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12. ピアノ

お題「ピアノ」

 私は幼少期の記憶がかなり曖昧だ。




 小学生からしか記憶がないとか、中学生まではあまり覚えていることがないとか、そういう人は少なくない。

 しかし、私の場合は少し違う。記憶はあるのだ。それこそ弟が生まれる前だから三歳以前、いや、線路脇のアパートに住んでいた頃だから一歳になったばかりの頃の記憶まである。おそらくそれは古い記憶を持っている方なのではないかと思う。

 ただし、その記憶が真実を留めたものかと言われるといささか心許ない。いや、それどころか幼い子供ゆえの空想と現実の混濁からくる記憶ではないかと思われる。

 にもかかわらず、それらの記憶は恐ろしく鮮明であり、空想の産物と断定するには抵抗もある。いくつかをお聞きいただこう。




 ひとつはこうだ。


 初めに暮らしていた線路わきのアパートから二度の引っ越しを経て、現在の実家に定住することになったのは私が三歳半の時のことだった。


 家族四人が暮らすには無理がある小さな平屋だったが、玄関だけは広々としていた。

 硝子の引違戸のため採光は充分であり、間口も一間あるので三和土(たたき)も広い。(あが)(かまち)も高さがあり、腰かけて靴を履くのに便利であった。

 それまで住んでいたアパートの玄関とは随分と違っていた。


 ただ、いくら広い玄関であろうとも人数以上の靴が並べられることはなかった。

 父は朝出て夜帰るので、昼間は母と弟、そして私の三人分の履物しか並んでいないことになる。


 その日はたしか弟がどこかから飛び降り損ねて捻挫でもしたらしく、母は弟を病院に連れて行っていたのだと思う。私はひとり留守番をしていた。


 初めのうちは大人しく絵本を読んだり塗り絵をしたりしていたのだが、ふと思い立ち庭掃除をすることにした。今となっては我がことながら理解に苦しむのだが、私はなぜか庭の掃き掃除が好きであった。だからその時も遊びのうちであったのだろうと思う。


 母から外には出るなと言われていたが、外とは家の外のことではなく、敷地の外だと思い込んでいた。

 であるから、私は迷いなく玄関に向かい、自分の赤い運動靴を上り框から見下ろした。当然玄関に並んでいるのは私の靴だけのはずであった。いや、確かに私の靴だけではあったのだ。


 ただそれは一対の靴ではなく、一式の靴であった。三つ並んでいたのである。


 お断りしておくが、私の足は昔から二本である。


 余りがひとつできることは仕方がないとして、さて、どのふたつに足を入れようか。急に突き付けられた難題に私は頭を悩ます。物を考える時の常として、斜め上を見やった。

 そして再び三和土に視線を落とした時には靴は一対に戻っていたのだった。


 夢ではないと思う。しかし、その自信はない。




 ふたつめはこうだ。


 幼稚園年長の頃のことだった。


 私は先生というものは魔法を使えるのだと信じて疑わなかった。そしてそれは特別なことではなく、魔法が使えるから先生なのだと思っていた。だからそのことは周知の事実であるとさえ思っていた。


 たとえば、運動会のリレーの説明のために、先生は黒板に棒人間を二人描いた。

 後ろの人の手にバトンを持たせる。そしてバトンパスの説明をする。

 走ってきた人は次の人に渡してね。次の人はバトンを受け取ってから走ってね。

 先生がそう説明すると、棒人間は黒板の表面でゆっくりと走り、バトンの受け渡しをして、受け取った棒人間は黒板の外へと走り去っていったのだった。


 先生の言葉を動きで再現するというとても親切な説明であった。ちょうど3D眼鏡をかけて見た感覚に近いものだった。


 別の時には、見本用にと黒板に貼り付けられた折り紙のこいのぼりが尾びれを震わせたり、並んで貼られた女雛と男雛が談笑を始めたりしたものだった。




 それらのことが私にしか見えないと知ったのはずっと後のことになる。


 ただもしかして誰にでも見えているわけではないのではないかとの疑念を抱くようになったのは、幼稚園年長の頃のあるできごとがきっかけであった。



 園にあるグランドピアノにまつわるできごとだ。




 私は先に話した通り、先生が魔法を使うと思っていたため、幼稚園では不思議なことが当然のように起こりうると思っていた。

 だからピアノについても、そういうものなのだと納得していたのだ。夜になると誰もいない園でピアノ曲が聞こえるという噂さえ怖いとは思わず、そういうこともあるのだろうと妙に納得していた。なにしろ中には人が入っているのだし。


