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Ginger  作者: ムトウ
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5.Gift from her


 珠美のもとに宅配で荷物が届いたのはその次の週のことだった。正確には、水野の退職日&送別会の前日のこと。

 そこそこ大きめの箱だけれど、さほど重くはない。伝票に記された送り主の名は、水野孝之。

「……?」

 あれから仕事以外ではいっさいやりとりがなかったのに、今頃なんだろう。しかも、この文字は水野の文字ではない。

 訝しみながら箱を開けると、見覚えのあるものが目に留まった。Tシャツが数枚。

 水野の部屋に置いていたものだった。他にも靴下や部屋着など、着替えの類。化粧品のポーチ。マグカップ。歯ブラシとデンタルフロス、使いかけの生理用品まで全部きっちりパックされていた。

 …そっか。律儀に返してきた訳ね。こっちも送り返した方がいいのかな、と思いつつ、なんだか気に障る律儀さだ、と思った。

 箱の隅に封筒があって、手紙が入っているようだ。怪訝に封筒を開き、読んでみて血の気が下がった。

 水野の婚約者からだった。

“孝之がご迷惑おかけして申し訳ありません。

 御宅に置きっぱなしのものは全て処分していただけますようお願い申しあげます。”

 婚約者の名は長谷川由紀、というらしい。クリーム色の便箋の末尾に、ブルーブラックのインクで達筆の署名。水野の気に入りの万年筆のインクの色だ。

「……エグい」

 思わず漏れた。

 便箋は2枚目があって、“ほんのお詫びの印に”と追伸されていた。どうやら、同梱の石鹸のミニギフトを指しての文言であるらしい。

 おそらく、婚約者の独断ではこんなことはできない。水野が彼女に頼んで送らせたのだろう。

 何これ。昼ドラみたい。

 ここまでされると、もう驚くしかない。というより、驚きを通り越して、呆れた。


 これが水野の退職日の前日に届く、というのも明らかに狙ったものだろう。

 こんなにあからさまな悪意をぶつけてこられるなんて。

 悪意だけじゃない。これは宣告だ。

 水野現在のパートナー・長谷川由紀は、珠美のことを知っている。別にそのことはいい。ふたりの問題だろうから。

 けれど、わざわざこんなかたちで告げてくる。

 珠美がすげなく関係を絶たれてしまったことまでも知っているし、それどころか、水野と珠美が交際していた関係そのものを厳然と否定する意志がひしひしと伝わってくる。

 それほどに、珠美は埒外だ。と告げてきたのだった。


 そんなことまでしなくても、蒸し返したりしないのに。勝手だと思ったけれど、水野がそうしたいのなら、と受け容れたのに。

 水野と珠美の間で完結した別れであること。それが珠美の矜持だった。

 水野とその婚約者は、それすらも否定して貶めたいらしかった。

 つきあっていた、なんて思い上がりも甚だしい。

 捨てられた。軽んじられていた。侮られた。

 尊重するに値しない、取るに足りない存在だと思われていた。


 丁寧な梱包のひとつひとつが、折り目の整った便箋に並んだブルーブラックの文字が、過不足なくきっちりと箱に揃えられた物品の数々が、ボディブローのようにじわじわと効いてくる。

 酷い。惨い。

 こんなことをする人間とつきあっていたなんて、自分の見る目のなさが情けない。バカみたい。


 戸棚からゴミ袋を出した。箱の中のものを取り出して入れていく。

 Tシャツも、部屋着も、化粧品も、彼の部屋でくつろいで過ごした時間もすべて、悪意と侮蔑に染められてしまった。もう捨てるしかない。

 既に失っていたものを、改めて失わされる。

 バカバカしいから、泣くもんか。と思っていたのに、衣類をゴミ袋に入れたところで、ぼろぼろ涙がこぼれてきた。柔軟剤が香った。たぶん、香り付きの類が嫌いな珠美は使わないメーカーのもの。


