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29. 新しい街

お題「階段」

   ……よ、こ……れ、い、と。


 どこからか子供の声が聞こえてくる。

 亜希子は足を止めて辺りを見渡したが、閑散とした住宅地が広がるばかりで、人の気配はない。一本隣の道に児童公園でもあるのかもしれない。子供の声はよく通るから、家々の壁に反響してここまで届くのだろう。

 越してきたばかりのこの街に、亜希子はなかなか馴染めずにいた。越してきたばかりといっても、もうふた月ほど経っている。この時点でご近所の誰とも親しくなれないようでは手遅れのような気がしていた。

 どこにも属さず、誰とも繋がらない。世界の隙間に落ちてしまったような気分だ。あるいは一階の二階の間の天井裏に住み着いたネズミのような気分だった。

 契約社員の更新をしなかったのは間違いだったかもしれない。夕食のメニューを考える頭の片隅で、そんなことを思う。

 更新時期がちょうど結婚前の慌ただしさと重なったこともあって、一旦仕事を休むのもありかもしれないと思ったのだった。彼の方は新規事業のリーダーに任命されたとかでますます忙しくなりそうだったし、亜希子がしばらく専業主婦でもいいだろうかと持ちかけた際には、その方が助かるよと言ってくれた。

 式場の打ち合わせ、招待状の準備、新居の様々な開通手続きの立ち合い、各種申請、そんなもろもろを一手に引き受けていたら、退職から半年が経っていた。夢のようというよりは嵐のような半年間で、既に亜希子の記憶の中では結婚式も新婚旅行も遥か昔の出来事のように処理されている。


   ――……こ、れ、い、と!


   ――じゃんけん、ぽん!


   ――ぐ、り、こ!


 子供の声が近づいている。

 考え事をしていたせいか、子供の声に引き寄せられたのか、駅前のスーパーへ向かうはずが見慣れない道を歩いていた。見渡したところで住宅が並ぶだけだ。行くべき道を完全に見失っていた。来た道を戻ればいいのだろうが、振り返っても道の先は一軒の大きな家が立ちふさがる行き止まりで、どこをどう歩いてきたのか見当もつかない。


   ――じゃんけん、ぽん!


 どうせ道がわからないのならと、声のする方へ向かってみる。子供たちに聞けば駅の方角くらいはわかるかもしれない。


   ――ぱ、い、な、つ、


 ここか、と見当をつけて角を曲がる。

 すると、垣根に囲われた短い道と長い階段が現れた。


「……ぷ、る!」


 急な階段の中ほどで小学校三、四年生ほどの男の子が二人遊んでいた。

 階段のふもとには石造りの鳥居があったが、小高い丘の上にあるらしき神社は勾配のせいか屋根さえ見えない。


「じゃんけん、ぽん!」


 子供たちは互いにグーを出した。当然、あいこでしょ、との声がするものと思っていると、下にいた子の方が一段ずつ上り始めた。


「ぐ、り、こ!」


 これはずるい。喧嘩になる。そう思いつつ、ゆっくりと参道を進む。

 しかし、上にいた子が不満を述べることはなかった。それも我慢している様子もない。そしてまたすぐにじゃんけんをする。

 亜希子は階段の下に佇んだまま二人の子供を見つめた。


「じゃんけんぽん!」


「ち、よ、こ、れ、い、と!」


 今度は上にいた子が進む。だが、じゃんけんはまたしてもグーのあいこだったはずだ。見ていると、どうやら「じゃんけんぽん」は掛け声でしかなく、毎回二人ともグーを出しているようだ。そして交互に勝ちとして階段を上っていく。その際の段数にも決まりはないようだった。

 最近の子はこんな遊びをしないからルールをよく知らないのかもしれない。教えてやるべきか、それとも楽しそうだからこのままでいいのか迷っていると、片方の子が足を滑らせた。


「あっ!」


 亜希子は、思わず大きな声をあげた。

 子供たちがハッとした表情でこちらを見た。初めて人がいることに気付いたに違いない。普段は人通りもないだろうから、まさか人がいるなどとは思いもしなかったのだろう。

 転んだ子はその場で手をついただけですんだようだが、人通りもないこんな場所で足でもひねっていたら困るだろう。亜希子は子供たちを怯えさせないように笑みを浮かべ、「大丈夫?」と声をかけながら階段に足をかけた。

