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座敷

作者: ヒュウガ

 松の木があった。「あった」と過去形になっていることからわかるように、その松の木はもうない。

 昭和の終わりか、平成の始めのころあったと思う。詳しい年までは覚えていないし、そもそも田舎だから、昭和が終わったのか平成が始まったのか、はっきりしなかったのかもしれない。とにかく、そんなころの話だ。

 村で一番大きな、大地主の屋敷の庭に、その松の木はあった。樹齢は二百年とも三百年とも言われる古くて大きな樹だった。巨大な蛇がのたうっているような、どこか不気味な枝振りが、私たち姉妹は大好きだった。私たち姉妹の座敷からちょうどその大蛇の顔が見えるのだ。

 「お姉さま!この松の木は何かモノノケでもいるのでしょうか?」

 「古い樹には木霊が棲むって言うし、何かいるんじゃないかしら。」

 「夜になったら、あたし達もこの松の木とお話できるかしら。」

 そんなふうに、他愛ない想像を膨らませていた。実際、松の木は何かのモノノケになっていると有名で、しょっちゅう夜中に呻き声がしたとか、ずたずたとのたうつ音がしたとか言う噂が立っていた。

 ほどなくして、私たち姉妹はその屋敷を出ていかなくてはならなくなった。というのも、屋敷の主が大病を患ったのだ。主は日に日に衰弱していくが、その子供達は全く父親を気にかけないどころか、まだ死んでもいないのに、遺産相続の話をしているのだ。やれ長男だからこのぐらいだ、やれ家業を継ぐならこのぐらいだと。終いには、遠縁の親戚だとか、婚外子だとか言う人が何人も何人も話に加わって、相続争いは激化した。

 そんな家の様子に、私たち姉妹はこの家がもう長く持たないことを悟り、出ていくことを決めたのだった。

 「なあ、松の木よ。あたしたちがいなくなっても、どうか達者で暮らせよ。この家が無くなる最期まで、この屋敷を見守ってくださいな。」

 大蛇が静かにもたげた首に、妹はすがって泣いた。松の木はもちろん返事などしない。それでも、妹はいつまでも松の木の幹をさすり続けていた。

 出発の日の朝、私はとんでもない事を耳にした。長引く相続争いに飽き疲れたこの家の長男が、いい機会だからと庭を作り直そうと言うのだ。何がどういい機会なのかまるで理解出来ないが、どうも長男は、その松の木を切り倒してしまおうと考えているらしい。

 「もう、私たちは出ていくんだ。この家の事はこの家の事。私たちが関わるものじゃない。」

 私は、妹にその事を告げずに出ていくことにした。松の木を切るかどうかは家の人が決めることだし、何より、妹をこれ以上悲しませたくなかった。

 「ごめんよ。許しておくれ。私たちが守ってやれなくて。こんど生まれ変わるなら、人間に縛られない、蛇にでも生まれ変わるといいわ。そして、妹を嫁にでも貰ってくださいな。」

 私は心の中で松の木に祈った。

 私たちはお揃いの赤い着物に袖を通し、手を繋いで屋敷を出た。

 とぼとぼと、屋敷から真っ直ぐに続く道を歩いて、屋敷がよく見える高台まで来た。私たちは振り返って、私たちが暮らした屋敷の姿をもう一度目に焼き付けようとした。その時だ。

 「お姉さま!あれを!あれを見て!」

 「あ、ああ……蛇が……松の木が……」

 メキメキと音が聞こえるように感じた。松の木がゆっくりと倒れていった。なんと、長男は私たちが屋敷を出たその日の内に松の木を切り倒してしまったのだ。

 「いや……嘘よ……いやあああ!」

 妹が泣き崩れる。私の目の縁から、熱い液体が止めどなく迸った。

 だが、蛇はただ黙って切り倒されることはなかった。勢いづいて倒れる時に、一陣の風にあおられ、屋敷の方に倒れていったのだ。後に知ったことによると、長男は倒れた松の木の下敷きになって、二度と立つことができなくなったと言う。

 このあとも、あの家はさまざまな不幸に見舞われるだろう。私たちが出ていった後の家は、必ず廃れ、滅んで行く。

 あの家の行く末をあれこれ想像しながら道を歩いていると、私たちのわきを砂ぼこりと排気を巻き上げながら走り去る、一台の軽トラックがあった。荷台には小学生くらいの男の子が乗っている。運転しているのはその子の父親だろう。

 「あ、ああああ!ウサギちゃん!皮がないよ!親父、ウサギちゃんの皮が剥かれちゃってるよ。」

 「お前はそういや、鶏肉しか食ったことねかったな。ウサギの肉はうめえぞ。今夜はシチューだ。」

 「ウサギちゃ~ん!」

 男の子が手にした箱には、ウサギの肉が入ってるらしい。会話の内容によると、今夜はその肉をシチューにするようだ。

 ウサギ肉を持った男の子を乗せて、軽トラックは走っていった。

 「シチューか……。お姉さま。そう言えば、あの家でシチューなんか出たことあったかしら?」

 「そうね……。よく覚えてないわ。けど……」

 私は一度言葉を区切った。それは、今までいた家の様子を、改めて思い出したからだ。そして、あの家の衰退は、屋敷の主が臥せてから始まったものでないことに気づいたからだ。

 「あの家にはそもそも、シチューが似合うような、暖かい家庭はなかったような気がするわ。」

 あの家に、愛はなかったのだ。家業を続く継がない。遺産はどのくらいだどうだ。そんな打算だけで、あの家に親子の愛はなかったのだ。

 次の家は、私たち姉妹の住む新しい座敷は、どこにあるのか。そこにはちゃんと、愛はあるのか。私たち姉妹が、座敷わらしの姉妹が栄えさせる家に、愛がある事を、私は祈った。

 一先ず、隣町で化け猫を祭っている猫塚にしばらくは身を寄せよう。

 私たち姉妹は、また手を繋いで歩き出した。

(終)

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