第四章:魔導具のお手入れは大事です!(4)
* * *
エステルに会える。
その事実がセドリックの気持ちを震えさせていた。彼女と別れてから半年以上が過ぎている。
エステルは元気だろうか。怪我をしていないだろうか。風邪を引いていないだろうか。無理をしていないだろうか。
定期的に彼女につけた護衛から近況は届くものの、やはり自分の目で確かめるまでは不安になる。
アドコック領へと向かう馬車の中、セドリックの気持ちはそわそわとしていた。移動に五日かかるが、その時間すら待ちきれないくらいに。
エステルが住まう城塞が見えてきたときには、感極まって目頭が熱くなってきたほどだ。涙がこぼれぬよう、堪えるのに必死だった。
すぐにギデオンと顔を合わせ、近況についての情報を交換する。
ギデオンは、父王の友人でもある。エルガス学園時代に意気投合し、それ以降友人関係を続けているのだとか。国王が気を許せる臣下の一人だろう。
だからこそ、セドリックもエステルを彼に預けることを反対しなかった。
ヘインズ侯爵にエステルの置かれている立場を相談したとき、しばらく王都から離れたほうがいいと言った。
その際、アドコック領を選んだのはいくつか理由がある。一つは父王が信頼している友人であること。もう一つはアドコック領には優秀な魔導職人がいること。そして、ヘインズ侯爵とギデオンの間に切っても切れぬ関係があること。
はたしてギデオンは気づいただろうか。エステルがヘインズ侯爵の実の娘ではないということに。
家令に案内され、セドリックはギデオンの執務室へと向かった。
――コツ、コツ、コツ、コツ。
控えめにノックをすると、中から入るようにと促された。
「久しぶりだな、ギデオン」
部屋に入るなりセドリックが言えば、彼は目を丸くしてこちらをじっと凝視する。
「……セドリック殿下、でしたか? どうしてそのような格好を?」
挨拶を交わすことすら忘れ、ギデオンはそう尋ねてきた。それも無理はない。
ギデオンの前に立つセドリックは、彼の知るセドリックとは異なる容姿をしていたからだ。
金糸のような金色の髪は、くすんだ茶色に変わっていて、毛先は少し跳ねている。これも魔石の力を利用し、髪の色と髪型を変えた。さらに、服装も平服で、外を歩いている民らとなんら代わりない。
つまり見た目だけでは、王太子セドリックであると判断できないはず。
「お忍びだからに決まっているだろう? 俺がここにいることを知られてはまずいんだ」
セドリックは目についたソファに、どさりと腰を下ろした。
「王都のほうがきな臭い話は聞いておりますが……」
「だからエステルを預けたのだろう?」
「あぁ、ヘインズ侯爵家の……殿下の元婚約者……」
元、と言われたときにはセドリックもこめかみをひくりと動かした。
「殿下、なぜそのような顔をされるのです?」
ギデオンも敏感にセドリックの表情を読み取ったようだ。面白いとでも思ったのか、彼は執務席のほうからセドリックの向かい側へと移動し、正面に座った。互いの表情がよく見える。
「今はもう、婚約を解消されたのでしょう? 自分のエゴのために」
「俺のエゴだと……?」
「そう。婚約を解消したのは、彼女のためと言いながら、結局は自分のため。彼女を心配する暇があるなら、他に時間を割いたほうが有意義ですからね」
そこでギデオンはベルを鳴らして使用人を呼び、お茶を用意するように言いつけた。
だからセドリックは、その間、ギデオンの言葉をかみ砕いて理解しようとしていたが、それよりも彼の使った「ベル」のほうが気になった。
「……それは、なんだ? 普通のベルとは違う?」
「あぁ。これはエステルが作ったものですよ。離れたところでも人を呼びつけることができるベルです。常に私の隣に彼らが控えていては、他の仕事がはかどらないでしょう? だから普段は他の仕事を行い、必要なときだけこうやって来てもらうようにしているのです」
そこで使用人は、二人の前にお茶とお菓子を並べて出ていった。
「彼女の能力は素晴らしい。殿下は優秀な人間を私に預けてくださったようだ」
どこか勝ち誇った表情を浮かべるギデオンに、セドリックは歯がゆさを感じた。エステルを突き放す決断をしたのは自分だというのに、今となって、それが本当に正しかったのかと心が訴えてくるのだ。
「殿下、申し訳ありません。少しいたずらが過ぎたようです」
セドリックが黙り込んでしまったため、ギデオンも不安になったのだろう。それは自分がしでかしたことが、今後の権力に影響するからとか、そういった心配ではなく、純粋にセドリックの気持ちを察している。
「殿下に一つだけ、伝えたいことがあったんです」
