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14. 白いカーテン

お題「カーテン」

 チャイムが鳴り終わらないうちに廊下に明るいざわめきが満ちる。声や足音が昇降口へと流れていく。一日の終わりは校内の空気がふわっと膨らむ。

 帰る人や部活に向かう人。その中にあいつの声や音が混じっていないかと耳を澄ます。いやになっちゃう。こんなふうに一日中あいつの気配を探している。きっと私は誰より早くあいつを見つけられる。



「中原さん、起きてる?」


 保健室の先生の声がした。


「はい……」


 先生の名前、なんだったけなぁとぼんやりした頭で考えてみるけれど、ちっとも思い出せない。もしかしたら忘れているわけじゃなくて、初めから知らないのかもと思ってみたりする。二年以上高校に通っているのに保健室に来るのなんて初めてだし。


 ギシッとデスクチェアの軋む音がして、先生の小さな足音が近づいてくる。


「ちょっと開けるわよ」


 私の返事を待たずに白いカーテンが細く開いた。


「中原さん、具合どう? もう一度お熱測っておく?」


 私は横になったまま小さく首を振る。軽く眩暈がしてそっと瞼を閉じた。


「そうよねぇ。測っても熱が下がるわけじゃないものね。もう放課後だけど、どうする? ひとりで帰るのはちょっと無理でしょう?」


 私は返事の代わりに目を開けて先生を見つめる。瞳の表面をなでる瞼の内側が熱い。


「おうちには誰かいる? お迎えに来てもらえそう?」

「親はふたりとも夜まで帰ってきません」


 さっきは首を振ってめまいがしたから、今度は声を出してみた。耳の奥から押し広げられているような感じがして、自分の声がなんだか遠い。


「う~ん。じゃあ、中原さん、どうしようか? 先生はこれから職員会議があるんだけど、終わってからでよかったら、車で送ってあげようか? 一時間くらいで終わると思うけど、そのまま待っててくれる?」

「はい。お願いします」


 私は遠慮なく答えた。だってとても歩ける気がしない。


「じゃあちょっと行ってくるわね」


 先生はそっとカーテンを閉じると保健室を出ていった。



 熱を出すなんて何年振りだろう。風邪……なのかなぁ。喉も頭も痛くないし、咳も鼻水も出ない。なのに熱だけが37.8℃もあった。

 昨日の放課後からなんだかぼんやりした感じはあったんだよね。頭の芯が痺れているっていうか。歩くと地面がふにゃふにゃとやわらかくて。

 だけどまさか熱があるなんて思わないから、今日もフラフラしながらも登校して。相変わらず頭の芯が痺れた感じはあったんだけど、ぼーっと席に座っていれば時間だけは過ぎていった。

 お昼休みになっても食欲がなくてぼんやりしていたら、アヤカとサエに強引に保健室に連れてこられた。


 私は教室にいたかったのにな。保健室の先生も午後の授業には出ないでここで寝ているようにって言うし。だけどそんなこと言われても眠れるわけないじゃん。昨夜はちょくちょく目が覚めて眠りが浅かったから、本当は寝不足なんだと思うけど、なんだか頭の中がぐるぐるしちゃって眠るどころじゃない。


