15. 宅配クリーニング ライフ
お題「クリーニング」
インターホンの弾むような音に、美幸はようやく顔を上げた。眠っていたわけではないのだが、頭と視界が少々ぼんやりする。
全身にまとわりつく気怠さを振り払いつつ、エントランスを映し出すディスプレイに目をやれば、キャップを目深に被った配達員らしき人の姿が映っていた。応答のために立ち上がると同時にディスプレイは暗くなった。不在と判断したようだ。
美幸は立ち上がったついでにエントランスに降りようと考える。玄関脇の小引き出しから宅配ロッカーのカードキーを取り、エレベーターへと向かう。
美幸がマンション生活を気に入っている理由の一つが宅配ロッカーの存在だ。不在にしていても再配達の依頼をせずに済むのは重宝している。
玄関先とはいえ人に見せられないような恰好の時に居留守をつかうことも間々ある。今回のようにあとからこっそり取りに行けばいいのだから本当に便利だ。
案の定メールボックスには、宅配ロッカー使用の旨を知らせる用紙が入っていた。
カードキーで宅配ロッカーから荷物を取り出す。不織布のバッグにはなにが入っているのか、形が定まらない。
なにかを購入した記憶もない美幸は、玄関を上がるなり荷物を開梱し始める。一番上に一枚の紙がぺらりと乗っている。
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黒野 美幸 様
≪納品書≫
この度はご利用ありがとうございます。
下記内容にて納品いたします。
学生服(女子)ブレザー …… 1点
学生服(女子)スカート …… 1点
<備考>
ブレザー内ポケットに入っていたものは
封筒に入れ、納品物と同梱させていただきました。
ご確認くださいますようお願いいたします。
宅配クリーニング ライフ
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なにかの間違いではないだろうか。美幸はまずそう考えた。
なぜなら美幸は先月ついに三十代の仲間入りをし、落ち込んでいたばかりなのだ。しかも健太郎との間にまだ子供はいない。よって、制服をクリーニングに出すこともないのだ。
しかし宛名はたしかに美幸の名前である。
釈然としないままに自分宛であるならばと制服を包むビニール袋を剥がしていく。その途中で美幸の手が止まる。そしてすぐに動き出した手は先程よりも焦るようでもある。
制服を掲げて眺める。眉根を寄せつつブレザーの内ポケットに手を入れ、はたと思い出した様子で傍らの封筒を手に取った。クリーニング店の店名が印刷された茶封筒の中から洋形定型サイズの封筒が出てきた。美幸は震える指先で便箋を広げる。
「どうして……?」
短い問いの言葉が零れ落ちる。
その手紙は「黒野健太郎さま」という宛名から書き始められている。懐かしい筆跡。高校時代の親友、千春の手によるものだ。記憶の糸を辿るまでもなく、その頃の出来事が鮮やかによみがえる。
健太郎と仲がよかったのは、千春よりむしろ美幸の方だった。
互いに歯に衣着せぬ物言いで、時に喧嘩腰になることもあったが、そのやり取りすら心地いいものだった。健太郎の方も同じだったのだろう、ことあるごとに突っかかるような言葉を発していた。互いに会話する機会を楽しんでいた。ただ二人の仲はそれ以上に発展することもなく、また変化を求めてもいなかった。
そんな中、美幸は千春に頼まれたのだ。健太郎に手紙を渡してほしいと。
千春の気持ちはなんとなく知っていた。親友の想い人と知りながら自分の方が親しくしている現状に密かな優越感さえ感じていたのだ。
しかし健太郎が自分のことをどう思っているのかということまでは美幸にもわからなかった。千春は美幸から見ても素直で明るい好人物だ。そんな女子から思いの丈を綴った手紙などを受け取ったら好意を抱かないとも限らない。
美幸は千春の手紙を懐にしまった。
千春には手紙は渡したと伝え、健太郎にはなにも告げなかった。
その後その手紙をどうしただろう。
美幸は目を閉じ高校時代へと思いを馳せる。
まだ学校に焼却炉があった時代のことだ。掃除の時間にゴミを捨てに行ったついでに火にくべた。届くはずのない返事を待ち続けていた千春もやがて健太郎を諦め、美幸は甘い罪悪感に酔いしれながら千春を慰めたのだった。
その頃の制服と、燃やしたはずの手紙がなぜここにあるのだろう。なにか記憶違いをしているのだろうか。
美幸はすっきりしないながらも今更どうにもならない後悔と共にすべてをクローゼットに押し込めた。
*
数日後、再び宅配クリーニングからの納品があった。今回も依頼した覚えのないものだ。
そもそも「宅配クリーニング ライフ」などという業者は知らない。いつも頼んでいるのはホワイトなんとかという宅配クリーニングだ。それだってもう数ヶ月は利用していない。
前回の不可解な納品を思いだし、躊躇う気持ちもなくはなかったが、好奇心の方が勝った。
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黒野 美幸 様
≪納品書≫
この度はご利用ありがとうございます。
