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から揚げレモン戦争

作者: 森永真理

 時刻は午後八時。


名労なろう商事挙げた一大プロジェクト成功を祝って、乾杯!」

『かんぱーい!』


 部長の音頭から無礼講が始まった。

 舞台はある居酒屋の広間のような個室。その長テーブルの上が今宵の戦場だ。


「ビールお注ぎしますね」


 と、かまととぶって早くも酒が入り始めている親父共の世話をするのは同僚の女、花笹木かささぎヒナ。席は僕の真正面。

 ――彼女が僕の宿命の相手だった。ちなみに僕との通算戦績は僕が一勝、花笹木が三勝で僕の負け越しだ。


「今日は俺の奢りじゃあ! みんなどんどん頼めー!」


 部長が声高に言うと場の空気が一変する。何人かいる大食漢などは(経済的に)部長を殺しそうな目で見ている。

そう、これが開戦の合図。


(今夜は……世界大戦だッ!)


 目くるめく注文の嵐が弾幕のように咲き乱れ始めた!

 取りあえずビール、取りあえずビール、日本酒、枝豆、取りあえずビール、コーラ。

 緒戦を制すべく上がる怒号と阿鼻叫喚が、かつてない程の戦いの幕開けを予感させる。


(みんな……青いな)


 しかし僕はそんな低レベルな争いに固執することはしない。なぜならば、戦争とは開戦後ではなく、開戦前までに何をやって来たかで全てが決するからだ。


「あっ……すみません」


 僕が思い出したように呟くと、両隣の佐藤鈴木両名が反応する。


「どうした?」

「ちょっと仕事が残ってるのを思い出しまして……」

「なんだよこんな時に仕事かよ~。さっさと終わらせろよな~」


 ――もちろん僕はそんなうっかりさんではない。これは日中に敢えて終わらせなかった仕事なのだ!

 僕は愛想笑いを返すと、鞄の中からノートパソコンと資料を取りだし、戦場の上にそれらを布陣させた。目的は『件の料理』の皿を花笹木の前に置かせないことだ。


(第一分隊……戦闘始めだ)


 両隣の邪魔にならないように配慮しつつ、資料を縦に縦に伸ばす。花笹木に見咎められないギリギリを攻める!


(遠くへ、遠くへ……!)


 花笹木の顔色を窺いながら進軍していたその時、


「森永さん」

(――!?)


 花笹木が僕の名を呼んだ。


(速い、速すぎる!)


 僕は社内でのヒエラルキーを崩したくないが故に目立つ行動はできない。恐らくは花笹木もそれを承知している。

 ならば……


(これは牽制弾! これ以上の接近は許されないという警告!)


「な、なんですか?」

「お飲み物はどうしますか?」


 僕は不覚を取ったことを悟った。

 誰もがアルコールを胃に流し込んでいる中、僕だけがドリンクを頼んでいないというこの状況で、ドリンクの注文を断る選択肢は取れない!


(この女ッ、飲み物で腹を満たさせる算段かッ!)


 焦燥と共に僕の脳細胞が急速に回転する。

 まずアルコールはあり得ない。利尿作用を持つアルコールを飲めば、自然に席を離れざるを得なくなる。そうなれば一瞬で僕の敗北が決定してしまう。

 次に炭酸も駄目だ。誰もがご存知のように、炭酸から得られる満腹感は『食べること』を主眼においたこの戦争では致命的なものとなる。

 ならば選択肢は限られる。


 お冷や・ジュース・カルピスだ!

 僕の選択は……


「オレンジジュースで」

「はい♪」


 その酸味が食欲を増進させる(ような気がする)オレンジジュースはベターな手。お冷やではあまりにも味気ないしカルピスは甘すぎる。

 妥協ギリギリのラインだった。


 しかし状況は好くなってはいない。

 想定外に速い段階で進軍を止められた資料分隊は行き場を失っていた。


(いきなり作戦が狂わされたか……)


 花笹木の前のスペースには皿を置くのに足るだけの余裕がある。


(ならば、受け取らせなければいいまでッ!)