 あー。教室に鞄を置きっぱなしだ。でもきっとアヤカとサエが持ってきてくれるだろう。


 そんなことを考えていたせいで、いつもならすぐに感じる気配に気づくのが遅れた。

 保健室のドアがノックと同時に開かれて、気配が急に濃くなる。ドクンッと喉元が大きくひとつ脈打つ。


「……中原?」


 カーテンの向こうで低い声がいつもより静かな音量で届く。


「うん……」

「ああ、そこにいるのが他の人じゃなくてよかったよ」


 笑顔で言っているのが伝わってくる柔らかな声。熱のせいか頭がよく回らない。


「あ、えっと……、俺、岡崎だけど」

「うん」


 カーテン越しでわからないと思ったのだろう。わからないはずないじゃん。いつもだったら廊下を歩いているだけでわかるってば。でもそんなことを言えるはずもなく。


「アヤカやサエも一緒?」


 どうしてこいつがここに来たのかわからなくて、訪ねてみる。


「あいつらに頼まれて中原の鞄を持ってきた。このあと待ち合わせしているとかで急いでいるんだって」


 あのふたりめ、余計なことを。きっと待ち合わせなんてない。私に気を遣ったつもりなんだ。ばっかじゃないの。ますます熱が上がっちゃうっての。


「だからってなんで俺なんだよなぁ? 人使い荒くね? あいつら」


 その言葉にはっとする。あのふたり、本当にばか。そうだよ、なんで岡崎なのかってことになっちゃうじゃん。だいたい、岡崎も疑問に思いながら引き受けないでよね。


「あのさ、中原さ、一人で帰れる? 俺でよかったら家まで送ろうか?」


 ちょっ、岡崎ったら、なに言っちゃってるの? あんたってこんな優しいこと言うやつだったっけ? かっこつけてんじゃないわよ。だいたい歩けないってば。


「ううん。いい。保健室の先生が車で送ってくれるって」

「ああ……そうだよな。熱あるんだもんな。歩けないよな……」


 そうだよ……。まったく。岡崎ってば、あんた、ばかなの? ねえ、ばかなんでしょ?

 白いカーテンの向こうに映るあんたの影に私がどんなにドキドキしてるかなんてちっとも気付いていないなんて。もうやだ。息、苦しい。


「うん。だから鞄そこに置いて帰っていいよ」


 ばかは私だ……。なによ、この言い方。せっかく鞄を持ってきてくれて、帰りのことまで気にしてくれたのに、さっさと帰れなんて追い払うようなこと言っちゃってさ。いやんなる。


 黙り込んだ岡崎の足音が窓辺へと向かう。外からの光で、カーテンにあいつの姿が一層はっきりとした輪郭を映す。

 窓を開ける音とともにカーテンがふわりと揺れる。少し砂埃の匂いが混じった風が吹き込んでくる。

 細くめくれたカーテンの隙間から外を眺める岡崎の背中が見えた。寝転がって見上げる背中はいつもより少し大人に見えた。

 風が去るとカーテンはそっと元の隔たりを作る。


「……さっきさ、現国の授業だったんだけど」


 私が帰れと言ったはずなのに、岡崎は授業の話なんかを始める。私は答える言葉が見つからずに、ただカーテンに映るあいつの影を見つめている。


「今、夏目漱石やってるじゃん? でさ、先生がおもしろい話をしてくれたんだよね。あ、おもしろいって、笑えるって意味じゃなくて、へぇ~って思う感じのおもしろいって意味ね。本当かどうかわからないようなエピソードではあるらしいだけど、なんかさ、夏目漱石って、かっけーじゃん、って思ったんだよね」


 岡崎は早口で要領を得ない話をする。なにが言いたいんだ、こいつは。

 でも。言っていることはさっぱりだけど、私だけがこいつの話を聞いているっていう状況はなんだかとても贅沢に思えて、頬が緩む。誰に見られるわけでもないのに、そんな自分が恥ずかしくて、掛布団を目元まで引き上げた。


 廊下が騒がしくなる。授業終わりのざわめきとは違う。職員会議が終わったんだ。


 岡崎の影も廊下の方を見やる。ああ、帰るんだな、と思って掛布団の端をギュッと握った。


 保健室の先生の足音が近づいてくる。


 息が苦しくて、顔が熱くて、胸がドキドキして――もうなにが原因なのかよくわかんなくなっている。先生はもうすぐそこまで来ている。――ああ、この時間が終わる。


 岡崎は窓を閉め、なぜかこっちに向き直った。カーテンに一歩近づいたらしく、影が一回り大きく映る。


 岡崎の影は落ち着きなく両手を動かしている。なにがしたいのかさっぱりわからないのに、なぜかものすごい緊張の波が押し寄せてきた。

 なになに? なんで私、緊張してるの? 

 あ、そうか……。たぶんだけど、岡崎が緊張しているからだ。


「つ……」


 ……つ?


「月が綺麗ですねっ!!」


 岡崎はそう叫ぶと猛スピードで保健室を出ていった。


 ……はああああ!?


 入れ替わりに先生が入ってきて「なにあれ?」とおかしそうに笑った。


 ほんと、なにあれ?

 月が綺麗ですね……?

 昼間なのに? はあ? なに言ってるの? あいつ。


 でも。岡崎の言った言葉は意味不明だけど、きっと大切なことなんだと思う。

 だって、「若いっていいねぇ」と笑う先生の声が、祝福の言葉に聞こえるから。


 熱がものすごく上がった気がして、私は頭のてっぺんまで布団にもぐりこんだ。





      ~ fin ~


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