雨の日だけ、君は優しい
雨の日って、少しだけ昔のことを思い出しやすくなる気がします。
嫌だった記憶とか、言われて忘れられない言葉とか。
でも同時に、誰かの優しさも静かに残っていたりする。
このお話は、
「嫌いだった時間が、誰かのおかげで少し変わっていく」
そんな小さな恋愛を書きたくて生まれました!
肩の力を抜いて、
雨音を聞くみたいな気持ちで読んでもらえたら嬉しいです。
雨の日が嫌いだった。
制服の裾は濡れるし、髪はうねるし、教室は湿った匂いがする。
なにより、雨の日はいつも思い出す。
去年の春、私は好きだった人にふられた。
「ごめん。そういう目で見たことない」
その言葉は、今でも雨音に混じって耳の奥で鳴る。
だから私は、雨の日だけ少し機嫌が悪い。
友達にも「今日、顔こわいよ」と言われるくらいには。
そんな私に、毎回かまってくる人がいた。
「朝倉さん、傘忘れたの?」
放課後。
昇降口で空を睨んでいた私に、後ろから声がかかった。
振り返ると、同じクラスの瀬戸くんが立っていた。
背が高くて、いつも眠そうで、授業中は窓の外ばかり見ている男子。
特別仲がいいわけじゃない。
なのに瀬戸くんは、雨の日になると必ず私に話しかけてくる。
「忘れてない。持ってくる気がなかっただけ」
「それ、忘れたより悪くない?」
「うるさい」
私は靴箱からローファーを出した。
外はざあざあと降っている。
校門まで走れば、たぶん三十秒。
家まで走れば、たぶん十五分。
最悪だった。
「入ってく?」
瀬戸くんが、透明なビニール傘を少し持ち上げた。
「……いい」
「強がり?」
「違う」
「じゃあ、修行?」
「違う」
瀬戸くんは、ふっと笑った。
その笑い方が、雨の日の空気に少しだけ合っていた。
やわらかくて、静かで、押しつけがましくない。
「じゃあ、俺が勝手に横歩く」
「なにそれ」
「傘の範囲に入るかどうかは朝倉さんの自由」
そう言って、瀬戸くんは私の隣に立った。
私はため息をついた。
「意味わかんない」
「よく言われる」
「でしょうね」
結局、私は傘に入った。
肩が少し触れそうなくらいの距離で、私たちは校門へ向かって歩いた。
雨粒が傘を叩く音だけが、やけに大きく聞こえた。
「朝倉さんってさ」
「なに」
「雨の日、いつも怒ってるよね」
「怒ってない」
「じゃあ、世界に文句言ってる顔してる」
「それは合ってる」
瀬戸くんはまた笑った。
私は横目で彼を見た。
「瀬戸くんは雨、好きなの?」
「うん」
「変わってる」
「雨の日って、みんな少し静かになるから」
「……静かなのが好きなんだ」
「うん。あと、朝倉さんがゆっくり歩く」
心臓が、一瞬だけ変な音を立てた。
「なにそれ」
「晴れの日の朝倉さん、歩くの速いから。話しかける隙がない」
瀬戸くんは前を向いたまま言った。
冗談みたいな声だった。
でも、目元は少しだけ真面目だった。
私は返事に困った。
雨の日が嫌い。
それは変わらない。
でも、その日から雨音の中に、瀬戸くんの声が混じるようになった。
次の雨の日も、瀬戸くんは傘を差して待っていた。
「また傘忘れた?」
「持ってる」
「じゃあ、今日は俺が忘れた」
「持ってるじゃん」
「心の傘を」
「意味わかんない」
そんな会話をしながら、一緒に帰った。
その次の雨の日も。
また次の雨の日も。
私たちは、雨の日だけ一緒に帰るようになった。
晴れの日は、ほとんど話さない。
教室で目が合えば、瀬戸くんが小さく手を振る。
私は気づかないふりをする。
でも雨が降ると、昇降口に瀬戸くんがいる。
それが少しずつ、当たり前になっていった。
嫌いだった雨の日を、私は待つようになっていた。
そんな自分に気づいたとき、少し怖くなった。
また好きになったら、また傷つく。
そう思った。
去年の言葉が、まだ胸に刺さっている。
ごめん。
そういう目で見たことない。
誰かを好きになるのは、楽しいことばかりじゃない。
相手の何気ない言葉ひとつで、一日中浮かれたり沈んだりする。
自分の心なのに、自分で持てなくなる。
それが怖かった。
だから私は、ある雨の日、瀬戸くんを避けた。
昇降口に彼の姿を見つけて、反射的に裏口へ向かった。
傘を差して、一人で帰った。
雨は冷たかった。
でも、それより胸の奥が重かった。
翌日。
瀬戸くんは何も言わなかった。
いつも通り眠そうな顔で、窓の外を見ていた。
その横顔に、少しだけ安心して、少しだけ寂しくなった。
そして放課後、また雨が降った。
私は昇降口で立ち止まった。
瀬戸くんはいなかった。
