第六章「平和」の代償
大総統府、円卓議場。
重厚な大理石に囲まれたその場所で、大総統レグルスは、深まる疲労を隠すように眉間を指で押さえていた。
「レグルス様。先日のエセリアル召喚に対して、第二隔壁の住民から抗議の声が殺到しております…。いたずらに武力に頼らず、まずは和平の使者を送るべきなのでは?」
『倫理の光』党首プロキオンが、確信に満ちた声で告げる。
レグルスは冷めた目で彼を見つめ、静かに問い返した。
「……プロキオン。我が国が城塞国家となって以来、両魔王へ4度に渡り和平の使者を送った歴史を忘れたわけではあるまい? その全てが一笑に付され、4度目の使者に至っては、樽に詰められた肉塊となって突き返されたのだぞ」
「レグルス様、それは30年も前の、先代大総統の話です!」
若手の急進派議員が、他国の成功例を記した書類を提出した。
「わが国も、隣国スピカのような中立国は目指せないのですか?彼らは複数の周辺国や魔族たちと不可侵条約を結ぶだけでなく、活発な交易さえ行い、経済を潤しております。壁や神に頼らずとも、平和を維持しているではありませんか。なぜ我々は同じ道を歩めないのですか?」
重く、沈痛な沈黙のあと、レグルスはゆっくりと口を開いた。
「……スピカか。確かに、あそこは平和で美しい国だ。だがな、その『平和』が何の上に成り立っているか、君は本当に知っているのかね?」
レグルスは、軍事報告書を議卓に叩きつけた。
「スピカでは、15歳以上の国民全てに5年の兵役と、魔道具の携行が義務付けられている。重武装の大型トロール程度なら簡単に消し飛ばすが、使用者の寿命をごっそり削り取る死神のような武器だ」
静まり返る議場。大総統の言葉は、冷徹に続く。
「有事になれば、全ての民家が軍事拠点になり、全ての国民が兵士となる。彼らは『話し合い』で平和を得たのではない。『我々を怒らせれば、一兵残らず貴様らを道連れにする』という、凄まじい殺意と覚悟を突きつけて、魔族を交渉のテーブルに座らせたのだ」
レグルスは議員を射抜くような目で見据えた。
「君たちが憧れる平和の裏側には、そういう血生臭い対価がある。ひるがえって、我が国の国民はどうだ?どんなに啓蒙活動をしても、 守り手である騎士団を軽視し、自らは武器の持ち方すら知らず、エセリアルの盟約に不満を漏らす。……彼らに、スピカのような『覚悟の平和』が務まると思うかね?」
議場に冷ややかな沈黙が流れる。
プロキオンは唇を噛み、若手議員は黙り込んだ。
レグルスの発言は、正に言葉の暴力だった。
しかしそれこそが、崩れゆくシキシマを繋ぎ止めている楔であることに、気づいている者は少なかった。
(…儂も毎晩のように夢を見るよ。昔のように人間と魔族が共生し、笑い合っていた平和な時代を。…だがもう、あの頃には戻れぬのだ……)
レグルスの瞳には、海よりも深い悲しみが宿っていた。