 泣いてしまうのは、悲しくて、というよりも、自分がバカに思えて、情けなくて、惨めで。

 もう一枚ゴミ袋を出して、それには水野の私物を詰めた。送り返したりする気にはなれなかった。意趣返しにもなりはしない。

 お詫びのしるし、とやらの石鹸のミニギフトもそのまま封を開けもせず、ゴミ袋につっこんだ。品物に罪はないのに、瀟洒に飾られたリボンが嘲笑っているように思えた。

 そのまま、マンションのゴミ集積所に積み上げた。


 もう二度と、見たくなかった。



 その翌日は一日中気を張って過ごした。全ての気力と忍耐力を試されるようだった。

 隣の部署の課長がデータ破損をやらかしてくれて、いつもなら内心で舌打ちするところだけれど、その日ばかりはありがたいくらいだった。余計なことを考えずにすむ。

 隣の部署、というのは営業部で確定した取引を管理する部署で、珠美の属する営業庶務→管理部の流れで仕事をまわすため、こういったトラブルを被ることがよくある。

 書面やデータ上の整合性にこだわりまくる課長をやんわりとなだめ、取り急ぎざっくりでも在庫確認した方がよくないですか。とか、突っついたりしてたら意外と時間が押して、本来業務のほうで追いつくのに手間取ってしまった。


 夕刻になってようやく思考が落ち着いてきて、調子を取り戻した。どうやら遅滞なさそうだ。

 ほっと一息ついたところで、フロア全体に声がかかった。本日付けで退社する水野が挨拶に回ってきたのだ。

 お忙しいところすいません。短時間、失礼します。と、上長の席から訪ねてまわる水野の姿が目に入る。

 退職の挨拶まわりなんて予想できたはずなのに、まるで不意打ちをくらったような気分だった。まして、昨日の今日だ。

 彼の姿を間近で見るのは数ヶ月ぶりだ。内線電話でのやりとりはあったけれど、フロアが違うし、会う機会はなかった。会わないようにしていた。

 落ち着け。と、珠美は自分に言い聞かせる。

 仕事中。業務時間。呪文のように繰り返しながら俯き気味に視線を固定し、平静を保とうとした。

「庶務課のみなさん、今までどうもお世話になりました」

 と、水野の声が耳に入る。庶務課の課長に声をかけているところだった。

 水野は有能だけれど厳しい態度をとるほうで、頼りにされつつも怖がられるタイプだった。営業庶務課でも、彼を苦手にする者は多かった。けれど、誰に対しても公正に厳しかったから、ひそかにファンもいたらしい。

「こちらこそ、水野さんにはお世話になりました」

「しょっちゅうフォローしてもらってて、ホンットにありがとうございました!」

「これからも頑張ってくださいね」

などと挨拶する声に混じって、

「ご結婚おめでとうございます」

と祝福の声がかかる。

 ありがとうございます。と、そつなく会釈する水野に、庶務課の全員が歓声をあげて拍手した。

 結婚する相手って、転職先の重役のお嬢さんでしょ。

 逆玉ってやつ? 出世は約束されたよね。

 水野さんなら、どこ行っても出世するだろうけど。デキるもん。

 その上後ろ盾がついたら最強でしょ。

 ざわざわとさざめくように小声の噂話が耳に入る。細かなトゲが無数に吹き付けられるような心持ちがした。

 俯いて、彼が立ち去るまでやりすごそうとしていたら、目の前で水野の靴音が止まった。

「前園さん」

 ハッ、と顔を上げると目の前に水野が立っていた。にこり、と微笑んで、

「前園さんには仕事でずいぶん助けてもらったよね。どうもありがとうございました」

 すらすらと淀みなく挨拶される。その声音は普段より低めの抑えた発声。

 珠美は青ざめた。これは、水野が怒っているときの声だ。他の人にはわからないかもしれないが、珠美にはわかった。しかも、相手に見切りをつけて突き放すときの、氷のように冷徹な怒りの発露だった。

 …どうして?

 訳がわからなかった。どっちかつーと怒りたいのはこっちなんだけど。それとも、私、無自覚に何かやらかした?

 …こちらこそ。ありがとうございました。と、口の中で曖昧に呟いて会釈したら、水野は小さくため息をついたようだった。

「…今日、送別会は来てくれるの?」

 念を押すように尋ねられた。

「いえ。すいません、急に所用ができてしまって」

「そう。残念だな」

 じゃあね。

 あ。切り捨てられた。

 そのひとことではっきりと間に線を引いた。そういう言い方だった。




 最悪な一日だった。

 終業時間まではなんとか耐えたものの、帰る間際、堪えきれなくなってうっかり同僚に醜態をさらした。

 マリエには「醜態とか大げさ。大したこっちゃないよそんくらい」と言われたけれど。



時系列的にこの後に「Chili pepper」(http://ncode.syosetu.com/n3794db/)になります。

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