第32話 グルソム
一行はアデラ島まで戻してくれたザンに別れを告げ、ルゴーのいる場所に戻った。
そうして今、修理が終わったらしい船に乗り、南大陸を目指す。あと一日二日で着くとのことだ。
サラは揺れる船内の中、眠っているリュオンを見つめていた。彼の体には、薬草で作られた薬が塗られ、包帯が至る所に巻かれている。ザンによって応急処置されたものの、彼はまだ目覚めない。
サラは穏やかな彼の顔を見つめながら、昨日ザンが話してくれた事を思い出していた。
「その剣は、普通の人間には使えないんだ」
リュオンの怪我を治療しながら、ザンはそう言った。その言葉に、サラは首を傾げる。
「でも、昔使っていた人がいるって、ローレアの王が仰ってました」
「それは、王の姉君の話だな」
その言葉に、サラは息をのむ。王の様子からでは、そのように想像出来なかったからだ。
「姉君?確かその方は、戦場で剣を振るい続け倒れたと……」
「そうだ。姫様は、華奢な身でありながらあの剣を振るい、戦ってきた。魔物も殺せる剣だ。あの剣でたとえかすり傷でもつけられたら、人間もすぐに死ぬ」
「……その姫様は、普通の人ではなかったんですか?」
常人とは異なった能力を持っていたのかと思い、そう尋ねた。しかしそこで、ザンの表情が曇った。言うか言うまいか、悩んだ表情を見せる。
「あんたには、言ってもいいかな……
正直、あの時その国を生きてた人間は、この剣のことも、姫様が何をしていたのかも知らない。そしてこれからも、広めるべき事ではないと思ってる」
そうして、ザンはサラに決心した表情で話し始めた。
「姫様は、グルソムの血を飲んだんだ」
「グルソム……?」
「かつてこの世界にいた種族さ……魔物の一種でありながら、その中でも強い能力を持っていた。恐らくあの剣は、グルソムしか使うことを許されない。姫様が手に入れた正確なルートは分からないが、姫様は剣と血をもらい、グルソムの血を少しずつ飲み戦っていた」
グルソム。初めて聞く、かつてこの世界にいた種族。その血を飲んであの恐ろしい剣を使えるようになったというのか。
「姫様にとってその血は毒だった。でも姫様は分かってて、戦うために飲み続けたんだ。また、オディアスの翼を使って生じる負荷も、姫様の体には毒だったのだろう。姫様は結果体を壊し、最終的に死んだんだ」
そうだ、確かに血を飲む事で血の主に近い存在になれることを、私たちはこの旅で知ってきた。そして、時には飲んだものが死ぬことも。
よく分からないが、姫はグルソムの血を飲んだから、オディアスの翼が使えたというのか。
でも、でも……
「リュオンは、血なんか飲んでないわ……」
自分が知らないだけかもしれない。でも、この旅を通してのリュオンの血の話についての反応は、自分に似ていた。
彼がグルソムの血を飲んでその力を得ていたとは、どうも思えない。
「飲んでないとすれば、残る可能性は一つだけだ」
ザンは、それ以降は何も言わなかった。サラも、彼の言いたい事が分かり、それ以上聞きはしなかった。
「リュオン……」
ふいに、リュオンが目を開ける。
「リュオン!大丈夫!?」
「う……」
まだ体が痛いのだろう。リュオンは顔を歪めて、小さく呻いた。
「傷痛む?待ってね、今薬を……」
「…魔物は……」
リュオンが尋ねた言葉に、サラはどう答えたらいいか分からない。彼は、覚えてないのか?
「う……」
リュオンは、体をゆっくり起こす。
「駄目よリュオン!安静にしてないと」
「でも……ローザ様は!?無事か?」
「ローザ様は……」
「リュオン様!」
物音がしたからだろう。ディアンとルゴーが入ってきて駆け寄る。
「良かった。目を覚ましたんだね」
「すみません俺、一体どうして……ディアン、ローザ様は?」
主の問いに、ディアンは迷いながら答える。
「洞窟内にいた悪魔と名乗る男に、攫われてしまいました」
「……何!?」
リュオンは、剣を持ち立ち上がる。
「待って、リュオン!動いちゃ駄目!」
「でも、俺のせいでローザ様が……!」
「リュオンのせいじゃないわ!私が……」
サラはリュオンの袖をくわえるが、リュオンはそれを振り切ろうともがく。ディアンも腕を伸ばし、リュオンを座らせようとする。
「いや、自分が……リュオン様、落ち着いて……」
「俺があの時ちゃんとしてたら……」
「やめなさい!!」
低い声が、室内に鳴り響いた。ルゴーが、ため息をつく。
「やめなさい、ここは海の上だ。焦ったところで、どうしようもない。それに、責任が誰かなど話しても、全くもって無意味だ」
その言葉に、三人とも静まる。
「……ローザ様は、今どこに?」
リュオンの問いに、ルゴーは今度は優しい声音で答える。
「恐らくだが……ザンの話によると、あの悪魔は今、南大陸の一国と契約をしている。恐らく、そこに行ったのではないかと言うのが、彼の予想だ」