 階段を上っていく亜希子の姿を子供たちは身じろぎもせずにじっと見つめている。それは警戒というよりも、品定めされているように感じられた。だが、そんなはずはない。ただの子供だ。亜希子は転んだ子のひとつ下の段に腰かけた。


「きみたち、この辺の子?」


 子供たちは顔を見合わせてから、小さく頷いた。


「そう。わたしのこと、初めて見かける人だからびっくりしちゃったのかな? わたしはね、最近この街に引っ越してきたの。だから道に迷っちゃって」


 子供たちはまた顔を見合わせた。そして、今度は笑みを浮かべて頷いてくれた。

 亜希子も自然、笑顔になる。


「転んだところ、痛くない? ちょっと見せてくれる?」


 子供たちは頷き合うと、転んだ子は素直に右手を出した。血は出ていないが、小さな擦り傷になっている。


「あら。痛そう」


 亜希子は財布の中に挟んであった絆創膏をその子の傷に貼ってあげた。


「おうちに帰ったらちゃんと消毒してもらってね」


 すると、もう一人の子も手を差し出してきた。こちらは左手だ。


「あなたも怪我したの?」


 見てみると、細かい傷がいくつかあった。けれどもどれも最近のものではなさそうだ。子供、特にこのくらいの男の子というのは頻繁に怪我をするものなのかもしれない。これといって手当てが必要な傷は見当たらないが、もう一人の子と同じような位置に絆創膏を貼ってあげると、とても嬉しそうな顔をした。


 安心して立ち去ろうと腰を上げたところで、亜希子は自分が道に迷っていたことを思い出した。


「そうだ。きみたち、駅への道を知ってる?」


 子供たちはうんうんと得意げに頷いて、揃って街の方を向いた。

 亜希子も首を回すと、茜色の空が広がっていた。小さな神社だが階段は思いのほか高いらしく、街が一望できた。


「うわあ……きれい……」


 思わず感嘆の声を漏らすと、子供たちは心底嬉しそうにころころ笑った。

 そして、それぞれに絆創膏を貼った手を伸ばして、一点を示す。その先には駅舎と、そこへ続く商店街が見えた。いつも通る道だ。ここからも案外近い。


「ありがとう。これで帰れるわ。きみたちも暗くなる前に帰りなさいね」


 子供たちは頷くと、手を振った。てっきり家路につくのかと思いきや、勢いよく階段を上っていく。神社を越えていくと近道なのだろうか。子供たちの姿が消えた階段の先を眺める。


「ちょっとだけ寄り道……」


 誰に言うでもなく、言い訳をして階段を上る。

 最上段にもまた石造りの鳥居があり、数歩で行きつく先には、古くて小さな本殿があった。戸は閉ざされている。

 この土地の氏神様なのかもしれない。これまで引っ越し先で氏神様に挨拶はしたことがなかったけれど、これもなにかの縁と思い、柏手を打った。


「これからお世話になります。この街で無事に暮らしていけるように見守ってください」


 階段を下りる直前で、ふと振り向く。

 先ほどは吸い寄せられるように歩み寄った本殿の戸の前に、小さな狛犬が鎮座している。これまで狛犬をまじまじと観察したことなどないからわからないが、どうもほかの神社の狛犬より小柄な気がする。興味を惹かれ、近づいてみると、狛犬に似つかわしくないものが目に入った。


「……え?」


 小さな狛犬のそれぞれ内側の足に絆創膏が貼られていた。右前足と左前足。


 ああ……この子たち……。


「これからよろしくお願いします」


 亜希子は左右の狛犬の頭を撫で、階段を下りて行く。


 ぱ、い、な、つ、ぷ、る……。ち、よ、こ、れ、い、と……。


 足元に広がる街は、あたたかな色に染められ、帰宅する人や買い物に向かう人で溢れていて、階段を下りるほどにざわめきが大きくなる。


 ……じゃんけん、


 亜希子は最後の一段で、足を揃えて飛び降りた。


「……ぽん!」


 夕日が、とても眩しかった。



(了)


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