4.ガールズトーク
「へえ。なんかいい感じみたいじゃない、その人」
今野マリエは、電話越しにもわかりやすく、ホッとしたような声を響かせた。
先日来、マリエは珠美を心配して、たびたび電話をくれる。最近どうよ。という曖昧かつ汎用性の高い台詞で挨拶代わりに問われ、
「そういえば、語学スクールでおもしろい人と知り合ったよ」
と話題にした次第だった。
「すっごい生真面目で、でも堅苦しいわけでもなくって。生真面目さがどっか天然な感じに可笑しいの。ディズニーランドから「風とともに去りぬ」の話にぶっとんだのはびっくりしたけど」
「あはは。何それ、繋がりわかんない」
「その特別授業以来、翻訳にも興味もったらしくて、たまに授業に顔出すようになってね。自分で聞き取って書きうつした映画のスクリプトとか見せてもらった。すごいよ。映画の話はじまったら止まんないしね」
「なんだかよくわかんないけど、確かにおもしろそう。若いの? 学生さんとか?」
「んー。たぶん同じくらいじゃないかな。年齢の話したことないからよくわかんないけど」
「…ふーん」
ってことは、20代後半から30代前半くらい?ってとこか。と、マリエはもそもそひとりごちる。
なに? どうかした? と問い返されて、なんでもない。とごまかした。
思案げな友人の気配にも頓着せず、珠美は「そうだ」と、何やら思いついたように続ける。
「ね、今野。今度映画観に行かない? ひさびさ、映画館で映画観たくなっちゃった」
「あ、いーね。キャラメルポップコーン食べたい」
「…映画館でまで食い気に走るかな、まったく今野は」
「だって、あの香ばしい匂いキちゃったら、もう逆らえないでしょ」
相変わらずなマリエに、珠美は呆れたように笑った。彼女のことだから、映画館のリサーチもポップコーンの出来不出来で決めそうだ。
「っていうかさ」
マリエが声を改めた。
「その彼とは行かないの?映画」
「…へ?」
珠美は間の抜けた返事をする。思ってもみないことを言われた。という風情で、聞いたマリエのほうが逆に「へ?」だった。
「…ん? なんか、前園とその八重樫氏と、いい感じなんじゃないの?」
マリエは「いい感じ」という語に恋愛的な甘いニュアンスをほのめかせてみたのだけれど、珠美の返答はごくあっさりしたものだった。
「いや全然。そういう感じではないかな」
八重樫とはたびたび顔を合わせるようになったけれど、話題はひたすらに語学学習と映画趣味に終始する。
「ほとんど映画オタクなんだけど、イヤな感じじゃないんだよね。一方的な知識自慢じゃないし、質問してもバカにしないで答えてくれるし」
そして、趣味方面以外の人間関係に決して触れてこようとしない。
「なんとなく、わかるじゃない。恋人がいるかどうか探ってきてるな、とか、カマかけられてるな、みたいなの。そういう気配が、いっさいないの。
いっぺん一緒にゴハン食べに行ったけど、それだってわざわざ改まって出かけた訳じゃなく、スクールの帰りに牛丼屋だし」
課題の話をしながら、フツーにがっつりメシ食って帰る。的なノリだったという。
「学食みたいで懐かしかったな。それに、学生みたいによく食べるんだよね。体大きいからエネルギー要るんだろうけど」
なんでこんなこと説明してんだろ。と、珠美は自分でも可笑しくなってきて、軽く笑いながら続けた。
「そんな調子だから、私も八重樫さんのことは全然知らないんだよ。あ、仕事は法務関係とか聞いたかな。せいぜいそのくらい。ひょっとしたら、恋人とか奥さんいるのかもしれないし」
それくらい、色気のないつきあいに終始しているのだった。
「…へえ」
とマリエは意外そうに返して、それから、「それもいいね」と言った。
「いちいち恋愛対象として適合するかどうか、さぐり合いみたいなのばっかりだと、疲れちゃうもんね。いいなあ、そういう、純粋に趣味の話できる相手って」
「うん。ホントそう思う」
当分は、恋愛とかいいかな、って感じだし。
「……前園」
聞きとがめて、友人は気遣わしげな声音をもらした。
「…そっちのほうは、どうなの?」
「来週、退職するみたいよ。送別会の予定表まわってきた」
「ふうん。…まさか、行かないよね?」
「行かない行かない」
心配そうなマリエに、珠美は苦笑混じりに答えた。
「向こうだって来てほしくないと思うよ。たぶん、二次会には婚約者も来るだろうし」
「…………」
「そんな、今野が気にすることないから。大丈夫。これで、もう顔会わせることもなくなるし。さっぱりするよ、きっと」
あ、そうだ、さっぱりって言えば、私の部屋に置きっぱの水野の私物が結構あって、全然片づかないんだけど、どうしたらいいと思う? 結構量があるから会社に持ってくのイヤだし、宅配で送るにも、そこまでするほどのものかなあ、って気もするし。かといって、人のもの勝手に捨てるのも気が引けるし。さっぱりしないよねえ…。
「…捨てちゃいなよ」
マリエは大げさに呆れて答えた。
まったく。あんたはそうやってヘーゼンとしてるときこそヤバいんだっつの。と、内心で呟く。面と向かって本人に言ってやりたかったけれど、困ったように笑って流すだけだろう。学生時代からのつきあいだけに、よくわかっている。
……元凶がいなくなれば、憂さも晴れるよね。と、マリエは自分を納得させた。
あとは時間が解決するだろう。
「前園、じゃあさ、映画なに観に行く? なんなら、その八重樫氏にオススメ聞いてきてよ。私、コメディが観たい」
「わかった、聞いてみる」
珠美は屈託ない調子で答えた。