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呼ばれない花嫁は、契約の言葉で公爵家を縛る  作者: swingout777


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17/20

あなたの言葉で

 契約書を開いた瞬間、会場の白が一段薄くなった。

 紙の黒は、白に勝つ。

 黒い文字が並ぶほど、白い嘘は居場所を失う。


 私は定義条項の頁を、全員に見える位置で止めた。

 赤線の引かれた一文。

 そして、机の上に置かれた追記――『提供者:公爵家』。


 公爵家の女性は微笑みを保っていた。

 保っている。無理に。

 微笑みが仮面であるほど、目だけが鋭い。


「……契約は、契約です」


 彼女はゆっくり言った。


「安定化のための儀式を、混乱させるのは――」


「混乱ではありません」


 書記官が即座に切り返した。

 形式の声。感情を含まない声。

 制度の声は、こういう時に強い。


「これは定義条項の主体確定に関する照会です。主体が確定しないまま更新を行えば、将来的に契約の適用に争いが生じます。――規定により、照会が優先です」


 規定。

 その単語が、会場の空気を“手続き”に変える。

 手続きは、慈善の笑みを剥がす。


 私は息を吸った。

 喉の膜がまだ厚い。

 でも順番がある。順番は私を裏切らない。


「定義条項を読み上げます」


 私は言った。

 声が少しだけ震えた。震えてもいい。震えは人の声だ。

 人の声でも、順番を守れば制度に通る。


「『従属者は、受益者の指示に従い、無償で提供する義務を負う』」


 言い終えた瞬間、薬指の黒紋が熱を持った。

 文字が脈を打つ。

 契約が“自分の言葉”を聞いているみたいに。


 私は続けた。


「この条項の問題は二つ」


 定義→適用。順番。


「一つ、無償提供の対象が限定されていない。二つ、受益者が“必要”と言えば、提供対象が無限に膨らむ」


 公爵家の女性が口を開こうとする。

 私は息を止めず、先に言葉を落とした。相手に“混乱”と呼ばせないために。


「つまり、これは定義ではなく権力です」


 空気が揺れる。

 役人の視線が動く。

 “権力”という単語は、制度にとって痛い。制度は権力で動くが、権力で動いていると認めた瞬間に正しさを失う。


 私は次へ進む。


「次に、利益」


 適用→利益。順番。


「救済婚により得られる利益は、期限停止だけではありません。代償として“名が抹消”されることで、契約者の社会的存在が弱まる。呼称が奪われ、記録が空白になる。――管理が容易になる」


 言葉にすると胸が痛む。

 痛むからこそ、正しい。痛みがある言葉は、嘘じゃない。


 公爵家の女性の笑みが、ほんの僅かだけ硬直した。

 痛いところに触れられている。


 私は机の上の追記を指で示した。


「契約は、均衡補強として追記をしました」


 私は、ゆっくり読み上げる。


「『提供者:公爵家』」


 会場の空気が再び止まる。

 止まるたび、白が剥がれる。


 公爵家の女性が、柔らかさを装って言った。


「仮にそれが本当だとしても。提供者という言葉は、単なる表現です。救済婚の主体は――」


「主体は定義で決まります」


 私は被せた。

 被せることは、本当は好きじゃない。

 でも今は、順番を守るために必要だ。相手に枠を戻させないために。


「提供者が公爵家なら、無償提供義務の主体は公爵家。従属者も公爵家。――同じ条項が、そのまま適用されます」


 書記官が一歩前へ出た。

 彼が公文書を持ち上げ、形式の声で宣言する。


「契約庁として、照会結果を暫定確定します」


 暫定確定。

 その単語の矛盾が、逆に強い。

 完全確定ではない。でも、公の場で“そう扱う”と決める。制度の歯車が方向を決める瞬間だ。


「提供者=公爵家、主体=公爵家。無償提供義務の主体も同様。更新手続きは、本照会の確定まで停止します」


 停止。

 また停止。

 朱印台へ向かっていた手が、止まる。


 公爵家の女性の指先が、ほんの僅か震えた。

 その震えは怒りではない。恐怖だ。

 自分が作った牢に、自分が入る恐怖。


「……そんなこと、許されません」


 彼女の声が、初めて硬く割れた。

 慈善の仮面が、薄く剥がれる音がした気がした。


「救済婚は、私たちが管理している。管理して――」


 管理して、という言葉が出た瞬間、役人たちの目が僅かに動いた。

 聞いた。

 記録した。

 管理という本音が、手続きの場で滑った。


 書記官が淡々と言う。


「今の発言は、記録します」


 記録。

 それは刃だ。

 公の場で言葉が“記録”されると、言葉は帰れない。

 帰れない言葉ほど、人を縛る。


 公爵家の女性は、微笑みを作り直そうとした。

 でももう遅い。仮面の縁が割れている。


「……奥様」


 彼女は私を見て言った。

 今度の奥様は、侮蔑に近かった。

 名を呼べないまま、私を小さくしようとする声。


「あなたは、自分が何をしているか分かっているの? 抵抗すればするほど、代償は――」


「分かってる」


 私は静かに返した。

 喉の膜が厚い。

 名が薄い。

 それでも、私はここに立っている。


 そして私は、最後の言葉を置く。

 この場で、枠を確定させる言葉。

 相手の逃げ道を塞ぐ言葉。


「契約は破らない」


 私は言った。

 自分の心臓の音が、耳の奥で鳴る。


「――あなたの言葉のまま、あなたを縛る」


 その瞬間、薬指の黒紋が強く脈を打った。

 会場の空気が、ひとつだけ“戻れない”方へ傾いた。

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