それだけで、胸がぎゅっと痛くなった。
「……なに期待してんだろ」
小さくつぶやいて、靴を履き替えた。
外へ出ると、雨は昨日より強かった。
傘を開こうとした瞬間、後ろから声がした。
「今日は逃げないんだ」
振り返ると、瀬戸くんがいた。
髪が少し濡れている。
息も少し上がっていた。
「……いたの」
「いたよ。朝倉さんがまた裏口から帰ったら困るから、今日はこっちで待ってた」
「なんで」
思ったより、きつい声が出た。
「なんで、そこまでするの」
瀬戸くんは黙った。
雨が地面を叩いている。
私の手の中で、傘の柄がぎゅっと鳴った。
「雨の日だけ優しくされると、勘違いする」
言ってから、しまったと思った。
でももう止まらなかった。
「晴れの日は普通なのに。雨の日だけ待ってて、一緒に帰って、変なこと言って」
喉が熱くなる。
「そういうの、期待するからやめて」
瀬戸くんは、少し目を見開いた。
それから、困ったように眉を下げた。
「ごめん」
その言葉に、胸が冷えた。
まただ。
また、ごめん。
私は笑おうとした。
でも、うまく笑えなかった。
「別に。私が勝手に」
「違う」
瀬戸くんが、私の言葉を遮った。
「ごめん。朝倉さんにだけ伝わってないと思わなかった」
「……え?」
「俺、雨の日だけ優しくしてるつもりじゃなかった」
瀬戸くんは、まっすぐ私を見た。
いつもの眠そうな目じゃなかった。
「晴れの日も、話しかけたかった。でも朝倉さん、すぐ友達のところ行くし、歩くの速いし、なんか忙しそうで」
「そんな理由?」
「俺には大問題」
少しだけ笑いそうになった。
でも、涙のほうが先に出そうだった。
「じゃあ、なんで雨の日なの」
「朝倉さんが、雨の日にすごく寂しそうな顔してたから」
息が止まった。
「怒ってるんじゃなくて、寂しそうだった」
瀬戸くんは、傘を差さずに立っていた。
雨が彼の前髪から落ちていく。
「最初は、ただ気になっただけ。でも一緒に帰るようになって、もっと話したいって思った」
「……それって」
「うん」
瀬戸くんは、少し照れたように目をそらした。
「好きってことだと思う」
雨音が遠くなった。
世界から音が抜けて、瀬戸くんの声だけが残った。
好き。
その言葉は、怖い。
でも、こんなに優しい形でも届くんだと思った。
「私、雨の日嫌いだった」
「知ってる」
「去年、ふられたから。雨の日に」
「うん」
「だから、また誰かを好きになるの怖い」
「うん」
瀬戸くんは急かさなかった。
答えを求めるみたいに見つめてもこなかった。
ただ、雨の中で待ってくれていた。
私はゆっくり息を吸った。
「でも」
声が震えた。
「瀬戸くんがいる雨の日は、少し好きだった」
瀬戸くんの表情が、ふわっとほどけた。
その顔を見た瞬間、胸の奥にあった固いものまでほどけてしまった。
「じゃあ、晴れの日も話しかけていい?」
「……急にたくさんは無理」
「少しずつ?」
「うん。少しずつ」
「じゃあ明日、朝おはようって言う」
「それくらいなら」
「昼も言う」
「それは多い」
瀬戸くんが笑った。
私も少し笑った。
雨はまだ降っていた。
でも、さっきまでより冷たくなかった。
瀬戸くんが傘を開く。
「入る?」
私は、自分の傘を持っていた。
なのに少し迷って、それから自分の傘を閉じた。
「今日は、入る」
瀬戸くんは何も言わず、傘を私のほうへ傾けた。
そのせいで彼の肩が少し濡れた。
「瀬戸くん、濡れてる」
「平気」
「平気じゃないでしょ」
私は傘の柄に手を添えて、真ん中に戻した。
肩が触れた。
今度は、避けなかった。
雨の日が嫌いだった。
でも今は少しだけ思う。
明日が晴れでも、雨でもいい。
瀬戸くんが「おはよう」と言ってくれるなら。
私はきっと、その日の天気を少しだけ好きになれる。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
派手な事件が起こる物語ではないけれど、
“誰かと並んで帰る時間”って、恋愛の中ですごく特別だと思うんです。
好きって、
大きな告白より先に、
「今日は一緒に帰れるかな」
みたいな気持ちから始まることがある。
瀬戸くんは、ぐいぐい引っ張るタイプではなく、
相手の心の温度をちゃんと待てる人として書きました。
朝倉さんも、傷ついた経験があるからこそ、簡単には恋に飛び込めない。
だからこそ最後、
“同じ傘に入る”
という小さな行動が、二人にとってはかなり大きな一歩だったりします。
もしこのお話を少しでも好きだと思ってもらえたなら、とても嬉しいです。




