海の上
目を閉じて、自分の感じることのできる全てに集中して、寝転んでいた。
ゆら、ゆら。揺りかごのように揺れる感覚と、カモメの鳴き声。水が物に軽くぶつかって立てた音。優しく前髪を撫でる涼しい風。そして、潮の香り。
んーっ、と体を伸ばしてから勢いよく体を起こす。勢いが良すぎて少し船が揺れたが、まだ大丈夫だ。
船とはいっても、人一人乗れる程度の小さなものだ。気を付けなければ。
ここは海の上。私はたった一人で旅をしている。
まぁ、ある人を探しているだけなのだけれど……全く見つかる気がしない。
一体どこにいるんだ。
次に向かうのは、綺麗な桜で有名な、スリジエ島だ。
この世界で言う、いわゆる魔法というような力で、この船は自動的にスリジエ島まで連れて行ってくれるようになっているので、私は悠々と船の上で寝転んでいられるわけなのです。
さてさて、暖かな日差しに優しい風、穏やかな海に可愛らしいカモメ。
これだけ恵まれているんだ、考え事に頭を使うしかないではありませんか!
ではでは、まずは私の自己紹介でも!
誰に話すわけでもなく、こうやって明るく頭の中で話すのがマイブームなわけなんだけども!
さて、まず何を話しましょう?
うーん、やっぱり話し相手がいないとつまらないですねぇ。
私は右手を軽く振り、魔法とやらを使う。
ぽん、と軽快な音を立てながら現れたのは、小さなクマのぬいぐるみ。
特に何か言うわけではないが、こちらをつぶらな瞳で見つめている。
若干、動いているような気がしなくもない。
「やぁ君、もしかして生きているのかい?」
我ながら、馬鹿げた質問だ! なんて、馬鹿馬鹿しい!
しかし、クマのぬいぐるみは短い右手を必死に挙げて、YESの意を懸命に伝えようとしているではありませんか! ブラボー! 感動で涙が出そうです!
ところで、なぜクマのぬいぐるみなのだろうか? まぁ、そんな事、本当はどうだっていいんだけどさ! ちょっと気になるよね!
って、そうか、こいつ、生きているのか。
「そうかそうか、君は生きているのか! んー、てことはつまりぃ、その中身は肉なのかい? それとも綿のまま? 血は流れているの?」
ずずいっとクマの顔の部分に自分の顔を近づける。
クマは慌てたように手をパタパタと動かすが、ぬいぐるみ特有のアンバランスな体型のせいで、私から離れることができないらしい。可哀想に。
「まぁ、唯一の話し相手だ。あまりいじめないでおこうではないか。
君も、その方がありがたいんだろう? 間抜けなクマさん」
動かないはずのクマの表情が、少しひきつっているような気もするけれど、まぁいいでしょう。
お話の続きをしようではないか。
「ではでは、まずは私の自己紹介から。
私の名前は有栖川 栞。見ての通り、可憐な10代だよ。
今は人探しの為に、一人寂しく旅をしていたってわけさ!
でも、もう寂しくないや。だって、君がいるんだものね?」
わざとらしく小首を傾げながら私は言うが、今さらこのクマのぬいぐるみにそういう技は効かない。むしろ逆効果らしい。クマの小さな体が小刻みに震えているように見える。
「ところで君、多少は動けるくせに話はできないのか。なぜ? なぜなんだい?
あれか、この口。この口がきっちりと縫い合わせられているからか? ここに穴をあければ話が……おっと、悪かったよ、今のは悪気は無かったんだ、本当だよ」
途中からクマが必死に私と距離をとろうとし始めたので、慌ててクマの頭をつかんで無理やり私の近くに座らせた。
「なぁお前、人間になったらどんな奴になるんだろうな。私、とっても興味があるんだ。
材料がそろい次第、ちょいと試させてくれよ。まぁ、拒否権なんてないけどね」
クマのぬいぐるみは、がっくりと項垂れるかと思いきや、少し乗り気なようで、私の顔を見上げて少し手を上下に動かした。
「そうだ、私の話を聞いておくれよ。その為にお前を呼んだんだ。誰だか知らないけどさ!
