第二章:こたつを作ります!(1)
五日間、馬車に揺られたエステルは、アドコック領に着いたときにはふらふらだった。
国境にあるこの城は、大きくは城塞、内城、外城と三つの区域に分かれている。内城には城塞で働く者たちが家族と住み、外城にはそれ以外の領民が住んでいる。内城と外城は城壁によって隔てられているが、自由に行き来できる。外城も市壁によってぐるりと周辺を囲まれていた。また、城の外にはいくつか集落が点在しているらしい。
この城の作りが敵の侵入を防ぐためだとわかってはいるが、王都と異なる雰囲気にエステルは別世界に迷い込んだ感覚に襲われた。
馬車は城門をくぐり、城塞の正面で停車した。
外側から扉が開かれ、護衛の騎士のエスコートで馬車から降りたエステルだが、身体のバランスを崩して倒れ込みそうになってしまった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫……へっくしゅっ」
さらに、肌寒くてくしゃみが出てしまう。
「お嬢様、こちらを」
ハンナがすかさず上着をかけてくれた。
正面の入り口からエントランスへと進むと、ずらりと並んだ人々が頭を下げている。
「ようこそいらっしゃいました、エステル様」
その光景に、エステルも一瞬、怯んだ。このような派手な歓迎を受けるとは思ってもいなかったのだ。
「お出迎えいただき感謝いたします。私がヘインズ侯爵家の長女、エステルです」
「執事長を務めるジェームスです。では早速、お部屋へご案内いたします」
そう言って、一歩、前に出たのは老紳士だ。先ほどからこの場を取り仕切っていたのは彼であり、見るからに執事だとわかる。
「ご丁寧にありがとう。こちらは、私の侍女のハンナです。私の身の回りの世話は、彼女にお願いすることになりますが、至らぬ点も多々あると思いますので、ご指導のほどよろしくお願いします」
エステルの言葉に合わせて、ハンナが恭しく礼をする。
「では後ほど、こちらの侍女も紹介いたしましょう」
ジェームスは始終ニコニコとしており、その笑顔を見るだけでも緊張していた心がほぐれていく。
「奥様……エステル様には、こちらのお部屋を用意いたしました」
階段を上がって三階の奥から二つ目の扉を開けると、薄紅色の壁紙が目に飛び込んできた。
「まぁ、素敵なお部屋ですね」
明るい彩りで、見ているだけで気持ちが高まってくる。さらに、大きな窓からはレースのカーテン越しに太陽の光が差し込み、先ほどまでの通路とは気温がぐっと異なっていた。
「日当たりもよくて、あたたかいわ」
「ご存知だとは思いますが、こちらは王都と違って雪が降ります。そのため、できるだけ日当たりがよくあたたかい部屋を選んだつもりですが、ご不満があればなんなりとお申し付けください」
あまりの待遇のよさに、恐縮してしまうくらいだ。
だがエステルだって侯爵家の令嬢だから、身分を考えれば相応なのかもしれない。
「失礼します」
開けっぱなしの扉をノックしてから、数人の女性が室内に入ってきた。
「エステル様、紹介いたします」
エステルの目の前に並んだ女性たちを、ジェームスが紹介し始めた。彼女たちは、主にエステルの身の回りの世話を手伝ってくれるという。つまり、侍女だ。ヘインズ侯爵邸にいたときは、これほどの侍女に囲まれたことはなかった。やはり、国境の城主となれば、待遇も違うのだろう。
少し緊張しつつも、エステルもハンナを紹介した。
「では、ハンナさん。後で城内を案内いたしますわ」
そう言った彼女たちは、お茶の用意をして部屋を出ていった。ジェームスも「まずはゆっくりとお休みください」と言うと、去っていく。
華やかな部屋にエステルとハンナは二人きり。テーブルを挟んで向かい合う二人は、ほっと息を吐いた。
「好意的でよかったわ」
それがエステルの本音だ。
「本当ですね。ただ、一つだけ気になることが……」
そこでハンナが顔を曇らせる。
「気になること?」
エステルにはまったく感じなかった。国境を守る要としての機能を備えている城塞の見た目は華美に欠けるが、人のあたたかさや城内に手入れが行き届いているのは伝わってくる。それにエステルのために用意されたこの部屋にも、彼らの気遣いが現れていた。
「えぇ、ジェームスさんが、お嬢様のことを一瞬、奥様と呼ばれたことです」
「あぁ。そんなの言い間違いではなくて? 誰にだってあるでしょう? 先生をお母様と呼んでしまうような感じよ」
「そうですかね?」
納得いかないのか、ハンナは首をひねる。
「それよりも、この部屋は本当に居心地がいいわね。お菓子もいただこうかしら」
今まで馬車に揺られていたせいか、まだ身体はふわふわとしていた。しかし、目的地についた安堵感と部屋の快適さが相まって、エステルは一気に空腹を覚えた。
目の前に美味しそうな焼き菓子やら軽食が並べられたら、我慢できなかった。
「んっ! このクッキー、さくっとして甘くて美味しいわ。みてみて、真ん中にジャムが入っているの」
「お嬢様。旦那様たちの目が届かなくなったからって、あまりはしゃがないでくださいね」
そう言ってハンナが目を光らせる。
「でも、ハンナの言うとおりね。ここにはお父様もお母様もお兄様もいない。それに……学園に通う必要もない。これって、私の好きにしていいってことよね?」
こちらに来るまではどんよりと沈んでいた気分も、少しずつ浮上し始める。
「こちらにご迷惑をおかけしない程度にお願いします」
「わかったわよ」
少し不貞腐れて頬を膨らませたが、エステルの心はどこか吹っ切れた。
家族のいない場所だが、それを決めたのは自分だ。何よりも、父が面白いと評した女性魔導職人に会い、教えを乞うのが目的である。
「楽しみだわ」
「何がですか? 辺境伯とお会いすることがですか?」
「違うわよ。お父様がおっしゃっていた、魔導職人。早く、紹介してもらわなくちゃ」
早く新しい楽しみを見つければよいのだ。セドリックのことを忘れるくらい楽しいことを――。
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