7.Why me?
八重樫の告白に、珠美は少なからず落ち込んだ。
何より、自分の応対の酷さに自己嫌悪が止まらない。
八重樫が自分を責めなかったことも堪えた。正当なことだ、とさえ言ってくれた。そんなはずないのに。あれは、明らかに八つ当たりとか憂さ晴らしの身勝手だ。
一方で、八重樫の告白を理不尽だ、と思う自分も否定できなかった。
どうして、私なんかを好きになるのかわからない。好きになるわけがない。
不当な好意を向けられている。身の程知らずに、分不相応に好かれている、と思ってしまう。珠美は、自分が“モテてモテて困っちゃう”的にイイ気になる阿呆な女のように思えて、全力でツッコみたくてならないのだった。
“俺たちって、そういうんじゃなかったろ?”
いい気になっていたら、そうやって突き落とされる。
もちろん、八重樫は水野とは違う。
滑稽なくらいに生真面目で、からかったり冗談でそういうことを言うはずがない。
だけど、水野だってそんな人だとは思わなかったのだ。
今となっては、どうして水野とつきあっていたのかわからない。どうして、どんなふうに好きだったのかも思い出せない。
わからない。
人を好きになる気持ちも、好きだと言われて素直に喜べる気持ちも、確かに自分は知っていたはずなのに。
自分への戒めのように、繰り返す。
“俺たちって、そういうんじゃなかったろ?”
「…そんなこと言われちゃったの、前園さん」
ハッ、と顔を上げると、佐藤が呆れた顔で珠美を覗きこんでいた。
社員食堂の一角。昼休みはそろそろ終わる頃合いだ。
うっかり口に出して呟いてた? と、珠美が口元を押さえると、佐藤が見透かしたように「出てたよ」と言った。
「こっぴどくふられた、って言ってたけど、そっか、そんなこと言われたんだ。ひどいね」
紙パックのコーヒー牛乳を片手に向かいに座る。会社でそんな話止してよ。と、たしなめると、ごめん、と声をひそめた。
「どうして。って問い詰めなかったの?」
音量を抑えたものの、話を止めようとしない佐藤を睨みつけたけれど、大して堪える様子もない。軽く肩をすくめて、珠美の返答を促してくる。
何も言うつもりはなくて、黙って目をそらすと、彼は軽くため息をついた。
「諦めちゃったの? 彼にもう気持ちがないんなら、縋っても無駄だから、って?」
なおも黙っていると、さらに挑発するように重ねてくる。
「どうしても駄目、って納得いくまで、縋っちゃえばいいのに。諦めたつもりで、諦めきれてないんじゃない。未だに振られ文句呟いて反芻してるなんて重傷だよ」
わかったようなこと言わないで。低く咎めると、だってわかるもん。と、茶化したような答えが返ってきた。
「前園さんのことなら、俺、結構わかってるよ?」
「…もう、放っといてくれればいいのに。どうして」
「何度も言ってるのにな。前園さんが好きだからだよ」
のんきな風情で佐藤が嘯くと、目の前の珠美は、ピリッ、と全身から拒絶のオーラを放った。ATフィールド全開。ヤマアラシがいっせいに針を立てたようだった。
全方位的に愛想のいい佐藤のいうことだから、珠美もいつもなら、はいはい、と聞き流す。けれど、今日ばかりは止めてほしかった。聞きたくない。
怖っ。佐藤が大げさに慄いてみせると、珠美は苛立ちを隠さず、呆れ顔で言った。
「…どうして私なんか。大して美人でもないし、なんの取り柄もないのに」
「そんなことないよ。前園さんはかっこいいし、きれいだよ。特に、立ち姿がきりっとして凛々しいよね。仕事も頼れるし、細かいところまで行き届いて気遣ってくれるし」
間髪を入れず、立て板に水ですらすらと誉め言葉を並べる。それに、と佐藤がまだまだ続けそうになるのを慌てて止めた。
「わ、わかった。もういいから。へんなこと言ってごめん」
今さらながら、自分が誉め言葉の呼び水みたいな台詞を言ってしまったことに恥じいる。「私なんか」とか言ったら、「そんなことないよ」と言うしかないよね、普通。
佐藤は、そのくらい、いくらでも言ってあげるよ。と、屈託なく笑った。
「そうじゃなくて。…本当に、わからないの。私じゃなくて、他に魅力的な人はいるじゃない。卑下するつもりはないけど、取り立てて条件的に優れてる訳じゃないし。どうして私を、って」
「あほらし。人を好きになるのに、条件もクソもないだろ」
佐藤はさもバカバカしい、というように言い捨てた。ズズーッ、と音を立てて紙パックを空にし、くしゃっとつぶしてゴミ箱に放り投げる。
「顔がいいからとか、背が高いからとか、仕事ができる、気前がいい、優しい、趣味が合う、人それぞれいろんな性格や相性があって、相手の好きなとこ、ってのはあるかもしれないけどさ。それは結果論でしょ。好きになった相手だからこそ、いいなあ、って思う訳で。
最初っから人柄を条件付けしてスペック並べて、○○○だから好きになる、とか、ありえなくない?
好きになるときは、ただ、好きってだけなんだよ。理屈じゃないだろ」
「…………」
そうかもしれない。
でも、それなら、好きじゃなくなるのも、理屈じゃない。
どうして。どうして、水野は。結局はそこにループする。
俯いて考え込んでしまった珠美に、困った人だなあ、と彼は苦笑した。それから、幾分か声を和らげて、なだめるように言う。
「そんな難しい顔しないで。俺のことは、犬とか猫が懐いてるようなもんだと思えばいいよ」
佐藤は時計を見て、そろそろ戻ろう、と立ち上がった。午後の始業5分前だ。
珠美も続けて席を立ち、前を歩き出す佐藤の背中に向かって言った。
「佐藤さん。前にも言ったけど、私やっぱり、会社でそういう話するの好きじゃないよ」
「うん。ごめんね」
「…そう言っておいて、また何食わぬ顔で話を誘導してきたりするとこも、…すごく苦手」
佐藤さんのことは、さすがに犬や猫と同じには思えないし。やめてほしい。
「わかった。覚えておくよ」
佐藤はへらりと調子よく返事する。
こいつ絶対わかってないな。と、珠美は諦め顔でため息をついた。
珠美あてに、弁護士を名乗る人物から電話が入ったのは、その日の午後だった。
長谷川孝之氏の依頼で、お話したいことがある。ついてはお目にかかりたいので、時間を都合していただけないか。とのこと。
「長谷川さん?ですか?」
誰だろう。
怪訝に問い返すと、
「旧姓は水野です。水野孝之氏、と言えばおわかりですか」
と、事務的な口調で告げられた。