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Ginger  作者: ムトウ
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9.過去形と、仮定法過去

 その後、水野は由紀に慰められ、親密になった。

 珠美に事の真偽を糺そうする水野を、彼女は巧妙に止めた。

 即ち、自分たちにも過ちがあったのだから、彼女だけを責められない。追い詰めすぎて意地になられてもこじれるばかりで、ふたりとも苦痛なだけ。

 “もう別れると決めたんなら、わざわざ傷つけあうことはないでしょう?”

 “彼女を許して、解放してあげるべきじゃない?”


「水野を庇う訳じゃないですが」

 谷口が言い添える。

「コントロールフリークというのは、病名扱いこそされてませんが、ある種の病気といってもいい。どんな手を使っても相手を思い通りにしようとする」

 基本的には情報を遮断して囲いこみ、自分に都合のいい情報を与えて、相手の考えや行動を操作する。

 由紀さんは、水野の弱み、“関係したかも知れない”という負い目から生じる、由紀さんに対する罪悪感、前園さんに対する後ろめたさ、それを徹底的に利用したんです。

 普通に考えてそんなことまでするか? ていうことも平気でする。むしろ、常識的で善良な人物ほど振り回されてしまうんです。


 珠美はふと気づいて、

「……もしかして、あの宅配も?」

 彼女の記名で自分の荷物が送られてきたことを話した。

「えっ」

 水野は驚いて、ぶんぶん首を横に振った。心底驚いていた。知らない。俺は頼んでいない。

「そうか、そういえば」

 何かに思い当たったように額に手をあてて、呟いた。

「由紀は“前園さんが私物を取りに来た”と言ったんだ。“強引に上がり込んで、家中細かく探し回って、孝之さんに贈ったプレゼントまで返せと言ってきた。追い返すのが大変だった”と」

 水野は苦渋に満ちた表情で吐き出した。

「考えてみたら、君がそんな真似するはずない。そんなことにも気づかないなんて」


「そうだ、それで思い出したんだけど」

 と、珠美はバッグをごそごそ探った。

 待ち合わせに赴く前に、いったん自宅に寄って持ってきたものがあった。

「ごめんなさい。孝之さんのものはほとんど捨てちゃったんだけど、これだけ、捨てられなくって。お返しします」

 手のひらに乗るサイズの、怪獣のソフビ人形。

 水野は子どもの頃、ウルトラマンが大好きだった。大人になった今でも「なんかイヤなことあっても、スカッとして元気出てくるんだよね」とウルトラマンや怪獣映画を好む。

 そんな水野は、ときどき珠美の部屋に悪戯を仕掛けた。怪獣人形を珠美の気づかないところにこっそり置いておく、他愛のない遊び。

 本棚の隙間や食器棚、冷蔵庫に置いたこともあるし、枕の下に挟んであったり、その度に珠美は呆れて笑いながらたしなめた。

 テーブルの上に置かれた怪獣人形を、水野は懐かしそうに手に取る。

「ゼットンだ」

「…確か、ウルトラマンを負かした怪獣なんでしょ? テレビの裏に隠れてて、わりと最近見つけたの」

 まさか、こんな話だと思ってなかったから、イヤミくさく押しつけてやろうと思って持ってきた。邪魔でしょ。

 珠美が悪戯っぽく笑ってみせると、

「…いや、嬉しいよ。ありがとう」

 他は全部捨てられちゃったからな。

 思わず、といったふうに、彼はぽつりと呟きをもらした。


 自宅に備えていた水野のコレクションはすべて由紀に捨てられてしまったという。

 彼女の目的は水野ではなく、あくまでも「理想の結婚」なのだ。怪獣人形にうつつを抜かす夫は彼女の求める姿ではなかった。

 水野は彼女の「理想の夫」を厳しく要求され、その条件に合致しないと容赦なく責められた。

 珠美には詳しいことは知らされなかったが、かなり屈辱的な行為を強いられたらしい。

 暴力をふるうようになったのは最近だ。刃物を持ち出されて脅されたり、鈍器で打擲された。

「それで、そんなひどい怪我を…」

「腕力で劣る訳でもないのに、どうして抵抗しないのか、って思うかもしれませんが、抵抗する気力を奪われてしまうんですよ。眠らせてもらえなかったり、精神的に追い詰められて判断力も鈍りますしね」