下記内容にて納品いたします。
Yシャツ …… 1点
<備考>
口紅のシミ、落としました。
ご確認くださいますようお願いいたします。
宅配クリーニング ライフ
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このYシャツはしっかりと覚えている。一度はクリーニングに出したのだ。
近頃の口紅は落ちにくいと謳う商品も多く、布に着いたシミも年々落ちにくくなっているという。職人気質の個人クリーニング店ならいざ知らず、安価で数をこなすようなチェーン店ではシミの色が薄くなる程度で納品してくる場合がある。
そう、その時にクリーニングに出したのは、いつものホワイトなんとかという宅配クリーニングではなく、駅に向かう途中にあるクリーニング店だった。
美幸は今までそのクリーニング店を利用したことはなかった。しかしある時、自宅に電話がかかってきたのだ。「お預かりしたまま一ヶ月が経過しております。お早目にお越し願います」と。
覚えがないと答えると、「黒野様のお宅ですよね?」と言われる。名前と電話番号が合っているのだから受け取りにいかねばなるまい。
そうして受け取ったのが口紅のシミが消えずに残ったYシャツだった。
どうやら夫の健太郎が自らクリーニングに出したものらしかった。普段そのようなことはしないから、受け取りをうっかり忘れてしまったのだろう。
それにしても、と美幸はYシャツについた口紅を見る。ラッシュの電車で口紅がついてしまうこともあるだろうと思う。しかし、ボタンを二つ三つ外さなければならないような襟の内側に口紅がつくような状況とはどのような場合だろうか。
そう思った日のことを美幸は思い出していた。それほど遠くない日の記憶だ。しっかりと覚えている。
だが、このYシャツを再びクリーニングに出した覚えはない。ましてや「宅配クリーニング ライフ」などという業者には。
とはいえ、過ぎたことだ。
美幸はYシャツが皺になるのも構わず、乱暴に丸めてクローゼットに押し込んだ。
*
二度あることは三度ある――これはなにか根拠のある言葉なのだろうか。一週間とあけずに再度「宅配クリーニング ライフ」からの納品があった。
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黒野 美幸 様
≪納品書≫
この度はご利用ありがとうございます。
下記内容にて納品いたします。
全身スーツ …… 1点
<備考>
大変申し訳ありませんが、
当店ではシミを落とせませんでした。
ご了承くださいますようお願いいたします。
宅配クリーニング ライフ
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納品書を読んで、美幸は首を傾げた。
全身スーツとはなんだろうか。ふざけた余興などで着るウエットスーツのような形状のものを思い浮かべる。
前回、前々回にも増して覚えのない服である。そもそも全身スーツが服であるのかどうかも美幸には判断がつかない。
当然ながら美幸自身のものではないが、かといって健太郎がそのようなものを身に着けている様も想像できない。
今度ばかりは完全なる間違いだろうと思いながら、確認のために不織布のバッグの中で折りたたまれているものを広げ――ようとして、放り投げた。
なんだ、これは。
シミというにはあまりにも広範囲。いや、そんなことではない。これは――血液。大量の。既に赤くはない。黒檀のように暗く広がっているが、これは血液で間違いないと美幸にはわかった。落とせなかったと書いてあるが、落とそうとした形跡はなかった。
もしこれが本当に血液であるならば――そうに決まっているのだが――この服は……全身スーツはなにを意味するのだろうか。
美幸は投げ捨てた全身スーツに手を伸ばす。床で広がりかけたそれは手に取るまでもなく全体の形状を露わにしている。
それでも美幸はその肩部分を掴み、広げて眺める。姿見で我が身を映すように。我が身の姿と区別不能の全身スーツ。
区別? そのようなものはない。ふたつは同一のものなのだから。美幸の表皮そのもの。
血飛沫を浴びた記憶が押し寄せてくる。
「そう……落ちなかったのね……」
美幸は不服そうに呟くと、全身スーツをクローゼットに押し込んだ。
雑に詰め込んだクローゼットから動物の毛皮のようなものが落ちてきそうになる。
美幸がそれを我が身で押し返すよりも早く成人男性の血まみれの上半身がずるりと滑り落ちてきた。
その指先が美幸の全身スーツの頭頂部に留められたクリーニングタグに引っ掛かり、ステープラが外れる。
はらりとタグが床に張り付くのを表情のない美幸の顔が追う。
ゆっくりと美幸の眼窩がタグに印刷された文字に向けられた――。
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宅配クリーニング ライフ
人生の汚れ落とします
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~ fin ~




