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21. 瞳に映すのは

お題「写真」

 二泊三日の校外学習最終日。夕食から就寝までの時間は自由時間。すべてのプログラムが終わって開放的な気分で過ごす夜。


 あとは夏休みを待つだけだし、みんなが浮足立つのも分かる気がする。それにみんな一緒とはいえ、気になる男の子がずっと近くにいるんだから、女子なんてみんな自分のことだけじゃなくて他人のことまで気になってウキウキドキドキわけわかんなくちゃっちゃう。


 高校では二年生の夏に野外活動研修施設に行くことになっている。クラスごとに違う施設に行く。うちのクラスはキャンプ場が点在する山奥の施設だ。


 学習とか研修とか言ったって、あたしの友達にしてみれば、ハイキングや飯盒炊爨は特定の誰かと親しくなるイベントでしかない。

 実際、何組かのカップルが成立しているんだからすごい。いったいみんないつの間に。――って、わかっている。あたしが真面目にカレーを作ったり、みんなのレポートを集めている間にいっぱいおしゃべりしていたもんね。


「あ~あ」


 一人残された部屋で腰高窓に身を乗り出して、夜風を吸い込む。湿り気のある濃い緑の匂いがする。下の階の明かりが暗闇を四角く切り取っている。夜の中にぽっかり台形の穴が開いているみたいだ。葉擦れの音のようなざわめきと、時おり弾ける笑い声。レクリエーションルームに集まっているのだろう。


「ああ、いたいた~」


 軽やかな声と共に安奈が部屋に入ってくる。


「香澄~。ちょっとお願いがあるんだけど……」


 拝むように両手を合わせ、上目づかいに見つめてくる。そんな趣味はないのにドキッとしてしまうほどにかわいい。


「なに?」


 めんどくさいな~と思いながらも聞いちゃうんだな、これが。


「キッシーの写真を撮ってほしいんだ……」

「キッシー……」

「あ。キッシーって岸本くんのことね」


 それはわかってるよ。わかっているけど、わかんないよ。


「なんで? 自分で撮ればいいじゃん。よくしゃべってるんだし」


 最後の一言が予想外に刺々しく響いて焦ったけど、安奈は気にしていないようだ。


「しゃべるにはしゃべるけどさぁ、逆に改めて『写真撮らせて』なんて言ったら怪しくない?」

「そうかもしれないけど、あたしが『写真撮らせて』なんて言う方が怪しくない?」

「頼まれたって言えばいいじゃん。あ、でもわたしが頼んだって言っちゃダメだよ?」


 それならなおさら自分でそう言って撮らせてもらえばいいのに、と思ったけれど言わずに飲み込む。代わりに小さく「わかった」と答えると、安奈は嬉しそうに部屋を出て行った。


 安奈が岸本くんの写真を欲しがるのはわかる。よくわかる。でもなんであたしに頼むのかよくわかんないよ。いや、でもしかたないか。安奈は知らないんだもん。あたしは誰にも言っていないから。だって言えないよ。自分よりかわいい子が自分より先に好きだって周りに言っちゃっているんだもん。応援するしかないじゃん。


 あたしは渋々スマホ片手に一階へと向かう。ざわめきと笑い声が大きくなる。開け放たれた食堂の入口から軽く見渡しただけですぐに岸本くんは見つかった。奥の窓際で男子五人が固まって、なにがそんなにおもしろいのか小突きあいながら大笑いしている。

 でもきっとひとり部屋の隅でしゃがみこんでいたって、すぐに見つけられるって自信がある。あたしの視線は彼の姿に吸い寄せられるようにできている。


 写真、どうしよ。


 あの五人組のところに行って、岸本くんだけを撮らせてもらうだなんて、頼まれごとだとしても躊躇われる。と同時に、そんなことになったら岸本くんはどんなふうにからかわれて、どんなふうに照れるのかを見てみたい気もして。


 じっと見ていたせいだろう、視線に気づいた岸本くんと目が合った。

 一瞬の真顔。

 すぐにそらす視線。

 そして何事もなかったかのようにまたじゃれ合いを始めた。


 ヒヤリと胸の奥が沁みた。悲しいとか苦しいとかではなくて、怖いと思った。変な奴だと思われただろうか。気持ち悪いと思われただろうか。

 好かれなくていい。なんとも思われなくてもいい。嫌われたくはない。警戒されて避けられるのが怖かった。


 あたしは食堂に背を向けて、裏口から外に出た。電気の明かりはなにもなくて、月も建物の反対側にあるらしく、辺りは黒々とした闇に包まれている。森は時おり海を思わせる音を響かせるだけで、その姿は夜に沈んでいる。


