連鎖
あくまでもフィクションです
「ああ、この人なら確かに1週間前からうちで働いていますよ」
園長兼シスターは、にこやかに言った。
ビックマムという形容がぴったりの貫禄のある体に、小さな手がいくつも
しがみついている。
「若いのに子ども、特に赤ちゃんの世話がとても上手でね。どうなさいました?」
シスターの表情が、怪訝そうなものに変わると同時に、私は軽くわき腹をひじでつつかれた。
「い、いえ」
私は慌てて首を振る。きっとさぞかし間抜け面をしていたんだろう、と思うと体の芯が
恥ずかしさで熱くなった。
「彼女の住所を御存知ですか」
「ええ、すぐ近くよ。ところで彼女なにをしたの?」
「いや、ちょっとした交通事故の目撃者なんです」
そう言ったのは隣に立つ相棒だ。
そう、と頷いたシスターの表情が私と話していた時より柔らかい、と思うのは
白人の僻みだろうか。シスターも相棒もその肌はつややかな褐色だ。
シスターの後ろに隠れている子どもも同じ。色の濃淡はちがえども、白い肌の子は一人もいない。
「ちょっとまってね」
と言いながら、シスターは床で遊ぶ子どもを書き分けるように奥に消えた。
盾がいなくなった子どもたちが、じっと私たちを見上げる
その視線に私は嫌な見覚えがあった。
町で後ろ暗い奴が制服を着た私を見つめる視線と同じなのだ。
なぜ、こんな小さい子どもたちが?
私は落ち着きなく、コートのポケットに手を出し入れしながら横目で相棒を見た。
彼はサンタクロースのような笑顔で子どもたちを見つめている。
子どもの一人が不意に泣き出した。
「あらあらごめんなさいね、こういう場所の託児所だから皆警察にあまりいい印象がないの。
自宅に踏み込まれて親が逮捕された子もいるから」
豊満な体をゆさゆさと揺さぶりながら小走りに戻ってきたシスターは、メモ用紙を相棒にわたし、
泣きだした子供を抱き上げて、その耳元になにか囁きかける。
「ありがとうございました」
丁寧な礼を言ってきびすを返した相棒に、私もそそくさと従った。と。コートのすそに
引っ掛かりを感じて振り返る。ベージュ色の布を掴んだ褐色の手の持ち主は、
おさげ髪の女の子だった。おどおどとした表情が、リスのような小動物を連想させる
「なんだい」
できるだけやさしい声で尋ねた私に、女の子は小さな声で
「お姉ちゃんを、捕まえちゃうの?」
と言った。私は何も言わずただあいまいに笑って、コートを手から引き抜くと
背中に無数の同じ問いを込めた視線を感じながら、扉を閉めた。
「ビンゴ。だったな」
相棒がそう言って足を止めたのは、託児所を兼ねた教会が完全に見えなくなった場所にある
小さな空き地だった。
さび付いた網のないバスケットゴールが二つ、落書きだらけの壁にはさまれて置かれている。
「どうして分かったんです、彼女があそこに潜んでいるって」
私の問いに相棒は答えず、ポケットからタバコを取り出して火をつけた。
警察署もふくめ今はニューヨークの大部分が禁煙地帯だが、ここは例外らしい。足元にも無数の吸殻がちらばっていた。
「確信があったわけじゃない」
紫煙とともに、相棒はやっと答えを吐き出した。
「有色人種の女が一人だけで潜むなら、ダウンタウンは絶好の場所だろう。それに
本拠地の方は潰してしまったから、持ち金が底をつくのは時間の問題だ。
人間食わなきゃ生きて行けないし、ここは金がなけりゃ何も出来ない場所だからな。
ああいう託児所は常に人手不足だ。経歴なんてでたらめでも、子どもの世話さえ出来れば雇ってくれる
だから一応聞いてみた方がいいと思っただけだ」
「しかし」
私は釈然としない思いで、ポケットから一枚の写真を引っ張り出した。
黒い髪と褐色の肌の若い女性が、ねこ科の猛獣を連想させる鋭い瞳でこちらを睨んでいる。
刑務所でとられた証明写真ですら、十分に美しくみえるのだから、実物はかなりのものだろう。
「テロリストが赤ん坊の世話をするのが信じられないか?」
苦笑する相棒に、私は頷いた。
20をいくつか超えただけの彼女は、100人を超える人間を間接的に殺害した。
全米を又にかけた筋金入りのイスラム系テロリスト集団の中心的メンバー。
「大統領がいくら悪の枢軸と叫んだ国の人間だからって、実際は我々と同じ人間さ
親だって子どもだっているだろう」
そう言ってタバコの灰を落とす相棒の手には、ひきつれた火傷のあとがあった。
私が書物や、映画の中でしか知らない亜熱帯の国のジャングルの中の戦いを
この人は実際に経験していた。
「でも、彼女が最後に起こした爆弾テロで、地下鉄が3両爆破されています
乗っていたのは遠足帰りの幼稚園児たちでした」
テレビは遺体を載せた担架に取りすがって泣き崩れる親の姿を
センセーショナルなナレーションと共に連日報道し続け、
警察の電話は市民からの情報提供と、苦情でパンク状態になった。
そのお陰で我々は彼女たちのアジトを発見。十数名のテロリストに
100人以上の警察官が動員され、本拠地に突撃。激しい銃撃戦の上
テロリストの半数を射殺し、鎮圧した。だが、逮捕者や遺体の中に
彼女の姿だけがなかった。
「彼女の履歴をみたんだが、」
相棒の顔にはほろ苦い表情が浮かんでいた
「1991年の湾岸戦争のさい、両親と弟を失っている。
そして、この間の戦争では夫が出兵し、子どもが地雷を踏んだ」
私は睨みつける彼女から目をそらした。
ハイスクールの生徒だった私は、新聞が伝える隣国に侵略した
非道な独裁者に素直に怒り、テレビに映るゲームのような砲撃の
様子に見入り、戦争孤児たちに胸を痛め、学校で寄付を募った。
ツインタワーに飛行機が突っ込む瞬間まで、私はわが国は世界の警察であるという
政府の言葉に疑いを持ったことはなかった。
「タバコ、私にももらえますかね」
目の前に差し出された缶にはクローバーを加えた鳩の絵が描かれている。
ピース。それを実現したくて、わが国は世界中に軍隊を送っているのではなかったか?
ピースを生み出すはずの行動が、なぜ新たなる憎しみを生み出すのか。
10年ぶりに吸ったタバコの煙は目にしみた。
涙が流れないように空を見上げる。
雲ひとつない、真っ青な空。この空に爆撃機は飛んでいなくても
この国は間違いなく戦争中なのだ。そして、それを皆忘れている。
テレビの中でゲームのように作戦は遂行され、死者は数字として報告される。
敵国の負傷した人々に、かわいそうと泣ける鈍感な我々は
見えない憎しみが降り積もることに、ぎりぎりまで気付かない。
「なんて顔しているんだ」
そう言って肩をたたいた相棒の手にタバコはなく、顔は敏腕な刑事のそれにもどっていた
「これが本当の住所だとは思えんが、一応いってみよう。
相手は凶悪なテロリストだということを忘れるな」
その言葉に、私も頷いてタバコを地面に捨てた。
相棒に後に続いて歩き出しながら、私はポケットの中の銃をにぎりしめる。
シスターが教えてくれた住所は、すぐ目の前に迫っていた
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