そこでギデオンは、白磁のカップに手を伸ばす。身体が大きく厳つい男だというのに、こういった所作は整っているから見事なものだ。
「愚かな男の話です。当時、彼には愛し合っている女性がいました。もちろん、結婚を考えていたわけですが、突然、男には転機が訪れる。貴族の次男坊で爵位を継げるわけでもない男でしたが、彼の活躍が認められ、爵位を授かった。領地を与えられ、国防を担うようにと命じられたわけです。そこはとても寒く、慣れない者が暮らすには過酷な環境でした」
まるでこの辺境領のような話だ。
「そこで男は悩んだわけです。愛する女性と一緒になりたい。だが彼女は身体が弱く、その環境の生活に耐えられるだろうか、と。そして男は悩んだ挙げ句、彼女と別れる決意をしたのです」
セドリックの心臓は忙しなく動いている。この愚かな男というのは、ギデオンのことだ。間違いない。
「だが、しばらくしてから男は考えました。本当にあのときの選択は正しかったのかと。彼女を守るために別れたというのは言い訳で、身体の弱い彼女をどこかわずらわしいと思っていたのでは?」
「だから、俺にエゴだと言ったのか?」
セドリックは静かにそう問いかけていた。
「殿下には後悔してほしくありません。愚かな男は、一生、後悔を背負って生きていくわけです。手元に置いて彼女を守るという選択が、あのときなぜできなかったのか。どうして彼女の話を聞いてやれなかったのか。まぁ、男は格好つけたがる生き物ですから。特に、殿下のように若いとなおさら……」
もう話は終わりだと言わんばかりに、ギデオンはお茶を飲み干す。
「いい話を聞いた。俺も、自分の行動を振り返ってみることにしよう。だが、まだ彼女を側で守るためには俺の力が足りない」
だから突き放した。今はこれが最善の選択だったと思っている。
「それも選択肢の一つですね。自分に力がついたとき、彼女を迎えにいけばいい。だがそのとき、彼女が受け入れてくれるかどうかは別ですが」
褒めて落とす。本当にこの男は、セドリックの反応を見て楽しんでいるのだろう。
「ギデオン。いい話を聞いたついでに、一つだけ教えてやる」
「なんでしょう?」
どこか懐かしさが滲んでいた彼の紫眼に、鋭い光が宿った。これからの話を警戒しているかのよう。
「エステルは、ヘインズ侯爵の実の娘ではない。養女だ」
驚いたのか、ギデオンは目を大きく見開いた。
「だが……侯爵によく似ている……」
そう言ったギデオンの歯切れが悪い。
「それは、そうだろう。養女といっても、まったく血縁関係がないわけではないからな。娘、ではなく姪だ。侯爵の妹の娘、とでも言えばいいか?」
今まで表情を変えなかったギデオンの手が、微かに震えたのをセドリックは見逃さない。
意地悪しすぎたかと、一瞬考えたが、黙っていることでもないだろう。
「俺の婚約者だった女性だ。婚約者の出自くらい、調べるだろう? だが、エステルはそのことを知らない。それがどういうことか、覚えておいてほしい」
「なるほど……殿下も人が悪い。いや、いいのか悪いのかわからない」
ふふふ……と、突然笑い出したギデオンを見れば、動揺がよく伝わってくる。
「あぁ、だが納得した。初めて会ったはずなのに、懐かしい気がしたんだ」
ギデオンの口調が崩れた。
「なるほど。彼女の娘だからか……」
うつむいて、何かを堪えるかのように肩を震わせる。
「殿下、少しだけ時間をください。しばらくしたら、すぐにエステルに会わせます。だが今は……」
「あぁ……俺も悪かった。だが、この事実は伝えておくべきだろうと判断した」
「俺は、なんて愚かだったのか……。殿下もこのような愚かな男にはならないように」
ギデオンはもう一度ベルを鳴らし、使用人を呼んだ。そしてセドリックに部屋を案内するように指示を出す。
ここでのセドリックの立場は、ギデオンの友人の息子。だから王太子でもなんでもない。
案内された部屋で荷物の整理なりなんなりしていたら、時間はあっという間に過ぎ、再びギデオンに呼び出された。
「今から貴殿は、俺の客人だ」
まるで人が変わったかのような話し方に、これが本来のギデオンという男なのだろうと察した。いや、目上に対する者、部下への接し方と、きちんと使い分けができる男なのだ。
だが、失敗したと思ったのは、偽名を考えていなかったことだろう。
エステルにセドリックがここにいると知られてはならない。機転を利かせたギデオンが、とっさに「セリオ」という名を口にしたが、できればもう少し格好いい名前にしてほしかった。
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