 山の夜は深い。かすかに背後から聞こえるざわめきさえ闇に飲み込まれてしまいそうだ。目を閉じると緑の匂いが濃くなって、夜の静けさに耳鳴りがした。夜風が火照った肌に気持ちいい。


 はたと気づいて、スマホを握りしめていた手を開くと、じっとり汗ばんでいた。


 ああ。写真、どうしよ。


「か~す~み、ちゃん。なにしてんの?」


 耳元でかけられた声に体当たりされたかのような衝撃があって、振り向きざまにバランスを崩し、ふら~っと倒れそうになったところをガシッと二の腕をつかまれてどうにか踏みとどまった。


 ふぅ~。一安心……いや、待て。今、なにが起こった?


「放してよ」


 とりあえず岸本くんに掴まれた二の腕を奪還する。――あ、ちがう。間違えた。ここはお礼を言うべきところだったかもしれない。だけどもう立て直す余裕なんてなくて、無理矢理でもこのまま不機嫌で通すしかないと心を決める。


「ひどいな~。助けてあげたのに。あのままだったら転んでたよ?」


「あんたが急に声をかけたりするからでしょ! しかも、なんで急に名前でなんか……」


 普段は苗字呼び捨てのくせに。そりゃあ、たしかにさ、ほかの女子のことはふざけた調子で「なんとかちゃん」とか呼んでいるのにあたしだけ苗字だなんて淋しいとか思ったりしていたけどさ、いくらなんでも急すぎじゃない? 不意打ちとか卑怯だよ。あ、いや、改めて名前で呼ばれたらそれはそれでドギマギしちゃうっていうか……じゃないよ、そんなことはいいんだよ。どうした? しっかりしろ、あたし。


「名前で呼んだらダメだった?」


 そんなこと真顔で言わないでよ。キャラじゃないじゃん。


「別にいやとかじゃないけど……」


 って、あたしもこんなしどろもどろなキャラじゃないんだけど。

 なんだかもう頭の中がとっちらかっちゃって、とにかくなにかしゃべんなきゃって思ったら、安奈に写真を頼まれていたことを思い出した。


「写真撮らせてちょ」


 ……噛んじゃったし。


「撮らせてちょ、って! ちょ、ってなんだよ、ちょ、って~!」


 岸本くんはおなかを抱えて涙を流しながら笑っている。


「うるさいなっ! ちょっと噛んだだけでしょっ!」


 明かりがなくてよかった。きっと今のあたし、顔真っ赤だ。


「『写真撮らせてちょ』『写真撮らせてちょ』」


 岸本くんは心底面白そうに何度も口真似をする。


「ちょっと、いくらなんでもしつこいんじゃないの?」

「わりぃ、わりぃ。――で、写真?」

「うん、あ、えっと、友達に頼まれて……」

「ふ~ん。誰?」

「誰でもいいでしょ。内緒よ、内緒」


 ここで安奈の名前なんて出したら絶対怒られちゃう。


 岸本くんはにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「友達が~っていう時はさ、たいてい……」

「いや、これは本当に友達から頼まれたのっ! 本当なんだからっ! 誤解しないでよね!」

「わかった、わかった。じゃあさ、香澄ちゃんの写真も撮らせてよ」

「え?」

「いや、俺もさ、友達に頼まれて」


 そう言って照れくさそうにニヘラッと笑う。

 さっきの「友達が~っていう時はさ、たいてい……」という岸本くんのセリフが甦ってきそうになるのを必死で押しとどめる。

 とりあえず写真を撮らせてもらわなくては。カメラアプリを起動させるためにスマホに視線を落とすと、わあっ、と岸本くんの感嘆の声がした。


「つーか、空、見てみ?」


 視線を上げていく。手元から黒い森へ。さらに視線を上げると、闇の途切れた先には満天の星空。


「うわぁ……」


 ――カシャッ。


「香澄ちゃんの口開けた間抜け面いただき!」


 岸本くんは自分のスマホを掲げて得意げに笑う。


「やだ、ちょっと、その画像、消してよね!」

「え~。どうしよっかな~」

「こらっ! 消しなさいってばっ!」


 笑いながら建物に入っていく岸本くんを追いかけながら、瞬きのたびにカシャッ、カシャッっとシャッター音が聞こえる気がした。あたしの瞳に岸本くんの姿がいっぱい写っていく。




      ~ fin ~

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