 徹底的な小細工を行う。僕はそれを決めた。

 資料分隊はこれ以上役には立たない。諦めて仕事が終わった体でそれらを鞄に仕舞うと、僕は席を一度立った。

 まだ僕と花笹木の戦争は開戦の合図がならされていない。つまり時間的に余裕があるのは今だけということだ。


「すみません、御手洗いに……」


 僕は誰も自分に注目していないのを確かめて行動を開始した。

 まずは部屋の入口近くにまとめて置いてある荷物を動かす。もちろん、ただ動かすだけではない。花笹木の座っているサイドへの道を塞ぎ、僕が座っていたサイドへの道を開くように配置した。

 こうすれば料理を運んできた店員が、心理的に自然と歩きやすい道を通るのは間違いない。


(そして次は……)


 僕は忙しなく働いている店員の一人に声をかけて訊いた。

 僕はあくまでも社内格付けに影響したくないだけなので、店員さんに話しかけるくらいはどうと言うことはない。


「すみません、から揚げって注文してどれくらいでできますか?」

「から揚げですか? そうですねぇ……ただいまご注文の多い時間帯となっていますから、十分から十五分はお待ちいただくかも知れないです、すみません」

「ああいえ、ありがとうございます」


 僕は心中にほくそ笑んだ。

 これは僕しか知り得ない情報なのだ。使いようはいくらでもある。


 と、ここで普通に用を足して僕は個室へ戻った。





 だが個室に戻って唖然とした。

 僕が組み立てたはずのバリケードが跡形も無く消失していたのだ。


「なっ……!?」


 僕の驚愕の顔を認めて、あの女が僕の名前を再び呼ぶ。


「森永さん、大変でしたね」

「た、大変……?」

「皆さん通り道に荷物を置いちゃうんだから、足の踏み場も無いですよね」


 僕の中に雷に打たれたような衝撃が奔る。


(完全に看破されていた……!?)


 無意味だった。僕が作り上げたバリケードはこの女の大きな瞳にあっさりと捉えられてしまっていた!

 それはまるで、アリが必死こいて作り上げた巣に油を注いで火を点けるかのような所業!

 

 僕は足下がふらつくのを感じながら席に就く。

 空っぽの空間には汗をかいたオレンジジュースが不動明王のごとく鎮座していた。


(気を取り直せ……戦況はイーブン、いや僕が僅かに勝っているはずだ……)


 かぶりを振っておしぼりで顔を拭くと、僕はオレンジジュースをすすって時を待った。

 その間にも花笹木は自分はハイボールに手を着けず、周りの世話ばかり甲斐甲斐しくしていた。しかしその立ち居振る舞いには一寸の隙も無い。これまで何度となく僕を打ち負かしてきた女のそれだった。


「みんな飲んどるか~!?」


 酔った雑兵――もとい部長の甲高い声が響く。しかし、僕はその奥で、誰かが店員にオーダーを伝える小さな声を聞き逃さなかった。


「か……げ……テ……に……つ……つ……さ」


 僕のニュータイプのごとく鋭敏になった聴覚がノイズを除去し、その間隙に適当な文字列を加えて完全な文に修正する。

 そして僕は目を見開いた!


――から揚げテーブルに一つずつください。


 これだ!

 これしかありえない!

 大戦も佳境に入り、遂に大物が姿を現す時が来たのだ!

 しかしそれを聞き逃す花笹木ではない。女もまた大きな瞳を一段と大きくして一瞬静止した。


(花笹木のスタイルは既に承知している。小細工なしで、力尽くで攻める『宴会の破壊神』タイプ!)


 社内での位置付けが高い花笹木は目立つ行動をしてもそれほど不審がられない。それになによりその端麗な容姿は、酒の席で蔑ろにされることなく一定以上の自由な動きが出来るフリーパスのようなもの!

 よってこの女の蛮行を止める者は僕の周りには誰もいなかった。


(今日こそは……守護まもるッ!)


