第31話 バフォメット
「…リュオン……」
サラは、虚ろな目をしたリュオンをじっと見つめる。リュオンも何か言おうとして口を開いたが、次の瞬間、彼は崩れ落ちた。
「リュオン!!」
サラは慌ててリュオンの側に駆け寄る。よく見ると、傷だらけだった。服が切り裂かれ血が出ているところやその他にも無数の切り傷があり、見るだけで痛い。
しかしサラの目を引いたのは、その切り傷よりも、彼の右腕が僅かに黒くなっていたことだった。
「なに……これは……」
「リュオン様!!」
後から慌てて追いかけてきたディアンと、後ろに青年がいる。
「ディアンさん!リュオンが、すごい傷で……それに、腕が……」
「……恐らく、これのせいでしょう」
ディアンは目を見開いた後そう言い、リュオンの側に転がり落ちた剣を見つめる。それを見て、サラも何故このような状況になったか分かった。
魔物を一瞬で殺せる代わりに、使った者の命も蝕むというのは、本当だったのだ。
ディアンの後ろにいた青年も、驚いた顔をして立っている。
「おいお前たち、よくもまぁ好き勝手してくれたな」
声の方に振り向くと、長い青い髪と青い瞳の長身の男がサラたちを冷たく見下ろしていた。彼の後ろには、眠って宙に浮いているローザの姿がある。
「ローザ様!!」
「ああ、俺まで何かされたら嫌だからな。人質だ。まぁ悪魔だからどうせ死んでるしどうでもいいんだがな」
彼はそう言い笑った。
「……悪魔……?」
悪魔とは、リュオンから聞いたことがある。天使とは反対の、地獄からの使者。悪魔も物語の中だけの存在と思っていたが、今目の前にいる黒いローブを着た男はそう名乗った。
「ああ、そこの男の主と契約して、今はこの島とアザラ島を繋いでいる。なぁザン?」
彼はそう言って後ろにいる男に話しかける。ザンと呼ばれたその青年は、不服そうに首を縦に動かした後、男に向き合った。
「バフォメット様。この方たちは、誤ってアザラ島に降りただけみたいなんです。その娘さんも、解放してくださりませんか?」
「偶然来たっていうのか?南大陸からも離れている、小さな島に」
バフォメットが目を細めてそう言うと、ディアンが説明を始める。
「船が、故障してしまったんです」
「船?」
「はい。私たちは、南大陸まで商人の方の船に乗せて頂き向かうことにしました。しかし船が故障してしまい、偶然近くに見えたあの島に緊急で着陸したんです」
バフォメットと呼ばれた悪魔は、つまらなさそうにぼりぼり頭をかく。
「商人ねぇ……」
彼は何かを見定めるように、サラたちを見る。やがて何か合点がいったのか、バフォメットは目を閉じた。
「……あんたたち、ひょっとしてこれを探しているのか?」
彼は杖を地面から浮かせ、再びカツン、と音をたて地面に当てた。すると、ローザが浮かんでいる近くに、何やら赤いものが浮かんだ。
「……それは……?」
「硬い石、ナサイルで作られた刃だ」
ナサイルとは、石のことだったのか。しかし普通の灰色がかった色ではなく、赤く燃えるような色をしている。細長いその石は、先端が鋭利に尖っている。
サラはそれを見て、慌てて答えた。
「そうです、私たちが探していた物の一つです!」
その言葉を聞くと、バフォメットは楽しそうに顔を歪めた。
「欲しいか?あげてもいい」
その言葉に反応したのは、サラたちでなくザンだった。
「バフォメット様!何を勝手なことを!大体それは、アザラ島にあるはず!何故貴方が持って……!?」
「ああ、あちらは偽物とすりかえた。何かあって契約を裏切られたりしたら困るからな」
何やらいけないルートで彼が持っているようだ。サラが固まっていると、バフォメットは彼女に告げた。
「なに、これがなくなってもこいつらは別に困らない。あんたは、これがないといけないんだろう?」
「は、はい、でも……」
迷う彼女に、バフォメットは優しく囁く。
「欲しいものは、欲しいと言っていいんだ」
彼の言葉には、不思議と力があった。サラは迷いながらも、彼を見上げる。
「くれるんですか……?」
その言葉に、バフォメットは優しく微笑んだ。
「ああ、いいよ」
そうしてそれは、サラの足元にゆっくり落とされた。
こんなにあっさり手に入るなんて……
「じゃあ、こいつはもらっていく」
そうバフォメットが一言言う。え?と思ったのも束の間、バフォメットがローザと共に消えようとしていた。
「ま、待って!!ローザ様を返して!」
「それはいけない話だ。あんたは、ナサイルを欲しがった。ただでもらえるなんて、思わないことだな」
ディアンがすかさず短剣を抜きバフォメットに斬り込む。しかしバフォメットは、愉快そうに笑うだけだった。その笑顔を残して、2人の姿は見えなくなる。
「そ、そんな……」
「心配する事ないよ、すぐ殺されるなんてことはないから」
ザンはそうサラたちに語りかけた。ディアンは彼に詰め寄る。
「どこに行ったんですか、彼らは!」
「それは後で話そう。先にこの少年だ。島に薬草が生えているからとってきて、応急処置しよう」
そう言ってザンは洞窟から抜け出していった。ディアンは険しい顔をする。サラは、無気力にナサイルの刃を見つめた。
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目を開けると、そこは小さな部屋の中だった。
どうやら自分は、床に寝かされているようだ。ローザは体を反射的に伸ばすと、ジャリ、という音が聞こえた。見ると、両手両足に鎖が繋がれている。
「な、何よこれ……!」
動かすが、鎖がガチャガチャ音をたてるだけで、何も変わらない。
「お、目が覚めたか」
その声に振り向くと、先ほどの男が笑って立っていた。
「ちょっと。何の真似よ!ここは何処?」
「悪いが、お前はここで国王の嫁になってもらう。まだ確定はしてないが、きっと側室には最低選ばれるだろう」
「嫁……?ふざけないで!早く皆のところに……!」
そう言ってローザは、鎖をガチャガチャ揺らして訴える。
「皆って、あの獣たちのことか?」
「そうよ!」
「あいつらなら、お前の代わりにナサイルの刃を渡したら、あっさり引き下がったよ」
その言葉に、鎖を揺らしていたローザの手が止まる。
「……え……?」
見ると、男はローザを同情するように微笑んで見ていた。
「う、嘘よ!」
ローザがそう力いっぱいに叫ぶ。
「まぁ仕方ないさ。彼女ももとに戻りたいのだろう。恨まない方がいい」
「そんなはずはないわ!」
「何でそう言い切れるんだ?裏切られるのは、慣れているはずだろう」
目を見開いて男を見る。彼は、ローザのことを何もかも知っているかのような、強い瞳をしていた。ローザは、背筋がゾクリと冷える心地がした。
「貴方、何なの……」
ローザが力なくそう呟くと、男は笑って答えた。
「お前を使ってこの国を手にいれようとしている、ただの悪魔さ」




