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25. 彼へのチケット

お題「チケット」

 世間は狭い。なんの繋がりもなさそうな人と共通の知人がいた、なんてことはよくある。

 そう、よくある話。

 こんなの、運命でもなんでもない。



      *



《メッセージを受信しました》


コウタ『どう? 荷造り、進んでる?』

ハルカ『うん。ちゃんと間に合うよ。コウタこそ大丈夫なの?』

コウタ『それならよかった。俺は大丈夫に決まってるじゃん。引っ越しって感じでもないし』

ハルカ『そっか。そうだよね』

コウタ『じゃあ、当日に』

ハルカ『うん。じゃあね』



 春香は腰かけていたベッドにスマホを置き去りにして、部屋の中央に戻った。組み立てた段ボール箱に囲まれた床には、大小さまざまなチケットが散らばっている。

 動物園、水族館、植物園、博物館、美術館、映画館……たくさんの思い出たち。

 どこも楽しかった。けれども、行くところなんてどこでもよかった。一緒にいれば、どこでも楽しかった。



 一番古いチケットは美術館のものだった。展示がどのようなものだったのかは覚えていない。覚えているのは、時の隙間に落ちたように誰もいなくなった展示室で、初めて手が触れたこと。

 二人とも絵を見ていた。あれはなんの絵だったのだろう。春香の意識は触れたままの右手小指に注がれていて、瞼は開いていても瞳には映っていなかった。

 触れたのは偶然だったのかもしれない。けれど、そのままにしていたのは偶然ではなかった。

 二人とも知っていた。触れていることに。小さいけれど、たしかに体温を感じていることに。


 動物園のふれあいコーナーでは、近づいていく春香たちの気配に気づいていなかった羊が、ふと振り向いて飛び上がらんばかりに驚いていた。あの、表情などなさそうな羊の顔が、心底驚いたという表情を見せたことに、笑いあった。

 その後もことあるごとに「そういえば、あの羊……」と言っては、涙を流しながらの思い出し笑いをした。

 二人なら、面白い出来事は二倍にも三倍にも膨れ上がった。笑いながら、なにがそんなにおかしいのかわからなくなるのだが、それなのに笑うことが更におかしくて、また笑いを重ねたのだった。



 どのチケットを見ても、その時の気持ちがよみがえる。

 こんなものをずっと捨てずに持っていたと知ったらどんな顔をするだろう。

 照れるだろうか。喜ぶだろうか。笑うだろうか。それとも、怖がるだろうか。



 運命なんて信じない。それは今でも変わらない。

 けれども、運命に似たものなら知っている。とても運命に似ている偶然なら。



 あの、運命みたいな偶然の出会いよりも前から、二人は知り合いだった。ただそれは、顔と名前を知っているというだけのもの。顔を合わせればよそ行きの笑顔で挨拶を交わすというだけのもの。


 あの日、二人は別々の用事で、別々の人と、別々の場所で待ち合わせをしていた。そして、偶然同じように早く着きすぎていた。同じように時間を潰そうとして、同じカフェにいた。

 初めは気づかなかった。なんとなく、隣の席の人も同じように文庫本を開いているということだけは気づいていた。

 物語がひと段落し、本から視線を外してカップに手を伸ばした。隣の人も同時に同様の動きをした。無作法と自重するより早く、反射的に目を向けていた。彼も同じようにこちらを見ていた。


「……あ」


 声が重なった。


「こんにちは」


 再び重なって、笑った。


「今日はどうされたんですか?」


 互いに尋ねた。

 互いにデートの待ち合わせだった。


 互いの相手は、互いの友人だ。知っていた。もうずっと前に紹介されていたから。なんとも思わなかった。友人の恋人としての認識しかなかった。この、偶然が重なった時でさえその認識は揺るがなかった。


 それなのに、手にしている本が同じだとわかった瞬間に、目に映る風景の輝度が増した。



 運命なんて信じない。



 康太に不満などなにもなかった。彼とて同じだろう。春香の友人である彼女となんの問題もなく過ごしていたはずだ。それでも、そんな今までがくすんでしまうのを感じた。



 二人は、友人の恋人。恋人の友人。



 その日、偶然会ったことを春香は康太に話した。康太はその偶然を楽しそうに聞いていた。


「私も友達になれそう」


 春香が言うと、康太も嬉しそうに同意した。


 けれども、友達などにはなれなかった。絶対的に友達ではないのに、それ以外の呼び名を持たない二人だった。


 やましいことはなにもない。手を繋いだこともない。心の内を伝えたこともない。


 春香はいまや康太に執着する意味を持たなかった。

 打算的だと思う。ただ、この枷を手放したら、どこまでも飛んで行ってしまいそうで怖かった。心のねじれを解いてしまえば、彼にも同じことを求めてしまうかもしれないのが怖かった。だから対等でなければならない。お互い様だと、どちらかの想いに偏ってなどいないと思いたかった。


 対等に、枷を外すという選択肢はない。


 彼も春香も、すでに結婚話が進んでいる。

 あの運命のような偶然の出会いの日、彼は彼女から、新しい命を授かったと聞いたそうだ。

 あの運命のような偶然の出会いの日、春香は康太から、親が二世帯住宅を建設中と聞かされた。



 あれからチケットの数だけ月日は流れ、彼の子は来月生まれ、春香は明日引っ越しをする。



 結ばれないのなら、やはり運命ではないのだろう。

 出会いが遅すぎた。

 そう、よくある話。

 こんなの、運命でもなんでもない。



 春香はチケットをかき集めて、ごみ袋の上でこぼした。


 大小さまざまなチケットが散っていった。




      (了)


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