々はその様子に戸惑い、そそくさと逃げる者や様子を伺う者が現れ出す。
「ローザ様!やはりローザ様なんですね!?」
「貴方、何でここに……」
その言葉に、サラは耳をしゅんと垂らせ頭を下げる。
「すみませんローザ様。私のせいで連れてかれて……怖くなかったですか?」
「…………」
頭を下げて暫く待っていたが応答がないので見上げると、ローザは冷ややかな目でサラの方を見ていた。
「ろ、ローザ様?」
「……お……」
「お?」
「遅いのよ!!!」
そう言うと、ローザはサラの頬をつかみ、ぐるぐるひねった。
「貴方、私がどれだけ不安だったか分かる!?目が覚めたら手足鎖で繋がれてて、目の前には怪しい男が来て、そっから気づいたらどんどん思考が遠くなって!自分じゃない感覚になって!!」
ローザの怒りに驚きながらも内容にも驚き、サラは頬をぐりぐりされたまま答える。
「鎖で繋がれ!?す、すみません!」
「そうよ!これまで己が守り抜いてきたもの全部壊れるかと思ったわよ!本当にね、本当にね……っ」
そうしてローザはサラから手を離したかと思うと、首を掴んだ。サラはぐぇっと言った後、ローザにしがみつかれた事に気づき、震える彼女を見つめる。
「ローザ様……?」
「き、嫌われたかと思った……」
その言葉に、サラは目をぱちくりさせる。
「嫌われ?」
「皆いなくって……お前と交換条件だったって言われて……」
その言葉に、サラはぶるぶると首を振る。
「そんな、誤解です!あれは私がいけないんです!リュオンもディアン様もエマ様たちも、皆ローザ様の事心配してますし、嫌いだなんて!」
「貴方は?」
「へ?」
「貴方はって聞いてるの」
ローザに尋ねられ、サラは毛を一瞬震わせた後、耳を立てて答えた。
「だ、大好きです!勝手にお友達だと思ってます!」
その言葉に、ローザは泣いていた目を見開き、すぐに微笑んだ。
「馬鹿じゃないの」
サラはその言葉を否定だと捉え、落ち込み耳を垂らす。ローザは首に回していた手を離し、サラの耳を愉快そうに触った。
「それにしてもローザ様、さっきまで黒髪でしたよね?今はもう元の綺麗なブラウンですが」
ローザはそう言われ、嫌そうに頭を触る。
「本当?嫌だ不気味。何だったのかしら」
「でも、黒髪も素敵でしたよ」
「そりゃそうでしょ」
「衛兵早くしろ!化け物を捕らえるんだ!」
その声に振り向くと、鎧で身を包んだ者達が槍を持ちサラに向かって突進してきた。
「行くわよサラ!早く!!」
「わわ、はい!!」
ローザがサラにそう声をかけると同時に、サラはローザを乗せ走り出す。
それまで二人の様子を遠まきに見ていた人々も、サラの走りに怯え道を開けていく。
「あ、やっぱり駄目です」
そこで、サラが急に止まったので、上に乗っていたローザは倒れそうになる。
「ちょっと、落とす気!?」
「王様に頼み事があるんです」
追ってきた兵たちは、突然止まった目標物に恐れる。次の瞬間こちらに向かって突進してきた獣に、兵たちは己の任務を忘れ逃げ惑う。
「あはは。この姿便利ですねぇ」
「前から思ってたけど、貴方結構図太いわよね……」
周りの叫び声に、庭園に隠れていた王は怯え叫ぶ。
「何だ一体、どうしたんだ!?」
そうして振り向くと、庭園の前には黒く大きな、恐ろしい牙が生えた獣がいた。
「何で……衛兵は!?」
「皆さん逃げていかれました」
その言葉に、王は歯ぎしりをする。
「すみません騒がせて。ですが、私は危害を加える気はありません」
近づいてくるサラに、王は怯え後ずさる。
「喋るな、恐ろしい!!」
「セディウスの糸を、分けて頂きたく参りました」
「セディウス……」
そうして彼は思い至ると、着ていた七色の衣を床に投げる。
「こんな物、欲しければくれてやる!!だから早く消えろ!!」
その余りに侮蔑を含んだ視線に、ローザは声をあげる。
「ちょっと!貴方ね……」
「有難うございます」
サラは表情を変えず、ただ深くお辞儀して衣をくわえると去っていく。ローザが何か言おうとした時、庭園を出ようとしたサラの前に人が立ち塞がった。
「待ってください!」
「わっ!!」
サラは足を止め、目の前の人を見つめる。顔に少しそばかすがある、大人しそうな黒髪黒瞳の娘だ。着ている衣服から、メイドだと分かる。
「……アネラ?お前、何故ここに……」
ララマがそう言うと、娘は気まずそうな表情を浮かべた。
