表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
呼ばれない花嫁は、契約の言葉で公爵家を縛る  作者: swingout777


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/20

提供者の名

 紙の余白に滲んだ影は、消えたはずなのに、目の奥に残っていた。

 契約が勝手に書き足す。

 そんなことがあるのか。あるとして、何のために。

 答えは一つしかない。契約は“均衡”を保つために、こちらの抵抗を封じる。封じるために言葉を増やす。


 私は一晩、ほとんど眠れなかった。

 黒紋が熱を持つたび、紙の影がよみがえる。

 影は、私の名の輪郭に似ていた。似ていることが、何より恐ろしい。名を奪うのに、名の形を使う。奪い方まで上品だ。


 朝、私は契約庁へ向かった。

 書記官に会うためだ。

 公に通す鎧を作ってもらった以上、契約が勝手に追記を始めたなら、こちらも“公の言葉”として封じる必要がある。


 窓口に立つと、係員はまた一瞬詰まった。

 名を呼べない。呼称を探す。

 そして「同伴者の方」と言い直す。

 同伴者。私は人ですらなく、添え物になっていく。


 私は感情を飲み込み、静かに言った。


「担当書記官に、至急の照会です」


 係員が視線を泳がせ、奥へ通す。

 数分後、書記官が現れた。疲れた目だが、今日はそこに焦りが混じっている。


「……何かありましたね」


 挨拶より先に言い当てられた。

 私の顔が、よほど悪かったのだろう。


「契約が、紙に反応した」


 私は端的に言った。

 書記官の眉がわずかに動く。


「反応、とは」


 私は持参した契約書の写しを取り出し、昨夜影が滲んだ余白の位置を指差した。


「ここに。追記みたいな影が出た。……文字になる前に引っ込んだ」


 書記官は紙を受け取り、光にかざす。

 目を細め、紙の繊維を読むように見つめた。


「……確かに、繊維の圧が変わっています」


 彼は低く言った。


「インクではない。けれど、紙が“記録”しようとした痕跡がある」


 私は背筋が冷えた。

 痕跡。つまり、これは偶然ではなく、仕様だ。


「契約は“生きている”とでも言うんですか」


 私が問うと、書記官は一瞬だけ迷い、そして頷いた。


「古い契約には、そういうものがあります。条項が固定されているように見えて、運用のために“例外”が増える。……増える、と言うより」


 彼は言葉を選んだ。


「均衡を保つために、自動で補強される」


 補強。

 つまり、私の抵抗が強いほど、契約は私を縛る言葉を増やす。

 私の名が消えるほど、契約は安定する。

 それが“均衡”の正体。


 私は唇を噛んだ。

 でも、ここで怯えてはいけない。追記があるなら、それも逆手に取れる。契約の言葉が増えるなら、増えた言葉ごと裁けばいい。


「それ、利用できる?」


 私は即座に言った。

 書記官がわずかに目を見開く。意外だったのだろう。普通は怯える。普通は諦める。

 私は諦めない。


「利用……」


 彼は小さく呟き、紙の余白を指でなぞった。


「追記が出る条件が分かれば、出させたい追記を誘発できる可能性はあります」


 誘発。

 その単語が、背中を押した。


「私たちが欲しい追記は一つ」


 私は赤線の引かれた条項を指差した。


「“提供者”の定義。利益を得た側が提供者――この論理を、契約自身に書かせる」


 書記官は静かに頷いた。

 そして言った。


「それが出れば、強い。公の場で“契約が自分で認めた”と言える」


 私は息を吐いた。

 そうだ。人が言えば感情だ。契約が書けば、制度だ。

 制度の言葉で、制度を裁く。これ以上の武器はない。


「どうやって出させる」


 書記官は机の引き出しから別の用紙を出した。

 庁内の手続きに使う、真っ白な規格紙。


「追記は、矛盾が最大になった時に出やすい。均衡が崩れる瞬間に補強が入る」


 私はすぐ理解した。


「更新儀式」


「はい」


 書記官は頷いた。


「更新の場は、契約が最も強く働きます。条項が確定し、代償が最大化される。そこが、追記の発生点になりやすい」


 つまり、危険な場が、同時にチャンスでもある。

 公爵家は私を消すために更新を迫る。

 私は公爵家を縛る追記を出すために更新の場へ行く。


 矛盾の形。

 順序。

 そして追記の誘発条件。


 書記官は規格紙を二枚重ね、端を揃えた。


「一つ、方法があります」


 彼は低い声で言った。


「更新儀式の場で、公式の照会文と契約原本を“同時に”置く。しかも余白に、あなたの主張の核を――短い定義として書く」


「書けない可能性がある」


 私は即座に言った。招待状に書こうとして止まった記憶が蘇る。


 書記官は頷いた。


「だから、あなたが書けないなら、私が書きます。庁の人間が、庁の用紙に、庁の手続きとして書く。あなたは“読み上げる”」


 私は胸の奥が熱くなった。

 書記官は中立だ。制度に従う人間だ。

 けれど、その制度の中でできる最大限を、彼は差し出している。


「あなたは危険じゃないの」


 私が問うと、書記官は目を伏せた。


「危険です」


 即答だった。


「でも……制度が矛盾しているなら、正すのも制度です。私はそれに従う」


 その言い方は、逃げ道でもあった。

 個人の正義ではなく、制度の正しさ。

 彼が自分を守るための言葉でもある。私はそれを尊重する。


「ありがとう」


 私は言った。

 今度は彼は視線を逸らさなかった。

 名は呼べなくても、目が“人”を見ていた。


 屋敷に戻ると、私は最終準備を始めた。

 書記官が整形した照会文の骨格。父の覚え書き。契約原本の写し。赤線を引いた条項。

 そして――儀式の場で置くための規格紙。


 エイドは黙って手伝った。

 封筒を揃え、紐を結び、机の上の配置を覚える。

 名を呼べない代わりに、手順で支える。手順は誓いの形だ。


 夜更け、私は一人で手袋を外した。

 薬指の黒紋は、昨日より明確に文字へ寄っている。

 線が、線ではなく“筆画”になりつつある。

 私の名を奪うために、私の名の形を作っている。


 私は指を握り、声に出した。


「明日は、逆にする」


 その瞬間、黒紋が熱を持った。

 まるで返事だ。


 そして机の上の契約書の写し――赤線の引かれた条項の余白が、薄く滲んだ。

 昨夜より濃い。引っ込まない。

 線が、確かに形を作り始める。


 私は息を止める。

 見守る。触れない。確定させない。

 書かせるなら、こちらが欲しい言葉を。


 紙の繊維が濡れたみたいに暗くなり、影が線になる。

 線が、文字になる。


 ――『提供者:』


 私は喉が鳴るのを抑えた。

 続け。続けて。


 影がもう一度脈を打ち、次の文字が浮かぶ。


 ――『公爵家』


 その四文字が現れた瞬間、薬指の黒紋が強く脈を打った。

 紙が、契約が、制度が――自分の口で言った。


 私はゆっくり息を吐き、呟いた。


「……出た」


 出た。

 これで、牢の鍵はこっちに来た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