「その、ザンて何者だ?信用できる人なのか」
「彼はアデラ島にいて、もとはシーザ族、ローレアの人間だ。裏表がない奴だから、信用していい」
「知り合いなのか?」
「まぁ、そこはいいじゃないか。今話すべき事ではない。君はとりあえず、体を早く治すことが大切だ」
ルゴーの冷たい声に、リュオンは息をのみ、不満が残る顔をする。ルゴーは微笑み、腕を大きく広げる。
「とりあえず、お腹空いただろう。何か食べ物を持ってこよう。ディアン、手伝ってくれるかい?」
「はい」
そうして二人は部屋を出て行く。声をかけられなかったサラは、どうしたらいいか分からず、右左顔を動かす。
「ごめん、サラ……心配かけて」
リュオンがそう小さく呟いたので、サラは慌てて答える。
「いいよ、それより、目を覚まして良かった」
リュオンは彼女の言葉に、力なく微笑む。
「有難う」
「あのさ、リュオン……何があったの?洞窟で」
リュオンは、力なくただサラを見ている。
「リュオン、すごいきつそうだっ」
「ごめん、サラ」
遮るように、リュオンの声が重なる。彼は微笑み、申し訳なさそうに言った。
「ちょっと、一人になりたい」
「……そうよね!ごめん、じゃあ、何かあったら呼んでね?」
サラは明るい声でそう返事をして、部屋を出る。彼女の足音が、静かに遠ざかる。
「……最低だな、俺は……」
自分以外誰もいなくなり、リュオンはそう呟いた。皆に心配をかけたのだろう。体中に巻かれた包帯を、静かに見つめる。リュオンは痛みが走る体を起こし、自分の荷物に近づいた。静かに開けると、深緑色の本を取り出す。以前ローレアの倉庫で見つけた物だ。
リュオンはそれを、感情のない瞳でゆっくり見つめる。
暫くした後、部屋のドアが鳴り響いた。
「ディアン様、お食事お持ちしました」
「ああ……有難う」
スープとパンを載せた盆を持って入ったディアンは、その盆をリュオンが座っているベッドに近い棚に載せる。
「何かあったんですか?すごい落ち込んでるサラ様とすれ違いましたよ」
「ああ……突き放してしまった」
その言葉に、ディアンは目を細くする。
「それは……サラ様、とても心配されてたんですよ」
「ああ……」
リュオンは、ボウルを取り、温かいスープを口に運ぶ。
「……倒れる前の事、よく覚えてないんだ」
「リュオン様……」
「でも、一つだけ覚えてる」
リュオンは、スープを飲みながら、感情がない声で呟いた。
「サラ、怯えてた」
夜眠れず、痛む体をゆっくり動かしながら、リュオンは外に出た。
空は大きくて、満天の星が輝いている。その中に、一匹の獣がいた。
サラは、ゆっくり振り向く。
「リュオン……」
「眠れないのか」
リュオンは、サラにそう尋ねる。サラは不快な顔を露わにした。
「誰のせいよ」
その拗ねたような声に、思わず笑ってしまう。
「ごめん」
サラは困った顔をした後、「ううん、こっちこそ」と小さく言い、リュオンの横を通り過ぎて部屋に帰ろうとする。
「本当は俺、知ってたんだ。自分の容姿が、何に近いのか」
通り過ぎる時聞こえたその言葉に、サラは彼の方を振り返る。
「……ローレアの倉庫で、見つけた本の中に、大きな挿絵があったんだ。銀髪の長い髪で、裂けた口の中に牙があって、つり上がった目は水色に塗られている生き物が描かれてて……その生き物は、逃げ惑う人々を襲っていた」
リュオンは、サラと目を合わさず、海を見ながら話し続ける。
「かつてこの世界にいた種族で、人間を残虐に殺していたらしい……最終的に、英雄によって滅ぼされた一族と、書かれている」
「……グルソム……」
サラは、気づいたらそう呟いていた。言ってから、失言したと気づく。リュオンは一瞬目を見開いたあと、優しく微笑んだ。
「……そうか。知ってたんだ」
「あのね、リュオン……」
「サラも、俺が怖いんだろ?」
「……え?」
リュオンは、微笑みながら話を続ける。しかし、目はどこまでも冷め切っている。
「俺に同情なんてする必要ない。俺は、ずっとお前を利用してたんだ」
「リュオン……」
「もうずっと昔から……自分がどこか、普通の人間と違うことは分かってた。それが嫌でたまらない時、サラ、お前に出会ったんだ」
リュオンの表情は、優しい笑みのままだ。しかし目の奥は、どこまでも冷たい。
「その時、嬉しかったよ。ああほら、俺は全然こいつと似てない、人間だって……サラに会いにいけば、俺は人間として強くいられる。だから、お前に会いに行ってたんだよ」
海が、静かに波をたてる。サラは、静かに顔を下に向けた。
「……軽蔑しただろ?」
リュオンは、そう聞いた後、顔をあげないサラを黙って見ていた。
少ししてからサラは、顔をあげる。だがサラの表情は、彼が想像していた悲しみの表情や怒りの表情、どれでもなかった。
その瞳は、どこまでも澄んで、強い意志を持っていた。驚くリュオンに、サラは告げる。
「知ってたよ」




