第17話 ナミダ
ずっと見ていた。
暗闇で、ただ、光が溢れる世界で楽しそうに遊ぶ彼女たちを。そうして見ていると、唯一の兄弟が私に向かって言う。
「私たちは、もはやこの世界で生きることを許されていない種族だ。こうして、暗い海の底まで来て、ようやく生きることが許される。彼女たちとは、相入れない存在だ」
分かっている。自分は、殺傷能力を持ち、また殺傷願望がある生き物。彼女たちとは、相入れない存在。それでも、私は彼女たちを目で追い続けた。気づかれないように、でも焦がれるように、その姿を眺めて。
そんなある日、小さい人魚が怪我をして目の前で倒れていた。はぐれてしまったのか、他の人魚の姿は見えない。彼女は、血を流していた。
兄弟の反対を退け、私は己を偽り、彼女に近づいた。そうして彼女を助けたことで、人魚の村に招かれた。
以後、人魚の村の守り神として生きてきた。
兄弟は、私の切り離した抜け殻を大切にしていた。そうして彼は人間の乗った船を次々と襲い、抜け殻に魔力を溜めていった。
「本体が別に?」
リュオンは群がる魚を斬りながら、ディアンに向かう。
「でも、昨日の魔物は斬ったらすぐ死んだじゃないか」
「それは、分かりません。 でも私は、サラ様が何も見えないと言うなら、この魔物たち相手に延々と斬るのは得策ではないと思います」
そう言ってる間にも、魔物は鋭く襲いかかってくる。
「でも、今は斬るのにいっぱいいっぱいで、先へ進むなんて無理だ!」
「……ひとまず戻りましょう」
そう言ってディアンが竜巻の方に向かって引き返したので、リュオンとサラも薙ぎ払いながら、竜巻の中、海底と人魚の村の中間地点に戻る。どこに今自分がいるか分からない、不思議な感覚だ。
そんな中でも、ディアンはいつもの毅然とした態度で言った。
「私が、おとりになりましょう」
「……は?」
ディアンの提案に、サラは間の抜けた声で答えた。かまわずディアンは続ける。
「私が先に1人で出て、魔物の相手をします。なので、そのうちにリュオン様たちは、洞窟に向かってください」
「そんな、それではディアン様が……!!」
「私のことは心配しないでください。それよりも、これは時間が勝負です。相手にすぐ気づかれたら、また洞窟に辿り着けません」
「……分かった。頼んだぞ、ディアン」
リュオンは静かに頷き、ディアンにそう告げる。ディアンはそれに、迷いなく頷いた。
「はい。では、今からゆっくり60数えたらでてきてください」
そう言うと、ディアンは竜巻から出て、魔物たちの前に出た。
その姿を見て、サラは不安そうにリュオンを見る。
「リュオン、ディアン様が……」
1人であんなたくさんの魔物の相手が出来るのか。サラが心配そうにそう言うと、リュオンは微笑む。
「あいつなら、問題ないさ」
「……さぁ、どこからでもどうぞ」
ディアンは魔物たちの前に戻ると、微笑んだ。魔物は、一気に攻めてくる。
その時、ディアンは剣を四方に斬り、魔物たちは分裂する。彼らが再生するまで、約10秒。ディアンは再生し終わろうとする魔物を次々と斬っていく。
リュオンたちがはるか遠くに行ったのを確認すると、ディアンは切り裂き、魔物に向き合った。魔物は、再生しようと身体を動かしている。
「先程はリュオン様たちがいたので、あまり思うようには動けませんでした」
そうして彼は、冷ややかに微笑んだ。
「どうぞ。何回でも斬りつけて差し上げます」
「ここか……!?」
人魚の村から大分離れたところに、暗い洞窟があった。サラとリュオンは、恐る恐る足を踏み入れる。
「ここも海の中なんだよな……息できるから不思議な感じだ」
暗く、長い道が続いていた。いつ辿り着いたか、気づけば四角かった道の先に、大きな丸い世界が広がっていた。そこには、色とりどりの海藻、サンゴなどが踊っている。
「うわ、すご……」
リュオンが感心する中、サラは一点を見つめていた。
「どうした、サラ?」
「ピンク……」
「うわ、なんだこれ!?」
そこには、ピンク色の海藻が生えていた。
「これが、イデンか……?」
リュオンの問いに、サラは首を傾げながら別の海藻を指差した。
「イデンは、これじゃないかな?」
ピンク色の海藻の隣に、薄いエメラルドグリーンから、濃ゆい緑のグラデーションをもつ海藻がゆそゆそと揺れていた。
「へぇ、てっきりこのピンクのかと……」
そう言った時、後ろに気配を感じた。見ると、白い魔物が自分たちを見下ろしていた。
「うわ、来た!」
魔物はリュオンたちに向かって爪を突き立てるが、リュオンが腕を薙ぎ払う。その腕は、時間をかけて構成される。その時、サラが呟いた。
「あそこ……」
「え?」
「あの、青いの……」
サラが指し示したのは、先程の海藻たちの間に埋め込まれた、青い、ガラスのようなものだった。丸く、中心に向かって色が濃ゆくなっている。それを指し示された瞬間、魔物が強い勢いでサラに迫ってきた。
斬っても斬っても魔物は消えない。
ただ、魔物たちの再生の速さも確実に落ちてきている。気づけば後ろで傍観していた白い魔物は、姿を消した。リュオン様たちを追ったのだろう。
「リュオン様たち、辿り着いたか……」
しかし言っている途中で、魔物たちが急激に動き始めた。