 私の梅組と隣の竹組は可動式の壁で仕切られていた。可動式とはいえ、嵌め込み式のものなので、知らなければ普通に分断された二つの教室に見えたことだろう。

 お遊戯会の時などにはこの壁が取り外され、梅組の黒板の前に舞台が組まれる。二つの教室はお遊戯室も兼ねていたのだ。


 そのため、お遊戯室となった時に舞台側となる梅組にはグランドピアノが置かれていた。


 普段の歌の時間はオルガンが使われていて、グランドピアノの屋根も鍵盤蓋も閉じられていた。


 ただどのような理由だったのかはわからないが、時折、突上棒で屋根を起こしてある時があった。

 その時はピアノの内部が覗き込めるので、子供たちには大人気だった。鍵盤から伸びる弦と、それを下から叩く小さなハンマーが並んでいる様が興味深かったのだろう。屋根が開いている時は多くの子供が背伸びをして中を覗き込んでいた。

 その輪の中に私はいつも入れなかった。なぜなら、つやつやと黒く滑らかな鏡と化した開いた屋根の内側に人の姿が映り込んでいたからだ。


 一糸まとわぬ姿の性別すらも定かでない「人」が胎児のように膝を抱え蹲っていた。いや、直接目にしたことはない。いつも必ず屋根に反射する姿を認めるだけにしてきた。


 側板から察するにグランドピアノの内部の深さなど40cmほどだろう。今思えば、そのようなところに人が隠れられるはずもない。

 しかし、背伸びをし、覗き込まなければ見ることの叶わない空間になにが存在するのかわかりようもないのだ。


 私はただ屋根に映るその姿を見たことがあるだけだった。その「人」が鍵盤から与えられる指示のままに音を出しているのだと解釈していた。

 そしてそれは私にとっては疑うべくもないことであり、よって、ほかの誰かと認識を共有しようと思ったことさえなかった。


 みんながなぜそれほどにして中を覗き込み、その「人」を見ようとするのか理解ができなかった。

 私であれば、そんなにじろじろと見られるのは不快だ。親から「自分がされて嫌なことは他人にもするな」と言われていたので、忠実に守ったまでのことだ。


 しかし、屋根に映る姿にすら目を逸らすのは幼稚園児である私には難しかった。興味に抗う理性などまだそれほど発達してはいなかった。


 だから私は屋根に映るその「人」を眺めていたのだ。時には鏡越しのように、屋根越しに目が合うこともあった。子供の目のように見えた。


 あちらも見られるとは思ってもいないのだろう、目が合うと、はっとしたように一瞬目を見開き、すぐに視線をそらすのであった。


 時には側板に指をかけている時もあった。子供の手の大きさではあったが、その指は白く細く長かった。先生が突上棒を外して屋根を閉じようとするとするりと吸い込まれるように消えて行った。


 ある時、いつものように私にはわからない理由で、グランドピアノの屋根が上げられ、突上棒で支えられていた。

 またもや園児たちは飽きもせずに背伸びして覗き込んでいた。

 屋根にはやはり「人」が映り込んでいた。


 その「人」と目が合うと、その目が細く弧を描いた。笑ったのだろう。ぬめりとした気味の悪い笑顔だった。


 そしてあの細く白い指が伸び、突上棒を握り――内側に引いた。


 覗き込んでいた子たちはどういうわけか一人も挟まらずに済んだ。


 ただ、屋根が閉じる瞬間、その隙間から一人の園児がするりと引き込まれるのが見えた。


 おそらくそれを見ていたのは私だけだったのだと思う。誰も声を上げなかったし、先生もピアノの中を覗こうともしなかった。

 そして、園児が一人消えたというのに、先生もほかの園児もなにも言わなかった。私には、誰もその子のことを覚えていないように見えた。だから私も次第に消えたこの子とは忘れていった。特に親しいわけでもなかったのと、名前すら覚えていなかったのだから忘れても仕方がないだろう。


 私がその子のことを思い出したのは、次にグランドピアノの屋根が上げられた時だった。その屋根に映る顔が引き込まれた園児の顔だったからだ。



 なお、夜になると聞こえると言われていたピアノ曲は、お泊り会の時に何人もの園児が耳にしている。私もその一人だ。噂は時に事実である。


 その時のピアノ曲がシューマンの「トロイメライ」だと知ったのは、私が大人になってから――その幼稚園が廃園になった後のことである。




 このように、私は幼少期の記憶がかなり曖昧だ。





    ~ 了 ~

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