「申し訳ありません、陛下。ですがどうしても……、お願いです、どうかその方を連れて行かないでください」
サラが困惑していると、乗ったままのローザが腕を組んで答えた。
「違うわ。私の意思で出て行くのよ」
その姿を見て、女性は目を丸くする。
「え……あれ、お姿が……それに何か感じも……」
「こちらが本来の私よ。陛下の求めるタイプとは違うでしょうし、悪いけどここで帰らせてもらうわ」
ローザのその言葉に、メイドは慌てた様子を見せる。
「そ、そこを何とか!お願いです!どうか陛下のお側に……!!」
「よせアネラ!みっともない!!」
その声に、アネラと呼ばれたメイドはビクっと震える。ローザはその姿に、心配そうにメイドを見つめる。
「貴方、具合悪そうじゃない?わざわざ駆り出されたんでしょ?」
メイドはローザの言葉に、激しく首を横に振った。
「いいえ、いいえ!皆さんはお休みをくれました。今は自分が勝手に動いているだけです」
そうしてメイドは、よりサラたちに近づき、真摯な目で語った。
「陛下は、素敵な方なんです。ちょっと思慮に欠けるところもあるかもしれませんが、常に国の為を思って生きておられます。私のような駄目な者にも情をかけてくださり、お陰で私は今日までクビにされずに働けてます」
その姿を見て、気づく。彼女の目は、少し腫れている。
ナカセタ
ひょっとして、あの魔物は……
「あの……」
そうして何か言おうとして彼女に近づいた所で、目の前にもう一人の人物が現れた。
「へ、陛下……」
「獣。この娘の言う事はどうか気にしないでほしい。このまま帰ってくれ」
サラは王の姿に驚く。先程まで、自分の身を守る事しか王の頭にはなかったはずだ。
「……はい。有難うございます」
そうしてララマに腕を引かれアネラが避けた道に、サラたちが走り出す。
「陛下、良いのですか!?」
「構わぬ。セディウスの衣はもう一着ある。一着あれば大臣たちも文句を言うまい」
「でもジェシカ様は……!」
「ジェシカは幻だ。先程彼女も言っていたが、私が求めていたのは幻だった」
「陛下……」
「それより。お前、その顔どうした?腫れているぞ」
その言葉に、アネラは顔を真っ赤にする。
「こ、これはあの、決して王の婚姻が悲しくて泣いていた訳では……!こっそり飼っていた亀がいなくなって、必死に探していたんです」
ララマは彼女の言葉に一瞬笑った後、尋ねた。
「亀?」
「そうです。これぐらいの小さな。ちょっと変わってたんですが。見ませんでしたか?」
*****
「ちょっと何。結局何だったのよ」
ローザはサラに尋ねたが、サラの思考は遠くにいっていた。
「……あの人の事だったんだ……」
「え?」
アネラというあのメイドは、王の事が好きなのだろうか。しかし、先程の姿を見たら、王の方も彼女を大切にしているようだった。
「結局私は本命じゃなかったって事よね」
ローザの言葉に、サラは目を丸くする。
「へ?」
「王様。たぶん気づいてないけどね」
「ローザ様!!」
道を突き抜けていくと、何かを探していた目と視線が合い、そう呼ばれた。その姿を見て、ローザは目を丸くする。
「エマ!トラス!?何でいるの!?」
「何でじゃないですよー!!」
おいおい泣く二人の後ろから、女装したままのリュオンが顔を出す。
「良かった!ローザ様」
「リュオン様……それ、私のドレスですよね」
そう言われ、リュオンは苦笑してお腹を触る。
「ああ。女性は大変だな。かなり苦しい」
「でも、入ったんですね……似合ってるし……」
*****
「見つかったみたいだな」
遠くから聞こえる賑やかな声の方を向き、コバルトは呟く。
「ふーん」
「戻るぞ」
シアンは静まり返った広いパーティー会場に座ったまま、コバルトの方を振り返らずにつぶやいた。
「……ねぇ。俺、間違った事してないよね」
その言葉に、コバルトは頷く。
「あいつは人間に情をかけ暴走し、サラ様にも手を出そうとした。情けなんて、かけてやる必要なかった」
「そうだよね、良かった」
シアンはそう言って立ち上がると、コバルトの方に駆け寄った。
「だが、サラ様に何か感づかれたかもしれない。記憶が戻られるまでは、私たちの事を明かしてはならない」
「……ごめん。分かってる」
そう言って二人は皆がいる場所へ向かう。
その瞳は、どこか闇を帯びていた。