何事かと見ると、遠くに小さな人魚が見えた。彼女は魔物を見て恐怖で震え、その場から動けずにいる。魔物はこれ幸いと、急速に人魚の方に向かう。
「ひゃああっ!!」
人魚、エレンはそう叫び目を伏せたが、何も起こらなかったので目を開けると、ディアンが魔物を斬っていた。
「お兄さん……」
涙顔のエレンに、ディアンは魔物を倒しながら怒鳴る。
「何をやってるんですか!?」
「ユア様が……」
「ユア様?」
そうして近づいてくる魔物を、ディアンは切り裂く。
「っく……!!」
小さな子どもを守りながらでは、思うように動けない。油断した一瞬のすきに、肩に一匹の牙が食い込む。
「……!!」
「お兄さん!!」
エレンがうずくまる彼を慌てて支える。二人に向かって、無情にも魔物たちが襲いかかる。
「きゃああああ!!」
「サラ!!」
リュオンがそう叫ぶと、魔物がピタリと止まった。かと思いきや、そうではなく、サラが青いガラスを持ったからのようだ。
サラが、ゆっくりそれに触れる。
「サラ……?」
「リュオン、大丈夫」
その瞳は、とても綺麗な赤色だ。自分とは真逆のその色を見て、リュオンは何度救われたか。
彼女は持っているそれを、硬い洞窟の床に打ち付ける。
水色の淡い光を放ち、くだけていった。
ディアンたちの目の前で、魔物たちが光を放ち消滅していく。
……リュオン様たちが、見つけたのか……
「早く洞窟に行きましょう。ユア様を助けなければ」
そう言ってディアンは立ち上がる。
「は、はい!あの、お兄さん。怪我は……」
エレンの言葉に、ディアンは優しく微笑んだ。
「私は、もう大丈夫です」
「き、消えたのか……?」
リュオンは呆然と立ち尽くす。静かに光が舞うなかで、水の固まりのようなものも混じり落ちてくる。
「これは……」
「それが、アザフスの涙だよ」
気づくと目の前に、小さな人魚とディアンの姿があった。
「これが、アザフスの涙……」
やはり先ほどの海藻が、イデンだった。エレンはそこに座り、ビンにしずくを入れリュオンに差し出した。
「はい。これが、必要なんでしょ?」
「あ、有難う……」
そうしてエレンは、イデンの隣にある、ピンクの海藻をちぎった。
「ユア様の……?」
「うん、お薬なの」
竜巻の中、人魚の村では巨大な音に人魚たちが駆けつけた。そうしてユアの姿を見て怯え、ジェラルドに倒すよう懇願していた。
ローザは先程のユアの言葉を聞いたこともあり、彼女たちの対応がやるせなく、つい強い口調で彼女たちに詰め寄る。
「ちょっと貴方たち!ついさっきまで敬ってた相手にその態度はないんじゃない!?」
ローザがそう言うと、人魚たちも動揺しているようで、声を震わせながら言った。
「だって、その姿は、私たちを襲った魔物と一緒です!!」
「もしかして、裏でずっと繋がってたんでは……」
ジェラルドは何も言わず、ただユアを見ている。
「貴方たちね……」
「ユア様!!」
そこで、エレンたちが帰ってきた。彼女は、ピンクの海藻をもって。
「エレン……」
「みんな!!とってきたよ、お兄さんたちが魔物を退治してくれて……!!」
その言葉を言いながら、エレンははたと見つめた。目の前の、白い魔物を。
しかし、その魔物をよく見ると、自然に呟いていた。
「ユア様……?」
「……エレン。ユア様は、魔物だったのよ」
ナヤが、悲痛な表情でつぶやく。その言葉を聞き、エレンは、静かにユアを見つめた。
そこでようやく、沈黙を貫いていたジェラルドが呟いた。
「魔物が消滅したなら、彼女もじきに消滅するだろう」
そこで人魚たちはどよめく。やはり仲間だったんだ、と彼女たちは怯えている。
「……ユア様……」
エレンは、静かに足を進めた。
「エレン!!」
ナヤをはじめ他の人魚が心配するが、エレンは迷わず進み、そうして、彼女の目の前でかがむ。
「ユア様、お薬です。とってきました」
その言葉に、ユアはゆっくり目を開く。他の人魚の怯える顔と、エレンの穏やかな表情が同時に目に入る。
「……辛かったですよね。遅くなって、ごめんなさい」
「……エレン。私は……」
「……ユア様は、私を助けてくださいました。命の恩人です」
そんな、立派なものじゃない。自分は、ただ……
綺麗な存在になりたかった。たった1人、残った兄弟を置いて、自分だけ綺麗な世界に行こうとした。
それでも。
兄弟を殺したものが現れたと聞いた時、憎くて仕方なかった。
あいつは、ただ私を守ろうとしただけだ。本当は分かってる、あいつが人間を襲っていたのも、人魚を襲ったのも、私を守るためだった。
エレン、私の薬は……本当は、海藻なんかじゃない。
ユアが心で呟いてる言葉など知らず、エレンは、壊れた柱の欠片を手にもつ。
「だから。今度は私が、ユア様を助けます」
そうして彼女は、己の腕を傷つける。赤い液体が、海藻に染み渡り、ピンク色に染まる。
エレンの行動に、皆が目を疑った。
「エレン。まさかお前……」
エレンは、にっこり微笑む。そうして、海藻を差し出した。
「はい」
ユアは、その途端激しく後悔した。
エレンは、知っていたのだ。自分が人間の血を糧にヒトカタを保っていたことに。
彼女が何故それを知っていたのか。はじめから気づいていたのか。
ユアは、気づいたら涙を流していた。




