第39話 泣かせた
はぁ、メイド失格だ。
アネラは自責の念にかられながら、自分の部屋に向かって廊下を歩く。
今日は記念すべき陛下の誕生日であり、花嫁が決まる日だった。メイドは総動員で動かねばならない。
しかしアネラは先程めまいで倒れてしまい、少し休憩をとるように言われたのだ。
「……ちゃんとしないと……」
ただでさえ私は何も出来ない。城仕えの皆にもいつも苦笑された。皆が良い人だから働けているようなものだ。アネラがしてきた失敗は、すぐクビにしていいものもあった。
それをクビにしないでいてくれたのは、ひとえに上司と、他ならぬ王の温情だ。
「……」
アネラはまた涙が出そうになるのを堪える。少し仮眠をとって、すぐ戻ろう。そう思い、部屋のドアを開ける。
彼女の部屋は、人一人分の小さな簡易ベッドがやっと入るような、小さな部屋だった。しかし、ここは彼女にとって一番安らげる場所だ。
彼女は部屋に入ると、すぐ小さな浴槽を見た。そこにいるものは、いつもアネラに元気をくれる。
「……あれ?」
アネラは目を見開く。
その浴槽の中に、彼女の望む姿はなかった。
華美な衣装を身に纏った人々が、悲鳴をあげて次々と出て行く。その姿を見て、こっそり様子を伺っていたサラたちは目を見合わせる。
「……何があったの?」
サラが思わず木陰から姿を現し城を見つめると、人々は更に悲鳴をあげ逃げ惑う。その様子を見て、サラは城に向かおうとしていた足を止める。
自分が行くことで、人々の混乱を倍増させる事になるかもしれない。
どうする?
サラは夜空に浮かぶ城を、静かに見上げた。
*****
「シンデモラウ」
緑の生物は、そう言った後静かに歩み寄る。その生物は顔の両端にある大きな目の中で眼球を回し、やがてその眼は一点に止まった。何が起きたか理解出来ず、ただ虚ろな表情をしている王に。
リュオンは、生物の姿をじっと見る。
「お前は……」
これも魔物か?
しかし、こんなデカイ怪物が街中を歩いていたら、とっくに伝わってるはずだ。
リュオンは分からないながら、とりあえず生物に対抗出来るよう、いつものように剣を帯している腰の辺りを触る。
しかし、今自分は剣をもってない事に気づく。
「やべ……」
リュオンが戸惑っている間にも、緑の生物は近寄ってきている。そうして、触手の一本を王めがけて伸ばしてきた。リュオンはとっさにパーティー会場の一つのテーブルに駆け寄り、近くにあったナイフを投げる。しかしそれは巨大な生物に当たっても、むなしく落ちていくだけだった。
「っく……!くそ」
生物の意識は削がれ、王に伸ばしていた触手の動きを止めた。落ちたナイフを見つめた後、ギロリとリュオンを睨みつけた。
「オマエモ、ナカセタヒトリカ」
「は、何の……?」
「ジャマスルナラ、コロス」
緑の触手が伸びてきて、リュオンの体を縛る。
「……っ!?」
圧迫されるような痛みにめまいがする。取ろうと体を動かすが、棘があるのか握った手から血が出る。
リュオンは触手に苦しむ中、怯えて動けなくなっていたはずの王と、ジェシカの姿が見えなくなっている事に気づいた。
「え、どこに……」
リュオンが驚いていると、生物もそれに気づいたのかリュオンをじろりと睨む。
「キサマ、ドコヘヤッタ」
「え?いや知らな……っい!!」
体に巻きついている力が更に強くなる。塞がりつつあった傷が開き、血がしたたる。
「……!!」
リュオンは必死に体を動かす。その姿を見て、生物が更に力を強めようとした時、それを噛み砕くものがいた。
ふいに、リュオンは触手から解放され、床に体を打ち付ける。
リュオンは痛みに顔を歪めながらも、視線の先を見る。
「サラ!!ディアン!」
そこには、サラとディアンの姿があった。サラは噛み砕いた触手をいまいましそうに離すと、リュオンを真っ直ぐ見た。
「リュオン、無事!?」
その姿を見て得た安堵と、また助けられた事に羞恥心が湧く。サラはリュオンのその様子を見て無事だと安心し、魔族に目を向ける。ディアンは慌ててリュオンに駆け寄る。
「リュオン様、怪我が」
「大丈夫だ、すまない。ディアン、俺の剣は」
「ここに」
そうして彼が手渡したのは、以前からリュオンが使っている剣だ。
「おい、オディアスの剣は」
「駄目よ。また倒れたいの」
生物と対峙しているサラから冷ややかな声が聴こえる。
「……だそうです」
「……ああ、分かった。ディアン、王と女性がいなくなった」
そう言うと、リュオンは玉座を、ディアンしか分からないほど一瞬見る。
「……分かりました」
ディアンは静かにそこに進むと、玉座にある椅子をのけて、その下の中に入っていく。
「マテ!!」
そう言い生物が這っていくが、その体にリュオンは剣を刺す。
「この先は行かせられない」
「ジャマヲスルナ!!アノオトコハ……!!」
リュオンは触手に振り払われ、再び床に体を打ち付ける。その姿を見て、サラは怒りを覚えながらも、生物より先に地下への通路の前に立つ。
「……王様が、貴方に一体何をしたの?」
サラは、悲痛に叫ぶ彼にそう問う。サラには、その魔物のどこを狙えばすぐ滅びるか分かっていた。
だが、かつて殺した魔族の姿を思い出し、止めを刺すことがためらわれる。
「……ナカセタ」
生物はそう言うと、静かにサラの方に向かってくる。
「駄目よ!やめなさい、どのみち貴方は通れない!!」
魔物はサラの姿を、静かに見下ろす。
「いい子だから……」
しかし魔物は、サラに触手を伸ばしてきた。
「っ!!!」
「サラ!!」
リュオンが走り出す前に、生物のその緑の体が二つに引き裂かれた。そうして、うなり声を上げて静かに消えていく。
サラはその光景が一瞬理解できず、やがて視界の中に一人の人物を確認した。
そこには、冷ややかな目をしたシアンの姿があり、彼の手には、オディアスの翼が握られていた。
「陛下!あのままでは、リリス様が危険です!」
ジェシカは自分の腕を引いて走る王に必死にそう告げる。彼らは今、パーティー会場の玉座の下にあった緊急口から地下に逃げた。
電気がついてないため、道は真っ暗だ。
「構わない、怪物が彼女に気をとられてる隙に、早く逃げるぞ!」
ジェシカは王のその言葉が信じられない。先程あの生物は、明らかに王を狙っていた。
それを助けようとしてくれた人を、置いていくなんて。
ふと、後ろからも誰かに腕を引っ張られた。その力の方が強く、ジェシカの手は王から引き離される。
驚いて振り向くと、そこには人がいた。黒い髪を後ろで一つに結んだ、長身の男だ。
紫色の双眸が、ジェシカをじっと見ている。男は彼女を見たまま、低く尋ねた。
「……貴方は、誰だ?」