 僕はいかづちのような閃きで懐からスマートフォンを取り出すと、ロック解除の時間を出来るだけ短縮するために採用している虹彩認証を使ってホームを開くと慣れた手つきで時計画面を開く。もちろん仮眠を取ってアラームを鳴らそうと言うのではない。


(タイマー……十二分三十秒にセット!)


 これは店員さんから聞いたから揚げの予測完成時間!

 花笹木の知らない僕の秘密兵器だ!


 ここからは忍耐の時間が続く。

 一杯のオレンジジュースで空腹を耐え忍ぶ時間が……。


「森永、お前食わないのかよ」


 鈴木が僕の脇腹をつついて言った。顔は紅潮していて息はひどく酒臭い。


(うるせぇな黙ってろよ)

「お気になさらず」


 僕の戦場は『から揚げの皿』にしかないのだ。青二才ジュノにとやかく言われる筋合いはない。

 見渡すと、各地で戦闘が起こっているようだった。

 大小さまざまの戦いが部屋全体で散発的に起こっては消えていく様はまさに世界大戦そのもの。

 一方僕と花笹木の戦いは未だ膠着状態、いわば冷戦だった。


「お前佐藤、ポテトにマヨネーズとかマジかよ!」

「俺酒入るとちょいマヨラー入っちゃうんだよなあ……」

(よそでやれよアホ)


 僕が佐藤鈴木の会話に痺れを切らしそうになったその時だった――


 ――ジリリリリリリ!!


 ……とは言わないものの、ピロリロ、と十二分半の経過を告げるスマートフォンの鳴動!

 僕は電撃的に席を立った!


(今から厨房近くに向かえば、から揚げを運んでくる店員さんとかち合う可能性大! そこで僕が皿を受け取って各員に分配すれば花笹木の干渉を許すことなく僕の勝利が確定する!)

「御手洗い行ってきます!」


 僕はそれを勝ち鬨の代わりに挙げた。訝しげに僕の顔を見つめてくる花笹木への勝利宣言だ。

 とは言え賭けには違いない。もしここでタイミングを違えば、から揚げは完全に花笹木の手に落ち、あの黄色の果実の汁に汚されてしまう!


 僕は激しい鼓動と共に大きな足取りで出入口に近付く。


――するとどうだろうか!

 あの刺激的な香り!

 両手一杯に皿を抱えた店員さんの姿!

 僕の自信は確信に変わったのだ!


 そして遂に邂逅の刻――。


「あっ、店員さん、一皿頂きます」

「ああ! ありがとうございます、すみません」


(勝利)


 それ以上の言葉は要らない。

 ただ――勝った。


「から揚げになりまーす!」


 威勢の良い店員さんの声。

 僕も便乗して元の席に戻って言う。


「から揚げ来ましたよ」

「おっ、から揚げイーネー!」

「待ってました!」


 佐藤鈴木が手を叩いて歓迎する。

 だが、最もから揚げを待っていたのはお前らではない。

 この森永だ!

 花笹木ヒナはしてやられた、と痛恨の極みをありありと表情に示している。そうだ、その顔が見たかった!

 

 さあ、僕は小柄な花笹木が手を伸ばしても届かなさそうな場所にから揚げの皿――聖杯をがっちりと抱きしめてから揚げの数を数える。


(えーっと、僕、佐藤鈴木、花笹木、その両隣の六人でから揚げが……)


――その時だった。


――――その時。


――――――微塵も考えちゃいなかった。


――――――――見ると花笹木も巨眼を飛び出さんばかりに剥いている。



から揚げ茶色い豊穣の大地に降り注ぐ白い雨。

全てを塗り替えていく優しすぎる白。



その名は…………





「佐藤お前、から揚げにマヨとかマジか(笑)」

「俺酔うとマヨラー度増してくんだよなぁ…(笑)」





(佐藤オオオオオオオォォォォォォ!!!!)




戦いは、始まったばかりだった。

おふざけをお許しください……

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