27. ピンキーリング
お題「指輪」
誰しも若気の至りのひとつやふたつはあるものだろう。いわゆる黒歴史ってやつだ。恐らくひとつも思い当たるものがないなんてやつは、まずいないと思う。
ただし、程度の差はある。本人にとっては重大な汚点であっても、他者から見れば微笑ましいことも多い。他人事ながら思わず同情の念が湧くのは、恋人の名前をタトゥーにしてしまったとか、その手の類くらいだ。
だが、俺に言わせればそれだってかわいらしいものだ。
幸い、いま俺には多少なら時間がある。ここはひとつ、その黒歴史ってやつを聞かせてやろうじゃないか。
ああ、グラスが空だ。大事にとっておいたこのワインもあと一杯で飲み切る。いつか訪れる特別な日のためにしまっておいたのだが……うん、まあ、今日という日も特別な日には変わりないか。
ほら見ろ。ちょうどグラス一杯分だ。
よし、いい感じに酩酊している。舌も滑らかに動きそうだ。
ところで、俺はいくつに見える?
二十代前半……でも話し方がオヤジ臭いって? うるせえよ。酒のせいだ。でもいい線いってる。間とって二十九だ。
あれは大学生の頃だったから、かれこれ十年経ったことになる。
十八、九の俺はうかれまくってた。偏差値は大したことないし、言っても誰も知らないような大学だったけど、とりあえず受験を乗り越えて現役合格したんだ。しかも勢いで入った飲みサーで彼女なんてできちゃって。これが浮かれないはずないだろ? 当時はかっこつけて適当にぼやかしていたが、実は初めてできた彼女だったんだ。
いや、まじ、いま思い返しても、どうしてあんなかわいい子が俺なんかと付き合おうと思ったのかさっぱりわからない。もしかしたら、あいつも舞い上がっていただけなのかもしれないな。
べつにそれ自体は悪いことだとは思わない。なにをするにも勢いとタイミングは大事だしな。俺なんて就職も出世も勢いとタイミングと運だけでやってきたようなもんだ。
けどな、ひとには慎重にならなくちゃいけない時がある。その話をしようと思うんだ。
彼女はかわいかった。しかも性格もよかった。優しくて穏やかだし、社交的だった。かといって派手な感じはなくて、清楚系とでもいうのかな、とにかく非の打ちどころがなかった。ただ俺と同じ大学だったから学力の方はたいしたことがなかったんだろう。いや、貶しているわけじゃない。学力に限定するわけじゃないが、恋人でも友人でも、深く付き合う相手は知的レベルが近い方がいいというのが俺の持論だ。趣味や好みが違っても、知的レベルが近ければ十分に会話を楽しめる。
と、まあ、そんな彼女だったから、モテたわけだ。俺と付き合ったのは、たぶん俺が一番乗りだったからだと思っている。なんたって俺は、勢いとタイミング命の男だからな。先手必勝だ。確認したことはないが、彼女の方も初めて交際を申し込まれて舞い上がってオーケーしたんだろう。いいんだ、きっかけなんてなんだって。その後も俺たちは仲良く楽しく過ごしたんだから。
一緒にいる時間が惜しくて、互いにバイトもあまり入れていなかった。だからいつも金のかからないデートばかりしていた。
そんな中で、夏祭りは特別なイベントだった。
浴衣で現れた彼女は本当にかわいくて、アップにしたうなじの後れ毛なんかが妙に色っぽくて。少し動くたびにシャンプーの香りとかして。俺はTシャツに短パンって家からそのまま出てきただけの格好だったんだけど、彼女とのアンバランスな感じがまたよくてな。
雰囲気に飲まれて、「なんか買ってやるよ」とか言っちゃって。言った後に、夏祭りの露店で売っているものなんかたかがしれているのに、俺ってばなに偉そうに言ってるんだか、ってちょっと後悔したりして。でも、彼女は「嬉しい!」って両手を握り合わせたりして。いや、まじ、かわいいんだよ。
でさ、なにを欲しがるかと思ったら、指輪だよ。指輪ったって、ほら、あの、プラスチックの、あるだろ? 小さい女の子がおもちゃ屋さんとかで買うやつ。ああいう、子供向けの露店があったわけだ。
そこで彼女が「これ、欲しい……だめ?」とか上目遣いで見つめてくるわけさ。
だめなわけないだろ? すぐさま買ったね。
よく覚えてないが、たぶん三百円とかそんなもんだったんだと思う。宝石を模したピンク色の飾りがついているやつだった。ガラスでさえないんだぜ。プラスチックだよ。
でも彼女は「かわいい。かわいい。ありがとう」って、心底嬉しそうで。思わず「こんなのでごめんな」って、暗い声で言っちゃって。
そしたら、彼女、俺を元気づけるためなのか、「じゃあ、指輪の価値を上げるために、あなたがわたしの指にはめて?」って。
女の指に指輪なんかはめたことないしさ、てか、男の指にだってはめたことないけど、まあ、まだ純だった俺はちょっとドキドキしながら彼女のどの指にはめればいいのか悩んでいたんだ。
でも悩むまでもなかった。大人が買うことなんか想定してないんだろうな、彼女の小指にぴったりだったんだ。おもちゃとはいえ、薬指にはめられたら、それなりにかっこついたんだろうけど、小指ってなあ……。それで俺はますます情けない気分になってきて。
そしたら彼女はにっこり笑って言ったんだ。「約束をする指だね」って。
けなげだろ? ああ、こりゃあ、せめて喜ばせることを言ってあげたいなって気分になったわけさ。で、その場の雰囲気と勢いで言ったんだな。
「結婚しよう」って。
彼女はきょとんとしていた。あ、やべっと思って、慌てて付け加えた。
「あ、いや、お互い三十になってもひとりだったら結婚するってどうだろう?」てな。もうすでにちっともかっこついてないし。
彼女はぱあっと……ほんと、もう、ぱあっと音がするような感じで笑顔になって、「うんっ! 絶対だよ、約束ね!」って、指輪のはまった小指を差し出したんだ。俺も自分の小指を絡めて指切りしたんだよ。彼女の指の細さと、シャンプーの香りでくらくらしたね。
はは……かわいい、か。ちっとも黒歴史なんかじゃないって? 本当にそう思うか?
彼女はな……、その帰りに死んだんだよ。俺と別れた後だ。信号無視をした車に撥ねられた。
飲酒運転だったんだとよ。よっぽどすごい衝撃だったんだろうな、俺の買ってやった指輪はなくなっていた。
さてと。これまで俺はあんたに向かって話しかけてきたわけだが、あんたは誰だ? なぜ一人暮らしの俺の前にいる? ここはどこかと繋がっているのか?
ああ、まあ、そうだろうな。そろそろ繋がる頃だ。あんたがいるのは予定外だったがな。
そら。繋がってきたのがわかるか? 近づいてくる。
わからないのか? 彼女だよ。
もうすぐ日付が変わる。そうすれば、俺は三十だ。
彼女がやってくる。わかるんだ。感じるんだよ。彼女のシャンプーの香りがするだろう?
若いうちはなんでも挑戦してみるべきだ。すべては勢いとタイミングだ。必ず財産になる。ただし、指輪だけは慎重に。
これが、俺からあんたに残せる最後の言葉だ。
お別れの時が来たようだ。
どうか、おめでとうと言って見送ってくれ。
ああ、来た来た……
――やあ。ひさしぶりだね。
(了)




