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第一章:辺境へ行きます!(1)

 エステル・ヘインズには、いわゆる前世の記憶というものが存在している。つまり、エステルがエステルとして生まれる前に生きていた人間の記憶である。こことは違う世界に生きていた人間のもので、環境も文化もすべてが異なる世界だった。


 その世界は、地球という星にある日本という国。そこの特定の人物までは覚えていないが、日本で暮らしていたという漠然とした記憶だけがあった。


 日本にはテレビとかパソコンとかスマートフォンとか、とにかく今では想像もつかないような高度な道具がたくさん存在していた。


 エステルとしての生活が特別不便だとは感じていないが、そういったものがあれば便利だなと思うことはある。


 この世界に電気はない。しかし、電気の代わりにあるのが魔力であり、魔力は魔石と呼ばれる石にとじこめられている。そして、魔石を使った道具が魔導具と呼ばれていた。その魔導具の第一人者として知られているのが、エステルの父モートンであった。


 エステルが言葉を話せるようになったときから、モートンに『こんな便利なものがあったらいいな』とそれとなく伝えていたからだ。


 その結果、父が魔導灯と呼ばれる光源を開発したのは今から十五年前。これによって、ろうそくやガス灯による明かりは魔導灯へと置き換わっている。


 当時は、魔石をどうにかして利用できないかと言われていた時代で、そこにモートンが魔石を使って魔導灯なる魔導具を開発したものだから大注目を浴びた。当時は一介の研究者だった父には、国家魔導技師という立派な肩書きまでついた。


 それからというもの、モートンは王城内の一室にある研究室で、日々、新しい魔導具を開発している。


 そんな父親の影響を受けているエステルも、学園卒業後は父と同じ国家魔導技師を目指していた。ヘインズ侯爵家は兄のシリルが継ぐだろうし、そもそもモートンが開発している魔導具のアイディアの一部にはエステルの意見も反映されている。


 両親は、エステルが技師を目指すことに反対はしなかった。セドリックも同様だった。


 だからエステルは、時間さえあれば王城の地下に用意されたモートンの研究室に足を運んでいた。それは学園に入学してからも続き、エステル自身も魔導具制作にのめり込むようになる。


 それもあって、各国、各学園の代表が魔導具制作の技術を競う学生魔導具開発展の学園代表に選ばれていたのだ。


「エステル。いい加減、部屋から出てきなさい!」


 ベッドに潜って泣き続けるエステルを引きずりだそうとしているのは、母親のヒルダである。


「あなたが魔導具展に出たかったことは理解しています。学園の退学も不本意であることもわかっています。だからって、いつまでも部屋にこもっていたら、前に進めないでしょう!」


 ヒルダは、エステルが頭からかぶっている掛布を引っ張った。


「あ、お母様! 何をするんですか」


 着替えもせず、部屋にこもりっぱなしのエステルは薄着である。だから掛布を奪われたら、寒い。


「お母様。寒いです。返してください」

「寒いなら、着替えればいいでしょう。あなたたち、エステルの着替えを手伝ってちょうだい」


 両手を腰に当て、獣のような険しい形相で睨みつけるヒルダは、そこから動くつもりはないようで、エステルの着替えが終わるまでそうしているのだろう。


 ヒルダが本気で怒れば怖い。今はまだ序の口だ。

 仕方なくエステルは、重い身体を引きずりながらベッドから下りた。


「お嬢様、お召し物はこちらでよろしいでしょうか?」


 侍女がドレスを手にして確認してくるが「なんでもいいわ……」としか答えられない。


「ドレスは明るい色にしてちょうだい。ただでさえ辛気くさい顔をしているのだから」


 ヒルダの指示が飛ぶ。

 ずっと暗い顔をしているエステルだから、ドレスくらいは明るくしたいと考えているようだ。


「髪は一つに結わえて、背中に流してあげて」


 指示を出すのは、やはりヒルダだった。エステルはまるで着せ替え人形のようにされるがまま。


「はいはい。着替えたら、下に行くわよ」


 エステルの部屋は二階にある。家族全員が顔を合わせるときは、一階にある居間を使う。

 母親に連れられて居間に入れば、秋晴れのあたたかな空気がエステルを包み込んだ。窓から差し込む太陽の光は穏やかで、春のようなあたたかさだと勘違いしそうになるくらい。


 居間には、父の他にも兄シリルがいた。ここでヒルダとエステルが現れれば、ヘインズ一家が揃う。


「やあ、久しぶりだね。エステル。えぇと……三日ぶりかな?」


 エステルと同じ黒髪のシリルが、片手を上げて陽気に声をかけてきた。


「あ、はい……そうですね、お兄様……」


 兄に悪気はない。むしろ、兄は悪くはない。だが、少しでも何か話そうとすれば、八つ当たりしてしまうのではないかと思い、必要最小限の挨拶にとどめた。


 ヘインズ兄妹はよく似ており、黒く艶やかな髪は父親に似た。ヒルダだけが赤茶の髪をしているが、それもまた彼女の魅力を引き立てている。


「とにかく、そこに座りなさい」


 父にうながされ、エステルは母親と並んでソファに座る。


 何を言われるのか。エステルは内心、ヒヤヒヤしていた。


 学生魔導具展の参加取り消しだけでなく、エルガス学園すら退学させられ、セドリックとの婚約まで解消されたのだ。考えてみれば、ヘインズ侯爵家にとって不名誉なことだろう。


 エステルは、自分でも気づかぬうちにスカートの裾をぎゅっと握りしめる。


「エステル……少し、王都を離れてみてはどうだ?」

「え?」


 目の前が真っ白になった。何を言われたのか、頭が考えることを拒否している。


 だが、今の言葉を解釈すれば、侯爵家から追い出されるということだろうか。不名誉なエステルを、追い出したいということか。


「あなた。もっと言い方というものがあるでしょう? ただでさえエステルは落ち込んでいるのに」


 ヒルダがぴしゃりと言ってのける。


「ああ、悪かった。いや、そういう意味ではなく……まあ、あれだ」


 そこでモートンは取り繕うかのように、軽く咳払いをする。


「セドリック殿下との婚約の件が少し落ち着くまで、王都から離れたほうがいいだろうと、そう判断したんだ。私たちは決してエステルを追放したいとか、そう思っているわけではないよ?」

「で、ですが、お父様。私は、学園も退学になって……挙げ句、セドリック様との婚約も……」


 エステルのその先の言葉は涙に呑み込まれた。

 ヒルダがやさしく背を撫でてくれる。


「えぇ……わかっていますよ。あなたは悪くありません。殿下とは……そう、そうね。気持ちがすれ違ってしまったのよ」


 母親のぬくもりを感じれば感じるほど、目の奥が熱くなって、次から次へと涙が溢れてくる。


「お母様……」


 そろそろ成人を迎えるエステルだというのに、幼子のようにヒルダにしっかりと抱きついて、声をあげて泣き始めた。


最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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