第一章:辺境へ行きます!(4)
* * *
「くそっ」
投げられたクッションがポフッと間抜けな音を立てた。
「まぁまぁ、落ち着けよ」
「これが落ち着いていられるか! 全部おまえのせいなんだよ」
ターラント国立エルガス学園生徒会室――。
荒れて暴れているのはセドリックだ。先ほどから、ソファの上に置いてあるクッションは、かわいそうなことに彼に八つ当たりされ、投げられ殴られ、本来の目的とは違う使われ方をしている。そろそろ布地が破れて、中の綿が飛び出してくるのではないかと心配になるほど。
「とりあえず、お茶でも飲むか?」
そうやってセドリックを宥めようとしているのはジュリーなのだが、その口調はどこか淑女らしさを欠いていた。
セドリックはギロリとジュリーを睨む。
「おまえ、いい加減、その頭を取れ。その顔でその口調、気持ち悪い」
「まぁ、セディったら恥ずかしがり屋なのね?」
ジュリーが口調と声色を変えて言うと、よりいっそう、セドリックは不機嫌になる。
「気持ち悪いからやめろ。股開いて堂々と胸を張って立つ姿と、おまえのその格好が似合っていないんだよ。なんなんだよ、そのスカートは」
「え? だって、これが制服だろ?」
ジュリーはスカートの裾をつまんでひらひらと振ってみせたがセドリックの眉間のしわが増えるだけ。
「おまえの汚い足を見せるな。しまえ。そして着替えろ。ここにはもう、誰もこない!」
「はいはい」
肩をすくめたジュリーは頭に手をかけた。そしてかぶっていたものをずるりと剥ぎ取る。
「はぁ。鬘って意外と蒸れるんだよな。オレの大事な生え際が後退したらどうしてくれる」
「そんなの知らん。その顔で女子用の制服を着るな! 気持ち悪い」
「本当、セディったらわがままね」
少しだけ声色を高くしてそう言ったジュリーは、扉の向こうへと消えていく。そして次に戻ってきたときには、男子生徒用の制服へと着替えていた。
「あぁ、疲れた」
「自業自得だろう」
「やっぱ、女装って大変だな。声も変えなきゃならんし、あと、こう、歩き方? ガニ股はだめ、大股で歩くなと言われても。なら、どうやって歩けと?」
セドリックの目の前にいるのは、先ほどまでの可憐な女性ジュリーではない。その女性を演じていたジュリアンである。つまりジュリーは仮の名で、本名はジュリアンだ。フルネームはジュリアン・ヴァサル。隣国ヴァサル国の王子。ジュリーは女性ではなく男性だった。
「おまえがここにいることを、敵に知られてはならないからだろう? だったらおとなしくしていろ」
「おとなしくした結果が、女装ってことか……」
ソファに大きくよりかかったジュリアンは天井を仰ぐ。
「違うだろ? おまえがおとなしくできないから女装して、動き回ってるんだろ? 黙って軟禁されていればいいものを」
「ほんと、セドリックは口うるさい小姑みたいだな」
ジュリアンはあきれた様子で、また肩をすくめた。そんな彼がわざわざ女装してまでターラント国の学園に通っているのはもちろん理由がある。
ヴァサル国では今、王位継承権で揉めている。父王はまだ元気で精力的に政務をこなしているが、十年後はどうかはわからない。そろそろ次の国王を決める時期だとささやかれており、順調にいけばそれはジュリアンであった。
しかし、王弟を推す者もいる。王位継承権の高い者から順に王になるのではなく、王位継承権を持つ優秀な人物こそが国王にふさわしいと言い出し、今までのやり方に意義を唱える者が現れたのだ。
王弟派はそのやり方から改革派とも呼ばれている。
もし王弟のほうが次期国王にふさわしいという意見があるのなら、ジュリアンだってそこは話し合いをして決めていければいいと思っていた。国王になってこの国を統治しなければならないと幼い頃から言われ続け、責任感だけ強くなっていったジュリアンだが、絶対に国王になりたいわけではない。自分の変わりに国をよりよい道へと導いてくれる者がいるのなら、それを任せたいと思っているくらいだ。そして自分はその人物を支えればいい。
だが、改革派はそうではないらしい。何がなんでも今の国王を引きずり下ろし、ジュリアンの命すら奪おうとする、少々過激な考えの持ち主なのだ。
平和的話し合いで解決、が通じない集まりだった。
「口うるさい小姑とはなんだ? おまえのせいでこっちはいい迷惑をしてるんだよ」
先ほどからセドリックの怒りは静まらない。
それもそのはず。大好きなエステルに、婚約解消を告げたからだ。そのときのエステルの泣きそうな顔を見たときには、抱きしめて慰めてやりたかった。だが、それをしてはならないと己に強く言い聞かせ、彼女を突き放した。
「あぁ……エステルに嫌われた。もう絶望的だ……」
セドリックは両手で顔を覆い身体を丸める。
「だから、それはゴメンって。だけど、セドリックが言ったんだろ? このまま婚約関係を続けていたら、エステル嬢を巻き込んでしまうって」
「俺がおまえのことに巻き込まれているからな。何がなんでもおまえを引きずり下ろしたい改革派は、おまえの周囲の人間だって狙ってくるだろう? そうなれば、真っ先に俺が狙われる。俺がおまえから手を引けと脅すとなれば、エステルを使ってくるのが目に見えていた。彼女を危険なことに巻き込むくらいなら、手放すしかないだろ!」
エステルの命が危険に晒されるようなことがあってはならない。
だからジュリアン――ジュリーとの仲が深くなった振りをして、ありもしない悪事をでっち上げ、彼女に婚約解消を告げたのだ。投書箱への投書も偽りだった。部外者のエステルが、投書の中身を確認することはできない。その規則を利用して、白紙の紙を封筒に入れ、いかにも複数の生徒からエステルに対する告発が届いたように見せかけただけ。
ちなみにこの茶番劇は、エステルの父、ヘインズ侯爵には伝えてある。彼は国内でも優秀な魔導技師だ。その娘との婚約を一方的に解消して、彼を敵にまわしたくなかった。
セドリックが置かれている現状を彼に説明し、できるだけエステルを王都から離れた場所に避難させたい。それが目的だった。
「それに……おまえも見ただろ? エステルが魔導具展で発表しようとしていた魔導具……」
「ああ、見たよ。あれ、すごいよな。『でんわ』だっけ?」
「そうだ……。遠く離れていても俺と話をしたいから考えたって……寝る前におやすみなさいって言いたいからだって。可愛いと思わないか?」
急に惚気始めたセドリックに、冷たい視線を投げたジュリアンは「はいはい」と適当に相づちを打つ。
「だが、ヴァサル国の改革派の奴があの技術に目をつけたら? それを考えただけでも背筋が凍る」
ただでさえ、改革派の人間は手段を選ばない。今だって、ターラント国の魔導具を密輸しているという噂もあるのだ。
「俺のエステルが、あいつらにいいようにされたら……おまえのせいだからな」
セドリックがジュリアンに向かってクッションを投げつけた。
「わかった、わかった。本当に悪かったって。早くおまえがエステル嬢を迎えにいけるように、なんとかして密輸組織を捕まえないとな」
ジュリアンが女装してまで動き回っているのは、その密輸組織を捕まえることが目的だ。そこが改革派の人間と繋がっていることを突き止め、王弟派の人間を洗い出したい。
「ちっ」
舌打ちをしたセドリックは、ジュリアンを睨みつけることしかできなかった。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
早く迎えにいけるといいね!と思ったら☆を押しての応援やブクマしていただけると喜びます。