 さすがに水野の様子を心配して彼女の父親が介入し、モラルハラスメントとDVの様相が知れた、という次第。

 そして、由紀の発言内容にさまざまな矛盾があり、結婚するまでの経緯を遡って事実が明らかになった。



 谷口は、珠美に宅配の件の詳細を尋ね、メモを取って経緯を書き留めた。

 水野の離婚を有利に成立させるため、由紀のモラハラ行動の証拠・証言を集めるのも彼の仕事だった。

 ひと通り聞き取ってから、分厚いビジネスノートをばたんと閉じ、水野に向かって「今日の俺の仕事は終わり」と言う。


 ったく、やれやれ。と、あからさまに態度が変わる。パブリックからプライベートにモードチェンジしたらしい。

 じろりと水野を睨んで「バカ、この野郎」と言った。

「こんな大事な彼女を放り出して泣かせるなんて、バカだよ、ホント」

 ぞんざいな口調で呆れたように言い捨てる。

「今からでも、拝み倒して傍にいてもらえよ。まだ好きなんだろ」

「谷口」

 水野はたしなめるように遮った。

「勝手なこというなよ。彼女の前で、止せ」

「……ちっ、意固地な奴だな」

 谷口は、しょーがねーな、とため息を吐いた。

 それから、時計を確かめて、あ、ヤバい、そろそろ、と呟いて、苦笑混じりに珠美に挨拶した。

「前園さん、私はこれで、お先に失礼します。何かありましたらいつでもご連絡ください」

 会釈すると、鞄やらジャケットやらをばたばたと片手にまとめ、足早に去っていった。


 何がどうしたのか、と訝る珠美に、水野は軽く苦笑した。

「口の悪い奴だけど、俺を心配してくれてるんだ」

 …実は、前園さんとちゃんと会って話せ、って言ってくれたのもあいつなんだよ。

「えっ」

「本当は、会うつもりはなかった。会わせる顔がないだろ。あんな酷いこと言ったし、俺のことなんかもう気にかけてもいないだろう、って」

 そうしたら、谷口が。

 おまえの都合なんか知るか。彼女にしてみたら、突然つきあってる男が豹変して訳がわからん事態なんだ。“わからない”っていうことは大変な苦痛なんだよ。

 ひょっとしたら、自分のせいかも知れない、って自分を責めてるかもしれないだろ。会ってみて、彼女が気にしてないなら、それはそれでいい。でもそうじゃないなら、彼女は悪くない、って言ってやるべきだ。

「で、君にアポとってくれた、って訳。もう一生頭あがらないよ、あいつには」

 そうだったんだ。と、珠美は谷口の名刺を大事にしまった。





「珠美」

 おもむろに、水野は彼女の名を呼んだ。

 親族以外で、珠美を名前で呼ぶのは彼だけだった。痛みにも似た気持ちが珠美を満たす。ずっと、そう呼ばれたかった。

 水野は決意をこめた声音で宣言するように言った。

「俺はこれから、由紀との離婚を目指す。離婚自体は調停でも十分成立する、と谷口は踏んでる」

 もっとも、先週くらいまで俺の精神状態が不安定だったから、危ぶんでたみたいだけどな。

 暴力で抑圧された状態に長くおかれると、恐怖感で認知が歪み、まともに判断できなくなる。少なからず水野も精神的ダメージを負っていたらしい。

 心配げな珠美に、水野は気丈に笑ってみせた。

「君に会って謝ろう、って決めてから、腹が据わった。

 大丈夫だよ、医者にも診てもらったし、谷口もいる。俺がひとりでどうこうしようとは思ってない。任せるべきところはプロに任せるよ」

 由紀は現在、実家で母親に付き添ってもらっているという。どうやら彼女の言動は、父親からの期待に過剰適応してのことらしい。企業重役の父親が「由紀にいい婿が来てくれれば」と言ったことを過重に受け止め過ぎたのだそうだ。


「できることなら、俺は、由紀が自分の意志で、納得した上で離婚を決めてもらいたい、と思ってる」

「…でもそれは」

 難しいんじゃ。珠美が思わず挟むと、水野も頷いた。

「うん、簡単なことじゃない。彼女は今、カウンセリングを受けてる。

 カウンセラーの受け売りになるけど、彼女はこれから、自分のやったことに向き合わなくてはならない。それは、ものすごくつらいし、苦しいことなんだそうだ。時間もかかる」

 でも、だからこそ、由紀には自分と向き合ってもらいたい。自分が何をやったか自覚してもらいたいんだ。

 じゃないと、同じことを繰り返す。

 あれは俺の女房だ。俺はあいつを止めなくちゃいけない、と思ってる。


「由紀は珠美にも酷いことをした。本当にすまない」

 彼は深々と頭を下げた。



 ああ、この人らしい。と、珠美は思った。

 水野はこういう人だ。経緯はどうあれ、一度妻にすると決めた人を投げ出したりしない。

 責任感が強くて、絶対に他人のせいにしなかった。仕事のときも、そのせいで人のミスを被ったりして、損をしてた。

 自分にも他人にも厳しくて、怖いくらい冷徹で。でも、それは必ず相手のためになることだった。頑張ればそれだけちゃんと評価もしてくれた。

 思い出した。私は、この人が好きだった。大好きだった。

 こんなに、好きだったのに。


「…ちゃんと聞けばよかった」

 ほつれたように、気持ちがこぼれた。

「どうして、って縋りついて、納得するまで確かめればよかった」

 喉元に熱くこみあげてくる。嗚咽がもれそうになるのをこらえながら。

「惨めになるのが怖くて、諦めのいいふりをして。もっと、みっともないくらい取り乱して、縋りつけばよかった。そうしたら孝之さんだって、今こんなふうになってなかったのに」


「そうじゃない。珠美のせいじゃない。俺が悪いんだ」

 水野はそんな珠美を悲しそうに、すまなそうに見つめる。

「あのとき、俺はきっと何をいわれても信じなかった。かえってもっと酷いことを言って傷つけたかもしれない」

 そんなふうに考えるんじゃない。

「俺は君を傷つけた。俺は、俺のせいで君を失ったんだ」

 そうして、ふたりはしばらく黙った。視線は合わない。

 ふたりとも、自分たちが過去形と仮定法過去で話しているのに気づいていた。


 “もし、――――――だったら…”

 今となっては取り返しのつかないこと。


「ごめん、珠美。本当にごめん」

 諦念を含んで寂しげな声で、水野は言った。


 珠美は何も言えずに、ただ黙ってその言葉を受け取った。

 受け取ることにしたのだった。





実際の場合、DV沙汰は全力本気で逃げたほうがいいらしいですね。カウンセリングとかも加害者対象ケースって滅多にないらしいし、当人の自覚がないと気が遠くなるほど途方もないらしいです。(“らしい”の三連遣いで超あやふや聞きかじり)


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