28. 届かぬ想い
お題「ポスト」
「ああっ、もうっ!」
あたしは弾む息の下から声を押し出した。ううん、あたしの意思なんて関係なく出てきた声なんだけど。そりゃもう思わず声だって出ちゃうわよ。いままでに何度失敗したことやら。
小さくなっていく赤い後ろ姿を見送りながら呼吸を整える。
握り締めた封筒には深いしわがついていた。しかも手汗でしっとりしている。
あーあ。また書き直さなくちゃ。
あたしはようやく、赤い姿が去った道の彼方から視線をはずした。
そして今日も、ポストに入るはずだった封筒は制服のポケットに収まった。
あたしは長いことあいつへのラブレターを投函できずにいる。今回で何連敗だろう。
神出鬼没なポストに投函するなんてまさに神業。でも、だからこそ、そうやって届いたラブレターに感激すると思うのだ。
内容なんて二の次だ。内容で勝負するならメールで十分。っていうか、学校に行けば隣の席なんだから直接言えばいいわけで。それをわざわざ手間のかかるラブレターなんてもので伝えるから愛が伝わるってもんだと思うよのね。べ、べつに、文章に自信がないって言っているわけじゃないのよ? そりゃあ、自信満々ってわけでもないけど。
とにかく!
ここのところ、あたしはポストを追いかけることに全エネルギーを注いでいるってわけ。国語は苦手でも体育は得意なあたしなら、けっこうイケるんじゃないか、なんて思ったのが甘かった。
ポストのやつはほんとに気まぐれで、いつどこに現れるか全くわからない。その規則性を調べてはネットに上げる人たちもいるけれど、正直どれもたいした精度じゃない。初めのうちはあたしもネット情報を信じて、出没するとされている場所と時間に待機していたけど、一度として当たったことがない。
それよりは常に歩きまくった方が、はるかに遭遇率がいいことに気がついた。ポストは投函された手紙を配達しなければならないのだから、配達先では立ち止まるはずなのだ。つまり、住宅密集地ほど遭遇率が上がるってわけ。大通りよりも住宅地、特に団地やマンションなんかだと何軒ものお宅が集まっているからグンと高確率になる。なんだ、あたしってけっこう頭いいんじゃん、なんて思ったりして。
実際、登校前とか下校後とかに町中を歩き回っていると、かなりの確率でポストに遭遇する。だけど、問題はここからだった。
あいつら、早すぎるのだ。届け先に立ち止まることなく、わずかにスピードを落としただけで手紙を置いていく。さすがプロだ。
だけど、それで諦めるあたしじゃない。届ける手紙があるってことは、投函した人がいるってことなんだ。いつもあんなに忙しそうに配達を繰り返すポストなのだから、相当な数の手紙が投函されているに違いない。ほかの人にできていることがあたしにできないなんてことがあるだろうか。しかもあたしは体育が得意なんだ。特に走ることに関してはかなり自信がある。
よし、見てろよ、ポスト。いつかかならずあんたの真っ赤な口にカタンと言わせてやる。
あたしは来る日も来る日もポストを追いかけることに死力を尽くした。登校前にもポストを追いかけて走り回るせいで、学校でも机に突っ伏して眠ることが多くなった。隣の席のあいつが話しかけてきても、うんうんと返事をしているうちにいつの間にか夢の中にいたりする。話せないのはちょっと残念だけど、悲願達成の際には、あたしの努力に感動してくれることだろう。あれはそういうことだったのかと愛おしさがこみあげるかもしれない。
「駅前に寄っていこうぜ」
放課後、あいつに誘われた。あたしの好きそうなスイーツのお店を見つけたのだという。
なんと! このあたしを喜ばせようとしてくれるのか! 行きたい! すごく行きたい! だが、あたしにはあいつへのラブレターを投函するという使命がある。ここはグッと我慢の時。
「ごめん、また今度!」
あたしは手を振り、颯爽と去っていく。
あいつの優しさに感動し、より一層、ラブレターを投函する意思を固める。これは、あいつも、もしかして、ちょっとくらいは、あたしのことを……? なあんて、希望が湧いてきたりして。うん、きっと勘違いなんかじゃない。あたしは自信をもってポストを追いかけ続ける。
あいつの想いをさらに確信するできごとがあった。いつもあいつと話す間もなく寝てしまうからだろう、机にノートの切れ端に書かれたメモがあった。
《話したいことがあります。休みの日にどこか行きませんか? 都合を教えてください》
な、な、な、なんてことだ! デートだ。デートのお誘いだ。そうに違いない。でもって、告白とかされちゃうんだ。きゃあー!
これは、ますます頑張らなくては。デートを確かなものとするために、やっぱりラブレターを送っておくべきだ。あいつはきっとあたしの想いの強さに感激して、同じ気持ちだってことを熱烈な言葉で伝えてくれるはず! 行くんだ、あたし! いまこそ全力でポストを追え!
しかし、一向にポストに追いつくことはできない。
季節は巡り、卒業が目の前まで来ていた。
なぜだ。なぜ投函できない? 配達されている手紙は、いったいどんな俊足な人間によって投函されているんだ?
その答えを、突然あたしは知ることになる。
その日もあたしはラブレターを握り締め、走り去るポストを追いかけていた。ポストとの距離がどんどん離れていく。またしても、だめか……諦めかけたその瞬間、ポストがスピードを落とした。
――行ける!
なけなしの力を振り絞り、駆け出そうとした足が止まった。
ポストは停止していた。手を上げた人の前で。あいつだった。あいつは、あいている方の手で手紙を投函すると、上げていた手を下ろした。ポストは再び走り出す。
なんだ? どういうことだ?
あたしのもとへも、遠くからポストが近づいてくる。タクシーを止めるように手を上げてみると、ポストはあたしの目の前で止まった。立ち止まり、おとなしく口を開けて待っている。
あまりのできごとに、全身の力が抜けた。上げていた手がだらりと落ちる。ポストが走り去る。もう片方の手も力が抜けて開かれていて、握っていたはずのラブレターがなくなっていた。
とぼとぼと帰宅すると、あたし宛の手紙が届いていた。あいつからだった。
《もうずっと話ができないので手紙を書くことにしました。いつからか嫌われてしまったようですね。でも俺は君のことが好きでした。卒業してもお元気で。さようなら》
こうして、私の恋は終わった。
了