そう、これはまだ私が普通の人間だったころのお話さ」
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五年前、私はごく普通の高校生だった。
黒髪黒目。顔は悪くもなく、良くもなく、頭も上の下。どこにでもいるような人間。
普通の生活をして、普通に生きて。そして、普通に死んでいくのだと思った。それが運命なら、私は逆らわずに流されていようと思っていた。
しかしそんな普通は簡単に崩れ去り、学校へ行こうと玄関を開けたその先には、レンガ造りの家ばかりが立ち並んでいた。
驚いて私がその場に立ち尽くしている間に、私が今まで住んでいた家は消失。別の家へと変わっていた。
さらに驚くべきことに、自分の見た目が変わっていた。
白い髪に赤紫の瞳で、十歳くらいの身長に変わっている。しかし、私の顔は十歳の割にはあまりにも整いすぎていた。
しかしどれだけ容姿が優れていても行く当てはない。仕方なく見知らぬ街をとぼとぼと歩いていると、優しそうな青年が話しかけてきた。
青年に事情を話せば不思議そうな顔をしたが、すぐに微笑んでこの街を案内してくれた。
「そうだ、行く当てがないなら……僕に良い考えがある」
その青年の言葉に、私は首を傾げる。不安そうな顔をしていたのであろう私に、青年は笑顔を向けて優しい声で言う。
「大丈夫だよ、僕に任せて」
青年に付いて行った先は、どこか澱んだ空気が漂っている場所だった。
青年の服の袖を掴みながら、目の前にある大きな建物へ。
建物の中は、どこを見ても大きな檻しかなかった。
これはどういうことかと青年の顔を見れば、青年の優しい微笑みは消え失せ、代わりに醜い本性に塗れた醜い笑顔を浮かべていた。
「君のおかげで、俺は大金持ちになれる」
「どうして、お兄さん……」
掠れた声で問いかければ、青年は馬鹿にしたように笑ってから答える。
「どうして? そんなものわかっているだろう。
まず、その見た目だ。白……いや、銀に近いその珍しい髪に、赤紫色の瞳は、この世にそうそういない。珍しいものがお好きな貴族どもは、どれだけ高額だったとしてもお前を買うだろう。
つまり、俺は最初からお前を売るために近づいたのさ」
その言葉に、私は絶望して言葉を失う。
抵抗するだけ無駄だとわかっていながらも抵抗すれば、その場にあった鞭で私を叩く。傷だらけになっても抵抗したが、すぐに檻の中へと入れられ、数時間と経たずに私は奴隷となってしまった。
背中にある焼き印が、私が奴隷であり、人間未満に成り下がった証だった。
それから五年。私はずっと、貴族の元で奴隷として生きていた。いや、生きていたというよりはそこにあった、と表現した方がいいのかもしれないが……運が良いのか悪いのか、私は再び奴隷売り場に戻されることになった。
そして隙を見てそこから逃げ出し、いろいろあって、何年もの月日が流れ、今がある。
「と、いうわけなのさ! 感想は、君が人間になって話せるようになってから聞こうかな!
まぁ、まともなものは期待していないから平気だよ? 安心してね!
そうそう、今の話を聞けばわかると思うけど、私は異世界じ____」
そこまで言ったところで、初めてクマのぬいぐるみが大きな動きを見せた。
私の口めがけて、勢いよく飛んできたのだ!
「ちょっと、何するんだい!? 君の鼻の部分、プラスチックだかなんだか知らないけれど、すごく固いんだね? とぉっても痛かったよ!」
クマのぬいぐるみは、変わらず話すことができない。
代わりに、ただ私の忌々しい赤紫の瞳を見つめているだけだ。
「……はぁ、わかった。私のくっだらない過去の話はもうやめるさ。
それより、これからの話をしよう。その方が有意義だ」
こうしている間にも、魔法で船は進み続けている。
目的地へと、着実に、少しずつ。
「私たちが向かうのは、スリジエ島。桜で有名な島さ。
そして同時に、はじまりの島でもあるのさ。
あぁ、君には理解できないだろうね。大丈夫、今のは独り言だ」
私は異世界人だ。
もう何年も前にこの世界に来て、様々な過去を積み重ねて、今を見据えている。
そして、未来を知る、価値の高い生命体。
異世界人を探す人間を主人公とした、この世界で。
異世界人であることを隠しながら、この世界の主人公と旅をしたい。
その為に、私は。
……なんてね。